2022/06/28

札幌交響楽団 646回定期演奏会

2022 62613:00 札幌コンサートホール Kitara大ホール


指揮・ヴァイオリン /ドミトリー・シトコヴェツキー

管弦楽 札幌交響楽団


J. S. バッハ(シトコヴェツキー編) :ゴルトベルク変奏曲(弦楽合奏版)

チャイコフスキー:白鳥の湖 組曲



 ゴルドベルク変奏曲の弦楽合奏版は札響初演。この変奏曲は周知のように、最初と最後に変奏の主題となるバス主題を伴うサラバンド風の美しい主題が置かれ、変奏は曲でひとつのグループを形成し、それが10グループで構成された合計30曲の変奏曲となっている。

 3曲グループは、舞曲やフゲッタ、序曲、装飾豊かな緩徐曲からなる自由変奏、2段鍵盤チェンバロの機能を駆使した技巧的な変奏次第に模倣の音程が拡大していく声カノンから形成されている。

 このうち、自由変奏と声カノンは弦楽器用に編曲しても違和感がないが、鍵盤楽器特有の技巧的変奏曲がどのように表現されるかが、この編曲のキーポイントだろう。

 その点で最も成功していたのが第23変奏。猫とネズミの追っかけっこのようなユーモラスな様子が見事に表現され、特に厳格な上行音型(後半は下降音型)に、合いの手で絡まる32分音符の音型がすっきりとはまっており、オーケストラも熱演。

 そのほかにもトゥッティで開始し、その後ソロで対話するなど編曲に様々な工夫があって面白かったが、いくつかの変奏では技術的な要素が反映し切れてなかったものもあった。

 自由変奏では第1325変奏での緩徐楽章が弦楽器ならではの美しさが感じられ、これはきれいだった。声のカノンは鍵盤楽器では聴きにくい各声部の進行がよくわかり、これも弦楽合奏ならではの楽しみ。

 全体の折り返しとなる第16変奏のフランス風序曲が華麗さ、力強さにやや欠けていたのが惜しい。

 全体を通して、大活躍だった第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの各首席の優れたテクニックと高い音楽性に拍手。通奏低音を弾いたチェンバロのプロカッチーニの自由自在な即興も素晴らしかった。

 ソロと指揮のシトコヴェツキーは好演だが、編曲そのものは弦楽三重奏版がベースで、オーケストラ版ならではの強いオリジナリティをあまり感じさせない。演奏はバランスの取れた上質の響きがして、団員の自主性を引き出した聞き応えのある内容だったが、バッハの究極の鍵盤音楽ゆえ、この作品を弦楽合奏だけで表現するには、もう少し緻密な指示で意志統一を図り、編曲者の意図をもっと強く伝てくれると、より楽しめた演奏になったのではないか。


 後半のチャイコフスキーは、定期に登場するのは60年振りだそうだ。前半出番がなかったためか、疲れを感じさせない生き生きとした管楽器群とゴルドベルクの緊張感から解放され、伸び伸びとした弦楽器群が、充実した響きを生み出した快演。

 この作品はもう481回(当日配布プログラムによる)も演奏しているだけあって、アンサンブルと音楽は練れており、指揮者はテンポとポイントとなる箇所を指示しているだけのようだ。あとはオーケストラにお任せのような雰囲気。

 やや硬質だが、情緒に溺れることなく、とてもスマートな演奏。技術的にも音楽的にも充実し、安定し落ち着いたチャイコフスキーで、札響の優れたバランス能力の高さが存分に発揮された、とても楽しめた演奏。コンサートマスターは会田莉凡。チャイコフスキーでのソロが、豊かな音色でとても素敵だった。

