2022/10/30

 サー・アンドラーシュ・シフ

ピアノリサイタル

2022102915:00  札幌コンサートホールKitara 大ホール


ピアノ/サー・アンドラーシュ・シフ


バッハ:ゴルドベルク変奏曲 BWV988 よりアリア

    「音楽の捧げもの」BWV1079より3声のリチェルカーレ

モーツァルト:幻想曲 ハ短調K.475

バッハ:フランス組曲第5番 ト長調BWV816

モーツァルト:アイネ・クライネ・ジーク ト長調K.574

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より

    前奏曲とフーガ ロ短調BWV869

モーツァルト:アダージョ ロ短調K.540

モーツァルト:ピアノソナタ第17番 ニ長調K.576


ハイドン:ピアノソナタ ト短調Hob.XVI-44

ベートーヴェン:6つのバガテル 作品126

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第31番作品110


 シフは札幌には何度か来札しているが、Kitaraに1997年のオープニングの年にリサイタルを開催して以来、25年ぶりの登場。


 今日はシフ自身のお話付きリサイタルで、プログラムは演奏時に発表。

 開演が15:00、前半終了が16:40頃。20分の休憩後、終演はアンコール含め18:30、3時間半に及ぶ、25年の空白を一挙に埋める長大な演奏会だった。

 シフはKitara所有のベーゼンドルファーの選定者だが、今日のリサイタルは、スタインウェイを選択しての演奏。

 

 冒頭のゴルドベルク変奏曲からのアリアは本人曰く、アンコールとの事。今日は最後の演奏曲目がベートーヴェンのソナタで、アンコールは無し、そのかわりに冒頭で演奏する、ということで、ユーモアたっぷりのオープニングだ。演奏は,それを反映してか、随分気楽な雰囲気。多くのピアニストはこのアリアを、研ぎ澄まされた音色ときめ細かいニュアンスで集中して演奏する例がほとんどだが、シフの演奏は、中間色で何やら民謡でも歌っているような大雑把で楽しげな演奏。

 ところが、一転して次の3声のリチェルカーレは格調高く知的な深みのある演奏で、このギャップが彼の演奏の魅力なのだろうか。このリチェルカーレをチェンバロではなく、ピアノで聴くのは今回が初めて。

 書法は密集系ではなく開離系で、あまり混みいっておらず、かつ技巧的な要素も持っているので、ピアノ向きでもある。シフはその特徴をよく再現した秀演。同じハ短調のモーツァルトの幻想曲は大胆な作風と楽想が、凄みある演奏で伝わってきて、これは素晴らしかった。


 続くフランス組曲は,繰り返しの際に即興的パッセージを入れるなど、作品の明るい性格を反映した陽気で楽しげな演奏。なお、本日の演奏はバッハに限らず、全て繰り返しあり。

 モーツァルトのジークは40小節にも満たない小品だが、シフは以前からこの作品をよく演奏しており、手慣れた、軽やかで軽快な演奏。本人の解説によると、冒頭のテーマは12の音から成立しており、シェーンベルクの12音技法を予感させる未来性を持った作品,ということだそうだ。 

 次のバッハのロ短調のフーガの主題も同様、ということで、続いてロ短調の前奏曲とフーガ。ロ短調ミサ曲との関連性を説明してからの演奏で、特にフーガがどっしりとした重みのある演奏で、感情の起伏の幅が広く明確で、ダイナミックレンジの幅も広く、ピアノという楽器ならではのスケール感ある外向的な演奏。

 続くモーツァルトのロ短調のアダージョも、同様に感情の起伏の幅が広く、しかもバッハも含め、作曲後数百年経っても革新的な作風であることを感じさせ、他の作品群との区分も明確でわかりやすい演奏だった。


 これで休憩かと思ったら、もう一曲、K.576のソナタを演奏。オーストリアのヨーデルのモティーフを使用していて、ドイツとは違う作風だと強調してからの演奏。

 軽やかで、抜群のリズム感で爽やかな雰囲気を演出し、颯爽とした演奏。いい感覚のモーツァルトだった。


 後半はハイドンのピアノソナタから。モーツァルトはオペラのような歌う作曲家であるのに対して、ハイドンは哲学的で語る作曲家だ、と話してから、ト短調のソナタを演奏。前半最後のモーツァルトのソナタが,モーツァルト得意の歌うような作品ではなく、モティーフを組み立てて、対位法的な書法でまとめ上げた作品だったので、その連続であることを言いたかったのだろう、やや饒舌な語り口の演奏で、原曲のイメージとはちょっと違うような気がしたが、演奏は本人の解説の通りの語るような演奏。


