2024/04/26

 札幌交響楽団hitaruシリーズ定期演奏会 第17回

~童話と絵と音楽と

2024年4月25日19:00 札幌文化芸術劇場 hitaru


指揮 / 広上 淳一

ヴァイオリン /ボリス・ベルキン

管弦楽/札幌交響楽団


尾高 惇忠:音の旅 オーケストラ版(2020)

     1. 小さなコラール        8. 雪国の教会

     2. 森の動物たち        9. なめとこ山の熊

     3. おもいで           10. 注文の多い料理店

     4. 優雅なワルツ         11. 種山ヶ原

     5. シチリアのお姫さま      12. どんぐりと山猫 

     6. エレジー           13. 古い旋法によるフガート 

     7. 前奏曲                                       14. バレリーナ 

                     15. フィナーレ~青い鳥の住む国へ~


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

ムソルグスキー(ラヴェル編) :組曲「展覧会の絵」



 尾高の作品は、オリジナルは宮沢賢治の童話に基づく全14曲からなるピアノ連弾曲。2020年、これに第11曲を加え全15曲としてオーケストラ版が編集された。今日はオーケストラ版全曲の初演。

 配布プログラムの解説にあった、尾高がパリ音楽院で精妙なエクリチュールを究めた、とあれば、ここで学んだ邦人作曲家達のあの難解極まる作品群が思い浮かんだが、さにあらず、題名を想起させるとてもおしゃれで気の利いた素敵な名品集だ。

 ここには気難しい無調の現代音楽の姿は全くない。聴きやすいばかりではなく、聴き手の心を健やかに落ち着かせ、どこか憧れに満ちた夢のある世界をイメージさせる作品集だ。各曲は個性的で多彩、単なる情景描写に留まらず、郷愁を誘う懐かしさがある。特に前奏曲以降フィナーレまでが傑作。各曲数分程度の長さで全15曲を演奏しても約30分程度とちょうどいい長さ。

 広上はおそらくこの作品をとても大切にしているのだろう。各曲の個性をよく生かし、オーケストラをよく歌わせ、まろやかな響きと表現でまとめ上げ、決して陳腐にもならず、作品がよりいっそう優れた内容に聴こえてくる秀演だった。今日の演奏を聴く限り、大人から子供まで幅広い世代が楽しむことができる作品だ。童話とのコラボレーションした演奏も面白そう。

 

 ブルッフのソロを弾いたベルキンは美音の持ち主。若いヴァイオリニストだったらもっとテクニックを強調し、アタックの強い演奏をするのだろうが、今日は作品に込められた豊かな音楽性に主眼を置いた演奏。もちろん技術的にもこの作品を表現するのに全く過不足ない。

 特に第1、2楽章がことのほか表情豊か。美しい音色で深く歌い込んだとても柔らかい音楽を聴かせてくれた。第3楽章はもっとテクニカルな要素を強調しても良かったような気がするが、終始大人の音楽を聴かせてくれた。

 全体的に若手にはない味わいがあって、尾高の「音の旅」と並べて聴くには最適の演奏。広上の指揮は素晴らしく、オーケストラが雄弁で、この作品で、これほどオーケストラが表情豊かだったのは初めての経験。


 「展覧会の絵」は、オーケストラを中央寄りに密集させ座らせての濃密な音作り。全体的にやや硬めの響きではあったが、広上らしいおおらかでスケール感ある演奏だった。ただ、ここの劇場は、札幌コンサートホールKitaraとは違って、なぜか低弦がよく響かない。これはどこの席に座っても同じのようだ。特に「バーバ・ヤガーの小屋」や「キーウの大門」ではもっとたくましい低音が聴きたかったが、Kitaraのようにグイグイ前に響いてこなかったのが残念。

 それを除けば、今日は弦楽器と管楽器とのバランスがとても良く、前半も含め、この劇場でこれだけまとまりのあるいい響きがしたのは久しぶりだ。

 トランペットの福田を筆頭に、管楽器群が大活躍。単によく演奏しただけではなく、全体的にアンサンブルとしてまとまりのある響きがしていたのが素晴らしい。響きがあちこち散らばることもなく、統一感があり、聴いていてとても安心感があった。

 コンサートマスターは田島高弘。

 

2024/04/22

 札幌交響楽団第660回定期演奏会

2024年4月21日13:00  札幌コンサートホールKitara大ホール



指揮/川瀬 賢太郎(札響正指揮者)

