2025/08/15

新制作 創作委嘱作品・世界初演 

細川俊夫「ナターシャ」


全1幕(日本語、ドイツ語、ウクライナ語ほかによる多言語上演/日本語及び英語字幕付)

8月13日14:00  新国立劇場 オペラパレス


台 本:多和田葉子
作 曲:細川俊夫
指 揮:大野和士
演 出:クリスティアン・レート
美 術:クリスティアン・レート、ダニエル・ウンガー
衣 裳:マッティ・ウルリッチ
照 明:リック・フィッシャー
映 像:クレメンス・ヴァルター  
電子音響:有馬純寿
振 付:キャサリン・ガラッソ 
舞台監督:髙橋尚史

ナターシャ:イルゼ・エーレンス
アラト:山下裕賀
メフィストの孫:クリスティアン・ミードル
ポップ歌手A:森谷真理
ポップ歌手B:冨平安希子
ビジネスマンA:タン・ジュンボ
サクソフォーン奏者:大石将紀
エレキギター奏者:山田 岳


合唱指揮:冨平恭平
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団



 注目の新制作「ナターシャ」の2日目公演を観る。細川俊夫が電子音響を駆使しての作曲、多和田葉子の多言語台本など話題豊富な作品だ。

 鑑賞のポイントとしては事前の様々な広報資料を読むしかないが、ベストはプログラムに掲載されていた長木誠司の「オペラの現在地」に尽きる。これを事前にアップして欲しかった。


 多言語とは言ってもほとんどが日本語とドイツ語だが、劇中で突然朗唱される日本語を聴くと強烈な印象を受けると同時に、個人的には強い違和感を感じる。いつもの定番メニューの作品を観るのとは全く違うインパクトがある。日本語はやはり西洋音楽とは親和性がないのだ、と思わせることがこの多言語上演の狙いか、と勘繰りたくもなる。

 その多和田葉子の台本は、ゲーテの「ファウスト」やダンテの「神曲」地獄篇、旧約聖書の「天地創造」の様々な場面を想定しながら書き上げたもの。おそらくキーワードは「海」と「地獄」と「現代の世相」か。

「海」は細川作品の原風景、「地獄」は「現代の世相」を反映しており、大震災と原発事故、コロナ禍と世界各地の紛争・戦争、に加え、海に溜まるプラスチック廃棄物などの公害と人間関係を損なう社会構造が含まれる。

 以上のような背景で、実際の作品は序章と7つの地獄が描かれる。


 見事だったのは、演出・美術。全編通じて基本コンセプトは「海」と思われる陰影豊かな奥行きの深い映像が場面ごとに様々に変容して流れ、落ち着いた色彩で最後まで聴衆を惹きつけた。これは観劇の楽しみとしては最高の仕上がりだった。

 観劇の楽しみの観点から言えば、第4場のビジネス地獄など、舞台を埋め尽くした、机に座った多数のビジネスマンがキーボードを打つ場面が展開され、いかにも、という雰囲気。もちろん音楽はそこから多くのイメージを開いて行くのだが、このシーンと、後半で登場する訳のわからないスローガンを掲げたデモ隊は、このオペラ全体から観てもどうも腑に落ちず、馴染まない。

 前半で描かれた第4場までは、細川の音楽が今までのイメージとは違って、彼方此方に広がり過ぎているように感じられ、やや散漫な印象。ところが全体を観ると、これは細川の計算通りの世界だったようだ。


 休憩後の後半の3場面は苦悩を経て歓喜へ、という全体スローガンが見えてきて、一挙に一つの焦点に向かって進んでいく高揚感が繊細なタッチで描かれ、前半全てはこの序章に過ぎなかったのだ、と感じられたほど。

 電子音響を駆使しての細川俊夫の作品は、細川の意図を見事に反映した電子音楽担当の有馬純寿の優れたセンスが光る。人工的サウンドが前半では細川のイメージとはちょっと違う印象だったが、後半の3章では柔らかい優しい音色でオーケストラと一体となった電子音で美しい主役2人の心情がよく描かれていてとても良かった。

 前半での混沌とした世界を、後半で解決するという計算され尽くした世界だったのだろう。同時に無調から調性のある世界へ歴史を逆戻りさせることによって聴衆に安心感を与えてくれた。もう一度観ると、もっと細部が見えてきて、より作品に親しみが湧いてきそうなオーケストレーションだ。


