回想の名演奏
追悼 秋山和慶氏
〜1997年 札幌コンサートホールこけら落とし公演
1997年7月4日19:00 札幌コンサートホールKitara大ホール
指揮/秋山和慶(ミュージックアドバイザー兼首席指揮者)
フルート/工藤重典
オルガン/小林英之
管弦楽/札幌交響楽団
R・シュトラウス:祝典序曲
モーツァルト:フルート協奏曲第1番
サン=サーンス:交響曲第3番『オルガン付き』
秋山和慶氏が亡くなった。84才だった。氏は1988年4月から98年3月まで札幌交響楽団のミュージックアドバイザー兼首席指揮者を務めた。その就任期間中の97年7月札幌コンサートホールKitaraがオープン、そのこけら落とし公演の指揮者という重責を担ったのが秋山だった。
開館記念式典とこけら落としコンサート
札幌コンサートホールがオープンしたのは1997年7月4日。同日14:00から開館記念式典が行われ、冒頭に秋山の指揮で、三善晃作曲の『札幌コンサートホール開館記念ファンファーレ〜23の金管のための』で開幕した。このホールで公式に最初に演奏された作品で、従って秋山は札幌コンサートホールで最初に指揮をした記念すべき指揮者だ。
式典のあと、記念演奏があり、小林英之のオルガンソロと、鹿討譲二指揮で札幌市内中学校選抜68名による吹奏楽演奏、そして秋山の指揮で、札幌交響楽団と札幌合唱連盟によるベートーヴェン交響曲第9番の第4楽章が演奏されている。
ちなみにこのときの「第9」のソリストはソプラノ針生美智子、アルト西明美、テノール五郎部俊明、バリトン木村俊光。
そして同日夜には札幌交響楽団と秋山和慶の指揮で「こけら落としコンサート」。一般聴衆を迎えての初めてのコンサートだった。
翌々日の6日(日曜日、15:00開演)にはオープン記念コンサートとして、同じく秋山の指揮と札響、小林英之のオルガンでレスピーギの「ローマ三部作」が演奏されている。
この週はまさしく秋山週間で、今思うと寡黙な秋山の獅子奮迅の大活躍だった。
札幌コンサートホールがオープンするまで、札幌交響楽団は1961年の創立以来札幌市民会館と北海道厚生年金会館を本拠地としていた。97年以降は札幌コンサートホールに本拠地を移し、新しい展開を迎える過渡期だった。
こういう時期にあって、秋山の凄いところはこれらのコンサートを冷静に、物静かに淡々とこなし、しかも破綻なく、過不足なくオーケストラをまとめ上げていった手腕だ。その見事な指揮ぶりは今でも忘れられない。
秋山無しではこのオープニングシリーズは考えられなかった、と言っても過言ではないだろう。
札幌コンサートホールと秋山和慶
これ以降の札幌コンサートホール主催事業での秋山と札響との共演は、2002年7月4日の「開館5周年記念コンサート」でやはりベートーヴェンの第九交響曲全曲を振っている。このときのソリストはPMF出身の歌手、合唱は97年同様札幌合唱連盟だった。
2007年1月11日 には「Kitara のニューイヤー」を指揮。当時の専属オルガニスト、ギラン・ルロワ とサン=サーンス 交響曲 第3番 ハ短調「オルガン付き」 を演奏し、97年のこけら落としの再現となった。そのほか、ニューイヤー定番のシュトラウスの作品が演奏されている。
秋山は2年後の2009年1月10日のKitaraのニューイヤーにも登場している。このときは、当初指揮者に予定していた若杉弘が体調不良につき降板、ピンチヒッターとして急遽秋山に指揮をお願いした。若杉ならではのユニークなプログラムだったが、変更することなくその全てを指揮し、秋山の実力、底力を示してくれたコンサートだった。札幌コンサートホールの主催事業登場はこれが最後だった。若杉弘氏はこの年の2009年7月に亡くなっている。
2009年Kitaraのニューイヤー プログラム
J.S.バッハ(ストコフスキー編)平均律クラヴィーア曲集 第1集より前奏曲ロ短調BWV869
モーツァルト 交響曲 第29番 イ長調 K201(186a)
マーラー 交響的楽章「花の章」
交響曲 第4番より天上の生活—私たちは天上の歓喜を受ける
「子供の魔法の角笛」より だれがこの歌を作ったのだろう
ヨゼフ・シュトラウス ワルツ「天体の音楽」op.235
近衛秀磨 越天楽(オーケストラ版)
モーツァルト 3つのドイツ舞曲 K605より 第2曲 ト長調、第3曲 ハ長調「そり遊び」
モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K165(158a)より アレルヤ
シューベルト 軍隊行進曲 op.51 D733(オーケストラ版)
ヨゼフ・シュトラウス ポルカ「鍛冶屋」op.269
ヨハン・シュトラウス2世ワルツ「春の声」op.410
札幌交響楽団と秋山和慶
ここで秋山と札幌交響楽団主催事業での共演歴を簡単に振り返ってみよう。初共演は1968年の第76回定期演奏会(9月19日、札幌市民会館)で、曲目はプロコフィエフ/交響曲第1番ニ長調op.25「古典」、ドヴォルジャーク/弦楽のためのセレナードホ長調op.22、ショスタコーヴィチ/交響曲第1番ヘ短調op.11、となかなか溌剌とした、しかし当時としてはかなり渋いプログラムで初共演している。
以来札幌交響楽団の定期演奏会と名曲シリーズでの共演は60回を越える。札響の追悼文によると、秋山は札響のレパートリーの拡大に大きな功績があった、とあるが、確かに秋山の演奏会プログラムはユニークだった。
以上の札響主催事業は札響のHPで公開されている60年史デジタルアーカイブで検索したもの。検索ではヒットしない札響主催コンサートでは、現在も継続している名曲シリーズの記念すべき第1回が1996年、札幌市民会館で開催され、確か秋山が振っている。
このシリーズは当時の事務局が札幌コンサートホールがオープンするにあたり、札響としても来場者を増やすために新機軸のコンサートを企画したい、というコンセプトではじめたシリーズで、定期演奏会では聴けない名曲を紹介していく、というものだった。第1回は空席が多く、前途多難だったが、現在は定番メニューとして定着し、隔世の感がある。
秋山時代最後の定期は1998年3月の記念すべき第400回定期演奏会。マーラーの大曲、交響曲第7番『夜の歌』だった。その後秋山は定期、名曲、年末の第九等にたびたび来札、2024年9月が最後の共演となった。(文中、敬称略)
札幌交響楽団HPでの公式発表は以下の通り。
元札響ミュージックアドバイザー兼首席指揮者の 秋山和慶氏が、2025年1月26日肺炎のため逝去されました(享年84)。
今年1月1日にご自宅で転倒、治療に専念するため23日に音楽活動からの引退を表明され、秋山氏のご回復を心より願っていたところ、この度の一報を受け、悲しみに堪えません。
当団とは1968年の定期演奏会で初共演、86年12月から首席客演指揮者、88年4月から98年3月までミュージックアドバイザー兼首席指揮者を務めました。 この間、札響のレパートリーを広げ、東京公演を定例化、名曲シリーズをスタートさせるなど、楽団の発展にご尽力をいただきました。
札響との共演は、昨年9月の名曲コンサートが最後となりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。