2026/10/08


ジョアキーノ・ロッシーニ

イタリアのトルコ人<新制作>

2026年10月7日14:00 新国立劇場オペラパレス


【指 揮】アレッサンドロ・ボナート

【演出・衣裳】ロラン・ペリー

【美 術】シャンタル・トマ

【照 明】ジョエル・アダム

【演出補】クリスティアン・レート

【衣裳補】ジャン=ジャック・デルモッテ

【舞台監督】髙橋尚史


【セリム】アレハンドロ・バリニャス・ビエイテス

【ドンナ・フィオリッラ】クラウディア・ムスキオ

【ドン・ジェローニオ】パオロ・ボルドーニャ

【ドン・ナルチーゾ】ルジル・ガティン

【詩人プロスドーチモ】ブルーノ・タッディア

【ザイダ】但馬由香

【アルバザール】山本康寛

【合 唱】新国立劇場合唱団

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団


【共同制作】:テアトロ・レアル、リヨン歌劇場



 ロッシーニのオペラってこんなに面白いのだ、と感心した公演。ロッシーニは昨年の「セビリアの理髪師」(観たのは2025年5月25日)に引き続きの上演。そもそも彼のオペラは限られた演目しか上演されず、モーツァルトやワーグナーなどとは違い、その作品の全貌を把握するのは難しい。しかしながら、昨年、今年と続けて観劇してみると、ロッシーニの凄さと底力が、少しずつだが見えてきたような気がする。

 演出と衣装はロラン・ペリーで2022年のヘンデルの「ジュリオ・チェーザレ」(同、2022年10月10日)も担当している。このヘンデルでも、今回のも設定そのものは現代であるにも関わらず、よくある深刻ぶった自己満足的な演出要素は全くなく、読み替えはよく考えられており、原作との違和感は全く感じさせない。物語の進行も実にわかりやすく、ユーモアたっぷりのドタバタ喜劇として制作されているにもかかわらず、下品さを全く感じさせないのもこの演出家の素晴らしいところだ。


 ロッシーニを観るもう一つの楽しみは歌手の名技。この演出プランに従って、選択された歌手陣が実に見事だった。これほど粒が揃った上演は滅多にないのでは、と思わせるほどの質の高い歌手が揃っていて、歌だけではなく、演技も実に素敵。トップクラスの日本人歌手でもこれだけの歌と演技が出来るだろうか、と思いながら観劇していた。


 セレム役のアレハンドロ・バリニャス・ビエイテスは歯切れの良い歌と軽快な身のこなしで、フィオリッラ役のクラウディア・ムスキオは小柄ながらも柔らかく表情豊かな表現力で、ジェローニオ役のパオロ・ボルドーニャはやや肥満型の冴えない中年の親爺役を存在感たっぷりに、ナルチーゾ役のルジル・ガティンはやや頼りないがそれでも強い思いを持った不思議な存在感のある男として、そして詩人プロスドーチモ役のブルーノ・タッディアは、重要な場面での説明役と進行役を兼ねた重要な役割を、それぞれ果たしており、これはいくら説明しても説明しきれないほどの役柄にぴったりとはまった見事な歌と演技。それぞれ豊かな声量と心地よいリズム感、ピッタリとはまった音程など、歌手としての実力ももちろん申し分ない。ザイダ役の但馬由香はこれだけの外国勢の中で奮闘、貴重な役柄をしっかりと演じていた。


 その全体をまとめ上げた指揮のアレッサンドロ・ボナートが良かった。切れ味鋭いリズム感と息を尽かさず常に先に進む快適なテンポ感で、全体を隙なくスケール大きくまとめあげた能力は実に見事。オーケストラは演奏しやすかったのか、ほとんどミスがなく、息の長いホルンソロなど随所に素敵な表現があり、存分に楽しむことが出来た。