 個々の歌手、合唱は良かったが、何よりも全体を統括した音楽監督の大野の指揮が素晴らしい。誠実で丁寧で、しかも音楽的な広がり・表現力が見事。

 親しみやすさがあり、この作品を身近な存在としてまとめ上げた功績は大きいだろう。 

 この作品に限らず、初演作品は一度観ただけではわからない。しかもほとんどの聴衆にとってこれから何度も鑑賞機会があるとは限らない。

 事前に情報収集し、GPにも立ち会い作品の価値を絶賛するナビゲーターの存在も大切だが、大野和士のような、一度観ただけでもその素晴らしさが伝わるようにキャストを選び、優れた上演をして作品を紹介してくれる芸術監督の存在は貴重だ。この作品が一部のマニアックなファン層だけではなく、万人が楽しめ理解することが出来る現代舞台作品としてブラッシュアップして再演されることを期待したい。



2025/07/28

 PMF GALAコンサート

2025年7月27日15:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


【第1部】
ファニー・クソー(第25代札幌コンサートホール専属オルガニスト)
パシフィック・クインテット
 アリーア・ヴォドヴォゾーヴァ(フルート)
 フェルナンド・ホセ・マルティネス・サヴァラ(オーボエ)
 リアナ・レスマン(クラリネット)
 長谷川花(ファゴット)
 ヘリ・ユー(ホルン)
 
【第2部】
指揮/マレク・ヤノフスキ
チェロ/スティーヴン・イッサーリス*
PMFアメリカ
PMFオーケストラ


【第1部】
【ファニー・クソー】
◆R. シュトラウス(F. クソー編):ツァラトゥストラはかく語りき 作品30
◆ワーグナー/リスト:歌劇「タンホイザー」から巡礼の合唱

【パシフィック・クィンテット】
◆バーンスタイン (D. スチュワート編):「キャンディード」序曲
◆モーツァルト (メイヤー編):アンダンテ ホ長調 K. 616
◆クルーグハルト:木管五重奏曲 作品79 

◆サリー・ビーミッシュ:ネーミング・オブ・バード
◆ラヴェル(M. ジョーンズ編):クープランの墓

【第2部】
◆ワーグナー:歌劇『ローエングリン』第1幕への前奏曲
◆シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 作品129*
◆シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
◆R. シュトラウス:交響詩「死と変容」作品24



 まず第2部から。ヤノフスキーは今年86歳、PMF登場の最高年齢指揮者かもしれない。ただし、年齢を感じさせない見事な統率力と落ち着いた音楽づくりはさすがベテラン指揮者で、貫禄充分。 

 冒頭のワーグナーは16型を基本とする大編成で、今回は舞台下手側からヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの配列。ヴァイオリンが主役で、様々な音型を奏でながら音楽が進むが、それがどうもざわついているようで、何をどのように表現したいのかが、よくわからない。そのうち落ち着くだろう、と思っているうちに終了してしまった、というのが正直な印象。やや不消化の状態で、残念。


 シューマンのソリストはスティーヴン・イッサーリス。2005年に札響定期でエルガーの協奏曲を演奏している。おそらくそれ以来の来札か。個人的には10年ほど前にブダペストで室内楽のメンバーとして熱演していたのを偶然聴いた。いいチェリストだ。

 トレードマークの長髪を振り乱し、情熱的でエネルギッシュな演奏のシューマン。作品は決してスマートではないが、奥に潜むシューマンならではの熱い情念が見事に表出された名演だった。響きが翳るところもあったが、演奏の際に使用したチェロ台のためか。ここのホールはチェロ台を使わない方がよく響くような気がする。オーケストラはヤノフスキーがよくまとめ上げ好演。

 

 後半のシューマンの交響曲はよく練られた演奏でさすがヤノフスキー。弦楽器セクションがPMFならではの大人数でこんなに大きな編成でこの交響曲を聴いたのは初めてだ。ただし冒頭のワーグナーでのざわついた響きはなく、ここでは大編成ならではのゆとりのある深く居心地のいい弦楽器の響きを創出していた。

