2022/09/25

 <Kitaraアフタヌーンコンサート>

野平一郎レクチャーコンサート

202292314:00  札幌コンサートホールKitara小ホール

ピアノ、チェンバロ、ポジティブオルガン、お話/野平一郎

J.S.バッハ:

ゴルトベルク変奏曲 BWV988より アリア ◆


平均律クラヴィーア曲集 1巻より

1 前奏曲とフーガ ハ長調 BWV846 

2 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV847 

4 前奏曲とフーガ 嬰ハ短調 BWV849 

5 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV850 ●

6 前奏曲とフーガ ニ短調 BWV851 

7 前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV852 ●

8 前奏曲とフーガ 変ホ短調 BWV853 

9 前奏曲とフーガ ホ長調 BWV854 

10 前奏曲とフーガ ホ短調 BWV855 

13 前奏曲とフーガ 嬰ヘ長調 BWV858 ●

16 前奏曲とフーガ ト短調 BWV861 

◇ピアノ、◆チェンバロ、ポジティフオルガン


    野平一郎は過去 kitara主催事業に2度出演しており、2003年3月にベートーヴェンシリーズでピアノソナタを、2008年9月に藤井一興とのデュオで、メシアンのアーメンの幻影、モーツァルト、シューマンなどを演奏している。共に素晴らしい演奏だった。

 今回はピアノ、チェンバロ、ポジティブオルガンでバッハの作品を弾きわけるお話し付きコンサート。楽器はそれぞれ、平均律、ヴェルクマイスター第3、キルンベルガー第3の違う調律法で調律されていて、その違いを同時に聴くことができる。各楽器は全てKitaraの所有のもの。

 

 3種類の楽器を弾きわけることは、実はとても大変なことだ。鍵盤のサイズ、タッチ、音を出す機構、音が出るタイミング、音量など、コントロールしなければならない情報量がかなり多く、普通の音楽家では難しい。それを、どの楽器で演奏しても違和感を感じさせなかったのは、野平の作曲家ならではの明晰な演奏と、同時にバッハの凄さでもある。しかも、どの楽器もいい響きがしており、これは3人のベテラン調律師による優れた調律・調整の成果でもあろう。今日の演奏会の陰の立役者でもある。


 ゴルドベルク変奏曲や平均律クラヴィーア曲集をいろいろな楽器で演奏する例は多いが(今年6月の第646回札響定期でオーケストラ版ゴルドベルク変奏曲が演奏されたばかり)、こうして一つのステージの中で様々な楽器を鑑賞できる演奏会はほとんど無い。今日はとても貴重な機会だ。

 

 冒頭のゴルドベルク変奏曲のテーマは全ての楽器で演奏。繰り返しの際にはレジストレーションを変えて演奏するなど、楽器の特徴、オリジナリティを紹介しながらの進行は,興味深かった。また、楽器の鍵盤の奥行きの違いで指使いが代わってくる話、バッハのBACH (2138)の数値を作品に込めるマニアックな作曲へのこだわり、20世紀のチェンバロ復興の歴史、調律の話など、さりげなく重要なことを語るところは豊富な知識量を誇る彼ならではのもの。

 

 比較して聴いてみると、特にポジティフオルガンによる演奏が面白かった。例えば、第5番の前奏曲は,ピアニストだと必要以上に速いテンポで演奏しがちだが、オルガンの音が出る機構上、速く演奏しても音が充分響く前に次の音を弾いてしまうために、全く意味をなさない。比較的ゆったりとしたテンポで演奏する必然性があり、楽器の違いによって演奏法が変わることが明確に示され、これは説得力があった。

 また変ホ長調の前奏曲では、この作品の持つ柔和でかつ華やかな性格がよく伝わってきて、楽器の特質と調性と作品の性格が見事に一致した三位一体の好例。後のベートーヴェンの英雄交響曲や皇帝ピアノ協奏曲などに通じるものを感じさせてくれた。


 全体的には、レクチャーの中でも話していたが、基本的に野平自身は、メインはピアニストで、古楽奏法によるチェンバロやオルガン演奏は行わない、ということで、やはりピアノによる演奏が最も手に馴染んでいる感覚があった。特に嬰ハ短調のフーガの立体的でスケール感ある表現が素晴らしかった。


 欲を言うと、今回は第一番の前奏曲を演奏したので、調律法の違いをここで紹介してくれると聴衆にとってはより有意義だったのでは。

 また,作曲家ならではの視点から、なぜこの作品をこの楽器で演奏するか、という説明がもう少しあるとよかった。


 アンコールでフランス組曲第6番のアルマンドをピアノ、サラバンドをオルガン、ガヴォットをチェンバロで続けて演奏。これは本日ならではの優れたアイディアで、とても面白かった。

 最後に、Kitaraのチェンバロがドイツのミートケモデルであることにちなみ、ブランデンブルグ協奏曲第5番の第1楽章のカデンツァを演奏、これが実に鮮やか。専門のチェンバロ奏者でも中々到達出来ない優れた演奏だった。

