2026/02/02

 札幌交響楽団 第674回定期演奏会

2026年2月1日13:00  札幌コンサートホール Kitara大ホール


指揮:エリアス・グランディ(札響首席指揮者)

バリトン:ベンヤミン・アップル

管弦楽:札幌交響楽団


武満徹/ア・ウェイ・ア・ローンⅡ

マーラー/さすらう若人の歌

R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」



 「ア・ウェイ・ア・ローンⅡ」は、初演が岩城・札響で、1982年。オリジナルは「ア・ウェイ・ア・ローン」で、東京カルテットの結成十周年委嘱作品で、同カルテットが1981年にニューヨークで初演した。この作品を、翌82年に札幌市民会館で開催された札幌交響楽団特別演奏会のため、武満がオーケストラ用にコントラバスを加えた弦楽合奏曲に編曲、「ア・ウェイ・ア・ローンⅡ」として初演。この日の演奏会はすべて武満徹の作品で、しかも全て初演。その模様は当日行われた武満の1時間近くの講演含め全てCDで聴くことができる。

 「水」と「海」をテーマにした作品で、緻密で繊細な響きが要求される。無調だが、要所要所で減5度、完全5度など多彩な和声の響きの違いやリズムパターンの変化で、微妙で繊細な「水の情景」の表情を醸し出す。比較的ヨーロッパナイズされたわかりやすい作品だ。

 今日のグランディは、武満らしさというよりは過去の名作の一つとして、大きな西欧音楽史の枠組で捉えた演奏のように聴こえ、全体的に豊かな響きで、比較的線の太い演奏だった。初演から40年以上経ち、武満の愛した札響トーンも当時とは変わっていて、新しい武満像が生まれても不思議ではないが、全体的に突き詰めた緊張感ともう少し緻密で繊細な表情があった方がこの作品に相応しいように思う。


 マーラーを歌ったアップルはフィッシャー=ディスカウ最後の愛弟子だそうで、そう言われてみるとムラのない柔らかい声の質と歌い方、長身の雰囲気まで師匠そっくり。

 声はとても魅力的。歌詞が明瞭で言葉のニュアンスがしっかりと伝わってくる。明るい箇所、憂鬱な箇所などマーラーの気まぐれに変化する様々な表情がとても豊かに表現されている。例えば3曲目で雰囲気がガラリと変わる箇所など、ドラマティックな感情の変化がダイレクトに伝わってきて、わかりやすい。作品の持つ素朴な雰囲気が見事に伝わってきたいい演奏だった。グランディは、アップルと一体となった音楽作りで好演。札響での全曲演奏は今回が初めてだそう。


「英雄の生涯」は、出色の仕上がり。16型の大編成で、対向配置。

 グランディは細部まで作品をよく把握し、弦楽器の歌い方、全体とよく融和した管楽器群の心地よいサウンド、全体のバランスなど申し分ない。歯切れ良いリズム感で、すっきりとしたシュトラウス像を聴かせてくれた。

 冒頭からやや早目で、無駄を削ぎ落とした颯爽としたテンポは、若き英雄をイメージさせ気持ちがいい。「英雄の敵」での管楽器のソロなどちょっと走り気味ではあったにせよ、老獪さを感じさせず爽快だ。後半に入ると、流麗で柔軟なサウンドでオペラティックに歌わせながらも間延びすることがない。やや誇大妄想的なところのある作品を引き締まった表現でまとめ上げた力演だった。

 コンサートマスターは田島高宏。「英雄の生涯」のソロはいつもながらの落ち着いた雰囲気で好演。

2025/12/24

 札幌交響楽団hitaruシリーズ定期演奏会第23回

2025年12月23日19:00  札幌文化芸術劇場hitaru


指揮/広上淳一

ヴァイオリン/米元響子

管弦楽/札幌交響楽団


尾高惇忠:ヴァイオリン協奏曲

ラフマニノフ:交響曲第2番



 尾高惇忠の遺作、ヴァイオリン協奏曲は札響初演。世界初演は尾高が2021年2月に他界した後の同年6月25日に、京都コンサートホールで今日と同じ広上、米元と京都市交響楽団で行われている。
 広上のプレトークによると、わかりやすい優れた作品とのこと。