 しかもその響きは明るい音色というよりは最近あまり聴く機会が少なくなった、どちらかと言うと渋めの音色。PMFオーケストラではあまり聴けないベテランオーケストラ風の重厚感があり、中々いい音だった。

 ホルンを中心とした管楽器群もバランスの取れた力みのない音を出しており、弦楽器の大群とよく調和。

 全体的にはヤノフスキーが大編成オーケストラを見事に統率、バランス感覚に優れた中庸な解釈でいいシューマンを聴かせてくれた。


 後半さらにもう一曲、R. シュトラウス。これまではPMFアカデミー生だけによるオーケストラだったが、ここからはコンサートマスターにヌリット・バー・ジョセフが座るなど、要所要所にPMFアメリカ教授陣が加わった豪華布陣。さすがに良質な響きと卓越したソロなどが聴こえてくる。オーケストラのトッププレイヤーが数人加わるだけで、こんなに響きが変わる体験ができるのはPMFならでは。

 フィナーレに相応しい豪華絢爛な大編成だが、ヤノフスキーが暴走しがちな若々しいエネルギーを見事にコントロール。派手過ぎず、地味にもならず、音楽的に見事にまとめ上げた、スケールの大きい演奏を披露。味わい深い職人的指揮で、R. シュトラウスの豊穣な響きをホールいっぱいに響かせ、聴衆を楽しませてくれた。


 ガラコンサート前半は札幌コンサートホール専属オルガニストのファニー・クソーの演奏とPMF参加を機会に編成されたパシフィック・クインテットの演奏があった。

 オルガンソロはやや軽めのプログラムで、Kitaraのオルガンの持つ優れた機能が充分発揮されておらず、ちょっと残念。せっかくの機会なのでもっと重厚な作品が聞きたかった。

 パシフィック・クインテットは若々しくエネルギッシュな演奏。ただ、最後はちょっとお疲れ気味だったようだ。聞き手としては後半の第2部も考えて、もう少し短いプログラムで、中身をもっと濃い演奏にした方が良かったような気がする。


 今回のガラ・コンサートは15:00開演で、2回の休憩挟み、終演は19:00。第1部、第2部共に少々長めで、プログラミングにもう少し工夫が欲しかった。

2025/07/25

 PMFホームカミング・オーケストラ演奏会


2025年7月24日19:00  札幌コンサートホールKitara小ホール


指揮/ダヴィッド・ルンツ
ゲストコンサートマスター/郷古廉
PMFホームカミング・オーケストラ
南部麻里(ピアノ)


ペンデレツキ:古い様式による3つの小品

ルトスワフスキ:クラリネットとアンサンブルのための舞踏前奏曲
W. キラル:オラワ
モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K. 551「ジュピター」


 

 PMF35周年記念で、PMF修了生で編成する今日1日だけのオーケストラ。メンバーは地元札幌交響楽団をはじめとする世界各国から来札した約40名のメンバー。

 臨時編成とは言え、全員が経験豊富なオーケストラ団員なので、アンサンブルは今日聞く限り全く問題はない。

 ただ、会場が小ホールで、室内オケとは言え、この規模のプロフェッショナルのアンサンブルを聴くには響きが飽和状態。

 聴衆にとってもやや辛いし、オーケストラ側でも、おそらくお互いのパートを聴き合いながらアンサンブルを組み立てて行くことはかなり辛かったのではないだろうか。

 大ホールであれば気にならない些細なミスやノイズもはっきりと聴こえてしまい、聴衆にも演奏者にも多少の居心地の悪さがあったのは否定できないだろう。


 さて、そういう物理的な問題は別にして、演奏はさすが修了生、と言うよりは現職のオーケストラ団員ならではの安定した優れた内容のもの。技術的にも音楽的にも申し分ない。

 指揮は21日のホストシティ・オーケストラ演奏会でいい演奏を披露してくれたダヴィッド・ルンツが再び登壇。

 前半は全てポーランド人作曲家の作品ばかり。冒頭のペンデレツキは1963年の作品だが、古典的作風で、これが本当にペンデレツキ?、と思わせるほど古風なスタイルの作品。むしろ2曲目のルトスワフスキーの方がより現代性があり、わかりやすく、現代にも充分アピールできる内容。1954年の作品だが、民俗音楽をクラシカルにまとめ上げ、普遍性を与えた作品として高く評価できるのではないか。クラリネットソロのリアナ・レスマンが好演。ルンツも冒頭のペンデレツキでは腕の見せ所がなかったが、ここではソリスト共々冴えた音楽を聴かせてくれた。