 レチタティーフを担当したチェンバロの小埜寺美樹は申し分ない好演だったが、これだけの歌手陣だったらもっと派手に即興豊かに弾いても面白いのでは、と思った。


 今回はテアトロ・レアル、リヨン歌劇場との共同制作。ご存知の方も多いかもしれないが、この本家本元のリヨン歌劇場の2023年の公演がドイツ語字幕付きでyou tubeにアップされている。出演者は異なるものの、舞台、演出、歌手のキャラクター、ユーモアのセンスなどそっくりそのままの上演で、このオペラをもう一度楽しみたい向きにはおすすめの映像だ。

 だが、有料プログラムに掲載の「ロッシーニを探して」(朝岡聡氏執筆)に「事前に何度も詳細に下調べをしても、客席で生で観る感激にはかなわない」と書かれていた通り、百聞は一見に如かず。ロッシーニ再認識をする貴重な機会となった素晴らしい上演だった。

  

2026/10/06


 札響名曲コンサート

~トランスクリプションの魔法

 2026年10月 4日14:00  札幌コンサートホールKitara大ホール



指揮 /下野 竜也<首席客演指揮者>

ヴィオラ /廣狩 亮<首席奏者>

管弦楽/札幌交響楽団


J.S.バッハ:幻想曲とフーガ(エルガー編、管弦楽版)

ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番(ベリオ編、協奏曲版)

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編、管弦楽版)



 エルガー編曲のバッハはプレトークで下野が語っていた通り、バッハを素材にしたエルガー自身の作品と言ってもいいほどの内容。

 原曲はオルガンソロだが、バッハのオリジナルを忠実に反映させた編曲ではなく、エルガーの巧妙な管弦楽法で彩られた音の世界を楽しむ作品だ。

 冒頭オーボエソロから始まるが、しばらく聴いていないと、原曲がバッハだとはわからないほどで、明晰さよりはロマンティックな色彩でコーティングした編曲だ。1922年初演当時のバッハの演奏解釈を如実に再現した作品とも言える。下野はそんなエルガーの意図を見事に反映させ、オーケストラの響きは良質で、全体的によくまとめあげられた演奏だった。


 ブラームスはオリジナルはピアノとのデュオ版。廣狩はソリスティックな派手さはないが、落ち着いた、語りかけるようなソロを聴かせてくれ好演。ただベリオの編曲が意外と地味で、ピアノパートの持つ冷徹な響きが比較的曖昧に表現されていて、多少居心地の良くないところもあったが、下野が全体をよく統括していた。


 ムソルグスキーは有名なラヴェル編曲版(1922年)より前の 1915年の編曲。下野のプレトークにもあったように、ラヴェルほどの華麗さはないが、このウッド編曲版の方が、ムソルグスキーの原曲のイメージをよく反映しているように思う。

 ラテン的な明るさを持つ華麗なラヴェル版に対して、ウッド版は憂鬱でほの暗い雰囲気を感じさせ、原曲のモノクロ的な世界観をしっかりと反映しているようだ。

 管楽器群が大活躍するのはラヴェル版と同じだが、ヴァイオリンソロ(チュイルリーの庭)があったり、最後の「キーウの大門」でオーケストラのトゥッティの後、突然オルガンソロがコラールのように主題を奏するなど、中々面白い発想が満載で、聴衆を楽しませるコツもよく心得ているようだ。ウッドはイギリスの有名なプロムスの創始者で、この編曲版の初演もプロムスで行われており、なるほど、と思わせる。

 オーケストラは今日は管楽器群が好調で、全体的にまとまりあるスケールの大きな響きがしていて、ウッド版展覧会が鮮やかに描かれており、存分に楽しむことができた。


 アンコールに弦楽器だけで、「J.S.バッハ(ストコフスキー編)/わがイエスよ、いかばかりの魂の苦しみ BWV487」。これはとても弦の音色が柔らかく綺麗で、このオーケストラならではの魅力ある演奏だった。

 コンサートマスターは田島高宏。

2026/09/15

札幌交響楽団 第679回定期演奏会

 2026年9月13日13:00  札幌コンサートホール Kitara大ホール


指揮 /マティアス・バーメルト

管弦楽/札幌交響楽団


シューベルト:交響曲第5番

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ノーヴァク版)



