札幌交響楽団 第671回定期演奏会
2025年9月 7日13:00 札幌コンサートホール Kitara大ホール
指揮 /下野 竜也<札響首席客演指揮者>
ピアノ /アンヌ・ケフェレック
ベートーヴェン :序曲「コリオラン」
ベートーヴェン :ピアノ協奏曲第4番
ジョン・アダムズ:ハルモニーレーレ(和声学)
ジョン・アダムスのハルモニーレーレは札響初演。配布プログラム解説(白石美雪)によると作品は1984〜5年の作曲。この種の作品としては演奏機会が多く、映像や録音で気軽に作品に親しむことができる。作曲者が昨年来日してこの作品を首都圏で指揮したのは記憶に新しい。
しかし、やはりライブで聴くと作品の違った側面が見えてきて面白い。いわゆるミニマル・ミュージックに属する作品だが、今日の下野は、その現代的な側面より明らかに後期ロマン派の方向を向いた作品として、聴衆に紹介してくれたようだ。
今日の演奏を聴く限りでは思いのほか聴きやすく、明らかに調性音楽で、かつロマンティックで古風な作品だ。ハーモニーは基本的に協和音中心で、全体として響きもきれい。現代作品に聴くような調性音楽を否定するような不協和音はほとんどない。
下野は、随所に現れる息の長い旋律をよく歌わせ後期ロマン派の色合いを濃く表現、ミニマルな同型反復形は終楽章を除き、ほぼ伴奏形の扱い。第2楽章は明確な調性はないにしても明らかに調性崩壊以前の後期ロマン派の音楽。終楽章でやっとミニマル・ミュージックが主体となった表現が登場するが、これも色々な作曲家を想像させる表現が予想以上に多く、どことなくノスタルジーを感じさせ、20世紀前半の作曲家へのオマージュ的な作品か、と思わせたのも、下野の解釈のためだろう。
一方で、下野はアンサンブルをよくコントロールし、特に札響の良質な響きを無理なくよく導き出していたのが良かった。全体的バランス、響き、音色などの細部にわたる表現はオーケストラに委ねていたようだ。ハーモニーはきれい、バランスは申し分なく、特に金管楽器群がとてもよくコントロールされていて、豪放的になりがちな息の長い箇所など、見事に制御されており、これは実に聞き応えがあった。
弦楽器群の主題も全体の響きの中で調和するよう、いいバランス感覚で演奏されていて好演。これは下野の指示というよりは、明らかにオーケストラ自身が持っている感性が反映されたようで、表情が固くならずに滑らかで、しかもスマートに仕上がっていた。これは札響ならではの特徴だろう。
オーケストラの地力が問われる作品でもあるが、その点では今日の演奏は大成功だったと言っても過言では無いだろう。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲はやや編成を小さくしての10型。ソリストのアンヌ・ケフェレックはもうデビューして半世紀以上も経つが、衰えはない。
音楽は、弾くというよりは静かに語りかけてくるような大成した大人の音楽。陰影豊かで即興的要素も感じさせる自由な感性でオーケストラとの対話を楽しんでいたようだ。ただし、隙はなく、厳しさもあり、それに対してオーケストラは表現がやや定番過ぎたようで、ケフェレックの要求に細部で対応し切れないところがあったようだが、全体としていいアンサンブルだった。使用スタインウェイは音がすっきりと抜け、かつ柔らかく優しい音色で申し分なかった。
アンコールにヘンデルのメヌエット。ピアニッシモを主体にした瞑想的な雰囲気で心に染み入るような演奏。アンコールも含め、これはケフェレック以外誰からも聴くことのできない心の琴線に触れる名演奏だった。
そのほかに冒頭にコリオラン序曲。好演だったが、平凡。誰もが知る名曲だけに、定期で取り上げるならもっと掘り下げた演奏を期待したかった。
コンサートマスターは田島高宏。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。