 続く6つのバガテルは、ベートーヴェン最後のピアノ曲で、この頃の作品は荘厳ミサ曲や第九交響曲との共通性がある、などと解説しての演奏。楽天的で、やや散文的な雰囲気の演奏で、おそらくシフは、作曲された頃は、健康的で、精神も安定していた状態だったことを言いたかったのかもしれない。


 最後のベートーヴェンのソナタは、健康が回復した喜びも反映されている、と解説があっての演奏。過度に深刻になり過ぎず、基本的には弱音の世界に終始しての演奏。ただし、第2楽章は遅めのテンポで、右手の和音など完全に調和しておらず緊張感がなく、なぜこのような演奏をと、不思議。第3楽章は嘆きの歌からフーガに至り、回復した喜びを表していると言う後半の長調に入る、という一連の流れを見事に再現していた。

 アンコールは弾かない、と言っていたが、熱烈なカーテンコールに応えて、バッハの平均律第1巻から第1番の前奏曲とフーガを演奏。


 プログラム全体を俯瞰すると、調性ごとに個性のはっきりした作品を演奏する、というかなり考え抜かれた、事前にほぼ決定していた内容のような気もする。個人的には、演奏に他の追従を許さない精神的深みを鋭く描く凄さがあると同時に、気楽で、かなりイージーな箇所、粗雑な箇所があり、このアンバランスがシフの感性の中でなぜ生じるのかが、よくわからない。


 本日のスタインウェイの調整はおそらく完璧ではなかったか。ただ、完璧すぎて全体的に響きと音色がまとまり過ぎていてやや窮屈さを感じさせた。もう少し、遊びのある、伸びやかな響きがあってもいいと思ったが、それにしても素晴らしい楽器と調整だった。


 トータルで3時間半で、モーツァルトならオペラ「フィガロの結婚」全幕の鑑賞時間に相当。ほぼ2回分のリサイタルの演奏量で、サービス精神満点。シフの作品に込める深い考えを聴衆に過不足なくしっかりと伝えたい、との意向なのだろう。それにしても、シフから事前に長いプログラムになること程度は予告して欲しかった。

2022/10/26

札幌交響楽団第648回定期演奏会

20221023日 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮 /マティアス・バーメルト

チェロ /佐藤 晴真

ソプラノ/安井 陽子

メゾソプラノ /山下 牧子

テノール /櫻田 

バリトン /甲斐 栄次郎

合唱 /札響合唱団


メンデルスゾーン:序曲「静かな海と楽しい航海」

C. P. E. バッハ:チェロ協奏曲イ長調

ハイドン:ミサ曲ハ長調「戦時のミサ」


 バーメルトは、予定していた8月のhitaru定期に来日できず、今回は久しぶりの定期登場。邦人指揮者からはなかなか感じられない心地よさ、暖かさがあり、また彼ならではの繊細で知的な構成力が感じられた上質の演奏会だった。

 C. P. E. バッハ は札響初演。チェロの佐藤のソロが素晴らしかった。作曲年代は175053年で、「古典派の黎明期を代表する作品」(当日配布プログラム解説より)だが、作風はむしろ前ロマン派とも呼べるもので、古典派のハイドンやモーツァルトとも性格が異なる、強いオリジナリティがある。

 第1楽章は饒舌な作風だが、独奏チェロは均整のとれた表現で、オーケストラとよく調和した演奏。第2楽章はC. P. E. バッハならではの憂鬱で深い情感に満ちた感性が、とても優れたバランス感覚で表現されており,作品の本質を見事に伝えてくれた名演。第3楽章のすっきりとした抜けるような鮮やかな表情も、このチェリストの優れた音楽性をよく表していた。慣例的に、ソリストは通奏低音パートも演奏するようだが、ソロパートだけで充分ではないだろうか。

 この作曲家は、古楽器オーケストラで演奏される機会が多く、今回のようにモダンのオーケストラでの演奏は珍しいかもしれない。今日は8型の小編成で、ヴィブラートを最小限に抑え、明確なアーティキュレーションによる輪郭のはっきりしたスタイルの演奏で、この作曲家の魅力を過不足なく伝えてくれた。これはソリストの佐藤の素晴らしさはもちろん、バーメルトの優れた音楽観によるものだろう。今日のような演奏だと、もう古楽器にこだわることなく鑑賞でき、逆にモダンの楽器の豊かさ、力強さが魅力に感じられたほどだ。

