2022/04/29

 現代のチェロ音楽コンサートNo.30

20世紀の美しき小品を集めて


2022427日19:00  ザ・ルーテルホール(札幌市中央区大通西6丁目)


チェロ/文屋治実

ピアノ/浅井智子

 


クーラ/南  編:結婚行進曲(1908
ヴィラ=ロボス:黒鳥の歌(1917
ブロッホ:ニーグン(1923
ショスタコーヴィッチ:ロマンス Op.97a-8 1955
チャップリン:Oh That Cello 1916?)
ペルト:鏡の中の鏡(1978
モンポウ:チェロとピアノのための橋(1976            
 聡:チェロとピアノのためのカヴァティーナ(1994
 敏郎:独奏チェロのための「文楽」(1969
平井 康三郎:「さくらさくら」によるパラフレーズ(1953
成田 為三/毛利 蔵人 編:浜辺の歌(1916/1997


 

 チェリストの文屋が92年から開催しているシリーズで、今年でちょうど30回となる。当日配布された文屋自身のプログラムノートによると、20世紀以降に作曲された作品のみのコンサートで、今まで演奏してきた作品は18カ国で110曲程だそうだ。


 今回は、筆者にとっては後半の幾つかの有名な作品を除いて、初めて聴く作品ばかりだ。1曲ずつが誠実に、音楽的にとても丁寧に仕上げられていて、しかも強い説得力がある。文屋の、この企画に込めた情熱が強く感じられた、聞き応えのあるいい演奏会だった。

 また、本日のように未知の作品を聴く場合は、プログラムノートがバイブルだ。文屋の解説は、作品の特徴と時代背景を簡潔にわかりやすく、かつ読みやすくまとめた文章で、鑑賞にとても役に立った。

 

 長年、文屋とデュオを組んでいるピアノの浅井智子が素晴らしかった。この人はソロでも伴奏でも、もうかなりの経験がある名手だが、いつも新鮮で、隅々まで細かい気配りが行き届き、共演者と一心同体となった、暖かく上質の音楽を表現する。

 音はきれいで、かつ曖昧さがなく、雑音が全く無い、ものすごくよくコントロールされたテクニックだ。ソロで主役になったり、チェロと一緒に動いたり、和声の支えを行ったりなど、あらゆる場面に対応できるとても素敵なピアニストで、こういう演奏ができる人は本当に数少ないと思う。

 

 ここのホールは座席数216席で、響きが豊か。横に広く奥行きが浅い場内は、最後列でも演奏者を近くに感じることができる。

 文屋と浅井はこのホールの特性を実によく生かした演奏。2人の演奏は力みがなく、楽器が自然に無理なく響き、多彩な表情がよく伝わってくる。特に弱音での両者の繊細な表情はこのホールならでは。これ以上広いホールだと、特に文屋の意図は伝わってこないだろう。また、このホールにはフルコンサートピアノの音は大き過ぎるが、それを見事にコントロールし秀逸なアンサンブルを聴かせた浅井が見事。


 プログラムはほぼ作曲年代順。冒頭の3曲、クーラ、ヴィラ=ロボス、ブロッホは、重苦しい時代背景と民族的な葛藤のような複雑な感情がよく表現されていて、何か胸が痛くなるような暗さを感じさせた。

 続くショスタコーヴィッチとチャップリンは、明るさの中にも、時代に翻弄された2人の錯綜する精神の迷いのようなものが伝わってくる演奏。

 ペルトは、ピアノが終始3連符を繰り返す、催眠術のような不思議な感覚を持った、いつ終わるとも知れない作品で、これは面白かった。

 モンポウは、どこか気だるさと哀愁が、南の作品からはやや棘のあるユーモアが伝わってきた。

 黛は、気迫のこもった集中力のある演奏で、優れた世界的な作品である事を改めて認識させられた。

 平井の「さくらさくら」のパラフレーズと最後の毛利蔵人編の「浜辺の歌」は、特に後者がチェロならではの特性を活かした編曲で、楽しめた。やはりこの2つの歌曲は日本人にとってはなくてはならない名作だ。


 以上のそれぞれの作品の演奏についての印象は全てプログラムノートから啓発されてのもの。過去のも含め、ご本人のホームページで公開してもいいのでは。20世紀チェロ音楽の手引きとしても役立ちそうだ。

 プログラムノートによると体調も含め30回目は無理かと思っていたそう。しかし、今日の演奏からは力強い生命力と気迫が感じられた。次回以降の企画を大いに期待している。

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