2025/08/31

 美しき水車小屋の娘 全曲演奏会

2025年8月30日16:00 ふきのとうホール


ピアノ/小林道夫 

バリトン/大西宇宙 


シューベルト:美しき水車小屋の娘 全曲


 最近は札幌でドイツリートをじっくり聴く機会が少なく、シューベルトの水車小屋の娘全曲演奏会は久しぶり。トータルの印象としては大西の表情豊かな歌と小林の弾くベーゼンドルファーの柔らかい音色とが一体となった充実した演奏会だった。

 今年92歳の小林道夫は、毎年この時期にふきのとうホール主催事業に登場するのが通例のようだ。昨年8月にはチェンバロでゴルトベルク変奏曲全曲を(2024年8月31日)、今年はピアニストとしてシューベルトを大西宇宙と共演。年齢を感じさせない安定した演奏は実に素晴らしい。

大西は2023年12月に札響の第九のソリスト(2023年12月18日)で張りのある堂々としたバリトンソロを披露し観客を魅了したのは記憶に新しい。

 

 ピアノはホール備え付けのベーゼンドルファーのセミコンを使用。ピアノの蓋は全開で、音色が綺麗に揃っていて豊かな音量。いい調整だった。

 歌は美声でホール全体に響くゆとりある声量。ここのホールならではの空間の響きを活かした見事なアンサンブルで、聞き応えがあった。

 主導権は明らかに小林にあり、おそらくきめ細かいリハーサルを積んでの本番だったのだろう。小林の見事なサポートぶりは長年のキャリアを反映させたもので、大西の細かい表情やブレス、フレージング、特に言葉に微に入り細に入り寄り添った演奏は他の誰からも聴けないもの。


 大西の声は美声で、それだけでも魅力的。今までオペラではびわ湖ホールでワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー(2023年3月2日)」でフリッツ・コートナー役を歌うのを聴いたことがあるがリートは初めて。

 特に印象に残ったのは第6曲の「うたがい」や第13曲目の「緑のリボンで」などでの豊かな表情、また終曲の「小川の子守歌」での優しく繊細で静かな感情の動きはこのホールでなければ聴けなかったもの。


 当日の配布プログラムは曲目と演奏者の経歴が掲載されているものの、曲目解説、歌詞対訳が無い。歌詞対訳がなかったおかげで聴衆は演奏に集中でき、対訳をめくるノイズがなかったのはとても良かった。だが、誰もが皆この作品の内容に熟知しているわけでは無いので、鑑賞の手引きが一切無いのは、ホールの方針だとしてもちょっとつらいし、不親切だ。和訳だけ添付するとかの工夫が欲しい。

 また、こういうシチュエーションだと、とても贅沢な要求だが、歌い手にはより厳しい要求をしたい。

 もっと言葉が明瞭に聴こえてきて良かったし、場所によっては歌うよりは話すように、表現にもっと細やかさがあった方が聴衆はより作品を堪能できたのでは無いか。内容が全てわからなくとも、言葉と表情で今何を表現しているか、聴衆によりきめ細かいメッセージを伝えてくれると、ドイツリートを聴く楽しみがもっと身近になるのではないか。


 最近のリートの歌い手は言葉の一つ一つの意味をいかにきめ細かく表現するかに神経を費やしているようで、そのこだわりは聴き手にはとてもありがたい。ドイツ人でなければドイツ語の詩を正統的に表現できない、という時代では無くなったようだ。


 シューベルトの名曲がアンコールで2曲、「楽に寄す」と「菩提樹」。伸びやかで明るい表現で歌い込めれていて、とても良かった。

 なお、大西宇宙は2026年1月10日に開催の「Kitaraのニューイヤー」に出演オペラのアリアを披露する予定。こちらも大いに楽しみだ。

2025/08/15

新制作 創作委嘱作品・世界初演 

細川俊夫「ナターシャ」


全1幕(日本語、ドイツ語、ウクライナ語ほかによる多言語上演/日本語及び英語字幕付)

8月13日14:00  新国立劇場 オペラパレス


台 本:多和田葉子
作 曲:細川俊夫
指 揮:大野和士
演 出:クリスティアン・レート
美 術:クリスティアン・レート、ダニエル・ウンガー
衣 裳:マッティ・ウルリッチ
照 明:リック・フィッシャー
映 像:クレメンス・ヴァルター  
電子音響:有馬純寿
振 付:キャサリン・ガラッソ 
舞台監督:髙橋尚史