 通奏低音のチェンバロは雄弁で音楽的な良い演奏だったが、今回はホールの楽器でなかったようで、やや硬質の音色だったのが気になった。


 ハイドンのミサ曲は、普段着で教会で祈りを捧げる親しみやすさがあるハイドンならではの大衆性と、しかし同時に極めて難易度の高い芸術性を持った魅力ある作品だ。バーメルトは、この柔和で穏やかだが、芯の強さがあるミサ曲を見事に表現、特にサンクトゥス、ベネディクトゥスと終曲アニュスディに至るドラマティックで,かつ格調高い表現が素晴らしかった。

 この作品は今回が札響初演だが、ハイドンには魅力あるオーケストラ作品が多いにもかかわらず、あまり定期のプログラムには登場しないのは、ちょっと残念。バーメルトにはもっとハイドンを振ってほしい。

 ソリスト4名は全員発声、発音とも明確明瞭で声量も充分。ミサ曲らしい落ち着いた雰囲気の歌い方と、ドラマティックさも同時に持ち合わせていて、申し分なかった。これだけのソリストはなかなか揃わないのでは。

 札響合唱団は久しぶりだが、音楽の輪郭,構成力や、バランス、歌詞の明瞭さなど、定期に相応しい水準だとは思うが、残念ながら全員マスク着用での合唱であるため、実際の声の魅力は本来の姿で演奏されるときまで、楽しみにしておこう。


 他にメンデルスゾーン。繊細な表情がよくコントロールされており、静かな海の情景や航海の様子が目に浮かぶような、情景描写が豊かな秀演だった。



2022/10/13

ヘンデル

ジュリオ・チェーザレ

2022101014:00  新国立劇場オペラパレス


 揮/リナルド・アレッサンドリーニ

演出・衣裳/ロラン・ペリー

 術/シャンタル・トマ

 明/ジョエル・アダム

ドラマトゥルク/アガテ・メリナン

演出補/ローリー・フェルドマン

舞台監督/髙橋尚史


ジュリオ・チェーザレ/マリアンネ・ベアーテ・キーランド

クーリオ/駒田敏章

コルネーリア/加納悦子

セスト/金子美香

クレオパトラ/森谷真理

トロメーオ/藤木大地

アキッラ/ヴィタリ・ユシュマノフ

ニレーノ/村松稔之

合唱指揮/冨平恭平

 唱/新国立劇場合唱団

管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団



   新国立劇場バロック・オペラシリーズ第一弾として2020年に上演予定だったが、コロナ禍で延期、その復活上演。

 オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団で、もちろんモダンピッチ。ただし、通奏低音グループ(チェンバロ、チェロ、テオルボ)は古楽器専門の演奏家が担当。

 歌手はジュリオ・チェーザレ役のマリアンネ・ベアーテ・キーランドが古楽系、その他にカウンターテナーが2名、指揮者は古楽畑で、モダンと古楽の折衷演奏だ。

 古楽器演奏が始まってからほぼ半世紀が過ぎ、演奏者はもう第3世代に入り、今回のように、モダンのオケに古楽器アンサンブルが加わったり、古楽専門の指揮者がモダンオケを指揮することは珍しくなくなった。古楽の演奏レベルが向上し、かつ浸透してきて、モダンと古楽が一緒に演奏しても、お互いに違和感なく多彩な表現が難なくできる時代になった,ということだろう。


 設定は博物館の倉庫で、そこにはエジプトやギリシャの歴史上の人物の彫像や絵画が置いてあり、場面ごとに、それをイメージさせる美術品が登場するという仕掛け。ヘンデルの大きな肖像画も登場し、場内を笑わせた。

 歌手以外に博物館のスタッフが登場し、彼らは美術品の出し入れの他に兵士や悪人の役も兼ねる大活躍をする。ひょっとして彼ら助演グループの動きがこのオペラの成功の鍵を握っていたのかもしれない。

 人の動きを含め、全体的にユーモラスな雰囲気があり、設定そのものは現代であるにも関わらず、よくある深刻ぶった自己満足的な演出要素は全くなく、原作との違和感は全く感じさせない。物語の進行も実にわかりやすい。

 基本的に男女の愛を扱った単純明快なオペラだが、演出は、この愛憎渦巻くエンターティメント的な面白さを、海外の他の演出のようなどきつさを避け、衣装も含め上品な表現でまとめており、視覚的にも美しい箇所が多い。ロラン・ペリーの優れたセンスが伺われ、とても良かった。

