現代のチェロ音楽コンサートNo.31
〜フィンランドの響き
2023年5月18日19:00 ザ・ルーテルホール
チェロ/文屋治実
ピアノ/浅井智子
マッティ・ラウティオ:ディヴェルティメント第2番(1972)
1. エレジー 2. 間奏曲 3. フィナーレ
ペール•ヘンリク•ノルドグレン:エピローグ Op.61(1983)
アウリス•サッリネン:白鳥の歌から Op.67(1991)
タネリ•クーシスト:慰め Op.32-1(1940)
ラウリ•サイッコラ:アリオーソ Op.26-1(1949)
カイヤ•サーリアホ:スピンとスペル(チェロ独奏のための)(1997)
アルマス•ヤルネフェルト:子守歌(1904)
ヤン•シベリウス:ロマンス Op.78-2(1915-19)
ロンディーノOp.81-2(1915)
2つの荘厳な旋律 Op.77(1914-15)1. 賛歌 2. 献身
エイノユハニ•ラウタヴァーラ:我が心の歌(2000)
マッティ•ラウティオ:ディベルティメント第1番(1955)
1. 序曲 2. 子守歌 3.カンカン
昨年(2022年4月
27
日参照)で30回を迎え、ひと段落。31回目の今年はフィンランドに焦点を絞ったプログラム。前半に20世紀後半の作品を中心に、後半に1曲を除いて20世紀前半の調性のある作品を配置。初めて聴く作品ばかりで、前半は厳しい作風の作品が多く、20世紀の戦後の時代はこんなに暗い時代だったのか、と正直言って気が重くなった。これは当時の作曲界全体に浸透していたこの時代特有の感情なのだろうとは思うが。
今日の前半の作品群は、反抗心と強い独立性が感じられるローカルティ豊かな作風だ。北方人ならではの逞しさと民俗性、一筋縄では理解し難い、底力のある表現技法は彼等の独特な世界観を反映しているようだ。演奏は、特にその点を強調していたわけではないが、フィンランドという国の強いオリジナリティを明確に感じさせ、中々聞き応えがあった。
後半は対照的に諧謔的で明るい作品が多く、ほっと一息。また次回も来てみようか、と思わせ、明るく帰路につけた。よく考えられたる心憎いプログラミングだ。
チェロコンクール用に書かれた作品が2曲あって、前半にサッリネンと後半最初のサーリアホ。2曲とも20世紀末に作曲され、チェロの演奏技法のほぼ全てが網羅された難易度の高い作品だ。
サッリネンはプログラム解説にあったように、鬱積した民族の感情を描いており、今日の前半の作品群の中ではもっとも説得力のある作品。ほの暗い感情を見事に引き出した文屋の演奏が見事。コンクール挑戦者ならもっとメリハリをつけて大袈裟な表情をつけるのだろうが、程よくバランスのとれた演奏で、この作品の内容がとても良く伝わってきた好演。
サーリアホはフラジオレットを多用した一風変わった作風だが、ヨーロッパナイズされた、インターナショナルな雰囲気が感じられ、サッリネンとは違った世界が描かれていて、その対象がよく伝わってきた演奏だった。
後半の作品群では、ラウタヴァーラだけが2000年の作品だが、作風はクラシックで、その他のシベリウスとその周辺の作曲家の作品と比較しても違和感がない。ここでの文屋の安定感はさすがで、音程や歌い方がピッタリはまっていて、どの作品も、多彩な表現で申し分ない。
見事だったのは、浅井のピアノ。前半の硬派な作品群と、後半の調性作品群とで音色を鮮やかに変え、様々な表情で文屋を支えたり、リードしたりと、見事なパートナー役を果たしていた。彼女無くして今日の演奏会の成功はなかっただろう。
プログラム解説はいつものように文屋が執筆。ナビゲーター役としては充分な内容だった。
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