 バーメルトは1942年生まれで今年84歳。札響登場は2025年6月 8日の名曲シリーズ(モーツァルトの後期三大交響曲)以来だが、入退場や指揮ぶりを見ると、前回より若返った様に見えるほど元気な様子が伺われ、まずは一安心。以前同様札響からまろやかな響きを引き出し、バーメルトならではの好演だった。

 シューベルトは小編成で演奏される場合が多いが、今日は通常の12型。編成を小さくしないのはいつものバーメルトの方針だ。もちろん編成の大きさは気にならず、彼ならではのいつもの好演。全体的に柔らかくしなやかで、音楽の流れは自然で作為的なところは一つもない。心地良い響きと表情の軽やかさ、柔軟さは彼以外誰からも聴けない素敵な演奏だ。冒頭の導入部や、ヴァイオリンの主題と、それがチェロでエコーのように繰り返される箇所などのさりげない表情など、最初からバーメルト節がとても魅力的。

 この作品、色々な作曲家の影響を受けているのはもちろんだが、ひょっとするとブルックナーがこの交響曲を愛好していたのでは、と思わせるほど多彩な要素を持っていることを示してくれた演奏だった。


 ブルックナーは14型。以前のブルックナー演奏 (第6番、第658回定期、2024年1月27日)と比べると、今日は全体の統一感にやや物足りなさを感じさせたものの、バーメルト・サウンドはここでも健在。特に弦楽器群は素晴らしい仕上がりで、歌わせ方が秀逸。抑揚が自然で、特に語尾が美しいのがバーメルトならでは。フレーズの繋がりがやや硬めの箇所があったにせよ、安定した落ち着きのある響きで聞き応えがあった。

 一方でこの作品の演奏の要とも言えるホルンは、首席が客演。第一楽章こそ定席ではないゆえに、多少の違和感があったのは否定できないが、それでも楽章が進むにつれ、随所に優れた演奏を聴かせてくれた。もう少しまとまりが欲しかったパートがあったにせよ、全体的に管楽器群も好演。

 バーメルトとオーケストラが阿吽の呼吸でもう少しお互い意思の疎通が図れたら、と思うところもあったが、それでも今回は上質の響きが聴けたとても良い演奏会だった。

 コンサートマスターは田島高宏。 

2026/09/04

 札幌交響楽団hitaruシリーズ定期演奏会第27回

 2026年9月2日19:00 札幌文化芸術劇場 hitaru


指揮:エリアス・グランディ(指揮)

オーボエ:関 美矢子(首席奏者)

管弦楽:札幌交響楽団



吉松隆/朱鷺によせる哀歌

R. シュトラウス/オーボエ協奏曲

ドヴォルジャーク/交響曲第9番「新世界より」



 「朱鷺への哀歌」は当日配布プログラムによると前回札響で演奏されたのが2007年(12月23日、指揮・井上道義、このときの演奏は聴いている)。今回はそれ以来の演奏だそうで、実に20年ぶりとなる。

 弦楽器とピアノのための作品だが、今回久しぶりに聴いてみると、第2部から登場するピアノ(演奏:田島ゆみ)が存在感があり、とても良かった。響きが柔らかく、オーケストラとよく融和して、上質の響きを生み出していた。

   このホールで聴いたピアノでは、ソロ・オケ中含め、それぞれ作品の質は異なるにせよ、今までで最もいい響き(聴いた席は1階18列の上手側)だと思う。弦楽器群はグランディらしくやや熱めのサウンドだったが、まとまりのある充実した響き。哀歌というタイトルから受けるイメージとはやや遠い感覚のようにも聴こえたが、オーケストラの自発的な表情とピアノの柔らかい音色による対話が印象に残る演奏だった。


 オーボエ協奏曲は、何よりも関の好演が光る。息の長い、何処までが一つのフレーズなのかよくわからない旋律を、途切れることなく表情豊かに聴かせてくれた。オーケストラと見事に調和した心地良いピッチやお互いの呼吸もぴったり。ゲストソリストからは感じられない安定感があって、その一体感が素晴らしくかった。グランディも申し分ないサポートぶりだったが、それよりもメンバー同志の意志の疎通が土台にあったゆえの好演だったのではないか。