 京都での初演のために書かれた遺稿が今年発見され、配布プログラムに掲載されている。これを読むと、聴きやすい現代音楽とは、という方向を模索しながら作曲したことと、同時に病を意識して完成をさせた旨書かれている。

 そういう背景を思いながら聴いてみると、過去を回想しながら、様々な社会の出来事、師である人々や多くの作品との出会い、そこから受けた影響などをもれなく綴っている印象を強く受けた。

 一部難解な現代音楽の雰囲気を持ちながらも、穏やかなところ、ちょっと驚かせる先鋭なところなど、作風は多岐にわたり、ソリストと管楽器の対話など協奏曲とのしての要素も多彩で、聴き手を飽きさせない。

 ソリストの米元は、オーケストラとよく音色、ピッチを融合させながら一体となって音楽を創造していくタイプの演奏家で、ピッチを高めにとりブリリアントに演奏するソリストタイプではない。この落ち着いた音楽性が、尾高の作品ととてもよくマッチングしていたのではないだろうか。

 作曲家ご指名のソリストだったとすれば、その演奏を想定して作曲したのか、あるいは自分の作品を託するに相応しい演奏家だったことは確かであろう。

 広上はオーケストラをよくコントロールして、尾高の、想像するにおそらく暖かい人柄だったのだろう、その雰囲気を聴衆に余すところなく伝えてくれた。   

 広上によると札響は尾高惇忠の管弦楽作品をほとんど演奏しており、作品に対する理解力はとても優れているとのこと。そのためか、オーケストラは違和感なくまた疑問点もなく演奏できていたようだ。トータルではとても優れた札響初演だったと言える。


 後半のラフマニノフは、広上が50回ほど振っているお得意のレパートリーとのこと。息の長いフレーズの歌い方、メリハリある楽想の表現、輪郭のしっかりとした構成、それでいて柔らかく豊かな響きで全体をまとめ上げており、名演と言ってもいいだろう。

 ダイナミックな動きで指揮をする姿は確信に満ちていて、オーケストラの能力を余すところなく最大限に引き出し、オーケストラもそれに応え伸びやかな明るい音色で自信を持って演奏していた。久々に気持ちのいいコンサートだった。

 コンサートマスターは会田莉凡。

2025/12/23

 札幌コダーイ合唱団・合奏団

メサイア

2025年12月20日13:00  札幌市生涯学習センターちえりあホール


指揮/中村隆夫 

ソプラノ/河口しほり

アルト/荊木成子

テノール/五郎部俊朗

バス/下司貴大

アンサンブル・リーダー/山本聖子

札幌コダーイ合唱団・合奏団


ヘンデル:メサイア


 札幌コダーイ合唱団は北海道教育大学の中村隆夫によって1976年に設立、現在まで半世紀にわたって活動を続けてきたが、来年9月で活動を休止するとの事。今日は最後のメサイア公演となるということで、場内は満席。

 配布プログラムの最後のページに今までの活動記録が記載されており、概観すると年に2回から多い時には4回ほどの演奏会を開催している。

 レパートリーはルネッサンスから現代までと広範囲に渡るが、ヘンデルのメサイアは定例的に演奏しており、これが活動の中心だったようだ。他にバッハのマタイ受難曲、ヨハネ受難曲の大曲も演奏している。


 この合唱団の基本は、ノンヴィブラートで純正のハーモニーの美しさを目指した演奏(同団HPによると純正律による演奏を目指して)。

 発足から90年代頃までよく演奏会を聴いた。特に1994年のマタイ受難曲は記憶に残っている。合唱団の目指す演奏からすると、当然オーケストラは古楽器奏法が基本となり、そのため首都圏からのゲストプレイヤーが多かった。幾つかのプロフェッショナル団体があった札幌で、地元勢を中心にしたメンバーでマタイ受難曲を演奏したのはおそらく札幌コダーイ合唱団が初めてだったと思われる。

 

