2026/07/05


 新国立劇場2025/2026シーズン

エレクトラ

新制作、全1幕(ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付)


2026年7月2日14:00  新国立劇場オペラパレス


指揮:大野和士
演出:ヨハネス・エラート
美術:ハイケ・シェーレ
衣裳:ノエル・ブランパン
照明:オラフ・フレーゼ
映像:ビビ・アベル

クリテムネストラ:藤村実穂子
エレクトラ:アイレ・アッソーニ
クリソテミス:ヘドヴィグ・ハウゲルド
エギスト:工藤和真
オレスト:エギルス・シリンス
オレストの養育者:斉木健詞
クリテムネストラの腹心の侍女:中村真紀
クリテムネストラの裳裾持ちの女:杉山由紀
若い下僕:糸賀修平
年老いた下僕:河野鉄平
監視の女:森谷真理
第1の下女:金子美香
第2の下女:谷口睦美
第3の下女:清水華澄
第4の下女:髙橋絵理
第5の下女:田崎尚美

合唱指揮:冨平恭平
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


 

 エレクトラは新国立劇場では2004年に上演されて以来。ステージオペラでは上演される機会があるが、本公演は久しぶり。

 冒頭、ステージが明るくなりエレクトラらしい女性が徘徊する様子を照らし出す。オーケストラは音出しをしていて、それがいつもより派手で、止める気配がなく、うるさいくらい。

 すでにオペラが開始され、この騒音とも言える音出しが演出の一つで導入になっていたようだ。


 この音出しが静まると、心臓の鼓動らしき音が聞こえて来る。ステージ奥には巨大な人物像が投影され、これが切り抜かれてそのままステージ上に大きな音を出して倒れ、ここから例のアガメムノンの動機により、オペラが始まる。

 どうやらこの巨大な人物像は殺害されたエレクトラの父、アガメムノンではないか、と想像できる。その雑然とした状態の中で、5人の下女たちが崩れ落ちた穴から登場して歌い始め、やっとオペラ本編が始まる。


 セットはアガメムノン家でモダンなスタイル。床は格子状で透明な床下に照明がある。両サイドは回廊のようになっており、ブランコが3本ほどあり、エレクトラとクリソテミスがその都度乗り、何か心理的メッセージがあるようだが、よくわからない。

 奥にはテディベアのぬいぐるみが3体ほど。これは飾りではなく、進行上重要な役割をする。どぎついストーリーのオペラだが、このぬいぐるみの存在がそれを和らげる。

 アガメムノンを殺したエギストがテディベアのぬいぐるみ(遠かったので確信は持てないが)をフォークとナイフで食べるシーンや、エレクトラと母親クリテムネストラがテーブルに向き合って座るシーンなど、原作のオペラにはないシーンや読み替えがかなり多く、その都度、これは誰だ、これは何だ、と迷わせる演出でもある。

 今日の舞台に限らず、モダンの演出ではステージは相当比喩に富んだ作りになっており、あのシーンはこういうことを暗示していたのだ、と後になって思い出すほどで、なかなか舞台を観ていて直感的には判断が難しい。これが狙いなのかもしれないが、時には煩わしさを感じさせる。何度か繰り返して観るとよく理解できるのだろう。


 そんな凝った舞台と違って、音楽そのものは素晴らしい演奏で、ドラマの進行が実にわかりやすい。

 歌手陣は、エレクトラ役のアイレ・アッソーニが声の質、性格描写、演技全てがこの役にピッタリで、最後こそやや声が枯れた印象があったにせよ、ドラマティックにこの役柄の魅力を存分に伝えてくれた。


 クリソテミス役のヘドヴィグ・ハウゲルドは衣装がお姫様スタイルのピンク系ドレス。おそらく演出のヨハネス・エラートがそこからイメージされるキャラクターとして描きたかったのかもしれない。だが性格描写がちょっと曖昧でわかりにくかったにせよ、立派な歌。むしろ来シーズンのサロメのタイトルロールを歌うのが楽しみ。


 クリテムネストラ役の藤村美穂子は、どのような感情表現も可能な万能歌手のようで、エレクトラの母親役であり、かつアガメムノンを愛人エギストと共に殺す妖怪的役割を、情念たっぷりに余すところなく聞かせてくれた。

