2025/10/05

〈フランスの巨匠クープランの音楽を味わい、バッハ最晩年の傑作《音楽の捧げ物》の謎を読み解く!〉

岡山 潔 メモリアルコンサート Vol.5


2025年10月4日16:00  ふきのとうホール


寺神戸 亮/ヴァイオリン

前田 りり子/バロック・フルート

上村 かおり/ヴィオラ・ダ・ガンバ

曽根 麻矢子/チェンバロ


F.クープラン:「諸国の人々」より「フランス人」

J.S.バッハ:「音楽の捧げ物」


 古楽ファンなら知らない人はいない、というメンバーによるバッハとクープラン。期待にたがわず、巨匠2人の作品を存分に楽しめた演奏会だった。

 プログラムに掲載されていた寺神戸のメッセージによると、彼らはクープランを最も得意とするそう。

 しかしながら今日の演奏を聴いていると、作品の内容の違いにもよるが、バッハの方が格段に面白かった。エッジの効いた歯切れ良いリズム感と隙のない緊張感のある演奏で、全曲聴き終えると聴く方もちょっと疲れるほどの好演だった。

 アンサンブルリーダーの寺神戸のアクティヴなヴァイオリン、曽根のしなやかで落ち着き払った風格のあるチェンバロ、前田の全く乱れのない安定感抜群のトラヴェルソ、上村の全体を包み込むようなまろやかな音色のヴィオラ・ダ・ガンバなど、ソリストとしても申し分ない奏者達が一体となったアンサンブルは素晴らしかった。


 このクラスの演奏家だと、作品の凄さに負けずにバッハの醍醐味を存分に伝えてくれる。チェンバロソロの魅力的な3声のリチェルカーレはともかく、個々の謎めいたカノンなど一般的に人気があるとは全く思えないが、バッハのあらゆる作曲技法がこの作品に集約されている。彼らの演奏を聴くと晩年のバッハが到達したとてつもない高みがとてもよく伝わってきて、感心せざるを得ない。それだけではなく、音楽的に美しく深みが感じられ、カノンのテーマなど、さりげなく演奏される主題や対旋律の整った美しさは格別で、特にトリオ・ソナタの厚みのある響きと一瞬たりとも弛緩しない演奏は実に聞き応えがあった。

 アンコールにバッハのフーガの技法からコラールで、最晩年のバッハが目指した対位法による作曲技法の完結を暗示する作品。今日のプログラムの仕上げに相応しい選曲だった。


 前半のクープランが終了した後に寺神戸が「音楽の捧げ物」についての解説を十数分。このホールの主催事業ではプログラム解説が掲載されていないことがほとんどなので、細かいところまで解説してくれたのはうれしいが、レクチャーコンサートではないので、これらはプログラムノートに掲載し、読む読まないは聴衆の自由選択にするなどの工夫が必要だろう。

 王のテーマの楽譜が一つ掲載されているだけで、聴衆の理解度は飛躍的にアップするはず。演奏者に余分な負担をかけ聴衆を惑わせるよりはプログラム解説を充実させるべきだ。

 

 前半のクープランはバッハと対照的に柔らかな雰囲気を感じさせた演奏。

集中力があり、求心的な演奏であることは、後半のバッハと共通しており、このアンサンブルの真摯な姿勢が伺われてとても良かった。ただ、聴く方としてはときどき、ふっと力を抜いたしなやかさや色気を感じさせるような、もっと色彩感豊かな感覚を味わいたいところ。あまりフレンチらしくなく、もう少し遊び心があってもいいのでは、と思った。

 これは後半のバッハでも多少感じた点だが、そうは言いつつ、今日のプログラムはクープランもバッハもかなりの難曲。それを全く感じさせず、作品の魅力をダイレクトに伝えてくれた演奏者に大きな拍手を贈りたい。

2025/09/22

 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

2025年9月20日15:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/チョン・ミョンフン
ピアノ/藤田 真央
管弦楽/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団


ヴェルディ:歌劇「運命の力」 序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」


 

 前回札幌でミョンフンを聴いたのは確か1998年7月のPMF期間中。サンタチェチーリア管弦楽団を指揮しての演奏会だった。その後、東京フィルハーモニー交響楽団を指揮した演奏会を何度も聴く機会があったが、今回は20数年ぶりの札幌公演。無駄を一切省いた明確な先振りをする指揮ぶりと統率力は相変わらず。