ナターシャ:イルゼ・エーレンス
アラト:山下裕賀
メフィストの孫:クリスティアン・ミードル
ポップ歌手A:森谷真理
ポップ歌手B:冨平安希子
ビジネスマンA:タン・ジュンボ
サクソフォーン奏者:大石将紀
エレキギター奏者:山田 岳


合唱指揮:冨平恭平
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団



 注目の新制作「ナターシャ」の2日目公演を観る。細川俊夫が電子音響を駆使しての作曲、多和田葉子の多言語台本など話題豊富な作品だ。

 鑑賞のポイントとしては事前の様々な広報資料を読むしかないが、ベストはプログラムに掲載されていた長木誠司の「オペラの現在地」に尽きる。これを事前にアップして欲しかった。


 多言語とは言ってもほとんどが日本語とドイツ語だが、劇中で突然朗唱される日本語を聴くと強烈な印象を受けると同時に、個人的には強い違和感を感じる。いつもの定番メニューの作品を観るのとは全く違うインパクトがある。日本語はやはり西洋音楽とは親和性がないのだ、と思わせることがこの多言語上演の狙いか、と勘繰りたくもなる。

 その多和田葉子の台本は、ゲーテの「ファウスト」やダンテの「神曲」地獄篇、旧約聖書の「天地創造」の様々な場面を想定しながら書き上げたもの。おそらくキーワードは「海」と「地獄」と「現代の世相」か。

「海」は細川作品の原風景、「地獄」は「現代の世相」を反映しており、大震災と原発事故、コロナ禍と世界各地の紛争・戦争、に加え、海に溜まるプラスチック廃棄物などの公害と人間関係を損なう社会構造が含まれる。

 以上のような背景で、実際の作品は序章と7つの地獄が描かれる。


 見事だったのは、演出・美術。全編通じて基本コンセプトは「海」と思われる陰影豊かな奥行きの深い映像が場面ごとに様々に変容して流れ、落ち着いた色彩で最後まで聴衆を惹きつけた。これは観劇の楽しみとしては最高の仕上がりだった。

 観劇の楽しみの観点から言えば、第4場のビジネス地獄など、舞台を埋め尽くした、机に座った多数のビジネスマンがキーボードを打つ場面が展開され、いかにも、という雰囲気。もちろん音楽はそこから多くのイメージを開いて行くのだが、このシーンと、後半で登場する訳のわからないスローガンを掲げたデモ隊は、このオペラ全体から観てもどうも腑に落ちず、馴染まない。

 前半で描かれた第4場までは、細川の音楽が今までのイメージとは違って、彼方此方に広がり過ぎているように感じられ、やや散漫な印象。ところが全体を観ると、これは細川の計算通りの世界だったようだ。


 休憩後の後半の3場面は苦悩を経て歓喜へ、という全体スローガンが見えてきて、一挙に一つの焦点に向かって進んでいく高揚感が繊細なタッチで描かれ、前半全てはこの序章に過ぎなかったのだ、と感じられたほど。

 電子音響を駆使しての細川俊夫の作品は、細川の意図を見事に反映した電子音楽担当の有馬純寿の優れたセンスが光る。人工的サウンドが前半では細川のイメージとはちょっと違う印象だったが、後半の3章では柔らかい優しい音色でオーケストラと一体となった電子音で美しい主役2人の心情がよく描かれていてとても良かった。

 前半での混沌とした世界を、後半で解決するという計算され尽くした世界だったのだろう。同時に無調から調性のある世界へ歴史を逆戻りさせることによって聴衆に安心感を与えてくれた。もう一度観ると、もっと細部が見えてきて、より作品に親しみが湧いてきそうなオーケストレーションだ。


 個々の歌手、合唱は良かったが、何よりも全体を統括した音楽監督の大野の指揮が素晴らしい。誠実で丁寧で、しかも音楽的な広がり・表現力が見事。

 親しみやすさがあり、この作品を身近な存在としてまとめ上げた功績は大きいだろう。 

 この作品に限らず、初演作品は一度観ただけではわからない。しかもほとんどの聴衆にとってこれから何度も鑑賞機会があるとは限らない。

 事前に情報収集し、GPにも立ち会い作品の価値を絶賛するナビゲーターの存在も大切だが、大野和士のような、一度観ただけでもその素晴らしさが伝わるようにキャストを選び、優れた上演をして作品を紹介してくれる芸術監督の存在は貴重だ。この作品が一部のマニアックなファン層だけではなく、万人が楽しめ理解することが出来る現代舞台作品としてブラッシュアップして再演されることを期待したい。