2025年1月26日13:00 札幌コンサートホールKitara大ホール
指 揮:広上淳一
ピアノ:外山啓介
管弦楽:札幌交響楽団
武満徹/「乱」組曲
伊福部昭/リトミカ・オスティナータ〜ピアノとオーケストラのための
シベリウス/交響曲第2番
「乱」組曲は武満徹と札響の記念すべき共演の第一弾となった作品だが、今日の配布プログラムの藤野竣介氏の解説にもあったように、黒澤明監督の強い意向が働いており、いつもの武満の作品とはイメージが違うようだ。
札響定期で武満作品を聴くと、例えば、自然の中の様々な風景やその中にある光や色彩のような存在が感じられ、聴衆それぞれが自分の中で作品像を作り上げていくことが出来るのだが、今日の作品にはそういう選択の余地がないような気がする。それだけ黒澤の強烈な個性が影のようにまとわりついているのだろう。
組曲版は4曲編成で、前の3曲は短すぎてさすがに音楽だけ聴いてもよくわからない。かろうじて最後の第4曲だけが、ロマンティックで色合いがはっきりしていて明確な個性があり、そこにわずかだが武満らしさが感じられた。
今日の広上•札響はいつもながらのまろやかさのある、かつ武満を長年演奏している札響ならではの音色で、武満の個性をしっかりと描き、イメージさせてくれた演奏。
「リトミカ•オスティナータ」は伊福部のたくましい野性的な個性が溢れ出た作品。ピアノパートは題名にもある通り執拗な反復が多く、ピアニストには結構過酷な作品のようだ。
今日のピアノソロは札幌出身の外山啓介。凄みのある逞しさと同時に爽快感を感じさせる演奏で実に素晴らしかった。
外山の音はすっきりと抜けてきて、響きにまとまりがあってとてもきれい。しかもオーケストラが最大限大きな響きを出していてもきちんと聞こえてきて、執拗な反復も無機質にならず切れ味がよく、かつ音色が明確で洗練されているのでとても心地よい。オーケストラとの対話にもゆとりがあり、この安定感は見事だ。
特に今日の楽器はとてもよく音が抜けてきて、ホール中に響いており、今までKitaraで聞いてきたこの種の編成の演奏の中でも最上の響きの一つだ。
オーケストラは熱演、特に冒頭のホルンがとてもいい響き。全体的に歯切れよく、この作品の持つ少々粗野で、原野を道産子(北海道産の馬)でドタバタ走り回るようなたくましさを感じさせる性格を見事に表現しており、聞き応えがあった。
余談だが、昨年出版された片山杜秀氏の伊福部昭伝に、「僕の音楽をくどい、しつこい、という人が居るが、それは聴く側の生命力が足りていないのではないか、と言いたいくらいで〜」という伊福部の話が紹介されている。今日のような演奏を聴くと、聴衆は、その生命力はともかく、くどさ、しつこさを全く感じなかったことだろう。
ソリストアンコールにショパンの「雨だれの前奏曲」。これだけ熱い演奏の後にも関わらずピアノの音が全く荒れておらず、きれいにすっきりと透る美しい音で、これまた感心させられた。本当に楽器を無理なく自然に響かせることのできるピアニストのようだ。
シベリウスは大きく深い呼吸で、息の長いスケール感を感じさせた奥行きの深い演奏。北国の爽やかな音というよりは、暖かく丸みのある柔らかい響きで、北海道の広大な大地を感じさせるような、とても気持ちのいい演奏だ。
広上の指揮は、いつもながらの温かみのある音色と響きで、何よりもオーケストラから自発的で自然な表現を引き出し、ややディテールの甘さがあるものの、まろやかに全体を包み込み、茫洋とした暖かさを感じさせたシベリウスだった。
このオーケストラの良さは、むしろアンコールでのシベリウスの「悲しきワルツ」でより発揮されており、繊細で息を呑むような美しさは格別だった。
オーケストラ全体が作り上げるハーモニーの美しさは札響ならでは。このような響きを引き出した広上の手腕の見事さに感心。
コンサートマスターは田島高宏。
同じプログラムで東京公演(2月3日19:00、サントリーホール)が予定されている。
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