回想の名演奏
追悼・飯守泰次郎氏〜Kitaraのニューイヤー
2016年1月9日15:00 札幌コンサートホールKitara大ホール
指揮/飯守泰次郎
ソプラノ/中嶋彰子
管弦楽/札幌交響楽団
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より
第1幕への前奏曲
プッチーニ:歌劇「トスカ」より 歌に生き、恋に生き
マスカーニ:歌 劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲
ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」序曲
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」より 第3幕への前奏曲
ヨハン・シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲
ポルカ「狩り」o p.3 7 3
レハール:喜歌劇「ジュディッタ」より 唇に熱い口づけを
ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ「皇帝円舞曲」op.437
ポルカ:「雷鳴と稲妻」op.324
レハール:喜歌劇「メリー・ウィドウ」より ヴィリアの歌
ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ「美しく青きドナウ」op.3 14
飯守泰次郎氏が去る8月15日に亡くなった。82才だった。 飯守氏が札幌コンサートホールの主催事業に出演したのは一度だけで、2016年のKitaraのニューイヤーコンサートだった。
氏が選択した曲目はこれぞニューイヤー、とも言える王道プログラムで、北海道出身でウィーン・フォルクスオパーの専属歌手、中島彰子がオペレッタを歌い、お得意のワーグナーを忘れずに入れるという、とても素敵な構成だった。
指揮者の力量がすぐわかるシビアなプログラムだったが、誠実かつ威厳のある指揮ぶりで、さすが巨匠、とも言える堂々とした演奏だった。
札幌交響楽団とは1965年1月、ドヴォルジャークの「新世界」を振った第36回定期が初登場。以後定期には、94年10月の第362回定期でブルックナーの「交響曲第7番」を、札幌コンサートホールオープン以降は98年10月の第406回 定期でベートーヴェンの「交響曲第4番」とスクリャービンの「法悦の詩」、2001年1月の第441回定期でワーグナーの「神々の黄昏」から、09年1月の第515回定期でサン=サーンスの「交響曲第3番」、16年11月の595回定期ではワーグナーの「リング」抜粋、そして18年6月の第631回定期でチャイコフスキーの「悲愴」を指揮し、これが最後の札幌となった。以後20年の10月定期と年末の第九を振る予定になっていたが体調不良で降板している(資料提供札幌交響楽団、演奏曲目は代表的な作品のみ)。
2014年から4年間新国立劇場の芸術監督を務めた。この4年間にリヒャルト・ワーグナーを7作品指揮している。幸運にも、この7作品の上演をすべて鑑賞することができたのは貴重、かついい思い出だ。
メインは「ニーベルングの指環」全曲。演出はゲッツ・フリードリヒで、フィンランド国立歌劇場の1997年プロジェクトに基づく共同制作。現代的要素と同時に古風なたたずまいも残した舞台で、新旧両世代を同時に対象にしたような折衷的な設定だったが、何よりも演奏が素晴らしかった。
鑑賞した上演は、2015年10月1日「ラインの黄金」(オーケストラ:東京フィルハーモニー管弦楽団)、2016年10月15日「ワルキューレ」(同:東フィル)、2017年 6月14日「ジークフリート」(同:東京交響楽団)、2017年10月14日「神々の黄昏」(同:読売日本交響楽団)。
腰の据わった骨太で、質実剛健な堂々たるリングだった。
主役級は招聘外国人が演じ、圧巻は4部作全てに出演したシュテファン・グールド。前半2作ではローゲ(ラインの黄金)とジークムント(ワルキューレ)、後半2作ではジークフリートを演じた。豊かな声量かつ表現力もあり、何よりもタフ。これぞワーグナーと思わせる名演だった。
そのほかではフィンディングとハーゲンを演じたアルベルト・ベーゼンドルファーが忘れられない。ワーグナーだけに登場する粗野で憎むべき悪人を見事に演じ切って、これは素晴らしかった。
ワルキューレ以降はすべて上演時間が5時間前後の長丁場にもかかわらず、主役級の外国人グループは疲れを知らず、最後まで歌い切る体力には感心させられた。
飯守氏がこの錚々たる出演者達を統率し、長大なドラマを最後まで緊張感を失うことなく見事にまとめ上げた名演だった。各オーケストラも大健闘だったが、特に「神々の黄昏」の読売日本交響楽団の張りのある逞しい響きが記憶に残っている。
日本に居ながらにして、世界トップクラスの歌手達による上演を鑑賞出来るのは実に感動的な体験だった。これが飯守氏以外の棒であったら、そして彼が招聘した錚々たる歌手達でなければ、こういう印象は受けなかっただろう。作為的なところは一切ない、自然と体の中から湧き出た嘘偽りのないワーグナーで、音楽面だけで言えば、今まで日本で上演された最高のリングではないだろうか。
リング以外のワーグナーでは、芸術監督就任祝い公演とも言える新演出で話題を呼んだ「パルジファル」(2014年10月14日、演出ハリー・クプファー、東京フィルハーモニー管弦楽団)、主役級の外国人グループの逞しさを見事に引き出した「さまよえるオランダ人」(2015年1月28日、演出マティアス・フォン・シュテークマン、東京交響楽団)、主役のローエングリーン(クラウス・フロリアン・フォークト)を人間としての強さ弱さを持った身近な存在として表現した「ローエングリーン」(2016年 6月1日、演出マティアス・フォン・シュテークマン、東フィル )、いずれも氏らしい一本筋の通った指揮で、主役級の歌手の人選も的確で、それぞれ忘れ難いワーグナーである。
任期最後の年にベートーヴェンの「フィデリオ」を上演しているが、とても残念ながら鑑賞していない。
氏が芸術監督の時代の新国立劇場は、コロナ禍以前ということもあったが、オペラ上演時の劇場はとても活気があった。ご自分が指揮をしない上演にもよく鑑賞にいらしており、新国立劇場を訪れた際は、幕間に氏の姿を探すのが楽しみの一つだった。紺のスーツを着こなし、いつも奥様とご一緒で、挨拶をすると、必ず笑顔で返答してくださった。その笑顔はしっかり記憶に残っている。
最後にお見かけしたのは2023年2月、「タンホイザー」公演の時だった。車椅子だったが、お元気そうな姿を遠くから拝見することが出来た。