2022/07/23

 PMFホストシティオーケストラ演奏会

2022年7月22日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/ケン=デイヴィット・マズア

(写真©Beth Ross Buckley、PMFホームページより転載)

ファゴット/ダニエル・マツカワ
管弦楽/札幌交響楽団(PMFホストシティ・オーケストラ)
ゲストコンサートマスター/ライナー・キュッヒル


ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 作品56a
モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K. 191
シューマン:交響曲 第4 ニ短調 作品1201841年初稿版)


 2022年のPMFが開幕し、今年は2年ぶりに海外からアカデミー生や教授陣を招いての開催。久しぶりに活気のある札幌の夏となった。

 今日の指揮者はケン=デイヴィッド・マズア。PMFによると客演指揮者として参加、オープニングコンサートも振っている。1977年ライプツィヒ生まれ。父親は言うまでもなくクルト・マズア。
 ちなみにクルトはフランス国立管弦楽団を率て、2004年4月22 にKitara大ホールで、ムソルグスキー の組曲 「展覧会の絵」 (ゴルチャコフ編曲、ブラームス交響曲第4番他を演奏している。

 年月は過ぎ、約20年後に息子が同じ舞台に登場。年齢的には中堅で、アメリカを中心に活躍しており、その指揮ぶりは、今日のプログラムの選択からも想像できるように、手堅く質実剛健で、父親を想起させる。   

 後半のシューマンが良かった。全体を大きく捉え、同時に細部の表現も的確で申し分ない。流麗でも、華麗でもないが、骨太で輪郭のはっきりとしたシューマンで、この掴みづらい作品を、見事にまとめ上げた演奏だった。

 ゲストコンサートマスターのキュッヒルの、切り込みの鋭いリードが鮮やかで、この演奏を成功させた立役者。彼だけ飛び出て聴こえてくることもあり、札響の弦楽器セクションとの統一感に多少の違和感があったが、これはもう少しリハーサル時間があれば、もっと一体感が生まれてきたのでは、とも思われ、惜しまれる。


 冒頭のブラームスは、主題が管楽器と低弦を見事にコントロールしながら重厚にまとめ上げていたので、期待したが、第一変奏からの弦楽器群、特にヴァイオリンが意外に響かず、この変奏曲の、いわばリズム変奏的な面白さが充分伝わって来ず、ちょっと残念。最後まで弦楽器の響きが抜けてこず、これは指揮者も想定外か。


 モーツァルトは冒頭こそ不安だったが、第一楽章半ばごろから、弦楽器が美しく響き始め、それからオケの演奏が良くなった気がする。

 ファゴットのソリスト、ダニエル・マツカワは好演。淀みなく、幅広い音域を洗練された音色で統一して演奏。節度ある歌い方と表情で、申し分なかった。第二楽章での美しい表情、第三楽章での華やかな技巧など、この作品の魅力を余すところなく伝えてくれた。

 オケとのバランスが良く、これは指揮者のセンスの良さが現れていた。弦楽器の歌い方など、もう少し統一感があるとよかったが、これもリハーサル時間がちょっと足りなかったためか。


 キュッヒルのコンサートマスターとしてのマナーはさすが一級品。後半、シューマンの前に、拍手に答え、全員立って挨拶をしてから指揮者を迎え演奏を始めるなど、聴衆に対しての気配りはなかなか素敵だ。この辺は札響も真似をして欲しい。

2022/07/14

 オルガン プロムナード コンサート


2022年7月7日12:15 サントリーホール


オルガン/ニコラ・プロカッチーニ 


J. S. バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV 541

モーツァルト:「ああお母さん、あなたに申しましょう」による

         12の変奏曲(きらきら星変奏曲)K. 265 (300e)

プロカッチーニ:「たなばたさま」の歌による即興演奏

ヴィエルヌ:24の幻想曲集 組曲第3 作品54 より

        6曲「ウェストミンスターの鐘」


 Kitara専属オルガニストのサントリーホール公演。

 ビジター公演の場合、当地のオルガンに慣れるためにかなりの練習時間が必要。そのハンディを考慮すると、今日のニコラは好演だったのでは。

 サントリーホールのオルガンはリーガー社(オーストリア)の制作。4段鍵盤で、パイプ(5898本)やストップ(74)の数ではKitaraより一回り大きい。

 音色は渋めで、個々の音色の美しさよりは、レジストレーションの妙、ミックスした音色を味わうオルガンだろう。

 札幌と比較すると湿度が高い東京だけに、エアコンが効いているとは言え、やはりサウンドにやや湿気の多い感覚・空気感があるのは否定できない。


 バッハはディテールがやや甘い感じがする演奏だったが、オルガンの響きと聴衆(約6割ほどの来場者か)の入ったホールのマッチングに、ニコラの戸惑いがあったのかもしれない。