2022/06/19

 hitaruのひととき ~尾高忠明 presents 

偉大なる英国の巨匠たち


202261814:00  札幌文化芸術劇場 hitaru


指揮:尾高忠明

管弦楽:札幌交響楽団


ウォルトン:戴冠行進曲「王冠」

ヴォーン・ウィリアムズ:「グリーンスリーヴス」による幻想曲

エルガー:弦楽セレナード ホ短調 Op.20

ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」より 4つの海の間奏曲 Op.33a

ヴォーン・ウィリアムズ:トマス・タリスの主題による幻想曲

ディーリアス:歌劇「村のロメオとジュリエット」より 楽園への道

エルガー:行進曲「威風堂々」Op.39より 4番、第1



  尾高得意のオール英国プログラム。いいコンサートだった。尾高が音楽監督時代の札響定期公演で、似たようなプログラムを何度か聴いたことはあるが、これだけ英国音楽の魅力をたっぷりと紹介してくれた充実した内容のコンサートは初めて。


 札幌は今日から暑くなり、汗ばむ気温だったが、演奏会は上品で垢抜けており、避暑地に滞在しているかのように暑さを忘れさせる好演だった。

 今日聴いた英国音楽はとても魅力的。しつこくなく、鬱陶しさもなく、かと言って物足りなさがあるわけでもない。聴き手を落ち着かせる不思議な力がある。節度ある品位があり、これは英国音楽を熟知した尾高ならではの選曲と演奏のためだろう。


 今日はオーケストラの響きがとても良かった。柔らかく、音色はきれいで、弦と管楽器のバランス、ピッチがいい。時々この劇場で感じるバランスの悪い居心地のなさは全くない(ただし、この劇場は場所によって大きく印象が異なる。今回は1階22列上手寄り)

 これらを導き出したのは尾高の指揮これだけ上質の演奏は定期でもなかなか聴けないし、国内でもトップクラスの演奏会ではなかったか。


 ウォルトンは冒頭にふさわしく華麗な作風。ジョージ六世(エリザベス女王の父君だそうだ)の戴冠式のための作品ということもあって、適度な品位を感じさせ、いたずらに派手にならない。格調の高さを崩さない尾高の音楽造りはさすがだ。

 

 ヴォーン・ウィリアムスの「グリーンスリーブスによる幻想曲」はフルートの秀逸なソロと美しい弦の響きが素晴らしい。

 エルガーの弦楽セレナードは素敵な演奏で、特に第2楽章のラルゲットが名演。美しい、心に染み入るメロディーが、すっきりと垢抜けた感覚で歌われていた。この弦の響きの美しさは、他の日本のオーケストラからは聴けない札響ならではの音だ。この作品の良さはライブで聴かないとわからないだろう。クラシック音楽の中の名曲だ。


 ブリテンは、さすがに出てくる音に底力があって、大作曲家の貫禄充分。今日のプログラムの中では多様な表情を持つ、際立って色彩感のある音楽だ。比較的遅めのテンポで様々な情景を繊細に、かつ大胆に描いた尾高の指揮が光る。1990年、第1回PMFの開幕コンサート(北海道厚生年金会館)で、バーンスタインとロンドン交響楽団がこの作品を演奏したのを思い出すが、あの時より親しみがあり、多彩な表情が感じられたような気がする。


 ヴォーン・ウィリアムズのトマス・タリスの主題による幻想曲は弦楽器グループが金管楽器のポジションに座るなど、ユニークな配列が特徴だが、記憶に間違いなければ、Kitaraでも一度この組み合わせで聴いたことがある。Kitaraの方が立体感があったように思うが、音楽の完成度、密度の濃さは今回の方が良かった。

 ディーリアスはとてもきれいだった。もちろん、ただきれいだけではなく、様々な心理状況、情景を静かに振り返るように、上質の音、響きで表現されており、これは名演。


 エルガーの威風堂々は初めてライブで聴く第4番と有名な第1番。第4番は楽曲構成は第1番とほとんど同じ。作品自体はやや平板ではあるが、コンサートピースというよりは、何か祝典のイヴェントの中で演奏されることを考えると、なかなか面白そうな作品だ。

 有名な第1番は、遅めのテンポで堂々とまとめ上げたシンフォニックな演奏。いろいろなところで数えきれないほど聴いてきたが、これほど重厚に演奏されたのを聴くのは初めてだ。