 ただ、この歌手、何処か気品の良さを感じさせるところがあり、悪女を素晴らしい演技と歌で演じても、いい意味での気位の高さを感じさせるオーラがあって、何処か正義の味方のような由緒正しい人物像のように感じられる。このオペラの前史を辿っていくとひょっとしてこういう人間像が正しいのだ、とエラールが描きたかったのか、と思われるほどだ。


 エレクトラの兄オレステ役のエギルス・シリンシュは前回、「トリスタンとイゾルデ」のクルヴェナール役 (鑑賞したのは24年3月26日公演)以来。落ち着いた高僧風の衣装とスキンヘッドで登場し、これから母親とエギストを殺す役柄にはとても見えなかったが、存在感ある立派な歌声だった。

 エギスト役の工藤和真は比較的早めにステージに登場していたようで、原作オペラにはないコミカルな描き方で、しかし深みのある声でよく役柄を演じていた。

 そのほか、道化師風の人物も登場し、その意味は掴みきれなかったが、強烈なシュトラウスの音楽を逆説的に強調する不気味な役割を果たしていたような気がする。そのほか、周辺を固めた歌手陣も好演。


 指揮の大野和士は、おそらくR.シュトラウスの中でも最も複雑怪奇と思われるスコアを躊躇することなく思い切り鳴らしており、時として粗雑になりすぎるほど迫力満点の演奏。あらゆる感情描写、情景描写にも優れ、オペラのオーケストラとしては申し分ない出来。

 もっと緻密で完成度の高い演奏を求めても良さそうだが、考えなければよく理解できない舞台の情景と違って、その時々の出演者の心動きがとてもよく伝わってきて申し分なかった。こういう演奏で聴くと、ワーグナーを上回る劇的な心理描写で、シュトラウスの凄さを感じさせる。


 エラールの演出が、このオペラの前史のアガメムノン一族に力点を置いているようで、そのギリシャ神話の全体像をしっかりと把握しているとよりよく理解できるようだ。復讐に燃える憎悪に満ちたドラマは、あまり日本人には馴染まないが、その辺りを洗練された都会風の解釈で、柔らかく、どぎつくなく普遍的な作品として紹介した上演だったように思う。

2026/06/30



 札幌交響楽団 第678回定期演奏会

 2026年6月28日13:00  札幌コンサートホール Kitara大ホール


指揮:尾高忠明

ピアノ:清水和音

管弦楽:札幌交響楽団


グリーグ/抒情組曲

グリーグ/ピアノ協奏曲

エルガー/弦楽のためのセレナード

エルガー/エニグマ変奏曲



 

   久しぶりの尾高、さすがの貫禄で、落ち着いた巨匠然
とした音楽を聴かせてくれたいい演奏会だった。


   今日は盛り沢山のプログラムで、最初にまずグリークの叙情組曲。

   冒頭ゆえまだ手探りのところもあったが、一瞬、濃厚でロマンティックな表情が聴こえてきた箇所があって、興味深かった。いつも思うのだが、これが尾高の本当の顔のような気がする。 後期ロマン派をもっと振ってくれればきっといい演奏会になると思うのだが。

 グリークのピアノ協奏曲は、当初予定されていたホアキン・アチュカロが転倒による怪我のため降板、代役で清水和音が登場。他のピアニストには無い抜群の安定感で、力強い豪放な響きとかつ繊細で美しい音色による多彩な表現など、申し分ない。作品の本質をよく捉えたバランス感覚に優れた解釈で、やはり日本のピアニストの中では最高峰の一人だ。久しぶりにホールのピアノが豪快によく響き聞き応え充分。やや遅めのテンポによる堂々たる演奏で楽しませてくれた。ソリストアンコールに、ブラームスの間奏曲、op.118-2。

 ホアキン・アチュカロ、再度の出演が可能になることを祈る。


 後半冒頭のエルガーの弦楽セレナードは上質な響きで、尾高ならではの解釈。ディテールの仕上がりなど、ごく自然に自発的にオーケストラが表現しているように聞こえてきて、好演。


 今日のメインプログラム、エニグマ変奏曲はとても良かった。尾高を聴く楽しみの一つは、オーケストラから引き出す彼ならではの豊かな響き。今日もその豊かで柔らかい響きは健在で、それに加えてきめ細かい繊細な表情が印象的で、ダイナミックさと繊細さが見事に調和した、魅力的な演奏だった。

 後半、同じ作曲家ばかり続けて聴くと、他の指揮者だと食傷気味になるが、そこはさすがエルガーの伝道師尾高、作品ごとの表情の変化や対比が豊かで、普段はなかなか気がつかないエルガーの様々な顔を紹介してくれた。

