2024/09/18

 札幌交響楽団第663回定期演奏会


2024年9月15日13:00  札幌コンサートホール Kitara大ホール



指揮 /尾高 忠明<名誉音楽監督>

ホルン /ラドヴァン・ヴラトコヴィチ


R.シュトラウス:13管楽器のためのセレナード

R.シュトラウス:ホルン協奏曲第2番

ワーグナー:「パルジファル」前奏曲

ワーグナー:ジークフリート牧歌

ワーグナー:「タンホイザー」序曲



 常日頃、尾高/札響にはR.シュトラウスとR.ワーグナーが最もよく似合う、と思っていたが、今回やっとそのプログラムが実現、期待に応える見事な演奏を聴かせてくれた。

 素晴らしかったのは後半のワーグナー。尾高は、誰もが知る通り英国音楽のスペシャリストで、心に残る名演がいくつもあるが(例えば、22年6月の「尾高忠明presents偉大なる英国の巨匠たち(札幌文化芸術劇場)」)、英国音楽の気質のためか、いつも冷静で客観的な解釈だった。しかし、今日のワーグナーは、何よりも尾高の気質がオブラートで包み隠されることなく自然に発露されていて、それがワーグナーの音楽の性格と見事に一致していて、とても心地よい瞬間の連続だった。もちろん、いつものように、演奏は尾高らしく細部まで配慮が行き届いた品の良さを感じさせる名演だった。

 力で押し通すところや、もちろん破綻は一切無く、オーケストラは今まで聴いたことのない黄金のバランスとも言えるのか、実によく熟成された響きだ。どのセクションも自らの役割を主張しながらも、いつも以上にお互いによく聞き合っていて、全体が見事に調和しておりそのバランス感覚は申し分ない。おそらく尾高が常任指揮者時代だった10年程前の時代と比較しても、尾高も札響も大きく変貌を遂げた結果だろう。今のこの時期だからこそ実現した名演とも言えるだろう。


 パルジファル前奏曲は冒頭の聖餐の動機の表現力の高さに思わず惹きつけられた。この表現力が、今日の尾高/札響の好調ぶりを示す何よりの結果だろう。その後の聖杯の動機の調和の美しさなどあげればきりがないが、これだけの魅力的な表現であれば、この組み合わせでオケピットに入ってもらいぜひ全曲を鑑賞したくなるような、この作品特有のある種の耽美的美しさ、息の長いフレージングなどを充分伝えてくれた演奏だった。

 

 ジークフリート牧歌は、ガラリと雰囲気が変わって、楽しげで明るく、ワーグナーが最も幸せだった一瞬を捉えたような名演。札響で何度も聴いてきた作品だが、これほど明るく伸びやかに表現された演奏は初めてだ。


 最後のタンホイザーは、特筆すべきはホルンセクションの見事にコントロールされた卓越した表現。オーケストラ全体も同様にとても落ち着いた表現と響きで、これほど技術的にも音楽的にも突出した演奏は札響で今までに経験したことがないもの。


 そしてこれらの演奏を聴きながら、過去に観た公演の様々な場面が、〜パルジファルでは14年の新国立劇場、タンホイザーでは17年9月のバイエルン国立歌劇場(指揮はペトレンコ)や23年2月の新国立劇場(急逝したシュテファン・グールドが歌っていた)〜次々と思い出され、今日のパルジファルとタンホイザーは、ともに全幕のストーリーのイメージをダイジェストでまとめ上げたように感じさせる見事な透視力も同時に備えていた演奏でもあった。


 ワーグナーと比べると、前半のシュトラウスは指揮者よりは個々のソリストの腕前の素晴らしさに依存するところが強く、尾高の個性を楽しむ瞬間は少なかったのが残念。何か交響詩を一曲聴きたかったところだが、これは次回の楽しみに取っておくことにしよう。

 とはいえ、冒頭のセレナードでの管楽器セクションの各パートの表現力の豊かさは、後半に聴くワーグナーの名演を予感させたし、ホルン協奏曲でのヴラトコヴィチの見事な腕前はそうそう聴けるものではない一級品の演奏で、これは文句なしに楽しむことができた。

 協奏曲でのソリストアンコールは、札響ホルンセクションと一緒にロッシーニ/狩のランデヴー。これは素敵な演奏で、楽しかった。

 コンサートマスターは田島高宏。


2024/09/11

 森の響フレンド札響名曲シリーズ

〜鉄路は続くよ、どこまでも

続・オーケストラで出発進行!

2024年9月 7日14:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮 /秋山 和慶

お話と朗読 /市川 紗椰

歌 / ベイビーブー

お話と構成 /岩野 裕一



J.シュトラウスII:ポルカ「特急」

バーンスタイン:地下鉄乗車と空想のコニー・アイランド

        (オン・ザ・タウンより)、

デンツァ:フニクリ・フニクラ

多梅稚:「鉄道唱歌」より

アメリカ民謡:線路は続くよどこまでも

都志見隆(詞:松井五郎):列車にのろうよ


E.シュトラウスⅠ:ポルカ「テープは切られた」

ドヴォルジャーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」第4楽章(弦楽合奏版)

ブリテン(詞:W.H.オーデン):夜行郵便列車

R.シュトラウス:交響的幻想曲「イタリアから」第4楽章「ナポリ人の生活」




 
指揮者に鉄道マニアとして有名な秋山和慶を迎えての名曲コンサート。構成は岩野裕一。鉄道に関する作品ばかりを取り上げたエンターテインメント・コンサートで、珍しい作品もいくつか演奏され、面白い内容だった。

