2025/11/21

 アルバン・ベルク

ヴォツェック

2025年11月18日14:00  新国立劇場


【指 揮】大野和士

【演 出】リチャード・ジョーンズ

【美術・衣裳】アントニー・マクドナルド

【照 明】ルーシー・カーター

【ムーヴメント・ディレクター】ルーシー・バージ

【舞台監督】髙橋尚史


キャスト

【ヴォツェック】トーマス・ヨハネス・マイヤー

【鼓手長】ジョン・ダザック

【アンドレス】伊藤達人

【大尉】アーノルド・ベズイエン

【医者】妻屋秀和

【第一の徒弟職人】大塚博章

【第二の徒弟職人】萩原 潤

【白痴】青地英幸

【マリー】ジェニファー・デイヴィス

【マルグレート】郷家暁子

【合 唱】新国立劇場合唱団

【児童合唱】TOKYO FM 少年合唱団

【管弦楽】東京都交響楽団



 舞台設定は1960年代の陸軍駐屯地で、各幕の様々な場面はほぼ全てこの駐屯地仕様の安っぽい兵舎風の小屋で表現される。場面転換は人力で小屋を入れ替える仕組みで、これを敢えて見せることで兵士達の過酷な使役を強調する役割を持っているようだ。

 第一幕冒頭ではヴォツェックが下手側の保存庫らしきところから豆の缶を取り出し、貪るように食べ、上手側にあるゴミ箱に空き缶を捨てる。これを何度も繰り返す。原作オペラにはないシーンだ。医者が登場する場面で語られるが、医者の実験台となって報酬をもらっているヴォツェックが、豆を食べろ、という医者の指示を忠実に守っていることをここで伝えたかったのだろう。

 続くヴォツェックが大尉の髭を剃る場面はビリヤード会場で、しかもビリヤードをしているのは鼓手長で、それを見守る一兵卒たちがゾロゾロといる。髭剃りは電気カミソリだ。以上は原作にないが違和感はない。ここで大尉、鼓手長の支配者層は赤、それよりも地位の低いヴォツェックと一兵卒たちは黄色の服と、色によって階級分けされている。

 マリーの部屋は白黒のブラウン管テレビとソファーが一つ。マリーの子供は食い入るようにテレビを見ている。テレビの画面は遠くからだとよくわからないが、おそらく戦争のシーン。

 続く医者の研究室のシーンでは、冒頭でヴォツェックがいきなり研究室入り口の前で放尿をする。原作の戯曲が咳ではなく小便だそうで、従ってオリジナルへの変更だ。オペラ原作の咳が全て小便に入れ替わっている。これはあまりいい感じはしない。それでなくとも不潔感の漂うオペラだが、この放尿によってそれがさらに強調される。

 マリーを誘うマッチョな鼓手長の部屋はトレーニングルーム。ここで不倫関係になるわけだが、そのシーンは部屋を後ろ向きで回転させることによってより観客に想像力を深める役割を持つ。

 居酒屋のシーンではマルグレートを中心に全員でラインダンスを踊る。小屋は見せもの小屋風に、床が高くなってその上にバンド類が乗り音楽を奏でる。居酒屋の客はそれを観ている観客でもあるのだ。

 肝心のマリーが殺される沼のシーンはセットではなく、照明で舞台を円形に照らして沼を表現。マリーを殺す刃物は原作のナイフではなく、缶詰の蓋で(これは席種によってはわからない)、缶切りで開けているのでギザギザになっている。殺されたマリーは続く居酒屋のシーンでもヴォツェックの腰掛けた椅子の下に横たわったまま。一呼吸おいて、ヴォツェックが沼に沈み、自殺するシーンは舞台の上下動機構を使って舞台から消える。この沼のシーン、もっと照明を駆使して派手に演出するかと思ったが、意外とシンプル。音楽がすざましいので、ここは演出家が余計な仕事をする箇所ではないようで、正解だ。

 最後子供達が遊びながらマリーの子供にお前のお母さんは死んだ、と伝えるシーンは、冒頭のビリヤードの小屋に戻り、大尉の椅子に赤い制服を着た子供が座っている。最後はマリーの子供がヴォツェックが豆の缶を持ち歩いていた位置に立ったまま幕が下りる。呆気ない結末だが、意味深な終わり方だ。


 以上大雑把に見てきた舞台進行の半分以上は新国立劇場HPの事前情報から得たもの。当日初めて見ただけでは半分も理解出来なかっただろう。

 SNSで事前情報を得るのは当然なのかもしれないが、販売プログラムにネタバレにならない程度に演出のコンセプト、舞台設定など鑑賞の手引きをもう少し詳細に記載して欲しいところだ。


 演奏の面では、大野和士の指揮が抜群の仕上がり。今日はいつになくオーケストラの音がクリアに聴こえてきて、セッティングを変えたのか、と感じるほど。かなり説得力のある幅広い表現が聴こえてきて、この作品のオーケストラパートがいかに見事にドラマを語っているかを如実に示してくれた熱演。

 歌手では主役のヴォツェックを歌ったトーマス・ヨハネス・マイヤーが秀逸。不器用さと諦めに、内面に潜む激しい反抗心、体制に対する復讐心のような陰鬱とした強い感情が加わって伝わってきて、この名作オペラを充分堪能することが出来た。

 マリーのジェニファー・デイヴィスは色っぽさと生真面目さが奇妙に対比する戸惑いの多い気分がよく伝わってきて、かつその魅力ある声は申し分なかった。

 マッチョな鼓手長のジョン・ダザック、大尉のアーノルド・ベズイエンも好演。ヴォツェックをアゴで使う目線の高さと人間性が欠如したいやらしさが感じられ、存在感充分。医者の妻屋は多少真面目過ぎた嫌いもあるが、兵士達とは違う格の高さを感じさせた好演だった。その他の日本人スタッフも力演。

 短編オペラだが、世界のどの場所、どの時代にもありそうな階級社会の暗闇を見事に表現した傑作舞台作品であることを改めて認識。特に今日の公演は音楽と舞台が見事に一致した名演だったといえよう。



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