2025/09/22

 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

2025年9月20日15:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/チョン・ミョンフン
ピアノ/藤田 真央
管弦楽/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団


ヴェルディ:歌劇「運命の力」 序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」


 

 前回札幌でミョンフンを聴いたのは確か1998年7月のPMF期間中。サンタチェチーリア管弦楽団を指揮しての演奏会だった。その後、東京フィルハーモニー交響楽団を指揮した演奏会を何度も聴く機会があったが、今回は20数年ぶりの札幌公演。無駄を一切省いた明確な先振りをする指揮ぶりと統率力は相変わらず。

 このオーケストラとは長期にわたって良好な関係を築き上げているようで、両者が生み出す演奏は間違いなく世界トップクラスの内容だ。


 冒頭の「運命の力」 序曲は、最初のトゥッティの垢抜けた響きの良さにまず感心させられた。続くフルート、オーボエ、クラリネットの表情豊かな見事なソロに感服。こんなに柔らかく美しい音色で、しかも細部までとても繊細に表現されたソロパートは初めての体験だ。以後、弦の歌い方、管楽器とのバランス、各声部の橋渡しの流れなど実にスムーズ。

 いつも演奏している作品だろうが、手を抜かずに満席の聴衆の期待を裏切らないきめ細かい丁寧な仕上げで、オペラ全部を観たくなるほど

 

 続くラフマニノフのソリスト、藤田真央は力演。札幌で聴くのは札響名曲シリーズでのシューマンのコンチェルト以来。集中力があり、技術的には申し分なく、感性も豊か。熱演だったが、骨太な逞しさよりはやや線の細さを感じさせた演奏。弱音はきれいだが、大きな音になると音色はちょっと硬めになり、すっきりと抜けてこないのが惜しかった。体の前後の動きが大きく、それに合わせて音楽が断片的に聴こえてくるような錯覚を与える場合もあり、これはあまり良くない癖。

 ミョンフンの指揮は冴えていて、この作品で、こんなに見事なオーケストラ演奏を聴いたのは初めてだ。素晴らしいホルンのソロ、弦の振幅の広い豊かな歌い方など、その表現力は実に聞き応えがあった。先走りがちなソリストに正しいテンポを指示するような冷静な合わせと、ヨーロッパの雄大な大地を想起させるスケール豊かな表情の演奏を聴かせてくれた。

 これに対して藤田は例えれば、都会の賑やかで華やかな風景を想起させるような演奏か。ただ、オーケストラの重厚な表現力に圧倒されがちで、音楽的に彼らと対等にやりあうには、もう少し時間が必要のようだ。


「悲愴」は微に入り細に入り綿密に仕上げた演奏。第1楽章の序奏部でのファゴットのソロも見事だが、低弦を中心とした弦楽器群と共に生み出すハーモニーの美しさがこのオーケストラの実力を示していたのでは。続く主題の呈示部での細かく正確なアーティキュレーションの表情や、歌い過ぎずに冷静に表現した有名なニ長調の第2主題など、一つ一つ挙げていくときりがないほど印象に残った演奏だ。

 第2楽章のチェロの主題は中庸な表現。同時に全体的な響きをまとめ上げていくバランス感覚がとてもいい。第3楽章での躍動感が見事で、全奏でも響きが重くならず、すっきりとした歯切れ良い表情。地声にならず音楽的に良く統率された発音と音色で終始演奏して行くのが心地よい。

 終楽章はあまり重くなり過ぎず、大袈裟にならない表現で、終始客観的で落ち着いた仕上がり。全体的に知的で多少冷たい雰囲気を感じさせた「悲愴」だ。やや恣意的な雰囲気を漂わせるところもある設計で、そこが気になる聴き手も居そうだ。

 しかしながら全体的なプロポーションの良さと密度の濃い仕上がりは申し分なく、かつてこのKitara大ホールで演奏されたチャイコフスキーの交響曲では、2008年9月にムーティの指揮で聴いたウィーン・フィルの第5番以来の名演奏と言っても過言ではないだろう。