 当初は人の動きが固く、レチタティーフの時に、直立して動かない場面も多く、特に第1幕では劇そのものが硬直して見える場合も多かったが、第幕以降は音楽に沿って人の動きがよく流れるようになった。

 

 今日のステージの中心は古楽派とも言える歌手が歌ったチェーザレと、カウンターテナーのトロメーオとニレーノ役。全員技術的にも音楽的にもかなり水準の高い歌手で、申し分ない。アリアは全てABA のダ・カーポアリアだが、ダ・カーポ後に即興的パッセージを加えたりと、かなりきめ細かく、繊細な表現で歌っているのだが、残念ながらホールが広すぎて、せっかくの素敵な表現が、今回鑑賞した3階席では遠く聞こえ、充分伝わってこない。

 モダンの歌手では、クレオパトラ役の森谷真理は、びわ湖ホールでのワーグナーが印象に残っていて、この役は意外でもあったが、今回はバロック的な即興句などの表情、スケール感が中々素敵で、とても器用な歌手であることに感心。ただ、やはり階席では遠く聞こえ、他の歌手グループも同様で、芸術性はとても良かったのにも関わらず、ちょっと残念だった。

 

 指揮のアレッサンドリーニは申し分ない仕上がり。モダンのオーケストラの持つパワーをうまく生かし、通奏低音グループの古楽奏者とも全く違和感を感じさせず、見事にまとめ上げた上演で、今の時代に相応しいバロックオペラとも言える。3階席では、低弦がやや棒読み風に聴こえた以外は、響きがきれいで、かつ明快な表現で楽しめた。


 いつもながら舞台設定,装置のスケール感は素晴らしかったが、贅沢を言えば、中ホールで、バロックオペラならではの繊細な音楽表現に徹した演奏で鑑賞したかった。

2022/10/09

 23代札幌コンサートホール専属オルガニスト

ヤニス・デュボワ デビューリサイタル


202210814:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


オルガン/ヤニス・デュボワ

    (第23代札幌コンサートホール専属オルガニスト)


J.S.バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV542

メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ ニ短調 作品65-6

ブラームス:前奏曲とフーガ ト短調

デュリュフレ:アランの名による前奏曲とフーガ 作品7

J.アラン:幻想曲 1 JA72、第2 JA117

トゥルヌミール:神秘のオルガン「精霊降臨節」作品57 35

        聖母被昇天より第5楽章 パラフレーズ・カリヨン




 第23代目はリヨン国立高等音楽院で学んだフランス人。骨格のしっかりした音楽と重量感のある音を出し、楽器を響かせる優れたテクニックを持っている。

 歴代のKitaraの専属オルガニストは、オルガニストにより音色は異なるが、ほぼ全員が楽器を美しく響かせるテクニックを持っており、これはオルガニストの場合、とても重要な要素だ。Kitaraでは常に本当のオルガンの響きを聴けることは実に素晴らしい。


 デビューリサイタルということもあり、かなり緊張していたようだ。特に前半のプログラムで、力んでいたのか、鍵盤を弾くノイズや、オルガンの響きがやや硬く聞こえてくるところがあったにせよ、プログラム全体からは、前任者のニコラ・プロカッチーニとは対象的な、力感溢れる硬派のオルガニストという印象を受けた。

 冒頭のバッハでは作品の資質剛健な雰囲気が良く表現されていたが、フレーズ、アーティキュレーションなど、細かい表情が十分表現しきれないまま流れてしまうところがあったのは惜しい。

 メンデルスゾーンは、楽章ごとの音楽的な対比などもう少しわかりやすく演奏して欲しかったが、次第に場内の雰囲気に慣れてきたのか、このオルガニストの優れた音楽性の一端が伺われ、好演。


 後半は緊張もかなりほぐれてきたようだ。フランスの作品は,やはり自国の言葉で語れる心強さがあるのか、表現に次第にゆとりと柔軟性が出てきた。作品の個性がよく描かれており、特にアランとトゥルヌミールが好演。

 アランは、硬質ながらも、何処か革新性を感じさせる今までにはない新しさのある演奏で、意外にも藤倉大など、日本人の現代作品との共通性を感じさせるところがあり、これはとても面白かった。

 最後のトゥルヌミールは、恐らく即興演奏を楽譜に書き留めた作品だと思われるが、即興性よりは全体の構成を捉えた骨組みのしっかりした演奏。1930年前後の作品で、これを含めた一連のオルガン作品は「メシアンの前身と見なすことができ(当日配布プログラムの演奏者本人の解説)」、作品に内蔵された、全く古さを感じさせない現代的な発想が見事に表現された好演だった。オルガンの響きが次第にホールに馴染んできたようで、響きも充実していた。