 このオーケストラとは長期にわたって良好な関係を築き上げているようで、両者が生み出す演奏は間違いなく世界トップクラスの内容だ。


 冒頭の「運命の力」 序曲は、最初のトゥッティの垢抜けた響きの良さにまず感心させられた。続くフルート、オーボエ、クラリネットの表情豊かな見事なソロに感服。こんなに柔らかく美しい音色で、しかも細部までとても繊細に表現されたソロパートは初めての体験だ。以後、弦の歌い方、管楽器とのバランス、各声部の橋渡しの流れなど実にスムーズ。

 いつも演奏している作品だろうが、手を抜かずに満席の聴衆の期待を裏切らないきめ細かい丁寧な仕上げで、オペラ全部を観たくなるほど

 

 続くラフマニノフのソリスト、藤田真央は力演。札幌で聴くのは札響名曲シリーズでのシューマンのコンチェルト以来。集中力があり、技術的には申し分なく、感性も豊か。熱演だったが、骨太な逞しさよりはやや線の細さを感じさせた演奏。弱音はきれいだが、大きな音になると音色はちょっと硬めになり、すっきりと抜けてこないのが惜しかった。体の前後の動きが大きく、それに合わせて音楽が断片的に聴こえてくるような錯覚を与える場合もあり、これはあまり良くない癖。

 ミョンフンの指揮は冴えていて、この作品で、こんなに見事なオーケストラ演奏を聴いたのは初めてだ。素晴らしいホルンのソロ、弦の振幅の広い豊かな歌い方など、その表現力は実に聞き応えがあった。先走りがちなソリストに正しいテンポを指示するような冷静な合わせと、ヨーロッパの雄大な大地を想起させるスケール豊かな表情の演奏を聴かせてくれた。

 これに対して藤田は例えれば、都会の賑やかで華やかな風景を想起させるような演奏か。ただ、オーケストラの重厚な表現力に圧倒されがちで、音楽的に彼らと対等にやりあうには、もう少し時間が必要のようだ。


「悲愴」は微に入り細に入り綿密に仕上げた演奏。第1楽章の序奏部でのファゴットのソロも見事だが、低弦を中心とした弦楽器群と共に生み出すハーモニーの美しさがこのオーケストラの実力を示していたのでは。続く主題の呈示部での細かく正確なアーティキュレーションの表情や、歌い過ぎずに冷静に表現した有名なニ長調の第2主題など、一つ一つ挙げていくときりがないほど印象に残った演奏だ。

 第2楽章のチェロの主題は中庸な表現。同時に全体的な響きをまとめ上げていくバランス感覚がとてもいい。第3楽章での躍動感が見事で、全奏でも響きが重くならず、すっきりとした歯切れ良い表情。地声にならず音楽的に良く統率された発音と音色で終始演奏して行くのが心地よい。

 終楽章はあまり重くなり過ぎず、大袈裟にならない表現で、終始客観的で落ち着いた仕上がり。全体的に知的で多少冷たい雰囲気を感じさせた「悲愴」だ。やや恣意的な雰囲気を漂わせるところもある設計で、そこが気になる聴き手も居そうだ。

 しかしながら全体的なプロポーションの良さと密度の濃い仕上がりは申し分なく、かつてこのKitara大ホールで演奏されたチャイコフスキーの交響曲では、2008年9月にムーティの指揮で聴いたウィーン・フィルの第5番以来の名演奏と言っても過言ではないだろう。

 このオーケストラの過去の来日公演では錚々たる名指揮者が振っており、やはりオーケストラ自体が持っている潜在能力は極めて高いようだ。


 アンコールにマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲とロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲。

 マスカーニでは、弦楽器グループの優しい音色で存分に楽しませてくれ、管楽器群はしばしの休憩。最後にロッシーニでその全てのエネルギーを爆発させた華麗な演奏を聴かせ、聴衆へのサービスも怠らない。

 「ウィリアム・テル」序曲は確か98年のサンタチェチーリア管弦楽団札幌公演でも最後に演奏した作品。これを目当てに来場した聴衆も多かったのではないか。オーケストラが退場した後も拍手が鳴り止まず、これは比較的物静かな聴衆が多い札幌では珍しい現象だった。