 今日、本当に久しぶりにその演奏を聴いてみると、設立当初からの基本コンセプトは全く変わっていない。

 合唱団は46名。ヴィブラートがなく、よくコントロールされたピッチでのまっすぐな歌い方ときれいに調和したハーモニーがとても印象的。中村が理想とした合唱で、以前より、より徹底した表現になっているようだ。

 演奏全体は、トータルでのまとまりの良さがやはり他の団体にはない美点だろう。ドラマティックな表現などの派手さはないが、中庸の魅力とでも言おうか、合唱、オーケストラ、ソリストそれぞれに抜きん出たソリスティックな表現は求めずに、全員でまとめ上げる総合力の素晴らしさが特徴だ。これは以前聴いていた頃と変わらない。

 

 合奏団は少数精鋭の16人。アンサンブルリーダーの山本が古楽器風の洗練された演奏で、しっかりと全体をまとめ上げ、音色、ピッチが整っていて好演。会場の響きと合唱団の規模とを考慮すると、ちょうどいい人数だ。

 トランペットソロの櫻井が柔らかい音色で全体に溶け込むように演奏、これはとても良かった。一方、電子鍵盤楽器で演奏していた通奏低音パートが音量調整がうまくいかなかったのか、ほとんど聞き取れず、ちょっと残念。

 ソリストは4人とも落ち着いた安定した歌唱。テノールの五郎部は1997年の札幌コンサートホールのこけら落としの第九公演に出演、聴くのはそれ以来。当時とは声の質が変わっているが、貫禄は充分。


 トータルでは、全員地元勢だけによる高い水準の演奏で、これは中村隆夫の大きな功績でもあろう。

 2000年代のこの合唱団の演奏会をほとんど聴く機会がなく、最も充実した活動をしていたであろうこの時期を失礼ながら全く知らない。しかしながら今日の演奏を聴くと、常に一定の水準以上の安定した演奏を続けていたことは想像に難くない。

 この合唱団の特徴は、合唱の素晴らしさを聴衆に伝えるプロフェッショナルな意識と能力の高さを持った人材の集まりだったと言えるだろう。

 この合唱団のメンバーの中には、現在の札幌の合唱界はもちろん教育界でも優れた指導者として活躍する人材も多い。


 21世紀に入ってから、札幌の音楽界は、札幌交響楽団が飛躍的にその実力を高めたことに象徴されるように、同時に地元札幌の音楽家達もそれに歩調を合わせるようにレベルアップしてきた。その育成の礎となった中村隆夫と彼の指揮した今日の演奏はそれを物語る貴重な記録の一つであり、半世紀に及ぶ活動の成果でもある。引退は残念だが、残した足跡は大きい。


2025/12/15

 札響の第9


2025年12月13日17:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮 / 下野 竜也<首席客演指揮者>

ソプラノ /針生 美智子

メゾソプラノ /中島 郁子

テノール /小堀 勇介

バリトン /池内 響

Chorus /札響合唱団、札幌大谷大学芸術学部音楽学科合唱団 ほか

合唱指揮:長内勲、大嶋恵人、中原聡章


バーバ― 弦楽のためのアダージョ

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」



12月13日、14日開催の「札響の第9」に出演を予定していた ソプラノ 中村恵理は、急病により出演ができなくなりました。 代わりに、針生美智子が出演いたします。 何卒ご了承くださいますよう、お願い申し上げます。主催者発表(12/13、13:30発表)


 今年の第九は下野竜也。引き締まった演奏で、細かい箇所まで丁寧に仕上げられており、その積み重ねで全体をまとめ上げたとても立派な第九。

 どの楽章も曖昧さがなく、真摯な表現で下野の特長がよく反映された落ち着いた演奏だったと言えよう。オーケストラはどのセクションも安定しており、程よい緊張感があり好演。


 ソリストは、特にバリトンの池内響が豊かな声量と堂々とした明確・明瞭な表現。昨年の妻屋とはまた違った魅力があり、とても聞き応えのある見事な歌唱だった。

 そのほかの歌手では、主催者発表のとおり、ソプラノを歌う予定だった中村恵理が急病で降板。急遽の代役として針生美智子が出演、まっすぐに客席に抜けてくるよく通る声と安定した歌唱ぶりで、存在感を示してくれた。