 コンサートマスターは田島高宏。

 

 曲間に尾高のユーモアあるトークがあり、英国音楽に関するいろいろなエピソードなど作品への理解度をより深める楽しい、ベテランならではの内容だった。

2022/06/13

 Kitaraアフタヌーンコンサート>

そよ風のバロック

~ヴァイオリン&チェンバロの音色にのせて~


202261214:00  札幌コンサートホールKitara小ホール


バロック・ヴァイオリン/若松 夏美
チェンバロ/ニコラ・プロカッチーニ

     (第22代札幌コンサートホール専属オルガニスト)


J.S.バッハ

ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ 

                      第1 ロ短調BWV1014


平均律クラヴィーア曲集 1巻より プレリュードとフーガ 8

                         変ホ短調 BWV853


ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023


ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ 

                             3 ホ長調 BWV1016



    若松夏美はKitaraには何度も来演しており、札幌のファンにはお馴染み。昨年11月には(20211123)バッハ・コレギウム・ジャパン公演で来札。ブランデンブルグ協奏曲で名演を披露してくれたのは記憶に新しいが、小ホールでじっくりとソロを弾くのはおそらく初めて。

 日本のみならず世界の古楽界の第一線で活躍しているだけに、安定感、表現力は素晴らしい。いつものように、柔らかくて、しなやかな表情が魅力的。


 今日のチェンバロ(ホール所有のミートケ・モデル)は響きがまろやかで聴きやすかった。よく弾きこまれていた音で、状態はいいようだ。プロカッチーニはオルガン同様、チェンバロでも、よく響くふくよかな音を出すので、特に今日のようなアンサンブルでは、相手を邪魔することなく、いいバランスで聴こえてくる。

 冒頭のロ短調ソナタのアダージョから、表情豊かな美しい音色で聴衆を魅了し、全体的に彼の感性の豊かさが伝わってきたいい演奏だった。


 今回は作品によって若松が演奏位置を移動。オブリガート・チェンバロのためのソナタは上手側でチェンバロのテール寄りで演奏し、通奏低音のためのソナタは下手側チェンバロ奏者のすぐ近くで演奏。前者の場合は2人がソリスティックに、後者の場合はより一体感のあるアンサンブルに聴こえ、この対比は面白かった。個人的には、後者の方がここの小ホールは、よく響き、客席では聴きやすいと思う。


 バッハのヴァイオリンソナタは名作だが、意外と演奏機会が少なく、今回のように2曲まとめて聴けるのは珍しい。ひょっとするとKitara初演かもしれない。

 2曲共に緩・急・緩・急の4楽章構成で、前半の2つの楽章と後半の2つの楽章はそれぞれ共通のモティーフで作曲され、統一感を出している。ライブで聴くと、アンサンブルの書法は実に見事で、一瞬の隙も許さない厳しさと、両者の対話が生み出す立体感の素晴らしさがよくわかる。一筋縄では行かない、かなりの難曲で、今日のように名手が2人揃わないと演奏できない作品だ。


 最後の第番が特に良かった。ヴァイオリンもチェンバロも会場の響きに馴染んできて、音がスッと通るようになり、2人の対話にも余裕がでてきたようだ。若松の伸びやかな表情とプロカッチーニの歯切れ良いリズム感とが一つとなって、心地よいアンサンブルの世界を創出。バッハのきめ細かい書法がよく反映された演奏で、第1楽章の推進力のある幅広い表情、第2楽章の歯切れの良い、両者の声部の対話の鮮やかさ、第楽章の、メロディと伴奏のように単純に見せかけながらも実は密度の濃いアンサンブル(時代を先取りしたユニークな楽章だ)、第4楽章の3声部の見事な対話など、この作品の醍醐味を味わうことが出来た名演だ。

