2023/05/29

 回想の名演奏

イングリットヘブラー  ピアノリサイタル



200311月7日19:00  札幌コンサートホールKitara小ホール


ピアノ/イングリットヘブラー


モーツァルト:ピアノソナタ 第11番イ長調K .331 「トルコ行進曲付」

       メヌエット ニ長調 K .355

       デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲ニ長調K .573

       ロンド イ短調 K .511

       ピアノソナタ 第13番 K .333




    イングリットヘブラーが514日亡くなった。日本の招聘元音楽事務所KAJIMOTO (前梶本音楽事務所)によると93歳とのこと。
 札幌コンサートホールKitaraでは、一度だ2003117日に公演があった。この年が最後の来日となり、2006年6月22日にも再演を予定していたが病気のため果たせなかった。

 ヘブラーは、1960年代半ばからほぼ隔年ごとに来日していたようだ。札幌ではKitara 含め、全3回公演している。Kitara オープン前では、19716月8日に札幌交響楽団との協奏曲の夕べ(ペーターシュヴァルツ指揮、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番と第26番を演奏)、1983年にリサイタル(オールモーツァルトプログラム)を開催している(いずれも会場は旧札幌市民会館、北海道新聞社主催)。

 20年ぶりとなった2003年の札幌公演、Kitara でのリサイタルはオールモーツァルトプログラムで、ヘブラーの評価の定まった定番メニューだった。会場は小ホールで、使用ピアノはホール所有のスタインウェイ。


 この時、Kitaraは開館6年目。小ホールは、豊かで潤いのある響きがする、との評価が定まりつつある時期でもあった。一方で、スタインウェイピアノもちょうど熟し始めてきた音色を聴かせていた頃で、この日聴いたヘブラーの演奏は、そのホールとスタインウェイの響きがうまく溶けあって、6年目を迎えたこの時期の小ホールでなければ決して聴けなかった、美しく、しかも独特の魅力ある音だった。


 彼女の音色はやや硬質ではあったものの、一つ一つの音が磨き上げられ、綿密に仕上げられた見事な演奏だった。荒々しいタッチで生じる雑音などは一切聴こえてこない、全てがコントロールされた彼女ならではの美的感覚に満ちた世界だ。


 演奏解釈は1983年に聴いた時と、ほとんどその印象は変わらない。

 83年も2003年も、レコードやCDで聴いて慣れ親しんでいたヘブラーの演奏と変わらず、またライヴならではの即興性などはほとんど無く、その代わり破綻も一切無い常に安定した演奏だった。

 

 円熟の境地に達するなどの言葉はヘブラーには必要がなく、若い頃から極めて完成度の高い演奏を聴かせ、ヨーロッパの知性ある教養人しか表現し得ない、とても優れたバランス感覚を持った演奏をし続けていたと思う。しかし、そこには何度繰り返し聴いても飽きさせない、中庸の魅力とも言えるのだろうか、他のピアニストにはない、精神を落ち着かせてくれる安心感があった。日本で人気があったのはこのためでもあろう。


 人生の全てをピアノに捧げた人だったのだろう。その演奏にはそういう突き詰めた感性や厳しさを垣間見せながらも、いつも温和な、端正で上品な雰囲気が漂っていた。Kitara の小ホールで聴いた忘れることのできない名演の一つである。


 個人的には、モーツァルトよりもシューベルトを弾くヘブラーの方が好きだった。昭和40年頃、何故か家にあった作品90142 の全曲を入れた即興曲集のレコード(現在のレコードは買い換えて、Philips A 02321 L)は、繰り返し何度も聴き続けている。私にとっての永遠の名盤である。

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