 合唱は、男性陣が高音部をやや苦しげに歌っていた箇所もあったせよ、それ以外は全体的に安定したまとまりのある充実した合唱だった。

 札響合唱団となってからは、いつも水準以上の合唱が聴けるようになったのはとてもうれしい。


 オーケストラは音量をコントロールすることもなく力演だったのにも関わらず、ソリスト(ステージ中央奥)と合唱がとてもよく聴こえてきたのは見事。

 オーケストラ、ソリスト、合唱がそれぞれ安定した演奏で、すべての声部が程よく調和し、優れたバランスで仕上げられた演奏だった。

 

 前半にバーバーの弦楽のためのアダージョ。中庸な表現で第九同様バランスよく丁寧にまとめられたいい演奏だった。

 大雪のためか、珍しく空席が多かったのが残念。

 コンサートマスターは会田莉凡。



2025/12/02

 札幌交響楽団 第673回定期演奏会


指揮 /川瀬 賢太郎<札響正指揮者>

横笛 /西川 浩平*

管弦楽/札幌交響楽団


別宮貞雄:管弦楽のための二つの祈り

伊藤康英:管弦楽のための交響詩「ぐるりよざ」*

    (オルガン入り2025改訂版)

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」



 今日は邦人作品が2曲。別宮貞雄は札響初演。パリ留学の総決算として1956年に初演され、毎日音楽賞と尾高賞を受賞するなど高い評価を得ている。今日聴く限りでは、フランス風というよりは、第2楽章にフーガがあるためか、むしろドイツ的な感性と、この時代に特有の知的雰囲気の強い作品のようだ。
 当時としては抜きん出た作品だったのかもしれないが、これ以降の邦人作品がもつ個性な表現と熟練した作曲技法と比べると、何処となくぎこちなさを感じさせる。柔らかく、良い感性でまとめ上げたいい演奏だったが、もう少し何度か聴いてみたい作品だ。


 作品の個性、一般への浸透力という点では、むしろ2曲目の伊藤康英の作品の方がより強いオリジナリティを持っているのではないか。吹奏楽でよく演奏される作品だが、管弦楽版は今日が札響初演。バージョンは都度アップデートされるようで、今日はKitaraの大オルガン付き。3楽章形式だが、全体的に和の香りが程よく匂ってきて、海外でも演奏される理由がよくわかる。特に第2楽章の龍笛(西川浩平)ソロは強く心に残る印象的なシーンだ。全体的に柔軟な発想でまとめ上げられており、各楽器が最も美しく響く音域で演奏するように設計されていて、響きは充実していて聴きやすい。作曲家の楽器法の優れたセンスが伺える。札響の演奏は、多彩でまろやかな表情があり、今日のプログラムの中では最も充実していたのではないか。


 「春の祭典」は、第2部以降に、今日で退団するトランペットの名手、福田善亮の抜群のソロもあり、聞き応えのある素晴らしい箇所もあった。

 ただ、全体的には今日はどうした訳か、いつもの川瀬らしい冴え、切れ味がなく、輪郭がやや不明瞭で、ディテールの甘さがあったのが惜しまれる。 

 全体を思い切ってすっきりと演奏するのではと思っていたが、やや遅めのテンポ設定で慎重に事を運び過ぎていたようで、推進力が滞りがち。そのためか、管楽器群のソロが尺にすっきりとおさまらない箇所があり、いつもの歯切れよいリズム感やノリの良さがよく伝わってこなかったのが残念。

 場面ごとの情景の描き方も、どちらかというとモノクロで粒子が少々荒い表現に終始していて、もう少し色彩感があるともっと楽しく聴けたのだが。

 川瀬に迷いがあったように聴こえたのは私だけか。たまにはこういう日もあるだろう。次回に期待しよう。

 コンサートマスターは田島高宏。


2025/11/21

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


2025年11月19日19:00  サントリーホール


指揮/キリル・ペトレンコ

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 


ヤナーチェク:ラシュスコ舞曲

バルトーク:『中国の不思議な役人』組曲

ストラヴィンスキー:バレエ音楽『ペトルーシュカ』(1947年改訂版)