2025/09/15

 森の響フレンド札幌交響楽団名曲コンサート

~ブラームスとポンマー

 2025年9月13日14:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮 /マックス・ポンマー

管弦楽/札幌交響楽団


C.P.E. バッハ:シンフォニア ニ長調 Wq.183/1

ヘンデル :「水上の音楽」組曲第2番

ブラームス:交響曲第2番


 ポンマー89歳。前回来札は2023年8月。足元が多少おぼつかないものの、プレトークではいつ話し終わるのかと心配させるほど元気な様子を披露、果たして指揮でも年齢を全く感じさせないスケール感ある指揮ぶりで聴衆を安心させた。
 今日は全てニ長調でのちょっと渋めのなかなかいいプログラム。エマニュエル・バッハは札響初演か。こういう一癖も二癖もある個性的な作品を振らせると、本当に上手い。まろやかさがあって、ちょっとした微笑みかける表情など、細かいところまで目配りを忘れず、好演。

 ヘンデルは、これぞバロックと思わせるいかにもヘンデルらしい荘厳さと明晰がある演奏。絶妙なテンポ感と柔軟な感覚が醸し出す全体的雰囲気は日本人指揮者からは聴けない心地良さがある。長年の豊富なキャリアを感じさせ、小編成による歯切れ良さがありながらも、硬さはなくとても聴きやすい、いい演奏だった。


 ブラームスは、アーティキュレーションをクリアに指示し輪郭を明確にしながら、ふくよかに歌い柔和な感覚で全体をまとめ上げた名演。この明快にして柔軟な感覚はポンマーならでは。こういうヨーロッパナイズされた懐の深い演奏は、なかなか聴く機会がない。単に年齢を重ねたベテランだから、と言うことではなく、ありふれた言い方だが、ヨーロッパでの長い歴史と伝統を会得した、感性豊かな指揮者ならではの音楽性が滲み出ている。

 これに対して、オーケストラの反応は今ひとつのところがあり、特に前半では管楽器セクションにやや不調な様子が見えたのは惜しい。こういう指揮にしっかりと応えて、万全な演奏を聴かせてくれると聴衆としてはとても嬉しいのだが。

 と思っていたら、アンコールに第3楽章をもう一度演奏、これがすっきりと力が抜けたとてもまろやかで素敵な演奏。あらためてこのオーケストラの良さに感心した次第。こういう演奏を本番でも聴かせて欲しかった。


 ポンマーは後半になればなるほど次第に元気になってきたようで、是非またの来札を期待したい。

 この9月からフルートの首席に就任したクリス・ウォンはピッチ、音色がきれいで、アンサンブル感覚も申し分ないとてもいい奏者。札響を聴く楽しみがひとつ増えたが、試行期間からずっと聴いてきた印象を言うと、やや音がオーケストラ内にこもりがちで聴衆にメッセージがよく伝わって来ないときがある。まだ遠慮しているのかもしれないが、もっとソリスティックに演奏してもいいのでは。これからの活躍に期待しよう。

 コンサートマスターはポンマーを陰からしっかりと支えていた会田莉凡。

 

2025/09/08

 札幌交響楽団 第671回定期演奏会

 2025年9月 7日13:00 札幌コンサートホール Kitara大ホール


指揮 /下野 竜也<札響首席客演指揮者>

ピアノ /アンヌ・ケフェレック


ベートーヴェン :序曲「コリオラン」

ベートーヴェン :ピアノ協奏曲第4番

ジョン・アダムズ:ハルモニーレーレ(和声学)


 ジョン・アダムスのハルモニーレーレは札響初演。配布プログラム解説(白石美雪)によると作品は1984〜5年の作曲。この種の作品としては演奏機会が多く、映像や録音で気軽に作品に親しむことができる。作曲者が昨年来日してこの作品を首都圏で指揮したのは記憶に新しい。

 しかし、やはりライブで聴くと作品の違った側面が見えてきて面白い。いわゆるミニマル・ミュージックに属する作品だが、今日の下野は、その現代的な側面より明らかに後期ロマン派の方向を向いた作品として、聴衆に紹介してくれたようだ。

 今日の演奏を聴く限りでは思いのほか聴きやすく、明らかに調性音楽で、かつロマンティックで古風な作品だ。ハーモニーは基本的に協和音中心で、全体として響きもきれい。現代作品に聴くような調性音楽を否定するような不協和音はほとんどない。