 モーツァルトは調子に乗り切れなかったところもあったが、時間の制約のためか、札幌(7月2日、Kitaraのバースデイでも演奏)と違い繰り返しを省略した箇所が多く、あっという間に終了。折角の名曲なので、もう少し楽しみたかったが、残念。

 今日、最も印象に残ったのは、即興演奏。3曲目からステージ上のコンソール(演奏台)で演奏。流麗で、レジストレーションの選択もよく、キラキラ輝く雰囲気も出ていて、とてもきれい。作風もモダン過ぎず、クラシック過ぎず、と中々いい。このオルガニストの抜群のセンスがよく現れた演奏。オルガンの響きも良かった。

 ヴィエルヌは作品全体を見通したスケール感がよく出ており、オルガンの響きも充実していて、いい演奏だった。


 コンソールは、当然、オルガンとコネクトしており、ステージ上で弾いて音は上のオルガンから出る。多少違和感があるが、演奏者の様子をステージ上で見ることができるという利点がある。


 このプロムナードコンサートは入場無料だが、コロナ禍以降は座席指定制。当日券は当日、携帯で申し込み、座席を指定、紙での発券はせずに受付済のメールを見せて入場可。自由に入場できるまでにはまだ時間がかかりそうだ。

2022/07/13

 クロード・アシル・ドビュッシー

ペレアスとメリザンド


2022年7月6日18:30 新国立劇場


 揮/大野和士

 出/ケイティ・ミッチェル


ペレアス/ベルナール・リヒター

メリザンド/カレン・ヴルシュ

ゴロー/ロラン・ナウリ

アルケル/妻屋秀和

ジュヌヴィエーヴ/浜田理恵

イニョルド/前川依子

医師/河野鉄平

合唱指揮/冨平恭平

 唱/新国立劇場合唱団

管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団



 

 新国立劇場での初演。演出はイギリス人のケイティ・ミッチェルで、エクサン・プロヴァンス音楽祭2016年の初演プロジェクト。

 舞台は現代。話題は、メリザンドの心の動きを表現する黙役、ドッペルゲンガーが歌手とは別に1人登場すること。冒頭に、原作にはないシーンで、ドレスアップしたメリザンドが寝室に戻り、ドレスを脱ぎベットに入り夢を見るシーンからこのドラマが始まる。ということで、このオペラは、すべて「メリザンドの夢」という設定だ。

 終幕でメリザンドが小鳥も死なない傷(字幕では「小鳥」が省略されていたのでは)で、ベットに横たわり、臨終を迎えるシーンでは、ベットに横たわるのは黙役で、本物のメリザンドはベットの周囲で謎めいた動きをしながら、歌う。

 最後に、横たわるメリザンドが目覚め、全ては夢だった、ということがわかる。この筋書は、プログラムに掲載されたミッチェル氏のインタビューに詳しい。


 場面は冒頭の寝室のほか、食堂、控えの間(ここでメリザンドは女中に手伝わせ下着姿となり着替えをするなど、大活躍の部屋)、薄汚れた螺旋階段のあるビル(ウェストサイドストーリーに出てきそう)、同じく薄汚れたプールサイド(ペレアスとメリザンドの戯れのシーンはここで)、倉庫、ベランダがある寝室らしき2階の部屋などが登場する。

 元来、日の当たる明るいシーンが極端に少ないオペラだが、この演出では食堂と控えの間(ここだけやたらと明るい)のシーンが明るいだけで、あとは終始薄暗い。舞台転換はさすが新国立劇場、無駄がなくスムーズだ。

 ドッペルゲンガー役のメリザンドの動きがよくわからない。メリザンドの心の動き、夢の中の世界を表しているのだろうが、ただ亡霊のように彷徨うだけで、その動きは一体何を表しているのか。