 同じオブリガート・ソナタ第1番は、冒頭ということでやや硬さがあったにせよ、2人の優れた表現力による高度なアンサンブルで、好演だった。


 通奏低音のためのソナタでは、若松の溌剌とした伸びやかな表情と、プロカッチーニのふくよかで生き生きとした、即興演奏が見事。2人ともオブリガート・ソナタと違い、楽譜にとらわれない、より自由な感性が発揮された一体感のある濃密な演奏で、これは楽しかった。個人的には、演奏ポジションはこちらの方がいいと思う。


 チェンバロソロは、調性を他の3曲と合わせて統一感を出そうと、オリジナルの変ホ短調から全てのフラット記号を省いた調性(ホ短調)に移調して演奏したようだ。和声が綺麗すぎて、オリジナルの調性の底力がある迫力に欠けたような気がするが、それを除けば、前奏曲が即興的雰囲気がよく表現されていて良かった。


 アンコールが2曲。ジェミニアーニのヴァイオリン・ソナタ イ短調 作品4-5 より楽章 アンダンテと、J.S.バッハのヴァイオリン・ソナタ ト長調 BWV1021 より第1楽章 アダージョ。


 Kitaraホームページでも演奏者2人の写真が紹介されていたが、若松夏美の衣装が素敵。ステージ映えがし、今日のプログラムにふさわしい雰囲気が出ていて、印象に残った。


 場内は満席で補助席が出るほど。日曜のお昼で、一時間の短い、しかも名手によるバッハのコンサート、ということで人気があったようだ。

Kitaraならではのとてもいい内容のコンサートだった。

2022/06/07

 ダネル弦楽四重奏団 


202264日、5日 両日とも15:00  

 札幌コンサートホールKitara小ホール


ダネル弦楽四重奏団
 ヴァイオリン/マルク・ダネル、ジル・ミレ
 ヴィオラ/ヴラッド・ボグダナス
 チェロ/ヨヴァン・マルコヴィッチ


プログラム

4

First and Foremost~何よりも先ずは】
ハイドン:弦楽四重奏曲 1 変ロ長調    

    「狩」 作品1-1 Hob.III:1
ブラームス:弦楽四重奏曲 1 ハ短調 

      作品51-1
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 1 

         ニ長調 作品11

プレトーク お話/千葉 潤

        (札幌大谷大学学長)


65

【ロシアの作曲家たち】

ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 4    

          ニ長調 作品83

アウエルバッハ:弦楽四重奏曲 5 

「アルコノストの歌(Songs of  Alkonost)」   《アジア初演》

ヴァインベルク:弦楽四重奏曲 7 ハ長調 

        作品59

プレトーク マルク・ダネル、千葉 潤


 2005年札幌コンサートホールが初めて招聘し、来札。今回は2019年以来、年ぶりの公演で、9回目の来札。古典から現代まで幅広いレパートリーを持ち、札幌でも数多い名演を披露してきた。それだけではなく、小学校や大学などへのアウトリーチ活動も積極的に行ってきた。


 マルク・ダネルのアクティブで、しかも表情豊かに歌い込まれた演奏が中心に展開されるカルテットだが、内声を担当するセカンド・ヴァイオリンのジル・ミレ、ヴィオラのヴラッド・ボグダナスの安定感が素晴らしい。オーケストラでもそうだが、内声部が充実していると、音が厚く、音楽的にも充実して聴こえてくる。チェロのヨヴァン・マルコヴィッチはいつもバランスの良い演奏をし、飛び出ることもなく、隠れて聴こえなくなることもなく、中庸の演奏で、主張がないようである、というカルテット奏者としては理想的存在だ。

 今回は、4人それぞれの個性が以前より一層強く明確に主張されるようになり、それらが内面的調和を保ちながら大きな一つの音楽を生み出すように変貌してきたように思う。

 

 5日の公演が秀演。Kitara小ホールでの25年の歴史の中でも語り継がれるべき名演だ。特にアウエルバッハが素晴らしかった。作品はアジア初演。

「アルコノスト」とは女性の顔をした鳥で、その歌声を耳にした者は全てを忘れ、魂が体から抜けていくという(当日配布プログラム解説より)。手元にスコアがないので想像でしかないが、おそらくこれに関する何かストーリーを持った作品なのだろう、鳥が羽ばたく様子など色々な情景描写の表現などがあったように思う。