 下野は、随所に現れる息の長い旋律をよく歌わせ後期ロマン派の色合いを濃く表現、ミニマルな同型反復形は終楽章を除き、ほぼ伴奏形の扱い。第2楽章は明確な調性はないにしても明らかに調性崩壊以前の後期ロマン派の音楽。終楽章でやっとミニマル・ミュージックが主体となった表現が登場するが、これも色々な作曲家を想像させる表現が予想以上に多く、どことなくノスタルジーを感じさせ、20世紀前半の作曲家へのオマージュ的な作品か、と思わせたのも、下野の解釈のためだろう。

 一方で、下野はアンサンブルをよくコントロールし、特に札響の良質な響きを無理なくよく導き出していたのが良かった。全体的バランス、響き、音色などの細部にわたる表現はオーケストラに委ねていたようだ。ハーモニーはきれい、バランスは申し分なく、特に金管楽器群がとてもよくコントロールされていて、豪放的になりがちな息の長い箇所など、見事に制御されており、これは実に聞き応えがあった。

 弦楽器群の主題も全体の響きの中で調和するよう、いいバランス感覚で演奏されていて好演。これは下野の指示というよりは、明らかにオーケストラ自身が持っている感性が反映されたようで、表情が固くならずに滑らかで、しかもスマートに仕上がっていた。これは札響ならではの特徴だろう。

 オーケストラの地力が問われる作品でもあるが、その点では今日の演奏は大成功だったと言っても過言では無いだろう。


 ベートーヴェンのピアノ協奏曲はやや編成を小さくしての10型。ソリストのアンヌ・ケフェレックはもうデビューして半世紀以上も経つが、衰えはない。

 音楽は、弾くというよりは静かに語りかけてくるような大成した大人の音楽。陰影豊かで即興的要素も感じさせる自由な感性でオーケストラとの対話を楽しんでいたようだ。ただし、隙はなく、厳しさもあり、それに対してオーケストラは表現がやや定番過ぎたようで、ケフェレックの要求に細部で対応し切れないところがあったようだが、全体としていいアンサンブルだった。使用スタインウェイは音がすっきりと抜け、かつ柔らかく優しい音色で申し分なかった。

 アンコールにヘンデルのメヌエット。ピアニッシモを主体にした瞑想的な雰囲気で心に染み入るような演奏。アンコールも含め、これはケフェレック以外誰からも聴くことのできない心の琴線に触れる名演奏だった。


 そのほかに冒頭にコリオラン序曲。好演だったが、平凡。誰もが知る名曲だけに、定期で取り上げるならもっと掘り下げた演奏を期待したかった。

 コンサートマスターは田島高宏。

2025/08/31

 美しき水車小屋の娘 全曲演奏会

2025年8月30日16:00 ふきのとうホール


ピアノ/小林道夫 

バリトン/大西宇宙 


シューベルト:美しき水車小屋の娘 全曲


 最近は札幌でドイツリートをじっくり聴く機会が少なく、シューベルトの水車小屋の娘全曲演奏会は久しぶり。トータルの印象としては大西の表情豊かな歌と小林の弾くベーゼンドルファーの柔らかい音色とが一体となった充実した演奏会だった。

 今年92歳の小林道夫は、毎年この時期にふきのとうホール主催事業に登場するのが通例のようだ。昨年8月にはチェンバロでゴルトベルク変奏曲全曲を(2024年8月31日)、今年はピアニストとしてシューベルトを大西宇宙と共演。年齢を感じさせない安定した演奏は実に素晴らしい。

大西は2023年12月に札響の第九のソリスト(2023年12月18日)で張りのある堂々としたバリトンソロを披露し観客を魅了したのは記憶に新しい。

 

 ピアノはホール備え付けのベーゼンドルファーのセミコンを使用。ピアノの蓋は全開で、音色が綺麗に揃っていて豊かな音量。いい調整だった。

 歌は美声でホール全体に響くゆとりある声量。ここのホールならではの空間の響きを活かした見事なアンサンブルで、聞き応えがあった。

 主導権は明らかに小林にあり、おそらくきめ細かいリハーサルを積んでの本番だったのだろう。小林の見事なサポートぶりは長年のキャリアを反映させたもので、大西の細かい表情やブレス、フレージング、特に言葉に微に入り細に入り寄り添った演奏は他の誰からも聴けないもの。