 キラルの「オラワ」は1986年の作品。単純明快なリズムパターンを反復させながらオーケストラの編成の妙によって様々な表情を聴かせる佳品で、これは歯切れの良い決断力ある指揮と、抜群のテクニックで活力ある表情を創出し魅了させてくれた演奏者があってこそ。飽きさせない、いい演奏だった。


 後半のジュピター交響曲は全体的に良くまとめ上げた演奏。彫りが深く、細部をとてもよく磨き上げ、フレーズ一つ一つを繊細な表情でよく歌い上げていく。例えば第2楽章の繊細で美しい表情、メヌエット楽章の冒頭の主題の歌い方などとても印象的で、その彩りの豊かさはこの指揮者ならでは。

 終楽章のフーガもよく練れていて、わかりやすい。無造作に表現するところが一切ないのが素晴らしい。その誠実さと豊かな歌心がこの指揮者の美点なのだろう。また演奏者の集中力を高める指揮者でもあり、その隙のない見事な統率力にも感心させられた。

 小ホールで聴くにはギリギリのサイズで、ちょっと耳が痛くなる音量。大ホールで聴くともっと全体的にゆとりのある響きで鑑賞できたのかもしれない。

2025/07/24

 PMFアメリカ演奏会

2025年7月23日19:00 札幌コンサートホールKitara(小ホール)


PMFアメリカ

ヌリット・バー・ジョセフ

(ヴァイオリン、ワシントン・ナショナル交響楽団)
スティーヴン・ローズ(ヴァイオリン、クリーブランド管弦楽団)
ダニエル・フォスター(ヴィオラ、ワシントン・ナショナル交響楽団)
ラファエル・フィゲロア(チェロ、メトロポリタン歌劇場管弦楽団)
アレクサンダー・ハンナ(コントラバス、シカゴ交響楽団)


デニス・ブリアコフ(フルート、ロサンゼルス・フィルハーモニック)

ジョン・アップトン(オーボエ、メトロポリタン歌劇場管弦楽団)

アントン・リスト(クラリネット、メトロポリタン歌劇場管弦楽団)
ダニエル・マツカワ(ファゴット、フィラデルフィア管弦楽団)
アンドリュー・ベイン(ホルン、ロサンゼルス・フィルハーモニック)


マーク・イノウエ(トランペット、サンフランシスコ交響楽団)
ティモシー・ヒギンズ(トロンボーン、サンフランシスコ交響楽団)
ジョセフ・ペレイラ(ティンパニ、ロサンゼルス・フィルハーモニック)
安楽真理子(ハープ、メトロポリタン歌劇場管弦楽団)
南部麻里(ピアノ、
PMFピアニスト


◆ジェフリー・ホームズ:

       トランペットとトロンボーンのためのコンティニュウム
    マーク J.イノウエ、
ティモシー・ヒギンズ、南部麻里

 

◆チャールズ・マーティン・レフラー:2つの狂詩曲
    ダニエル・フォスター、ジョン・アップトン、南部麻里

 

◆藤倉大:Luminousティンパニのための
    ジョセフ・ペレイラ


◆R. シュトラウス(ハーゼネール編):

        もう1人のティル・オイレンシュピーゲル!

   ヌリット・バー・ジョセフ、アレクサンダー・ハンナ、  アントン・リスト

   ダニエル・マツカワ、アンドリュー・ベイン

 

◆ジャン・クラ:五重奏曲
   スティーヴン・ローズ、 ダニエル・フォスター、ラファエル・フィゲロア

   デニス・ブリアコフ、 安楽 真理子



 PMFアメリカの教授陣はほぼ昨年と同じ。昨年のプログラムはシューマンやブラームスがあったが、今年はR・シュトラウスを除いて、初めて聴く作品ばかり。


 藤倉大のティンパニ・ソロ作品が面白かった。今日の演奏者ジョセフ・ペレイラのために書かれた作品で、日本初演だそうだ。ティンパニのあらゆる演奏技法を駆使して、多種多様の表情が聴こえてくる。