 個人的には、ペトレンコは2017年、バイエルン国立歌劇場日本公演で「タンホイザー」を、ベルリン・フィルは2019年ズービン・メータで来日公演「ブルックナー交響曲第8番」を聴いて以来。当時のペトレンコは同歌劇場の総監督で、室内楽的な透明な響きと均整感ある美的センスに優れた上演、一方のメータのブルックナーはあちこち重要な入りのポイントを指示するだけで、あとはオーケストラの自主的な音楽作りに任せた、重厚な演奏だった。

 超弩級のオーケストラだけあって、その昔、カラヤン時代の来日公演では1977年と79年に集客を見込みクラシック向きではない4700席の普門館で行い、批判も多かった。かく言う筆者は79年の来日公演をこの会場の上の席で聴いたが、さすがのカラヤン/ベルリン・フィルもはるか遠くで頼りなく響いていたことを覚えている。モーツアルトのレクイエムとブルックナーのテ・デウムだった。

 

 そういう数少ない、しかし強く記憶に残る色々な思い出をたどりながら今日の演奏を聴いてみると、やはりこれは今まで聴いた中でも、抜群でものすごいオーケストラであることを再認識。

 プログラムは20世紀を代表する東欧作曲家の舞踏をテーマにした、なかなか渋い曲目。普通のオーケストラだと地味なプログラムだが、ベルリン・フィルにとってはこれは舞踏音楽の多彩な性格を持つ作品の面白さを伝えるというよりは、明らかに自らのオーケストラの抜群の機能を披露するためのものだ。

 ペトレンコは、柔軟なバトンテクニックと要所要所を確実に締めた見事な統率力でオーケストラを自在にドライヴ、その能力を存分に引き出していた。オーケストラはどこも手を抜かず全力投球。疲れを知らないダイナミックな表現は、他のどのオーケストラからも聴くことのできないすざましいものだ。


 ヤナーチェックはおそらくもっと地味で田舎くさい作品なのだろう、弦楽器の厚く豊かな音色が何となく違和感を感じさせたが、そういうローカリティーよりも民謡を素材にして、世界に通用するシンフォニックな作品にしようとしたヤナーチェックの国際感覚の意図を反映させた演奏だ。作品の素朴さに演奏者がやや戸惑いがちに、しかし、壮大なスケールで演奏している様子が伺われ、そこが面白かった。


 バルトークはパントマイムのための作品だが、組曲版はよりコンサートピースとしての性格を重視したまとめ方なのだろう。オーケストラの緊張感ある鋭く全く隙の無い表現が、バルトークの気性の激しい異常とも言える貪欲な表現意欲を見事に反映していて、一瞬たりとも聴き手を飽きさせない演奏だった。

 ただし、この作品でのピアノパートは明らかにバルトーク自身の卓越した腕前を披露するために書いたもので、もちろん音楽的にも重要な役割を持っているはずだが、それがほとんど聴こえてこないのが残念。今日は上手奥にピアノが配置、バルトークだったら最もよく聞こえ、かつ奏者がよく見える位置に配置したことだろう。しかしながらピアノの存在を忘れさせる力強いオーケストラ演奏だったことも確かではあるが。


 後半のストラヴィンスキーは、もうこれで充分、これ以上求めない、という圧倒的な演奏。管楽器群の卓越したソロ、これらは単に上手いだけではなく、情景に即した上品な表現や時々下品にもなる多彩な表情、弦楽器の分厚く鳥肌の立つような底力のある響き、また謝肉祭で賑わう市場や、人形達の不器用な踊りなど、バレエのシーンを想起させるようなきめ細かい表現もあり、単なるコンサートピースとして終わらず、ストーリーのある壮大なドラマとしても聴かせてくれた。

 バルトークでは埋もれていたピアノソロが、もちろん目立つような書法でもあるが、この作品では明瞭に聴こえてきて存在感を示していた。

 アンコールは無し。コンサートマスターは樫本大進。