 このオーケストラの過去の来日公演では錚々たる名指揮者が振っており、やはりオーケストラ自体が持っている潜在能力は極めて高いようだ。


 アンコールにマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲とロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲。

 マスカーニでは、弦楽器グループの優しい音色で存分に楽しませてくれ、管楽器群はしばしの休憩。最後にロッシーニでその全てのエネルギーを爆発させた華麗な演奏を聴かせ、聴衆へのサービスも怠らない。

 「ウィリアム・テル」序曲は確か98年のサンタチェチーリア管弦楽団札幌公演でも最後に演奏した作品。これを目当てに来場した聴衆も多かったのではないか。オーケストラが退場した後も拍手が鳴り止まず、これは比較的物静かな聴衆が多い札幌では珍しい現象だった。

2025/09/15

 森の響フレンド札幌交響楽団名曲コンサート

~ブラームスとポンマー

 2025年9月13日14:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮 /マックス・ポンマー

管弦楽/札幌交響楽団


C.P.E. バッハ:シンフォニア ニ長調 Wq.183/1

ヘンデル :「水上の音楽」組曲第2番

ブラームス:交響曲第2番


 ポンマー89歳。前回来札は2023年8月。足元が多少おぼつかないものの、プレトークではいつ話し終わるのかと心配させるほど元気な様子を披露、果たして指揮でも年齢を全く感じさせないスケール感ある指揮ぶりで聴衆を安心させた。
 今日は全てニ長調でのちょっと渋めのなかなかいいプログラム。エマニュエル・バッハは札響初演か。こういう一癖も二癖もある個性的な作品を振らせると、本当に上手い。まろやかさがあって、ちょっとした微笑みかける表情など、細かいところまで目配りを忘れず、好演。

 ヘンデルは、これぞバロックと思わせるいかにもヘンデルらしい荘厳さと明晰がある演奏。絶妙なテンポ感と柔軟な感覚が醸し出す全体的雰囲気は日本人指揮者からは聴けない心地良さがある。長年の豊富なキャリアを感じさせ、小編成による歯切れ良さがありながらも、硬さはなくとても聴きやすい、いい演奏だった。


 ブラームスは、アーティキュレーションをクリアに指示し輪郭を明確にしながら、ふくよかに歌い柔和な感覚で全体をまとめ上げた名演。この明快にして柔軟な感覚はポンマーならでは。こういうヨーロッパナイズされた懐の深い演奏は、なかなか聴く機会がない。単に年齢を重ねたベテランだから、と言うことではなく、ありふれた言い方だが、ヨーロッパでの長い歴史と伝統を会得した、感性豊かな指揮者ならではの音楽性が滲み出ている。

 これに対して、オーケストラの反応は今ひとつのところがあり、特に前半では管楽器セクションにやや不調な様子が見えたのは惜しい。こういう指揮にしっかりと応えて、万全な演奏を聴かせてくれると聴衆としてはとても嬉しいのだが。

 と思っていたら、アンコールに第3楽章をもう一度演奏、これがすっきりと力が抜けたとてもまろやかで素敵な演奏。あらためてこのオーケストラの良さに感心した次第。こういう演奏を本番でも聴かせて欲しかった。


 ポンマーは後半になればなるほど次第に元気になってきたようで、是非またの来札を期待したい。

 この9月からフルートの首席に就任したクリス・ウォンはピッチ、音色がきれいで、アンサンブル感覚も申し分ないとてもいい奏者。札響を聴く楽しみがひとつ増えたが、試行期間からずっと聴いてきた印象を言うと、やや音がオーケストラ内にこもりがちで聴衆にメッセージがよく伝わって来ないときがある。まだ遠慮しているのかもしれないが、もっとソリスティックに演奏してもいいのでは。これからの活躍に期待しよう。

 コンサートマスターはポンマーを陰からしっかりと支えていた会田莉凡。

 