 特に印象的だったのは後半で登場した寺の鐘や読経の際の木魚の音色などを模倣した日本風の情景描写。眼前にこれらの風景が浮かんでくるようなとても繊細な表情の演奏で、その素晴らしさもあって、藤倉大ならではの独特の世界を堪能できた。

 

 そのほかでは、最後のフランス人のジャン・クラの作品が魅力的。1928年の作品で、作風は印象派的な雰囲気を漂わせながら、比較的透き通った音色で涼しげな情景を描いた佳品。暑い日に聴くには最適の作品だ。

 ハープがこの雰囲気作りに大きな貢献を果たしており、フルートのブリアコフが美しい音色で全体をリードしながらまとめ上げて行く、と言う構図。各セクションが皆作品の情景を見事に表現し、よくコントロールされた上品な演奏を聴かせてくれた。作品の価値をより高める秀演だった。


 R. シュトラウス は、全員がゆとりある余力十分の演奏。やはりこういう作品は、今日のような名手たちによる演奏者でなければその諧謔性は楽しめない。全員上手いだけではなく、遊び心もあり、実に楽しかった快演。


 前半の作品では、冒頭のホームズは、何処かで聴き慣れた和声やモティーフが聴こえてきて、バーンスタインへのオーマジュのような作風。トランペットとトロンボーンの鮮やかなソロが、リズミックに、またちょっと哀愁を帯びた雰囲気も醸し出し、生き生きとした鮮やかな演奏だった。


 チャールズ・マーティン・レフラーの2つの狂詩曲は1901年の作曲で、作風は比較的地味でクラシカルな雰囲気のある作品。

 演奏者が上質の表現で、作品の魅力をしっかり伝えてくれた。ここではピアノが大活躍。オーボエ、ビオラとの珍しいトリオだったが、とてもいいバランスで、室内楽としてはとても優れた仕上がりだった。



2025/07/22

 PMFホストシティ・オーケストラ演奏会


 2025年7月21日14:00   札幌コンサートホール Kitara大ホール

指揮 /ダヴィッド・ルンツ

管弦楽/札幌交響楽団

共演 / PMFアメリカ・メンバー、PMFオーケストラ・メンバー *


シューベルト:交響曲 第7番 ロ短調 D 759 「未完成」

ショスタコーヴィチ:交響曲 第10番 ホ短調 作品93 *


 指揮のダヴィッド・ルンツは、PMFには、17年にコンダクティング・アカデミーに参加、20年に指揮者として参加予定だったがコロナ禍で音楽祭が中止、今回再来日が実現した。主に東欧を中心に、現在はクロアチア、ポーランド等で活動しているようだ。とても明確でわかりやすい音楽を作る指揮者で、2曲とも好演だった。


「未完成」交響曲は標準的な全体設計。テンポは速くもなし遅くも無しで、表情はメリハリがあってわかりやすい。冒頭のチェロ・バスのテーマ、続くオーボエのソロなどとてもクリアに表現しており、健康的。ここは指揮者の腕の見せどころだが、この指揮者ならでは、という個性的な表現は特に無い。この調子で音楽は順調に、滑らかに流れて行き、見通しのいい颯爽とした雰囲気の演奏だ。やや単調になりがちなところもあったにせよ、特筆すべきことは、札幌交響楽団からとても良質のいい音色を引き出していたこと。

 ホルンにPMFアメリカ、弦楽器群にPMFアカデミー生が加わっていたが、全体的にはいい響きで音程もきれいに揃っていて、聴いていてとても気持ちが良かった。

 

 ショスタコーヴィッチは快演と言ってもいいだろう。細部まで仕上げられており、作品の輪郭が明瞭に表現されていてわかりやすい。弦楽器の16分音符の速い音型などもクリアで切れ味鋭く見事に揃っており、鮮やか。ルンツが札響の実力を余すところなく引き出し、前半のシューベルト同様オーケストラが充実しており、なかなか聞き応えのある演奏だった。

 この作品については1953年の初演当時は旧ソ連内や海外でも様々な意見が交わされたが、作曲者自身は多くを語らなかったようだ。今日の演奏を聴いていると、当時の暗い時代背景が思い浮かばないこともないが、それよりも作曲者の卓越した才能を存分に感じることができる。比較的単純な動機からスケール感あふれる芸術作品に仕上げていくプロセスが手に取るようにわかるし、同時に、その独特の厚い響きも見事に再現されていた。