 アンコールを含めて、よく全体が考え抜かれたプログラムで、聞き応えのある良質な演奏会だった。

2022/09/14

 東京二期会オペラ劇場

ジャコモ・プッチーニ

蝶々夫人


2022年9月11日14:00 新国立劇場オペラパレス


指揮/アンドレア・バッティストーニ

演出/栗山昌良


蝶々夫人/木下美穂子

スズキ/藤井麻美

ケート/角南有紀

ピンカートン/城 宏憲

シャープレス/成田博之

ゴロー/大川信之 

ヤマドリ/杉浦隆大

ボンゾ/三戸大久

神官/的場正剛


合唱/二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部

管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団



 素晴らしい上演だった。まず、栗山昌良の演出。これはもう何度も再演され、高い評価を受けている名演出(1957年初演、過去8回再演。二期会プログラムによる)だが、今回はバッティストーニのドラマティックな優れた指揮と相まって、舞台と音楽が見事に一致した一つの理想像を描いた名上演と言えるだろう。

 外国人が創作した薄幸の日本人女性を主役にした歌劇を、日本人の優れた感性によってドラマの歴史的背景を忠実に再現し、場面ごとの登場人物の衣装と所作を、微に入り細に入り繊細かつ丁寧に、しかも美しく表現した演出。

 単に舞台セット、衣装が美しい、ということだけではなく、各シーンごとの時代背景がしっかり時代考証されており、正統的な解釈による説得力のある舞台。また,それらを聴衆に的確に示してくれた照明と、衣装を担当した岸田克己の優れた感性もこの公演の成功の原因の一つだ。

 よくある外国人から見た、矛盾だらけのエキゾチックな日本のドラマでもなく、最近主流となっている舞台を現代に読み替えた演出でもない。日本人の心の琴線に触れる伝統的な日本を美しく描いた舞台である。この様な舞台は本当に久しぶりで、落ち着いて鑑賞出来る。

 それに加え、バッティストーニの冴え切った、歯切れの良い、ドラマティックで、かつ登場人物の性格と場面ごとの感情の変化をこの上なく豊かに,かつ繊細に表現した指揮は、見事と言わざるを得ない。前回の蝶々夫人公演時(201910月3日東京文化会館)よりも表現の幅はさらに広がり、特に多彩で優れた心理描写、情景描写に格段の成長が見られた。


 木下の蝶々夫人が圧巻。もう何度も演じた役柄とは言え、豊かな表情、演技力、シーンごとに着替えた和服姿に相応しい所作は申し分ない。第2幕で、息子を連れて登場した以後のアリア、演技,第3幕でのアリアなど、涙なしでは観れない見事な蝶々夫人だった。藤井のスズキとの阿吽の呼吸も見事。カーテンコール時の所作も美しく、日本人ならではの感性を十二分に伝えてくれた。

 ピンカートンの城 はやや生真面目な雰囲気があり、敵役になりきれない人の好さを感じさせたが、ピンカートンの煮え切らない性格のある一面をよく表現していたのでは。シャープレスの成田も比較的ヒューマンな領事として描かれていた。

 ヤマドリの杉浦、ボンゾの三戸が好演。また冒頭の蝶々夫人の同輩の芸者達のコーラスはもちろん、黒紋付きの振袖の衣装などが素敵だった。脇役がしっかりしていると全体が引き締まって、とてもよかった。


 バッティストーニは、2018年札幌文化芸術劇場の柿落とし公演での「アイーダ」を指揮、札幌のオペラ公演史上、最高の演奏を披露してくれたのは記憶に新しい。近い将来、是非、また札幌での公演を期待したい。

2022/09/13

 札幌交響楽団第647回定期演奏会

2022年9月10日 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/オッコ・カム

ヴァイオリン/三浦 文彰


シベリウス:交響詩「大洋女神」

ヴァイオリン協奏曲

レンミンカイネン組曲(カレワラより四つの伝説曲)


 


 
 オールシベリウスプログラム。後半のレンミンカイネン組曲が良かった。滅多に演奏されない作品で、札響でも全曲演奏は過去三回しかなく、定期では二回だけだそうだ(当日配布プログラムより)。
 今日の第1日目の演奏を聴く限り、カムの指揮は、作品に込められた物語性を殊更強調するわけでもなく、当然、大袈裟な表現もない。この指揮者ならではの,特に何か特徴的な表現や豊かな響きをオーケストラから引き出す、ということもない。音楽の自然な流れに身を任せながら、作品そのものの姿を忠実に示していくのが基本のようだ。
 作品自体も物語の内容を都度説明するものではなく、比較的客観的に描いているのが特徴のようなので、この様な解釈はこの作品に最も相応しいのかもしれない。
 一方で、オーケストラそのものの実力が問われることにもなり、中々厳しい指揮者なのかもしれない。