 コンサートマスターは会田莉凡。


2026/06/22

 ダネル弦楽四重奏団


2026年6月20・21日各15:00開演 札幌コンサートホールKitara小ホール


ヴァイオリン/マルク・ダネル、ジル・ミレ
ヴィオラ/ヴラッド・ボグダナス
チェロ/ヨヴァン・マルコヴィッチ


ポジティフオルガン/赤枝 サンテソン 留果

 (第26代札幌コンサートコンサートホール専属オルガニスト)※21日のみ


プログラム

DAY 1  

6月20日

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 作品13
ラヴェル:弦楽四重奏曲 ヘ長調
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 作品11


DAY 2 

6月21日

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135

グレンジ:弦楽四重奏とオルガンのための新作
[ポジティフオルガン/赤枝 サンテソン 留果]
メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 作品80



 ダネルカルテットは2005年札幌コンサートホールが初めて招聘し初来日。今回は2024年6月9日以来、2年ぶりの公演で、11回目の来札となる。古典から現代までレパートリーは広い。

 前々回の来札時にも書いたが、このカルテットの印象は当時と大きく変わらないので再掲しておこう。


 ーマルク・ダネルのアクティブで、しかも表情豊かに歌い込まれた演奏が中心に展開されるカルテットだが、内声を担当するセカンド・ヴァイオリンのジル・ミレ、ヴィオラのヴラッド・ボグダナスの安定感が素晴らしい。オーケストラでもそうだが、内声部が充実していると、音が厚く、音楽的にも充実して聴こえてくる。チェロのヨヴァン・マルコヴィッチはいつもバランスの良い演奏をし、飛び出ることもなく、隠れて聴こえなくなることもなく、中庸の演奏で、主張がないようである、というカルテット奏者としては理想的存在だ。ー(2022年6月4日、5日


 DAY 1(第一日目)は作曲家の第一作目の弦楽四重奏曲を特集したもの。なかなか魅力的な構成だ。

 メンデルスゾーンは1827年18歳の作品。明らかにベートーヴェンをお手本としているが、早熟の天才ゆえ、すでにメンデルスゾーン特有の流麗な作風が確立されている。

 冒頭はややマルクが突っ走り気味でどうなることか、と思ったが、第2楽章以降は安定し、特にマルクがノンヴィブラートで弾いてみたり、素朴で民謡風に表現したり、ダイナミックに切り込み激しく弾いてみたりと、その多彩ぶりが素晴らしい。以前よりもより表現の幅が広がったような気がする。もちろん、4人が一体となってメンデルスゾーンらしい覇気のある才気走った、駆け抜けるような鮮やかさが見事に表現されており、2年ぶりのダネル、ますますの充実ぶりが伝わってきて嬉しかった。


 続くラヴェルは2007年10月の札幌公演以来2度目の演奏。メンデルスゾーンとは音色やバランスをガラリと変えて、抑制されよくコンロールされた美しい音色による演奏。強烈なオリジナリティをすでに確立していた若きラヴェル(当時27歳)の様式観が見事に表現されており、聞き応えがあった。

 2007年時の彼らの演奏はもう記憶にないが、以前より一層緻密になったような気がする。


 チャイコフスキーは、2022年にも演奏されている。ベートーヴェンの影響が如実に感じられる作品だが、このカルテットの良く歌い込まれた演奏で聴くとチャイコフスキー独特の情緒豊かな世界が広がり、特に有名な第二楽章、アンダンテ・カンタービレが唯一無二の静謐な世界が展開され、素晴らしかった。

全体的にはロシア的というよりもむしろラテン的な明るさを感じさせた演奏。


 アンコールにショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第1番(!)ハ長調作品49より第4楽章とチャイコフスキーの第1番より第4楽章をもう一度演奏。



 DAY 2(第二日目)は作曲家最後の作品を特集したプログラム。

ベートーヴェンはこの2日間で演奏された作品の中ではやはり別格の傑作であることを再認識。他の作品とは違い、何か特定の感情を表現したり想起させることはなく、優れたバランス感覚による、大きな普遍性を感じさせた演奏。

 一方で、ことさら晩年の崇高な作品だ、という堅苦しいイメージを全く感じさせない。楽しみながら作曲したのであろうベートーヴェンをより身近な存在にし、親しみやすい、新しい作品像を紹介してくれた名演だった。