2025/09/08

 札幌交響楽団 第671回定期演奏会

 2025年9月 7日13:00 札幌コンサートホール Kitara大ホール


指揮 /下野 竜也<札響首席客演指揮者>

ピアノ /アンヌ・ケフェレック


ベートーヴェン :序曲「コリオラン」

ベートーヴェン :ピアノ協奏曲第4番

ジョン・アダムズ:ハルモニーレーレ(和声学)


 ジョン・アダムスのハルモニーレーレは札響初演。配布プログラム解説(白石美雪)によると作品は1984〜5年の作曲。この種の作品としては演奏機会が多く、映像や録音で気軽に作品に親しむことができる。作曲者が昨年来日してこの作品を首都圏で指揮したのは記憶に新しい。

 しかし、やはりライブで聴くと作品の違った側面が見えてきて面白い。いわゆるミニマル・ミュージックに属する作品だが、今日の下野は、その現代的な側面より明らかに後期ロマン派の方向を向いた作品として、聴衆に紹介してくれたようだ。

 今日の演奏を聴く限りでは思いのほか聴きやすく、明らかに調性音楽で、かつロマンティックで古風な作品だ。ハーモニーは基本的に協和音中心で、全体として響きもきれい。現代作品に聴くような調性音楽を否定するような不協和音はほとんどない。

 下野は、随所に現れる息の長い旋律をよく歌わせ後期ロマン派の色合いを濃く表現、ミニマルな同型反復形は終楽章を除き、ほぼ伴奏形の扱い。第2楽章は明確な調性はないにしても明らかに調性崩壊以前の後期ロマン派の音楽。終楽章でやっとミニマル・ミュージックが主体となった表現が登場するが、これも色々な作曲家を想像させる表現が予想以上に多く、どことなくノスタルジーを感じさせ、20世紀前半の作曲家へのオマージュ的な作品か、と思わせたのも、下野の解釈のためだろう。

 一方で、下野はアンサンブルをよくコントロールし、特に札響の良質な響きを無理なくよく導き出していたのが良かった。全体的バランス、響き、音色などの細部にわたる表現はオーケストラに委ねていたようだ。ハーモニーはきれい、バランスは申し分なく、特に金管楽器群がとてもよくコントロールされていて、豪放的になりがちな息の長い箇所など、見事に制御されており、これは実に聞き応えがあった。

 弦楽器群の主題も全体の響きの中で調和するよう、いいバランス感覚で演奏されていて好演。これは下野の指示というよりは、明らかにオーケストラ自身が持っている感性が反映されたようで、表情が固くならずに滑らかで、しかもスマートに仕上がっていた。これは札響ならではの特徴だろう。

 オーケストラの地力が問われる作品でもあるが、その点では今日の演奏は大成功だったと言っても過言では無いだろう。


 ベートーヴェンのピアノ協奏曲はやや編成を小さくしての10型。ソリストのアンヌ・ケフェレックはもうデビューして半世紀以上も経つが、衰えはない。

 音楽は、弾くというよりは静かに語りかけてくるような大成した大人の音楽。陰影豊かで即興的要素も感じさせる自由な感性でオーケストラとの対話を楽しんでいたようだ。ただし、隙はなく、厳しさもあり、それに対してオーケストラは表現がやや定番過ぎたようで、ケフェレックの要求に細部で対応し切れないところがあったようだが、全体としていいアンサンブルだった。使用スタインウェイは音がすっきりと抜け、かつ柔らかく優しい音色で申し分なかった。

 アンコールにヘンデルのメヌエット。ピアニッシモを主体にした瞑想的な雰囲気で心に染み入るような演奏。アンコールも含め、これはケフェレック以外誰からも聴くことのできない心の琴線に触れる名演奏だった。


 そのほかに冒頭にコリオラン序曲。好演だったが、平凡。誰もが知る名曲だけに、定期で取り上げるならもっと掘り下げた演奏を期待したかった。

 コンサートマスターは田島高宏。