 後半の新世界交響曲は引き締まった緊張感のあるいい演奏。名曲ゆえ、時折大雑把に全体像をまとめ上げ、それらしく聴かせる演奏も多いが、そこはさすがに首席指揮者のグランディ。細部まできちんと目を通した上で、全体的な構造をしっかりと固め、よく歌い込まれた充実した響きを引き出し、オーケストラもそれに見事に応えた好演。久しぶりに聞き応えのある新世界交響曲だった。

 グランディ好みの対向配置で、時折いつも聞き慣れた響きと多少異なるところもあったが、各フレーズは綿密に仕上げられ、楽章ごとのコントラストが明確で分かりやすく、とてもクリアな演奏だった。

 オーケストラの基本能力が前世紀の頃と比較すると飛躍的に向上しており、聴衆としてはうれしい限りだが、さらに贅沢を言わせてもらうと、第2楽章の有名な静寂な世界の楽章は、このオーケストラであればもっと緻密で奥深い表現を求めてもいいだろう。

 コンサートマスターは会田莉凡。



2026/08/24


 第26代札幌コンサートホール専属オルガニスト

赤枝 サンテソン 留果 

      フェアウェルオルガンリサイタル

2026年8月22日 札幌コンサートホールKitara大ホール


J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ハ長調 BWV566a

       さまざまな手法による6つのコラールより 

      わが魂は主をたたう BWV648

M.ヴェックマン:第2旋法によるマニフィカト

J.S.バッハ:さまざまな手法による18のライプツィヒ・コラール集より

      おお愛する魂よ、汝を飾れ BWV654 

      パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582

ヴィエルヌ:オルガン交響曲 第2番 ホ短調 作品20より 

       第1楽章 アレグロ、第2楽章 コラール、第4楽章 カンタービレ

フランク:オルガンのための6つの小品より 第5曲 祈り 嬰ハ短調 作品20

アラン:連祷 AWV100



 このオルガニスト、ともかく音が綺麗。しかもオルガンでこれだけ感性豊かに歌い込んだ演奏を聴くのは久しぶり。特にレガートの美しさは歴代専属オルガニストの中でも群を抜いているのでは。

 そのほかにも、一つずつの音がきちんと鍵盤の底まで弾き込まれ、すっきりと抜けてくる確実で明確な響き、根音がしっかりとしたまとまりのあるハーモニーの響き、そしてゆったりとしたテンポでも決して停滞することのない良質のテンポ感とリズム感など、彼の演奏を通じて、久しぶりにKitaraオルガンの透明感ある美しい音色と響きを味わうことが出来た。


 レガートの美しさでは、バッハの「おお愛する魂よ、汝を飾れ 」。息が長く途切れることなく歌い続けられるコラール旋律が素晴らしく、装飾音など含め全体的に滑らかで柔らかい表情が実に素敵だった。

 パッサカリアは今年のPMFガラコンサート(7月26日)でも弾いていたが、今日は細部まで気配りされた演奏で、音型のディテールの変化が手に取るように分かり、一貫したテンポの中で停滞することなく次々と変容していくバッハの凄みを感じさせた秀演だった。

 そのほかのバッハも良かったが、ヴェックマンのレジストレーションによる表情の変化が素晴らしく、何よりも響きが明瞭で雲ひとつない晴天のような音が心地よかった。


 後半はフランスの作品集。ドイツの作風、雰囲気とはガラリと変わり、特にバッハで聴かせた明晰さとはまた違った、しなやかでまろやかな響きが印象的。

 ヴィエルネの、オルガンシンフォニーならではの分厚くスケール感ある表情の豊かさが見事。ここでは厚い和声が濁ることなく表現されていて聞き応えがあった。

 フランクはとてもよく歌い込まれ、Kitaraオルガンの洗練された音色の美しさとホールの優れた音響効果とが一体となった素敵な演奏だった。Kitaraでなければ決して聴くことのできない良質の響きだ。