 フィリップ・グレンジの弦楽四重奏とオルガンのための新作、「Bobok」は饒舌で良く話しかけてくる作品。

 グレンジは初めて聴く作曲家で、プログラム解説によると、この作品は「衰退」と「消滅」を表現しているようで、ドストエフスキーの同名の作品から着想を得たそうだ。日本人の現代作品であれば、静と動の対比、沈黙の重要さを意識させる作品が多いが、この作品では冒頭の静かなオルガンソロはともかく、カルテットが加わってくると、次第に饒舌になり何かおしゃべりに夢中になっているような雰囲気がある。やや鬱陶しさを感じさせる瞬間もあったが、ダネルの集中力のある演奏が終始格調の高さを崩さず、作品の価値をより高めたのではないだろうか。同時に、ダネルを良く知っている作曲家ならではの語り口だったことは確かだ。

 一方で、オルガンは、導入と衰退というこの作品の本質に関わる重要な役割を担っているとも言えるが、欲を言えば、オルガニストの活躍をもう少し聴きたかったところだ。

 この作品は、アンコールにもう一度演奏。細部の印象はずいぶん違って聴こえてきて、一度聴いただけでは本質が理解出来ないことを認識させられた。


 最後のメンデルスゾーンは、同じ調性のベートーヴェンの熱情ソナタを彷彿とさせる爆発する激しい感情の発露をダネルが見事に表現。今、このカルテットでなければ聴けない気迫のこもった激しい感情の爆発のようなものを感じさせた名演だった。日本人であればここまで徹底した表現は出来ないだろう、と思わせるダイナミックで劇的な演奏で、これは実に素晴らしかった。


2026/06/01



 札幌交響楽団 第677回定期演奏会

 2026年5月31日13:00  札幌コンサートホール Kitara大ホール


指揮/エリアス・グランディ

コントラルト/ゲルヒルト・ロンベルガー

女声合唱/札響合唱団

児童合唱/HBC少年少女合唱団ジュニアクラス

管弦楽/札幌交響楽団


マーラー:交響曲第3番



 

 この作品、大作ゆえにライヴで聴く機会は極めて少ない。この札幌コンサートホールで前回聴いたのは、確か2000年のPMFで、最近惜しくも他界したマイケル・ティルソン・トーマスの指揮だったと思う。アカデミー生が冒頭のホルンを元気いっぱいに演奏していたことをうっすらと記憶している。

 札響では2010年の定期に尾高忠明の指揮で演奏されたようだが、残念ながら聴いていない。従ってライヴで聴くのは四半世紀ぶり。


今日は素晴らしい公演だった。何よりもグランディが首席指揮者ならでは大活躍。良く歌い込まれ細部まで丁寧に仕上げられ、全体的にやや遅めのテンポによる演奏で曖昧な箇所はひとつもない。各楽章の性格描写が的確かつわかりやすく、間延びしたり先走ったりするところが全くない。スコアのあちこちに書かれているマーラーの指示、「急がないで!」を思い出すほど、落ち着いた安定した演奏だった。

 それと良質の響き。これだけ金管楽器が多ければ、もっと派手で大音響の演奏が繰り広げられるのだろうと思いきや、金管楽器群が洗練された、かつ精巧にコントロールされた、例えれば、ヨーロピアンスタイルとでも言える、極めてバランス感覚に優れた演奏。

 この管楽器群と弦楽器群が作り出す全体の響きがまるでヨーロッパの良質のオーケストラを聴いているようだった。特に第6楽章のフィナーレに向かって次第に音量を増大していくところでも、まとまりのある極めてバランスのいい響きを失わず、これはとても心地良かった。こういう感覚の響きを札響から聴くのはひょっとして初めてかもしれない。


 そのグランディの要求に見事に応えたオーケストラもまた素晴らしくかった。特に、金管楽器ではトロンボーンの首席山下と、昨年11月に退団し、今日エキストラ首席として出演した福田の両名。良くコントロールされた音色と表現で、「歌う金管楽器」として本日の主役級の大活躍。余すところなくマーラーの魅力を堪能させてくれた。そのほかの管楽器グループももちろん好演。木管では最近フルート首席が良く音が通るようになってきて、今日もいい演奏だった。


 今日は対向配置で、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが離れて座っており、マーラーのように対位法的に各セクションの独立性が強い場合はこの配置がいいようだ。特に、終楽章のようにいかにもマーラーらしい通俗的歌謡性を感じさせる単純な旋律と豊かな対位法的動きとが一体となった楽章ではこの対向配置が抜群の演奏効果を挙げていたのではないだろうか。

