2022/10/04

 ロンドン交響楽団

202210月3日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/サー・サイモン・ラトル

管弦楽/ロンドン交響楽団


シベリウス:交響詩「大洋の女神」作品73

      交響詩「タピオラ」作品112

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107B-G.コールス校訂版)


      
 ロンドン交響楽団は 、1990年の第1回PMFオープニングコンサートにバーンスタインの指揮で札幌に登場、以後PMFには94年とKitaraオープン後の97年に、それ以降ではKitara主催で2000年にロストロポーヴィッチ、03年にデービス、08年にゲルギエフと来札しており、今回はそれ以来実に14年ぶりの公演。札幌の聴衆には馴染み深いオーケストラだ。

 ラトルは1998年にバーミンガム市立、2004年ベルリンフィルと来札。今回は3回目のKitara 登場。


 オーケストラは、コントラバス奏者8名がステージ正面最上段に横一列にずらりと並び、壮観。その前に金管楽器群が同じくほぼ横一列、その前に、木管群。ヴァイオリンは上手・下手の両サイドにヴィオラ,チェロを挟むように配置。

 3階LC2列目で聴いた限りでは、低弦が力強く全体を包み込み、響きがまとまって聴こえたが、クリアに響く金管楽器群に対し、弦楽器がやや弱い印象。とは言え、柔らかく、ホール全体に広がる透き通った響きと美しいハーモニーは以前と変わらず、ヨーロッパのオーケストラならではの良質の音だ。


 やはりメインは後半のブルックナー。B-G.コールス校訂による現在進行中の新しいブルックナー全集に基づく演奏だが、このスコアはまだ見たことがなく、詳細は不詳。

 今日演奏で確かめることができたのは、第1楽章では、114小節の3拍目から8小節間、コントラバスが8分音符(ノヴァーク版では4分音符)で演奏。

 第2楽章では177小節のティンパニとシンバル、トライアングルの扱いがノヴァーク版と同じ(ハース版ではこれら打楽器が無い)、ノヴァーク版で216小節3拍目から始まる弦楽器のピッチカートが、217小節目3拍目からに変更されており、これはハース版と同じ。

 この程度しか確認できなかったが、要するに、当然、ノヴァーク版やハース版とは違う校訂譜のようだ。これらが全て自筆譜等に基づく正しい記譜かどうかはわからない。いずれにせよ、この交響曲第番に限って言えば、第2楽章の打楽器の扱いなど細部の変更はあるにしても、大枠は変わらないようで、演奏する版によって大きく作品観が変わってしまうほどの違いはなさそうだ。

 

 ラトルの指揮はオーケストラを大きくドライヴし、振幅の大きいスケール感溢れるダイナミックなスタイルで、よく歌い込まれ、もちろん繊細な表情も過不足ない。田舎風でもなく、都会風でもゲルマン風でもなく、少々捉えにくい表現ではあったが、全体的に作曲された当時の時代背景を感じさせる、表情豊かでロマンティックな演奏だ。特に、金管楽器群のよくコントロールされた、オルガンをイメージさせる響きは、豊かな残響を誇るこのホール以外では味わうことのできないものだろう。

 第1楽章、第2楽章が繊細かつ彫りの深い表現で出色の出来。ただ、オーケストラはここでエネルギーを使い果たしたのか、第3楽章以降で管楽器群にミスが連発したり、弦楽器がややラフになったりと、このクラスの来日オーケストラ公演では珍しいハプニングが連続し、意外だった。

 後半はラトルがオーケストラを強引にドライヴし過ぎたようだ。ラトルがかつてシェフを勤めたベルリン・フィルであれば、全て完璧に答えてくれたのかもしれない。


 前半のシベリウス2曲はきめ細かく、美しく仕上げられており、これはこのオーケストラならではの素晴らしさ。息使いが自然で,作品の魅力がよく表現されていたのではないか。後半のブルックナーよりは、オーケストラの個性がよく引き出されていて、好演だった。

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