 ペレアスは頼りなさげな男、ゴローは粗野で嫉妬深く、メリザンドとイニョルドに対して暴力的な振舞いをする男として描かれていて、原作とさほど違和感はない。これらの人物描写や、時代設定はともかく、指輪を落とすシーンや、メリザンドの長い髪にペレアスが絡む戯れのシーンが、どうして薄汚れたプールサイドなのか。全体の流れを見ていてもここだけが、かなり設定に無理があるようで、どのような意味があるのか、理解できない。

 女性の視点からその心理を描いた演出らしいが、場面ごとの描き方や人物の動きが、「夢の論理で動いてながら、現実の世界で起きているようにしなければならなかった(同氏のインタビューより)」ことで、わかりにくく、結果として強調されているのは、男が女に抱く赤裸々な本能の表現や、男女の絡みばかりで(ひょっとして、これがこの演出の目指した視点の一つか?)、これでは不満を持つ観客も多かったのではないか。


 演奏は見事な仕上がりで、オーケストラは申し分なく、また主役級の3人の外国人歌手が素晴らしかった。やや遅めのテンポで、細かく丁寧に仕上げた演奏(18時半開演で1〜3幕上演後30分休憩を一回挟み、45幕上演、終演は22時少し前)で、音楽だけでも聴く価値があった公演だった。

 今回聴いた席は4階中央の最上段。歌手、オーケストラの音がすべて届いてくる音響的には聴きやすい席で、響きはかなり濃厚。演出に合わせたのか、あまりドビュッシーらしくない響きに聴こえてきて、管楽器のソロなど表情、響きがロマンティックに聴こえがち。ドビュッシーより一世代前の時代の音楽のように聴こえ、意外だった。1階席で聴くと全く印象の違う演奏だったかもしれない。

 

 演出が不可解にもかかわらず、最後まで飽きさせなかったのはミッチェルの演出術によるためか。ただ、4階席だと人の動きはともかく、舞台の上部に死角があり、全貌が見通せないことと、当然顔の表情など、細かい仕草はほとんどわからない。

 従って一度観ただけではすべてを理解できない。事前の情報などを元に、あとは各個人が考えて理解をしてください、ということなのだろう。

 他のオペラ団体のプログラムには、演出について詳細に説明してあることが多い。今日のような場合は、インタビュー記事だけではなく、そういう記載があると鑑賞の手引きとなるのではないか?

2022/07/04

 Kitaraのバースデイ


20227215:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール


オルガン/ニコラ・プロカッチーニ

    (第22代札幌コンサートホール専属オルガニスト)
映像・人形演出/沢 則行

 語り、パック/磯貝 圭子

  ハーミア、ピーター/縣 梨恵  

  ヘレナ、スナッグ/会田 優子

  ライサンダー、フランシス/佐藤 

  ディミートリアス、ニック/後藤 克樹


部/オルガン独奏
J.S.
バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV541
モーツァルト:フランスの歌「ああ、お母さん聞いて」による

        12の変奏曲 ハ長調 K.265(きらきら星変奏曲)
バード:ファンシー
ラモー:クラヴザン曲集 3組曲より
     6 ミューズたちの対話
     8 一つ目の巨人
プロカッチーニ:《Kitara》に基づく即興演奏
ヴィエルヌ:「幻想的小品集」より ウェストミンスターの鐘 作品54-6

部/シェイクスピア:『夏の夜の夢』
    

     

 

 プロカッチーニは大オルガンのほかに、ステージ上に並べたポジティフ・オルガンとチェンバロを演奏し、大活躍。

 バッハは流麗な演奏で、レジストレーションのバランスが良く、明瞭かつ程よい音量で聴きやすかった。特に低音部のペダルのより滑らかな表現が印象に残った。

 ペダルはオーバーホール後、いい状態になった。以前は、ペダルを踏んで空気がパイプまで伝わり、音が出るまでのほんのわずかな時間的ロスが気にはなっていたが、それが全く無くなり、聴いていて気持ちがいい。

 モーツァルトは可愛らしい音色のレジストレーション(特に第二鍵盤でのピッコロ?)を効果的に使用し、基本的に各変奏の前半だけを繰り返して演奏。即興的なパッセージを加えたりと、多彩な表情でピアノとはまた違った趣の響きが聴け、面白かった。