管弦楽/札幌交響楽団


アイヴズ:交響曲第2番

チャイコフスキー:交響曲第4番


 今回は交響曲が2曲。定期ではあまりお目にかからない組み合わせだが、ちょっと茫洋としたアイヴズと、メリハリがあり性格のはっきりしたチャイコフスキーを並べてコントランスを明確にしており、なかなか考えられたプログラムといえよう。


 アイヴズは札響の半世紀以上にわたる歴史の中でも、演奏歴は過去1回だけ。やはり珍しい作品に属するのだろう。今回、初めてライヴで聴くことが出来たが、当然だが録音よりもやはり実演で聴く方がいい作品だ。掴みどころのない性格ではあるが、まとめ方次第では大きく印象が変わりそうな作風でもある。

 当時の流行り歌等からの引用を土台にして作品を構成していく作曲技法は、どこの流派にも所属していないような不思議な魅力を持つ。反骨心も豊かなようで、その点ではマーラー的なのかも知れない。

 今日の川瀬は、あまり作品に余計な解釈を加えず、しかし適度な性格描写を怠らずに、どちらかというと、ごく自然に全体を表現していたように思う。

 引用された歌の数々をもっと明確に描く方法もあるのかもしれないが、この作品は自然体で流れるように表現した方が、聴きやすいようだ。

 オーケストラの柔らかい音色がこの作品に相応しく、アイヴズ第2番は札響でなければ、という評価も出てきそうだ。


 チャイコフスキーは、情景描写に優れた演奏で、様々なモティーフの表現が多彩さで豊か。しかし過度にロマンティックにもならず、単調にもならずに、ちょうどいいバランスで表現しているので、とても聴きやすかった。

 すっきりとした爽快感も感じさせてくれ、やや退屈だったアイヴズでの不満を一掃してくれた演奏だった。さながらバレエを鑑賞しているかのように、バレエの色々なシーンが思い浮かぶような演奏。プリンシパルや悪役、脇役が次々に登場するような、色々な表情が沢山あって聞き応えがあった。

 オーケストラは熱演。弦と菅のバランスがよく、細部まできちんと仕上げられた演奏で、全体的にとてもいいまとまりのある響きがしていて、安定感があり良かった。

 今日の席は一階席8列目でいつもより前方より。個々の団員の熱演ぶりがよく見えて楽しかった。

 コンサートマスターは会田莉凡。

2024/04/21

 小澤征爾と札幌(序章)

小澤征爾の札幌初登場は1958年9月29日


 小澤征爾が初めて来札したのは、大学を卒業したばかりの無名の頃で、1958年9月29日。この年の7月にオープンしたばかりの札幌市民会館で群馬フィルハーモニーオーケストラを指揮している。

 群馬フィルハーモニーオーケストラ(現在の群馬交響楽団、1963年に改称、以下「群響」と呼ぶ)は1958年(昭和33年)に北海道演奏旅行(9月22日から10月12日まで全14公演)を行なっており、小澤はその札幌公演だけを指揮するために来札している。このとき、小澤は23歳、「音楽武者修行」に出発する前の年である。詳細は下記のとおり。


群馬フィルハーモニーオーケストラ札幌公演

1958年9月29日 札幌市民会館 昼夜2回公演


指揮/小澤征爾

管弦楽/群馬フィルハーモニーオーケストラ

ヴァイオリン/安芸昌子


メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」

カバレーフスキイ:組曲「道化師」

サラサーテ:ツィゴイナーヴァイゼン

ビショップ:埴生の宿変奏曲

シューベルト:交響曲第8(7)番ロ短調「未完成」

レスピーギ:リュートのための古いアリアと舞曲第3集

(表記は当時のまま)


 小澤と群響の縁は1955年、小澤20歳の時に、移動音楽教室を指揮したことに始まる。当時の群響は移動音楽教室を中心に公演を行っていたが、指揮者が足りない状況だった。そこで、数多く客演していた渡邉暁雄から桐朋学園大学の斎藤秀雄を紹介され、斎藤の紹介で、当時まだ無名だった小澤征爾、山本直純、岩城宏之の3人の若い指揮者が群響に派遣されるようになった。

 特に小澤は、安中、館林、赤城山、やがては北海道まで同行して指揮をするようになった。

 以後、小澤が世界へ羽ばたいてからも自身の指揮活動の最初であった群響を大切に思い続け、たびたび客演していた。


 この当時の逸話については群馬の地元紙(上毛新聞https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/420910?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR1zcq2-FTnarrflKM6LGpIwU3n6kpA40NHUuI4sQYjwxPLML_Z6QQRrf90_aem_AZ8SAwrkE0XQ5cDQ2tFGFX33pt2ql65ITsy5m1C-r9Gh0-LS-ViUv2tY2PxXP69Nzc11p3zJo8ibXyvV6mIp08Q3