 秋山の指揮による札響を聴くのは久しぶりだ。1941年生まれだからもう80歳を越えている。1988年から98年まで札響の首席指揮者を務め、97年7月4日の札幌コンサートホールKitaraの柿落としコンサートを振っている。このホールで最初に登場した指揮者だ。もう27年も前のことだが、派手な表現は求めず静かに作品を見つめながら、その本質を探っていく、という指揮ぶりは鮮明に記憶している。今日の指揮ぶりも、年齢を重ねてはいるが、当時と変わらず貫禄充分だ。


 興味深かったのは、ブリテンが著名になる前に作曲した朗読付きの記録映画音楽、「夜行郵便列車」。当日配布プログラム解説によると、詞はW.H.オーデン、朗読付きの5分弱の作品で 1936年にイギリスの中央郵便局映画班の作成したドキュメンタリー短編映画。YouTubeでも見ることが出来る。

 ということで、短い作品だが、当時23歳だった若きブリテンがこのような仕事もしていたのだ、と認識を新たにした次第。詩の原語と対訳が配布されていて、これはありがたかった。年配の鉄道ファンには郷愁を誘う美しい詩だ。朗読はもちろん英語で市川紗椰。軽快なリズム感のある透き通った声で、発音も明瞭、なかなか素敵だった。


 ドヴォルジャークの「アメリカ」弦楽合奏版は初めて聴いたが、秋山の指揮は、小細工はせずに、冷静な音楽造り。巨大なアメリカの蒸気機関車、ビックボーイが走行する姿を想像させ、聞き応えがあった。

 R.シュトラウスは若き日の作品で、「フニクリ・フニクラ」の主題による幻想曲とでも言っていいほどだが、後世の名作のエッセンスがあちこちに含まれており、秋山の落ち着いた重厚な指揮ぶりが作品の価値をより高めていたようだ。

 

 歌の男性5人グループ、ベイビーブーが昔懐かしい男性コーラスグループを彷彿とさせる均整感ある歌唱で、鉄道関連の歌を披露して楽しませてくれた。PAを使用しての歌唱で、美声で音程、ハーモニーがきれい。表現力豊かないいグループだった。


 ホワイエには秋山ご自慢のお召し列車専用の蒸気機関車の模型が展示されているなど、マニアックな雰囲気が漂う演奏会。全体的に話が少し多く、もう少し指揮者秋山の演奏が聴きたかったが、マニアに限らず皆が楽しめるコンサートだった。
 コンサートマスターは田島高宏。

2024/09/02

 小林道夫 

バッハ ゴルトベルク変奏曲演奏会


2024年8月31日16:00  ふきのとうホール(札幌市中央区北4条6丁目3-3)


チェンバロ/小林道夫

バッハ:ゴルトベルク変奏曲



 氏は今年91才を迎えた日本の音楽界の重鎮。

繰り返しを全て行い、第15変奏曲後に休憩を挟んでの約2時間の演奏会。

 過去の錚々たる巨匠達の演奏を聴くと、年齢を重ねるに連れ安全運転をしがちだが、氏はそのようなことはなく、むしろ新たなチャレンジをするようなところも感じられた。

 今日の演奏は、2020年のライブ録音されたCDや、それ以前に聴いたゆったりと腰を据えたテンポでの演奏とは趣きが違って、全体的にテンポがやや速め目で表現がよりシンプルになっていたようだ。


 冒頭のアリアは比較的速めのテンポによる、多少素っ気なさを感じさせる演奏。もう少し歌わせてもいいのに、と思わせたが、余計な感情移入は一切なく純粋に楽譜だけを追った客観的な演奏スタイルだ。 この基本的姿勢は最後まで貫かれ、作品に対する自らの想いを語るというよりは、個々の変奏曲の骨格と性格を明確にし、30曲に及ぶ巨大な変奏曲の全体像を聴衆に示してくれた、氏ならではのスケール感を感じさせる演奏だった。

 多少偶発的な事故や想定外の速いテンポで演奏される変奏曲があったにせよ、休憩後の第16変奏曲のフランス風序曲の自然な流れ、第26変奏曲のエチュード風の華やかさ、第28変奏曲のトリル変奏曲の鮮やかさ、第30変奏曲のクオドリベットの田舎風語り口の見事さなどは、経験豊かな氏以外からは聴くことのできない素晴らしい演奏。特に26、28変奏曲は2020年の録音よりもスピードアップされた見事な演奏で、妥協をしないチェレンジ精神に敬服させられた。

 当日使用したチェンバロは、氏の演奏を聴く限り、良質の音色でよく響く楽器。プログラムに使用楽器についての記述がなく、あとで確認してみたところ、ここのホール所有で、2012年カッツマン制作の2段鍵盤の楽器。

 全体的な装飾は明らかに17世紀フランドルのリュッカース・タイプだが、楽器の仕様と音色はこのタイプ特有の個性的でクリアな性格とは多少違い、18世紀の時代の幅広いレパートリーに対応可能な、オールマイティの音色を感じさせる楽器だ。特にバッハには相応しい音色を持つ。装飾も美しく、札幌では数少ない海外製作者による優れた楽器の一つのように思われる。

 ホールのホームページにも記載されていないようで、もっと楽器の出自を積極的に広報すると良いと思う。

 

 なお、当日配布プログラムにはアリアと30の変奏についての記述はあったにせよ、曲目解説は一切なし。一聴衆としては小林氏の簡潔にして要領を得た名解説が読めると楽しみにしていたが残念。氏もこれは意外だったらしく、冒頭5分程度、彼ならではのユーモアあふれる作品についてのお話があった。

 各変奏の一覧を掲載するのであれば、2段鍵盤のための変奏がどれか、の表示があれば、聴衆はもっと興味を持って聴くことができただろう。

 アンコールにバッハのコラール「神の御心に委ねるものは」。