 弦楽器は力まず、柔らかいボーイングでいい音色での演奏。特に第2楽章でのヴァイオリンの主題の歌い方が秀悦。軽やかでマーラーのいう無邪気さが素敵に表現されていて、これもグランディの的確な指示ゆえか。

 逆に、各パートがクリアに聴こえてきただけに、もう少し厚みのある響きがあれば、などと感じたところもあり、この辺は今後の課題かもしれない。

 コントラルトのゲルヒルト・ロンベルガーが深い奥行きのある声で、説得力のある歌唱。女声合唱団はやや歌詞がわかりにくかったにせよ児童合唱団と共に好演。

 トータルではここ最近の定期では抜群の仕上がりだったと言えよう。グランディの今後の活躍が多いに期待できる。

 コンサートマスターは田島高宏。

2026/05/29


ガエターノ・ドニゼッティ

愛の妙薬


2026年5月27日14:00 新国立劇場


【指 揮】マルコ・ギダリーニ

【演 出】チェーザレ・リエヴィ

【美 術】ルイジ・ペーレゴ

【衣 裳】マリーナ・ルクサルド

【照 明】立田雄士


【アディーナ】フランチェスカ・ピア・ヴィターレ

【ネモリーノ】マッテオ・デソーレ

【ベルコーレ】シモーネ・アルベルギーニ

【ドゥルカマーラ】マルコ・フィリッポ・ロマーノ

【ジャンネッタ】今野沙知恵

【合 唱】新国立劇場合唱団

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団



 2010年初演プロダクションの再演。今回が5回目の再演となる人気上演のようだが、観るのは初めて。

    舞台はモダン仕様で、ともかく明るく、派手で綺麗だ。衣装は様々だが、基本オレンジの暖色系が中心の色調。舞台照明など、様々な場面がこの配色を中心に展開される。ほぼ実物大のセスナ機がドンと登場したり、場面に応じてハリボテ状の大きな文字や厚い本が入れ替わり、場所や形を変えて様々な場面を作り出す。

 これがうるさくなく、劇の進行を妨げないばかりか、場面ごとの性格を極めて明確に語ってくれ、実にわかりやすい。

 今回5度目の再演ということでかなりこなれた舞台になっているようだ。音楽の進行、雰囲気に美しく合致している舞台で、モダン仕様の舞台の中では音楽を妨げない抜群の仕上がりと言えるだろう。


 指揮は劇場初登場のマルコ・ギダリーニ。音楽は生き生きとしており、テンポは早目で、快活かつ伸びやかで、ドラマティックな表情にも事欠かない。東フィルから様々な表情を引き出し、このオペラに相応しい音楽を作り出したいい指揮者だ。

 前半の主役は新国立劇場合唱団。合唱はもちろんだが、衣装の明るい色彩感と様々な動きによる演技力とが自然にマッチングしており、音楽的にも視覚的にも楽しませてくれた。


 歌手ではアディーナのフランチェスカ・ピア・ヴィターレが歌も演技も容姿もなかなか魅力的。表現力豊かで声も上から下までよく整っていて、高音はほぼ完璧。これはとても素晴らしかった。

 ネモリーノのマッテオ・デソーレは22年椿姫のアルフレード役でこの劇場初登場以来2度目だが、聴くのは初めて。多彩な表情で、やや頼りない馬鹿正直なネモリーノという雰囲気を出しこれもお見事。「人知れぬ涙」はあえてこのような表現にしたのかも知れないが、贅沢を言えば絶唱まで行かず、奥行きの深さでは名歌手の域までもう少しか、というところもあったにせよ申し分ない熱演だった。

 ドゥルカマーラのマルコ・フィリッポ・ロマーノはこの劇場初登場。コミカルで実は難しい狂言回しの役柄を実に楽しげに、主役の如き見事にこなし、好演。そのほか、ベルコーレのシモーネ・アルベルギーニも存在感ある歌で良かった。

 ソリストがジャンネッタ以外海外勢というのは、このプロダクションでは初めてのようだが、日本人からはなかなか感じられないタフな声帯とコミカルな演技力は観ていて楽しいだけではなく、イタリアオペラのある種の筋金入りの逞しさ、一貫する大きな流れのようなものを感じさせてくれ、これは大成功ではないだろうか。