 大西の声は美声で、それだけでも魅力的。今までオペラではびわ湖ホールでワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー(2023年3月2日)」でフリッツ・コートナー役を歌うのを聴いたことがあるがリートは初めて。

 特に印象に残ったのは第6曲の「うたがい」や第13曲目の「緑のリボンで」などでの豊かな表情、また終曲の「小川の子守歌」での優しく繊細で静かな感情の動きはこのホールでなければ聴けなかったもの。


 当日の配布プログラムは曲目と演奏者の経歴が掲載されているものの、曲目解説、歌詞対訳が無い。歌詞対訳がなかったおかげで聴衆は演奏に集中でき、対訳をめくるノイズがなかったのはとても良かった。だが、誰もが皆この作品の内容に熟知しているわけでは無いので、鑑賞の手引きが一切無いのは、ホールの方針だとしてもちょっとつらいし、不親切だ。和訳だけ添付するとかの工夫が欲しい。

 また、こういうシチュエーションだと、とても贅沢な要求だが、歌い手にはより厳しい要求をしたい。

 もっと言葉が明瞭に聴こえてきて良かったし、場所によっては歌うよりは話すように、表現にもっと細やかさがあった方が聴衆はより作品を堪能できたのでは無いか。内容が全てわからなくとも、言葉と表情で今何を表現しているか、聴衆によりきめ細かいメッセージを伝えてくれると、ドイツリートを聴く楽しみがもっと身近になるのではないか。


 最近のリートの歌い手は言葉の一つ一つの意味をいかにきめ細かく表現するかに神経を費やしているようで、そのこだわりは聴き手にはとてもありがたい。ドイツ人でなければドイツ語の詩を正統的に表現できない、という時代では無くなったようだ。


 シューベルトの名曲がアンコールで2曲、「楽に寄す」と「菩提樹」。伸びやかで明るい表現で歌い込めれていて、とても良かった。

 なお、大西宇宙は2026年1月10日に開催の「Kitaraのニューイヤー」に出演オペラのアリアを披露する予定。こちらも大いに楽しみだ。

2025/08/15

新制作 創作委嘱作品・世界初演 

細川俊夫「ナターシャ」


全1幕(日本語、ドイツ語、ウクライナ語ほかによる多言語上演/日本語及び英語字幕付)

8月13日14:00  新国立劇場 オペラパレス


台 本:多和田葉子
作 曲:細川俊夫
指 揮:大野和士
演 出:クリスティアン・レート
美 術:クリスティアン・レート、ダニエル・ウンガー
衣 裳:マッティ・ウルリッチ
照 明:リック・フィッシャー
映 像:クレメンス・ヴァルター  
電子音響:有馬純寿
振 付:キャサリン・ガラッソ 
舞台監督:髙橋尚史

ナターシャ:イルゼ・エーレンス
アラト:山下裕賀
メフィストの孫:クリスティアン・ミードル
ポップ歌手A:森谷真理
ポップ歌手B:冨平安希子
ビジネスマンA:タン・ジュンボ
サクソフォーン奏者:大石将紀
エレキギター奏者:山田 岳


合唱指揮:冨平恭平
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団



 注目の新制作「ナターシャ」の2日目公演を観る。細川俊夫が電子音響を駆使しての作曲、多和田葉子の多言語台本など話題豊富な作品だ。

 鑑賞のポイントとしては事前の様々な広報資料を読むしかないが、ベストはプログラムに掲載されていた長木誠司の「オペラの現在地」に尽きる。これを事前にアップして欲しかった。


 多言語とは言ってもほとんどが日本語とドイツ語だが、劇中で突然朗唱される日本語を聴くと強烈な印象を受けると同時に、個人的には強い違和感を感じる。いつもの定番メニューの作品を観るのとは全く違うインパクトがある。日本語はやはり西洋音楽とは親和性がないのだ、と思わせることがこの多言語上演の狙いか、と勘繰りたくもなる。

 その多和田葉子の台本は、ゲーテの「ファウスト」やダンテの「神曲」地獄篇、旧約聖書の「天地創造」の様々な場面を想定しながら書き上げたもの。おそらくキーワードは「海」と「地獄」と「現代の世相」か。