 バードはステージ上のポジティフ・オルガンで演奏。対位法的動き、トッカータ風華やかさなどが、明確なアーティキュレーションでくっきりと表現され、作品の全体の輪郭を見事に描いた演奏で、これは名演。

 ラモーはチェンバロで演奏。「ミューズたちの対話」では、柔らかい表情と、かつ不均等リズムで表現に多彩さを与え、よく歌い込まれた上質の演奏。「一つ目の巨人」では速めのテンポで難曲を鮮やかに表現。大ホールでもチェンバロの美しく、豊かな響きを実感でき、これらの楽器をごく当然のように弾きこなしたプロカッチーニの高い演奏技術に感心させられた。

 即興演奏からは再び大オルガン。最初にKitaraに基づくテーマを提示したのちに演奏に入る。古典的な感性による、重厚な響きがするフーガ風の堂々とした即興演奏。音楽の殿堂Kitaraを称えて、というイメージのようだ。和声の厚みや、レジストレーションの使い方にこのオルガニストの優れた感性を感じさせた即興演奏だった。

 最後のヴィエルヌもややくすんだ音色ではあったが、彼らしいよく歌い込まれた安定した演奏。


 後半はシェイクスピアの『夏の夜の夢』 Kitaraのキャッチフレーズによると、「パイプオルガンと人形劇によるファンタジックなシェイクスピア・ファンタジー」。

 これは人形劇とオルガンのコラボレーションというユニークな内容のもの。

 人形劇とは言え、仮面と衣装で着飾った人間がアクティブでダイナミックな演技をする、むしろ仮面劇というイメージ。

 ステージの約割と1階客席ゾーン、ポディウム席をアクティング・エリアとして活用。またLARA ブロック客席に大きなスクリーンを配置し、そこにも映像で劇の進行を投影し、しっかり客席全体をサポートしているので、後方3階席でも十分鑑賞できたのではないか。

 ステージ中央には昇降可能な幕が下がっており、リア打ちで映像を投影し、一方で場面転換に利用するなど、効果的に活用。幕の後ろのステージ上にはオーベロン王を模した、様々なギミックが可能な巨大なフクロウのフィギアが置いてあり、場面ごとに幕が上がって登場し、存在感抜群。

 ミラーボールで場内の照明を鮮やかにしたりと、Kitaraの持つ様々な音響照明機器を駆使し、それらが効果的に反映されていた演出上演だ。

 語りとパックを担当した磯貝圭子が全ての配役を声色を使って表現、これは見事。そのほかの出演者もアクティブで大活躍。

 劇は「夏の夜の夢」をほぼ原作通り再現したもの。原作はやや複雑でわかりにくいが、登場人物のキャラクターを明確に判別できるよう個性的にかつ大胆に描き、劇の進行もシンプルに要点をまとめ上げており、子供達もよく理解できたのでは。Kitaraホームページと配布プログラムには沢自身による子供向け解説とイラストが掲載されていたが、これは大人にも物語を理解する上でためになるわかりやすいもの。

 終始大オルガンで劇音楽を演奏していたプロカッチーニは、場面ごとにその内容を的確に表現し、途切れることなく弾き続け、その即興性に感心。これだけ器用に持続して演奏出来るのは、普通のオルガニストでは難しいだろう。

 劇演出が北海道の大地を想起させるたくましさを感じさせる一方で、オルガン演奏は終始落ち着いた安定感があり、両者が程よく調和して、バランス良いシェイクスピア劇を創出していたのではないだろうか。


 人形劇とのコラボレーションはKitara主催ではおそらく初めての試み。オーソドックスでテーマがしっかりしており、正統的な路線をしっかり辿った立派なものだ。よく散見する、いたずらに目先の面白さだけを求めた短絡的なプログラムだと誰でも作れるが、一度見れば充分の内容がほとんど。今日のようにオーソドックスで制作に時間を有する内容であれば、繰り返しの鑑賞にも耐えうる。今後もコンサートホールKitaraの品位が維持され、主催事業の核を崩さないで、新しい取組みにチャレンジすることを期待する。


 場内は親子連れがいつになく多く、賑やか。子供でも大人でも同時に楽しめるプログラムだったのが成功の原因だったのではないか。

 今回はメイキングの様子がホームページ上でも、当日ロビーでも放映されていた。いつもとは違うコンサートだったので、裏方の仕事ぶりが紹介されていたのはよかった。