サー・アンドラーシュ・シフ
ピアノリサイタル
2022年10月29日15:00 札幌コンサートホールKitara 大ホール
ピアノ/サー・アンドラーシュ・シフ
バッハ:ゴルドベルク変奏曲 BWV988 よりアリア
「音楽の捧げもの」BWV1079より3声のリチェルカーレ
モーツァルト:幻想曲 ハ短調K.475
バッハ:フランス組曲第5番 ト長調BWV816
モーツァルト:アイネ・クライネ・ジーク ト長調K.574
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より
前奏曲とフーガ ロ短調BWV869
モーツァルト:アダージョ ロ短調K.540
モーツァルト:ピアノソナタ第17番 ニ長調K.576
ハイドン:ピアノソナタ ト短調Hob.XVI-44
ベートーヴェン:6つのバガテル 作品126
ベートーヴェン:ピアノソナタ 第31番作品110
今日はシフ自身のお話付きリサイタルで、プログラムは演奏時に発表。
開演が15:00、前半終了が16:40頃。20分の休憩後、終演はアンコール含め18:30、3時間半に及ぶ、25年の空白を一挙に埋める長大な演奏会だった。
シフはKitara所有のベーゼンドルファーの選定者だが、今日のリサイタルは、スタインウェイを選択しての演奏。
冒頭のゴルドベルク変奏曲からのアリアは本人曰く、アンコールとの事。今日は最後の演奏曲目がベートーヴェンのソナタで、アンコールは無し、そのかわりに冒頭で演奏する、ということで、ユーモアたっぷりのオープニングだ。演奏は,それを反映してか、随分気楽な雰囲気。多くのピアニストはこのアリアを、研ぎ澄まされた音色ときめ細かいニュアンスで集中して演奏する例がほとんどだが、シフの演奏は、中間色で何やら民謡でも歌っているような大雑把で楽しげな演奏。
ところが、一転して次の3声のリチェルカーレは格調高く知的な深みのある演奏で、このギャップが彼の演奏の魅力なのだろうか。このリチェルカーレをチェンバロではなく、ピアノで聴くのは今回が初めて。
書法は密集系ではなく開離系で、あまり混みいっておらず、かつ技巧的な要素も持っているので、ピアノ向きでもある。シフはその特徴をよく再現した秀演。同じハ短調のモーツァルトの幻想曲は大胆な作風と楽想が、凄みある演奏で伝わってきて、これは素晴らしかった。
続くフランス組曲は,繰り返しの際に即興的パッセージを入れるなど、作品の明るい性格を反映した陽気で楽しげな演奏。なお、本日の演奏はバッハに限らず、全て繰り返しあり。
モーツァルトのジークは40小節にも満たない小品だが、シフは以前からこの作品をよく演奏しており、手慣れた、軽やかで軽快な演奏。本人の解説によると、冒頭のテーマは12の音から成立しており、シェーンベルクの12音技法を予感させる未来性を持った作品,ということだそうだ。
次のバッハのロ短調のフーガの主題も同様、ということで、続いてロ短調の前奏曲とフーガ。ロ短調ミサ曲との関連性を説明してからの演奏で、特にフーガがどっしりとした重みのある演奏で、感情の起伏の幅が広く明確で、ダイナミックレンジの幅も広く、ピアノという楽器ならではのスケール感ある外向的な演奏。
続くモーツァルトのロ短調のアダージョも、同様に感情の起伏の幅が広く、しかもバッハも含め、作曲後数百年経っても革新的な作風であることを感じさせ、他の作品群との区分も明確でわかりやすい演奏だった。
これで休憩かと思ったら、もう一曲、K.576のソナタを演奏。オーストリアのヨーデルのモティーフを使用していて、ドイツとは違う作風だと強調してからの演奏。
軽やかで、抜群のリズム感で爽やかな雰囲気を演出し、颯爽とした演奏。いい感覚のモーツァルトだった。
後半はハイドンのピアノソナタから。モーツァルトはオペラのような歌う作曲家であるのに対して、ハイドンは哲学的で語る作曲家だ、と話してから、ト短調のソナタを演奏。前半最後のモーツァルトのソナタが,モーツァルト得意の歌うような作品ではなく、モティーフを組み立てて、対位法的な書法でまとめ上げた作品だったので、その連続であることを言いたかったのだろう、やや饒舌な語り口の演奏で、原曲のイメージとはちょっと違うような気がしたが、演奏は本人の解説の通りの語るような演奏。
続く6つのバガテルは、ベートーヴェン最後のピアノ曲で、この頃の作品は荘厳ミサ曲や第九交響曲との共通性がある、などと解説しての演奏。楽天的で、やや散文的な雰囲気の演奏で、おそらくシフは、作曲された頃は、健康的で、精神も安定していた状態だったことを言いたかったのかもしれない。
最後のベートーヴェンのソナタは、健康が回復した喜びも反映されている、と解説があっての演奏。過度に深刻になり過ぎず、基本的には弱音の世界に終始しての演奏。ただし、第2楽章は遅めのテンポで、右手の和音など完全に調和しておらず緊張感がなく、なぜこのような演奏をと、不思議。第3楽章は嘆きの歌からフーガに至り、回復した喜びを表していると言う後半の長調に入る、という一連の流れを見事に再現していた。
アンコールは弾かない、と言っていたが、熱烈なカーテンコールに応えて、バッハの平均律第1巻から第1番の前奏曲とフーガを演奏。
プログラム全体を俯瞰すると、調性ごとに個性のはっきりした作品を演奏する、というかなり考え抜かれた、事前にほぼ決定していた内容のような気もする。個人的には、演奏に他の追従を許さない精神的深みを鋭く描く凄さがあると同時に、気楽で、かなりイージーな箇所、粗雑な箇所があり、このアンバランスがシフの感性の中でなぜ生じるのかが、よくわからない。
本日のスタインウェイの調整はおそらく完璧ではなかったか。ただ、完璧すぎて全体的に響きと音色がまとまり過ぎていてやや窮屈さを感じさせた。もう少し、遊びのある、伸びやかな響きがあってもいいと思ったが、それにしても素晴らしい楽器と調整だった。
トータルで3時間半で、モーツァルトならオペラ「フィガロの結婚」全幕の鑑賞時間に相当。ほぼ2回分のリサイタルの演奏量で、サービス精神満点。シフの作品に込める深い考えを聴衆に過不足なくしっかりと伝えたい、との意向なのだろう。それにしても、シフから事前に長いプログラムになること程度は予告して欲しかった。