「海」は細川作品の原風景、「地獄」は「現代の世相」を反映しており、大震災と原発事故、コロナ禍と世界各地の紛争・戦争、に加え、海に溜まるプラスチック廃棄物などの公害と人間関係を損なう社会構造が含まれる。

 以上のような背景で、実際の作品は序章と7つの地獄が描かれる。


 見事だったのは、演出・美術。全編通じて基本コンセプトは「海」と思われる陰影豊かな奥行きの深い映像が場面ごとに様々に変容して流れ、落ち着いた色彩で最後まで聴衆を惹きつけた。これは観劇の楽しみとしては最高の仕上がりだった。

 観劇の楽しみの観点から言えば、第4場のビジネス地獄など、舞台を埋め尽くした、机に座った多数のビジネスマンがキーボードを打つ場面が展開され、いかにも、という雰囲気。もちろん音楽はそこから多くのイメージを開いて行くのだが、このシーンと、後半で登場する訳のわからないスローガンを掲げたデモ隊は、このオペラ全体から観てもどうも腑に落ちず、馴染まない。

 前半で描かれた第4場までは、細川の音楽が今までのイメージとは違って、彼方此方に広がり過ぎているように感じられ、やや散漫な印象。ところが全体を観ると、これは細川の計算通りの世界だったようだ。


 休憩後の後半の3場面は苦悩を経て歓喜へ、という全体スローガンが見えてきて、一挙に一つの焦点に向かって進んでいく高揚感が繊細なタッチで描かれ、前半全てはこの序章に過ぎなかったのだ、と感じられたほど。

 電子音響を駆使しての細川俊夫の作品は、細川の意図を見事に反映した電子音楽担当の有馬純寿の優れたセンスが光る。人工的サウンドが前半では細川のイメージとはちょっと違う印象だったが、後半の3章では柔らかい優しい音色でオーケストラと一体となった電子音で美しい主役2人の心情がよく描かれていてとても良かった。

 前半での混沌とした世界を、後半で解決するという計算され尽くした世界だったのだろう。同時に無調から調性のある世界へ歴史を逆戻りさせることによって聴衆に安心感を与えてくれた。もう一度観ると、もっと細部が見えてきて、より作品に親しみが湧いてきそうなオーケストレーションだ。


 個々の歌手、合唱は良かったが、何よりも全体を統括した音楽監督の大野の指揮が素晴らしい。誠実で丁寧で、しかも音楽的な広がり・表現力が見事。

 親しみやすさがあり、この作品を身近な存在としてまとめ上げた功績は大きいだろう。 

 この作品に限らず、初演作品は一度観ただけではわからない。しかもほとんどの聴衆にとってこれから何度も鑑賞機会があるとは限らない。

 事前に情報収集し、GPにも立ち会い作品の価値を絶賛するナビゲーターの存在も大切だが、大野和士のような、一度観ただけでもその素晴らしさが伝わるようにキャストを選び、優れた上演をして作品を紹介してくれる芸術監督の存在は貴重だ。この作品が一部のマニアックなファン層だけではなく、万人が楽しめ理解することが出来る現代舞台作品としてブラッシュアップして再演されることを期待したい。



2025/07/28

 PMF GALAコンサート

2025年7月27日15:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


【第1部】
ファニー・クソー(第25代札幌コンサートホール専属オルガニスト)
パシフィック・クインテット
 アリーア・ヴォドヴォゾーヴァ(フルート)
 フェルナンド・ホセ・マルティネス・サヴァラ(オーボエ)
 リアナ・レスマン(クラリネット)
 長谷川花(ファゴット)
 ヘリ・ユー(ホルン)
 
【第2部】
指揮/マレク・ヤノフスキ
チェロ/スティーヴン・イッサーリス*
PMFアメリカ
PMFオーケストラ


【第1部】
【ファニー・クソー】
◆R. シュトラウス(F. クソー編):ツァラトゥストラはかく語りき 作品30
◆ワーグナー/リスト:歌劇「タンホイザー」から巡礼の合唱

【パシフィック・クィンテット】
◆バーンスタイン (D. スチュワート編):「キャンディード」序曲
◆モーツァルト (メイヤー編):アンダンテ ホ長調 K. 616
◆クルーグハルト:木管五重奏曲 作品79 

