hitaruのひととき ~尾高忠明 presents
偉大なる英国の巨匠たち
2022年6月18日14:00 札幌文化芸術劇場 hitaru
指揮:尾高忠明
管弦楽:札幌交響楽団
ウォルトン:戴冠行進曲「王冠」
ヴォーン・ウィリアムズ:「グリーンスリーヴス」による幻想曲
エルガー:弦楽セレナード ホ短調 Op.20
ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」より 4つの海の間奏曲 Op.33a
ヴォーン・ウィリアムズ:トマス・タリスの主題による幻想曲
ディーリアス:歌劇「村のロメオとジュリエット」より 楽園への道
エルガー:行進曲「威風堂々」Op.39より 第4番、第1番
尾高得意のオール英国プログラム。いいコンサートだった。尾高が音楽監督時代の札響定期公演で、似たようなプログラムを何度か聴いたことはあるが、これだけ英国音楽の魅力をたっぷりと紹介してくれた充実した内容のコンサートは初めて。
札幌は今日から暑くなり、汗ばむ気温だったが、演奏会は上品で垢抜けており、避暑地に滞在しているかのように暑さを忘れさせる好演だった。
今日聴いた英国音楽はとても魅力的。しつこくなく、鬱陶しさもなく、かと言って物足りなさがあるわけでもない。聴き手を落ち着かせる不思議な力がある。節度ある品位があり、これは英国音楽を熟知した尾高ならではの選曲と演奏のためだろう。
今日はオーケストラの響きがとても良かった。柔らかく、音色はきれいで、弦と管楽器のバランス、ピッチがいい。時々この劇場で感じるバランスの悪い居心地のなさは全くない(ただし、この劇場は場所によって大きく印象が異なる。今回は1階22列上手寄り)。
これらを導き出したのは尾高の指揮。これだけ上質の演奏は定期でもなかなか聴けないし、国内でもトップクラスの演奏会ではなかったか。
ウォルトンは冒頭にふさわしく華麗な作風。ジョージ六世(エリザベス女王の父君だそうだ)の戴冠式のための作品ということもあって、適度な品位を感じさせ、いたずらに派手にならない。格調の高さを崩さない尾高の音楽造りはさすがだ。
ヴォーン・ウィリアムスの「グリーンスリーブスによる幻想曲」はフルートの秀逸なソロと美しい弦の響きが素晴らしい。
エルガーの弦楽セレナードは素敵な演奏で、特に第2楽章のラルゲットが名演。美しい、心に染み入るメロディーが、すっきりと垢抜けた感覚で歌われていた。この弦の響きの美しさは、他の日本のオーケストラからは聴けない札響ならではの音だ。この作品の良さはライブで聴かないとわからないだろう。クラシック音楽の中の名曲だ。
ブリテンは、さすがに出てくる音に底力があって、大作曲家の貫禄充分。今日のプログラムの中では多様な表情を持つ、際立って色彩感のある音楽だ。比較的遅めのテンポで様々な情景を繊細に、かつ大胆に描いた尾高の指揮が光る。1990年、第1回PMFの開幕コンサート(北海道厚生年金会館)で、バーンスタインとロンドン交響楽団がこの作品を演奏したのを思い出すが、あの時より親しみがあり、多彩な表情が感じられたような気がする。
ヴォーン・ウィリアムズのトマス・タリスの主題による幻想曲は弦楽器グループが金管楽器のポジションに座るなど、ユニークな配列が特徴だが、記憶に間違いなければ、Kitaraでも一度この組み合わせで聴いたことがある。Kitaraの方が立体感があったように思うが、音楽の完成度、密度の濃さは今回の方が良かった。
ディーリアスはとてもきれいだった。もちろん、ただきれいだけではなく、様々な心理状況、情景を静かに振り返るように、上質の音、響きで表現されており、これは名演。
エルガーの威風堂々は初めてライブで聴く第4番と有名な第1番。第4番は楽曲構成は第1番とほとんど同じ。作品自体はやや平板ではあるが、コンサートピースというよりは、何か祝典のイヴェントの中で演奏されることを考えると、なかなか面白そうな作品だ。
有名な第1番は、遅めのテンポで堂々とまとめ上げたシンフォニックな演奏。いろいろなところで数えきれないほど聴いてきたが、これほど重厚に演奏されたのを聴くのは初めてだ。
コンサートマスターは田島高宏。
曲間に尾高のユーモアあるトークがあり、英国音楽に関するいろいろなエピソードなど作品への理解度をより深める楽しい、ベテランならではの内容だった。
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