 に次のように掲載されている。

▼「群響生みの親」と呼ばれる丸山勝広さんが指揮者を探して、桐朋学園で指導する斎藤秀雄さんを訪ねたのは1955年頃のこと。斎藤さんはまだ無名だった山本直純さんや岩城宏之さんらを連れ、本県を訪れた

▼選ばれたのが当時一番暇だったという小澤征爾さんである。「お金はあまり払えないけれど、食うぐらいは食わしてやる」。高崎の独身寮に寝泊まりし、夜は酒を飲みながら音楽を語り合った


 


この項作成には、特に、音楽ジャーナリスト渡辺和氏のHPを参照した。

https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2015-06-26)

また、群響北海道ツアー等については群馬交響楽団から情報提供をいただいた。

2024/04/20

 小澤征爾と札幌(3)

1970年ニューヨーク・フィルハーモニックとの来札


小澤征爾指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会

1970年9月10日 札幌藤学園講堂

指揮/小澤征爾


琵琶/鶴田錦史

尺八/横山勝也


管弦楽/ニューヨーク・フィルハーモニック


メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」

武満徹:「ノーヴェンバー・ステップス」

ムソルグスキー:「展覧会の絵」


Expo'70


 世界に羽ばたいた小澤は1970年にニューヨーク・フィルを率いて来札する。

この年は大阪で日本万国博覧会(Expo'70)が3月15日から9月13日までの183日間、開催された。

 「来日オーケストラ公演記録」という1955年からの来日海外オーケストラの公演記録をまとめた素晴らしいHPによると(http://www.est.hiho.ne.jp/soundlodgeibuki/visitor-orchpro.html

70年の来日海外オーケストラは10団体にも及び、カラヤンとベルリン・フィルがベートーヴェン交響曲全曲演奏会を行うなど、全てのオーケストラが大阪フェスティバルホールで演奏会を行っている。

 全10団体のトリを務めたニューヨーク・フィルはバーンスタインと小澤の2人の指揮者で来日し、全11公演中、小澤は札幌と同じプロで大阪、東京で計3公演を指揮している。


 札幌では、このほか、5月25日に前回述べたジョージ・セルとクリーブランド管弦楽団(中島スポーツセンター)、7月24日にヤンソンスとレニングラードフィル(札幌市民会館)の来札公演があり、いずれも大阪万博がらみである。

 余談だが、おそらくクリーブランド管弦楽団の公演料はかなり高額だったと思われる。中島スポーツセンターを使用し、客席数を多くしなければ採算が取れなかったのだろう。


「ノーヴェンバー・ステップス」


 プログラムに武満徹の「ノーヴェンバー・ステップス」が含まれているのが注目される。ご承知のようにこの作品はニューヨーク・フィル創立125周年記念のために同楽団から委嘱された新作。1967年11月初旬に、ニューヨークでこの来札時と全く同じメンバーで世界初演されている。


 小澤はその2年前の65年にカナダのトロント交響楽団の音楽監督に就任、「ノーヴェンバー・ステップス」をニューヨーク初演の前に、トロントで徹底的にリハーサルを積み初演に挑んでいる。


トロント交響楽団と録音した
レコードジャケットより抜粋


 世界初演はもちろんニューヨーク・フィルの定期演奏会で、合計4回(11月9、10、11、13日)演奏されている。その後の同年11月下旬(28、29日)にはトロント交響楽団定期演奏会でカナダ初演を行い、さらに12月に武満とメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」をトロント交響楽団と録音している。


 日本初演は翌年の68年6月に東京で、「オーケストラル・スペース‘68」で小澤と日本フィルの組み合わせで行われている。

 なお、小澤は69年にトロント交響楽団を率いて来日しており、このときに、「ノーヴェンバー・ステップス」を含むプログラムを大阪と東京で2回指揮している。


 このニューヨーク・フィルの日本ツアーでは、武満徹が含まれたプログラムは小澤が指揮するときだけで、従って初演時と同じメンバーで演奏を聴くことができたのは、全国で3箇所だけで、札幌は貴重なその一つだった。

 今振り返ると、このニューヨーク・フィル札幌公演は、札幌での実に貴重な音楽シーンの一つだったと言える。だが、人気は今ひとつで、売れ行きは芳しくなかったらしく、割引券が音楽関係に出回ったとも聞く。

 筆者は当時高校生で、高校生の小遣いで買えるような価格のチケットではなかったように記憶している。ゆえに、クリーブランド管弦楽団も含め、これらのコンサートは聴いていない。

