回想の名演奏
グスタフ•レオンハルトチェンバロリサイタル
2009年5月13日19:00 札幌コンサートホールKitara小ホール
ルイ・クープラン:パヴァーヌ、組曲 ニ短調
パッヘルベル:ファンタジーアト短調 3つのフーガ
J.S. バッハ:組曲 ヘ短調BWV823
コラール・パルティータ
「おお神よ、汝まことなる神よ」BWV767
アルマン=ルイ・クープラン:ラントレピッド/ラ・フランセーズ
ラフリジェ
デュフリ:アルマンドとクーラント ニ短調
ラ・ドゥブロムブル/ラ・フェリクス/レ・グラース
実際、チェンバロ音楽の豊かさ、美しさ、そしてKitara所有のチェンバロ(ブルース•ケネディ製作のジャーマン2段鍵盤チェンバロ/ミヒャエル•ミートケモデル)のサウンドの豊かさが、余すところなく伝わってきた素晴らしいリサイタルだった。
2006年に病で一時危篤となったそうだが奇跡的に復活し、その演奏により深みを増した時期での来札で、体調も良く、最後の絶頂期だったのかもしれない。
プログラムはチェンバロ音楽の精華とも言える作品ばかりで、こういう選択はレオンハルト以外誰も出来ないだろう。チェンバロが最も美しく響く作品ばかりで、何という素敵なプログラムだろうか。
特に素晴らしかったのは後半に演奏された2人のフランス人作曲家の作品だ。
アルマン=ルイ・クープランとデュフリは共にフランス革命の年に世を去った作曲家で、フランス•クラヴサン楽派の最後の世代だ。大胆な発想を持ち、どこかメランコリックで、世俗的な親しみやすさがある作風が特徴。この中にはチェンバロ以外では表現が難しい、中音域から低音域中心に書かれた独特の雰囲気を持った作品もある。親しみやすい作風ゆえに演奏によっては陳腐に聴こえてしまい、演奏家にとって意外と扱いにくい作品だ。
レオンハルトの演奏は今ここで即興で生まれたばかりの作品のように新鮮で生命力に満ちており、しかもチェンバロの音が豊かにホール全体に響き渡り、それらが見事にマッチングして、心を惹きつけてやまない稀に見る名演奏となった。楽譜に忠実ながらも、そこから繊細かつ大胆なニュアンスを引き出し、想像も出来なかった多彩で表情豊かな演奏だった。レオンハルトの秩序とファンタジーが調和した感性は他の追随を許さず、またその感性は鍵盤音楽に限らない幅広い分野に精通していた教養に支えられた格調の高さをも感じさせた。チェンバロを本当に美しく演奏できた稀代な人であることも実感出来た。客席は満席で、このような演奏を聴けた400人以上の聴衆はこの上ない貴重な機会を得たのである。
レオンハルト最後の札幌公演は2011年の東日本大震災後の5月。首都圏での演奏会は節電と余震対応でかなり中止になった。また、震災以後の数か月は、多くの海外アーティストが来日を中止したが、レオンハルトは予定通り来日し、札幌(5月25日)の他、すべてのスケジュールを消化し帰国した。この時は指先が開いた手袋をしながらの演奏で、体調は良くなかったのだろう。札幌最後のリサイタルプログラムは下記のとおり。
2011年5月25日19:00 札幌コンサートホールKitara小ホール
ルルー 組曲 ヘ長調
J.C.バッハ プレリューディウム ハ長調
フィッシャー シャコンヌ ト長調
デュフリ ロンドー/ラ・ダマンズィ/純真無垢な娘(鳩)、
ラ・ミレティーナ/メヌエット/レ・グラース
J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻より
プレリュードとフーガ第9番 ホ長調 BWV878
組曲 ホ短調「ラウテンヴェルクのための」BWV996
アリアと変奏 イ短調 BWV989
帰国後、年末のパリのリサイタル後引退を表明し、翌2012年1月16日に亡くなった。死期を悟っており、葬儀でバッハのヨハネ受難曲の最終コラールを演奏することなど、全ての段取りを決めて他界した。この辺りの事情及びその生涯と活動の軌跡は、タワーレコード発行のフリーペーパー「intoxicate vol.98 」に掲載された渡邉順生氏の秀逸な小評伝「グスタフ•レオンハルトのレコード」に詳しい。
初回と最後のリサイタルも、巨匠らしく、曖昧さがない一本筋の通った素晴らしい演奏だった。有名な作品は弾かず、陰に隠れた名品や作曲家の作品を好んで演奏した。今では古楽界にも優秀な第三世代が登場しているが、レオンハルトの格調高い演奏は、Kitaraを彩った忘れられない名演奏家として今後も語り継がれていくのに違いない。
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