 アンコールにバッハの「オルガン協奏曲 イ短調 BWV593より 1楽章」。緊張も解け、力が抜けて、オルガンが自然な響きを奏で、柔らかい上質の響きが場内に広がり、この日の演奏の中では音楽的にも最も優れた内容だった。

 今日はかなり緊張していたようだが、そういう状況でも、演奏はミスが少なく、作品に対する真摯な取り組み方が感じられ、作品の骨格をしっかりと表現できるオルガニストのようだ。今後の活躍を大いに期待しよう。


 

2022/10/04

 ロンドン交響楽団

202210月3日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/サー・サイモン・ラトル

管弦楽/ロンドン交響楽団


シベリウス:交響詩「大洋の女神」作品73

      交響詩「タピオラ」作品112

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107B-G.コールス校訂版)


      
 ロンドン交響楽団は 、1990年の第1回PMFオープニングコンサートにバーンスタインの指揮で札幌に登場、以後PMFには94年とKitaraオープン後の97年に、それ以降ではKitara主催で2000年にロストロポーヴィッチ、03年にデービス、08年にゲルギエフと来札しており、今回はそれ以来実に14年ぶりの公演。札幌の聴衆には馴染み深いオーケストラだ。

 ラトルは1998年にバーミンガム市立、2004年ベルリンフィルと来札。今回は3回目のKitara 登場。


 オーケストラは、コントラバス奏者8名がステージ正面最上段に横一列にずらりと並び、壮観。その前に金管楽器群が同じくほぼ横一列、その前に、木管群。ヴァイオリンは上手・下手の両サイドにヴィオラ,チェロを挟むように配置。

 3階LC2列目で聴いた限りでは、低弦が力強く全体を包み込み、響きがまとまって聴こえたが、クリアに響く金管楽器群に対し、弦楽器がやや弱い印象。とは言え、柔らかく、ホール全体に広がる透き通った響きと美しいハーモニーは以前と変わらず、ヨーロッパのオーケストラならではの良質の音だ。


 やはりメインは後半のブルックナー。B-G.コールス校訂による現在進行中の新しいブルックナー全集に基づく演奏だが、このスコアはまだ見たことがなく、詳細は不詳。

 今日演奏で確かめることができたのは、第1楽章では、114小節の3拍目から8小節間、コントラバスが8分音符(ノヴァーク版では4分音符)で演奏。

 第2楽章では177小節のティンパニとシンバル、トライアングルの扱いがノヴァーク版と同じ(ハース版ではこれら打楽器が無い)、ノヴァーク版で216小節3拍目から始まる弦楽器のピッチカートが、217小節目3拍目からに変更されており、これはハース版と同じ。

 この程度しか確認できなかったが、要するに、当然、ノヴァーク版やハース版とは違う校訂譜のようだ。これらが全て自筆譜等に基づく正しい記譜かどうかはわからない。いずれにせよ、この交響曲第番に限って言えば、第2楽章の打楽器の扱いなど細部の変更はあるにしても、大枠は変わらないようで、演奏する版によって大きく作品観が変わってしまうほどの違いはなさそうだ。

 

 ラトルの指揮はオーケストラを大きくドライヴし、振幅の大きいスケール感溢れるダイナミックなスタイルで、よく歌い込まれ、もちろん繊細な表情も過不足ない。田舎風でもなく、都会風でもゲルマン風でもなく、少々捉えにくい表現ではあったが、全体的に作曲された当時の時代背景を感じさせる、表情豊かでロマンティックな演奏だ。特に、金管楽器群のよくコントロールされた、オルガンをイメージさせる響きは、豊かな残響を誇るこのホール以外では味わうことのできないものだろう。

 第1楽章、第2楽章が繊細かつ彫りの深い表現で出色の出来。ただ、オーケストラはここでエネルギーを使い果たしたのか、第3楽章以降で管楽器群にミスが連発したり、弦楽器がややラフになったりと、このクラスの来日オーケストラ公演では珍しいハプニングが連続し、意外だった。

 後半はラトルがオーケストラを強引にドライヴし過ぎたようだ。ラトルがかつてシェフを勤めたベルリン・フィルであれば、全て完璧に答えてくれたのかもしれない。


 前半のシベリウス2曲はきめ細かく、美しく仕上げられており、これはこのオーケストラならではの素晴らしさ。息使いが自然で,作品の魅力がよく表現されていたのではないか。後半のブルックナーよりは、オーケストラの個性がよく引き出されていて、好演だった。