◆サリー・ビーミッシュ:ネーミング・オブ・バード
◆ラヴェル(M. ジョーンズ編):クープランの墓

【第2部】
◆ワーグナー:歌劇『ローエングリン』第1幕への前奏曲
◆シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 作品129*
◆シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
◆R. シュトラウス:交響詩「死と変容」作品24



 まず第2部から。ヤノフスキーは今年86歳、PMF登場の最高年齢指揮者かもしれない。ただし、年齢を感じさせない見事な統率力と落ち着いた音楽づくりはさすがベテラン指揮者で、貫禄充分。 

 冒頭のワーグナーは16型を基本とする大編成で、今回は舞台下手側からヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの配列。ヴァイオリンが主役で、様々な音型を奏でながら音楽が進むが、それがどうもざわついているようで、何をどのように表現したいのかが、よくわからない。そのうち落ち着くだろう、と思っているうちに終了してしまった、というのが正直な印象。やや不消化の状態で、残念。


 シューマンのソリストはスティーヴン・イッサーリス。2005年に札響定期でエルガーの協奏曲を演奏している。おそらくそれ以来の来札か。個人的には10年ほど前にブダペストで室内楽のメンバーとして熱演していたのを偶然聴いた。いいチェリストだ。

 トレードマークの長髪を振り乱し、情熱的でエネルギッシュな演奏のシューマン。作品は決してスマートではないが、奥に潜むシューマンならではの熱い情念が見事に表出された名演だった。響きが翳るところもあったが、演奏の際に使用したチェロ台のためか。ここのホールはチェロ台を使わない方がよく響くような気がする。オーケストラはヤノフスキーがよくまとめ上げ好演。

 

 後半のシューマンの交響曲はよく練られた演奏でさすがヤノフスキー。弦楽器セクションがPMFならではの大人数でこんなに大きな編成でこの交響曲を聴いたのは初めてだ。ただし冒頭のワーグナーでのざわついた響きはなく、ここでは大編成ならではのゆとりのある深く居心地のいい弦楽器の響きを創出していた。

 しかもその響きは明るい音色というよりは最近あまり聴く機会が少なくなった、どちらかと言うと渋めの音色。PMFオーケストラではあまり聴けないベテランオーケストラ風の重厚感があり、中々いい音だった。

 ホルンを中心とした管楽器群もバランスの取れた力みのない音を出しており、弦楽器の大群とよく調和。

 全体的にはヤノフスキーが大編成オーケストラを見事に統率、バランス感覚に優れた中庸な解釈でいいシューマンを聴かせてくれた。


 後半さらにもう一曲、R. シュトラウス。これまではPMFアカデミー生だけによるオーケストラだったが、ここからはコンサートマスターにヌリット・バー・ジョセフが座るなど、要所要所にPMFアメリカ教授陣が加わった豪華布陣。さすがに良質な響きと卓越したソロなどが聴こえてくる。オーケストラのトッププレイヤーが数人加わるだけで、こんなに響きが変わる体験ができるのはPMFならでは。

 フィナーレに相応しい豪華絢爛な大編成だが、ヤノフスキーが暴走しがちな若々しいエネルギーを見事にコントロール。派手過ぎず、地味にもならず、音楽的に見事にまとめ上げた、スケールの大きい演奏を披露。味わい深い職人的指揮で、R. シュトラウスの豊穣な響きをホールいっぱいに響かせ、聴衆を楽しませてくれた。


 ガラコンサート前半は札幌コンサートホール専属オルガニストのファニー・クソーの演奏とPMF参加を機会に編成されたパシフィック・クインテットの演奏があった。

 オルガンソロはやや軽めのプログラムで、Kitaraのオルガンの持つ優れた機能が充分発揮されておらず、ちょっと残念。せっかくの機会なのでもっと重厚な作品が聞きたかった。

 パシフィック・クインテットは若々しくエネルギッシュな演奏。ただ、最後はちょっとお疲れ気味だったようだ。聞き手としては後半の第2部も考えて、もう少し短いプログラムで、中身をもっと濃い演奏にした方が良かったような気がする。


 今回のガラ・コンサートは15:00開演で、2回の休憩挟み、終演は19:00。第1部、第2部共に少々長めで、プログラミングにもう少し工夫が欲しかった。