 初演からすでに70年以上も過ぎ、作品に内蔵された当時の様々な諸相よりは、普遍的な意味での解釈が可能な優れた芸術作品として、ショスタコーヴィッチの世界を聴かせてくれた快演だった。

 一方で、札幌交響楽団の持っているプロフェッショナルな職人技が随所に光る完成度の高い演奏で、PMFのゲストプレイヤーが加わることによって、定期などの札響主催公演とは違った、ちょっとよそ行きのすました雰囲気も感じられ、札響のいつもとは違う側面と良さが引き出されていたと思う。


 聴衆は毎年少しずつ増えてきているようだ。ホストシティ・オーケストラとしてとてもいい内容のコンサートで、今後も札響の活躍を大いに期待したくなるような公演だった。

コンサートマスターは田島高宏。




2025/07/18

 五明佳廉&小菅優 デュオリサイタル

2025年7月16日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


ヴァイオリン/五明佳廉
ピアノ/小菅優


モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第35番 ト長調 K. 379
ショパン:舟歌 嬰へ長調 作品60

サミュエル・アダムズ:ヴァイオリン・ディプティク (2020)

ドヴォルザーク:ロマンス へ短調 作品11

 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 作品108



 とても素晴らしいデュオだった。五明は一つ一つのフレーズを繊細かつ大切に歌い上げ、普通のヴァイオリニストなら、さっと流してしまうような小さなモティーフでも大切に表現していく。それが積み重ね一つの大きな作品に仕上げていく、というパターンだ。

 音程、重音など、とてもきれいで音楽的。ボーイングは柔らかく、音色は美しく、申し分ない。


 一方の小菅は、ソロでも室内楽でも抜群のセンスで演奏し、今日も柔らかく暖かい音楽とすきのない見事なアンサンブルで、五明と一体となって演奏。

 冷たい表現が一切なく、親しみやすい音楽性は相変わらず。五明のきめ細かい表現にピッタリと寄り添いながらも、自己主張のある音楽を奏でる。

 お互いに主張し合い、しかもその2人の感性が一体となって、作品をよりクリアに大きく表現していくので、聴いていてとても気持ちの良いデュオだった。


 名作、モーツァルトのソナタは、とても素敵なモーツァルト。微に入り細に入り繊細に音楽を語り、こんなに表情豊かな作品だったのか、とあらためて認識させてくれた演奏。きめ細やかに物語るように歌う五明と、繊細だが繰り返しの時は即興句を入れるなど、流麗で美しい歌を聞かせてくれた小菅と、息のあった見事なアンサンブルを聴かせてくれた。


 ショパンは豊かな響きで全体を柔らかく覆った小菅ならではの舟唄。技術的にも音楽的にもゆとりがあり、懐の深い、スケール感豊かな演奏だった。


 アダムスの作品は当日のプログラム解説によると、ロックダウン中のコロナ禍の際に書かれた作品。内向的でバッハへのオマージュのようなヴァイオリンソロの第1部とオスティナートリズム風の絶え間ない同型反復を繰り返し、緊張感を高めていくデュオの第2部からなる。五明はここで静から動への幅広い表現力とすきのない鮮やかなテクニックを披露。

 作風は、暗く、最後まで解決しない鬱積した感情を持っているようだが、五明の卓越した音楽性によって作品の価値はより高められたようだ。特に第2部で聴かせてくれた2人の集中力には感服。


 後半、ドヴォルジャークは静謐な感覚と大胆な感性が行き来し、全体を品よくまとめ上げた好演。


 最後のブラームスは、作曲者がこの作品に込めたあらゆる形のモティーフ、感情が全て丁寧に色々な表情で表現されており、実に多彩。時としてやや断片的になりがちなところもあったにせよ、重厚というよりは多彩さに力点を置いた演奏で、色々な顔を持ったブラームスが登場して実に聞き応えのある内容だった。特に五明をしっかりとサポートしつつ豊かでまろやかな音色で、陰影豊かに演奏していた小菅のピアノが出色の出来だった。