 その点、この組曲での札響は素晴らしかった。北欧のシベリウスがイメージした響きを、北欧出身の指揮者カムが同じ北国の札響から引き出し、それぞれの思惑が見事に一致した美しさと言えばいいのだろうか。細部まで気配りがされ、繊細で美しく調和したアンサンブルが印象的で、特に今日は管楽器グループが万全の仕上がりだった。組曲の中では、3曲目に演奏された有名な「トゥオネラの白鳥」が秀演。


 コンチェルトは、三浦のソロが暖かい音色とよく歌込んだ多彩な表現で魅力的な演奏。もちろん、技巧的にも申し分ない。ただ、なぜか、カムの指揮が素気なく棒読み風で、特に第2楽章の、ソロと管楽器の対話がまとまりきらず、作品の素晴らしさが伝わってこなかったのが残念。第3楽章はやや焦点が定まらない、不燃焼気味の指揮。今日はオケもソリストも好調だっただけに、ちょっと心残りな指揮だったのが惜しまれる。


 冒頭の交響詩「大洋女神」は、いい響き、いい表情が次第に伝わって来て、これから期待できそうだ、と思っているうちに終了してしまい、これも作品の素晴らしさが伝わりきらず,残念だった。

 今日は、プログラム前半が、何かうまく流れない日だったようだ。2日目はどうだったのだろうか。

2022/09/05

 森の響フレンド札響名曲コンサート

~下野竜也の三大交響曲〜

20229 314:00  札幌コンサートホールKitara 大ホール


指揮 /下野 竜也

管弦楽/札幌交響楽団


シューベルト:交響曲第7番「未完成」

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」


    開演前に下野のプレトークがあり、彼ならではのこだわりが込められた興味深いもの。

 例えば、「新世界」で、今日テューバが不在な理由について。ドヴォルジャークはバス・トローンボーンのために書いたが、アメリカではこの楽器を使用しないため、それでテューバで代行したのが後に慣例となった。今日は(オリジナルの)トロンボーンで演奏すると言う話などを約15分。


 本日の演奏は、編成がコントラバス本の14型の大編成のためか、全体的に弦楽器が豊かに響き、しかも骨組みがしっかりしていて、下野の作品に込めた強い意志の力を感じさせたスケール感ある演奏だった。前回8月4日のhitaru定期で、バーメルトの代役を見事に果たした下野の好調ぶりがそのまま継続されていたようだ。


 特に印象に残ったのは、各交響曲での緩徐楽章。ピアノ、ピアニッシモでの表情が豊かで、アンサンブルも緻密で素晴らしい。ピッチ、音色がきれいで完成度の高い演奏。前後の速い楽章との対比がより鮮やかになり、名曲の魅力ここにあり、とも言える好演だった。


 というわけで、「未完成」は緩徐楽章の第2楽章が編成が大きいにも関わらず、弦楽器セクションの繊細な表情が美しく、そこに遠くから聴こえてくるようなオーボエ、クラリネットの上質なソロが加わり、ほぼ万全の仕上がり。一方で内声部が充実しており、安定したチェロ・バス群と相まって、厚みのある豊かなハーモニーが広がり心地よかった。

 この楽章の冒頭、ヴァイオリンの美しい主題がややピッチが不安定で、響きが抜けてこなかったのが惜しい。再現部では完璧だっただけにちょっと残念だった。


 「運命」は、この作品のデモーニッシュな面を見事に表現した、堂々としたスケールの大きな仕上がり。第2楽章の冒頭のヴィオラとチェロによる変奏曲の主題、第3楽章の冒頭、チェロ・バスの主題など、弱音で、かつユニゾンで動く旋律の表現力が素晴らしかった。単純明快な箇所がとても丁寧に、かつ緊張感ある表情での演奏で、作品全体に立体感を与えていた。第2楽章の変奏曲はやや停滞気味の箇所もあったが、ライブゆえのハプニングだろう。


「新世界」はプレトークにもあった通りテューバ無しでの演奏。

 第2楽章のラルゴが出色の出来。抜粋でよく聴く楽章だが、全4楽章の中で聴くと、よりこの楽章の持つ優しさ、美しさがよく伝わって来る。やはり格別な名作との印象をあらためて感じた。

 全曲をライブで聴くのは久しぶりだが、各楽章の表現の対比の見事さ、リズミックなモティーフの鋭さとドラマティックな表現、全体の構成力など完成度は申し分なく、オーケストラの集中力も素晴らしかった。

 欲を言えば、この作品に限らず、全体的に緩徐楽章で、管楽器グループの入りが、もう少しフワッとした柔らかい入り方だと好印象になるのでは、と感じた箇所がいくつかと、時々力が入り過ぎたのか、音が開き過ぎて、やや音色が荒くなった箇所がほんの僅かだが、あったのが気になった。


 とはいえ、これだけの完成度の高い演奏は下野の功績によるもの。今後の活躍に大いに期待しよう。