 武満徹の作品演奏で札響が一躍注目されることになるのは、まだ先の1976年のこと。その前の1974年に小澤は札響定期演奏会に出演する。これは次回に。


 藤学園講堂は札幌市北区北16条西2丁目にある大学法人が所有する講堂で2000席。学校関連の式典で使用する講堂で、演奏会で使用される機会は少なく、もう数十年訪問していないので音響等がどうだったかは記憶にないが、落ち着いた雰囲気の講堂だったように思う。

 


参考文献

前川公美夫 北海道音楽史

立花隆   武満徹・音楽創造への旅

武満徹   音、沈黙と測りあえるほどに

小澤征爾・武満徹 音楽

 

2024/04/19

小澤征爾と札幌(2)

1968年日本フィルハーモニー交響楽団札幌公演


 小澤は、62年のN響北海道ツアー後、海外で活躍するほか、日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任する。その日本フィルを率いて1968年に来札公演を行っている。


小澤征爾指揮  日本フィルハーモニー交響楽団 札幌公演


1968年8月27日18:30  札幌中島スポーツセンター

指揮/小澤征爾 

管弦楽/日本フィルハーモニー交響楽団


札幌交響楽団第75回定期公演
プログラムに掲載された広告

ベルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲

モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K 447

小山清茂:管弦楽のための木挽歌(抜すい)


ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」





日本フィルハーモニー交響楽団との関わり


 小澤が日本フィルに就任した時期等については、日フィルの小澤追悼コメントから引用してみよう。


 「小澤氏は、1964年2月に日本フィルの楽団参与に就任、その年の第1回北米公演では全34回の公演のうち5公演を指揮し大成功を収め、 1968年8月19日から1972年6月までミュージカル・アドバイザー兼首席指揮者として創設期の日本フィルに多大なる貢献をいただきました。

 ベルリオーズ《死者のための大ミサ曲(レクイエム)》、同《テ・デウム》、バーンスタインの《チチェスター詩篇》、同交響曲第3番《カディッシュ》等を日本初演、邦人作曲家に作品を委嘱する「日本フィル・シリーズ」の3曲を世界初演。1972年6月定期演奏会のマーラーの交響曲第2番《復活》の演奏は今でも語り継がれています。」


 1968年8月19日に日本フィルの指揮者に就任した小澤は、その直後の8月27日、日本フィルを率いて札幌公演を行っている。このときのプログラムは上記の通り。この演奏会を筆者は聴いている。


土砂降りの中の新世界

 会場の北海道立札幌中島スポーツセンター(1954年開館2000年閉館)は、札幌市民会館よりも座席数を稼げるため(約四千席)、大きなコンサートが開催されることが多かった。ただし、その名のとおりスポーツ関連の行事のための施設で、当然のことながらクラシックのコンサートには不向きだった。客席は固定席ではなく、都度パイプ椅子を並べるスタイルで、外部の音が聞こえやすかった。

 演奏会当日の8月27日は夕方から雨で、会場の屋根に跳ね返って生じた雨音は場内に容赦なく響き渡った。特に後半の「新世界から」演奏時は土砂降りとなり、その激しい雨音で音楽はほとんど聴こえなかった。

 初めての小澤の演奏会の記憶は土砂降りの雨音だけで、はっきりと覚えているのはアンコールで客席側に振り向いた小澤の「お暑うございます。」というセリフだけである。


 このときのプログラム前半には当時小学校の鑑賞教材になっていた小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」を演奏するなど、邦人作曲家の作品紹介にも積極的だった小澤の姿勢がうかがわれる。ただし、何故かプログラム前半の記憶は全くなく、アンコールの曲目も覚えていない。それほど雨の音が強烈だったのだろう。


 1971年(昭和46年)に2300席の北海道厚生年金会館(2018年9月閉館)が開館したため、この中島スポーツセンターは1970年のジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団公演を最後に、クラシック演奏会では使用されなくなる。


プロレスの聖地、中島スポーツセンター


 なお、中島スポーツセンターの名誉のために付け加えると、プロレスの聖地とも言われ、プロレスの興行、歌謡コンサートや大相撲札幌場所、展覧会などが行われ、多くの人々が集った札幌の文化を支えた名会場だった。

 展覧会では、1964年8月〜9月にかけ、ここで開催された「国立西洋美術館蔵 松方コレクション展」は、ロダンの「考える人」が展示されるなど、初めて見る世界の名作群に心踊らされたものだった。クラシックコンサートはイレギュラーな使い方だったのである。


 さて、次に小澤は1970年にニューヨーク・フィルを率いて来札する。これについては(3)で。