 アランの「連祷」は歴代専属が好んで演奏する名作だが、今日の演奏はバッハ同様細部まで入念に仕上げられており、全体的な響きに埋没しがちな細やかな音型が手に取るように聴こえてきて、楽曲の構造がクリアにされており、今までのアラン演奏とはまた違った魅力が感じられてとても面白かった。

 ドイツとフランスの名作を演奏し、これだけ異なる性格の作品を過不足なく優れたバランスで演奏できるオルガニストは貴重。まだ二十代半ばのようだが、今日のような誠実で丁寧な演奏を忘れることなく、優れた音楽家として大成することを期待したい。

 

2026/08/07


札幌交響楽団hitaruシリーズ定期演奏会第26回

 2026年8月5日19:00 札幌文化芸術劇場 hitaru


指揮 /沖澤 のどか

ヴァイオリン /中野 りな

管弦楽/札幌交響楽団


林 光:吹き抜ける夏風の祭

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」組曲より

         ~沖澤のどかセレクション~

 モンタギュー家とキャピュレット家(第2組曲No.1)

 少女ジュリエット(第2組曲No.2)

 マスク(第1組曲No.5)

 ロメオとジュリエット(第1組曲No.6)

 ティボルトの死(第1組曲No.7)

 別れの前のロメオとジュリエット(第2組曲No.5)

 ジュリエットの墓の前のロメオ(第2組曲No.7)



    現在多方面で活躍中の沖澤のどかが札幌初登場。プレトークでのお話しを聞くと、明るく元気がよく、おしゃべり好きの活発な人柄のようで、指揮にもその人柄が現れていたようだ。

 後半のプロコフィエフがとても良かった。オーケストラをよく把握し、札響からベストのサウンドを引き出し、管楽器群からは厚みのある豊かな響きを構築、弦楽器群はよく歌わせ、共に響きがとてもきれいで最強音でも聴きやすい。耳障りな響きは一切なく、全体的にとてもバランスの良い、いい音を導き出し、しかも細部まで細やかで豊かな表情があり、音楽的にも申し分ない。

 冒頭の「モンタギュー家とキャピュレット家」のこれから起こるドラマを予期させるような不安感と期待感とが入り混じった表情、「ロメオとジュリエット」での歌い込まれた繊細で美しい表情など、ピックアップすればきりが無いほど多彩な表情に満ちており、これほど音楽的に豊かなプロコフィエフは滅多に聴けないのでは。

 単なるバレエ音楽の枠を大きく超えた名曲であることを実感させた演奏で、沖澤の素晴らしい音楽性と統率力が感じられ、その幅広い活躍ぶりは当然だと思わせた。


 とは言いつつ、後半のプロコフィエフの仕上がりの良さから見ると、冒頭の林光はやや物足りない。プレトークによると、この作品、祇園祭をモティーフにしているとのこと。筆者もこの祭を猛暑の中何度か経験しているが、そんな大衆の個人的想いではなく、もっと長い歴史の中で語り継がれる普遍的な祭の情景を、その準備から描写しているようだ。今日の演奏は、まとまりのあるとてもいい音がしていたが、全体的に一本調子。作品そのものは、もっと幻想的で多彩のように思えたので、もし演奏機会がまたあれば次回に期待しよう。


 シベリウスはソリストの中野りなが素晴らしかった。2025年3月に札響とチャイコフスキーのコンチェルトを共演していたようだが、聴くのは初めて。

 技術的には申し分なく、逞しさを感じさせる豊かな響きと音色が特徴で、シベリウスを太い線で明確にしっかりと描いてくれた名演。沖澤は単なるサポート役に留まらず、表現力豊かな、ドラマティックなシベリウスを聴かせてくれ、ソリストと一体となったスケールの大きいシベリウスを聴かせてくれた。

 時としてオーケストラが響き過ぎ、ソリストが埋没してしまう瞬間もあったにせよ、コンチェルトでこれだけオーケストラを豊かに響かせた演奏は滅多にないので、とても聞き応えがあった、充実した演奏だった。

 ソリストの音程の取り方が時々低めでオーケストラと調和していない箇所もあったように聴こえたが、これはあくまでも個人的好みで、気のせいかもしれない。

 コンサートマスターは会田莉凡。