 無調だが、このような何か想像力を働きかけるロマン性があり、けっして無機質にならず、ある民族が持つ悲惨な歴史を感じさせ、長いヨーロッパ音楽の伝統上に立脚した感性が感じられる魅力的な作品だ。

 これほど作品を身近に感じさせたダネルカルテットの演奏が凄い。

各パートの高い表現能力、深い音楽性、緻密で求心的なアンサンブルと表現、緊張感に満ちていながらも、情緒豊かな歌に満ちており、最後まで聴き手を惹きつけてやまなかった。この演奏でなければ、これほど魅せられた作品にはならなかったであろう。なお、アウエルバッハは2009年にPMFのコンポーザ・イン・レジデンスを務めている。


 同じ5日に演奏されたショスタコーヴィッチとヴァインベルクも名演。やはり彼らのレパートリーの中心でもあり、かなり弾き込まれていて、熟成した音楽だ。2人がお互いに影響しあって作曲を続けていたことが伝わってきたし、特にヴァインベルクでの繊細で透き通った表情や、心を深く抉られるような悲痛な表現、ヴィオラの見事なソロなどからは、今までのダネルカルテットからは聴かれなかった精神的な深さを感じさせ、このカルテットが音楽的にも技術的にも常に進歩していることを示してくれた。


 ショスタコーヴィッチは一瞬たりとも停滞することのない隙のない演奏で、特に続けて演奏された後半の二つの楽章でのチェロの力強い表現が秀逸。この日のプログラムは、ショスタコーヴィッチと2人の現代ロシア楽派の作品、それとユダヤ音楽という重いテーマだったが、音楽芸術の存在の在り方を優れた演奏で示してくれた意義深いコンサートでもあった。(アンコールにショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲より第6番第2楽章、第1番より第2楽章)


 4日のハイドンは室内楽というよりは室内オーケストラを想せるスケール感ある演奏。千葉氏の事前レクチャーにあったように、まだ弦楽四重奏という形式が完成する前の作品で、バロック時代からの室内オーケストラを継承しているような演奏で、歴史の背景が見えてきた演奏だった。マルクのアダージョの歌い方など、以前に増してより深く豊かになってきたが、それを他の三人が冷静に支えているのはいつもの風景。この対照もまたこのカルテットを聴く楽しみだ。終楽章のアクティブな楽章など推進力とダイナミックさのある演奏はこのカルテットならでは。


 ブラームスは濃厚で、若き作曲家の熱い想いがこれでもか、と伝わってきた演奏。これだけのスケール感を感じさせる演奏はそうあるものではない。メンバー全員がドイツ系ではない、という彼等の持つ血の濃さが強烈に伝わって来て(逆に言えば、彼等の出自がダイレクトに感じられるのがまた彼等の魅力でもあるが)、違和感を感じるところもあったが、豊穣な響きで伝わってくる熱いメッセージは圧倒的で、素晴らしかった。

 チャイコフスキーはすっきりしていて、チャイコフスキーらしい情緒性が良質の響きで聴こえてきて良かった。特に第2楽章のマルクの静かで、淡々と、しかし、繊細で情緒豊かな表現と、それらを支えていく他の名の絶妙なバランスと作り上げていく透明なハーモニーは、このカルテットならではの魅力だ。


 アンコールのショスタコーヴィッチ(弦楽四重奏曲第1番より、第4楽章と第1楽章)が素敵だった。作曲家の迸る才能がよく表現されていた名演で、翌日の演奏会への期待度が高まる演奏だった。


 なお、両日とも千葉潤氏のプレトークがあり、初日のトークは演奏会への興味と期待を高めるとてもいい内容のもの。2日目のマルクの話は、ロシアとウクライナの戦争と芸術の関係を、演奏家としてこの問題をどう捉えているかを過去の例を挙げながら明確に語っていたのが印象的だった。