ジャン・ロンドーチェンバロリサイタル
2023年10月31日19:00 札幌コンサートホールKitara 小ホール
チェンバロ/ジャン・ロンドー
バッハ:ゴルトベルク変奏曲
自由で新鮮な感性に満ち、他の誰からも聴かれない強烈なオリジナリティを感じさせたゴールトベルク変奏曲。
冒頭、楽器の状態を確かめるように即興のプレリュードを弾きながら、何やら考え込むように1分前後上下鍵盤を彷徨い、やっとアリアを演奏し始める。
このアリアの演奏は、おそらくKitaraのチェンバロが最も美しい音色を響かせた瞬間。これはロンドーの素晴らしい才能の一つで、東京公演(10月26日)でも感じたが、これほどチェンバロから美しい音色を引き出すチェンバリストは彼以外いないのでは。
一方で、和音をアルペジオで弾いたり、左右の声部をずらして即興的なパッセージを加えながら、縦の線を合わせることなく演奏する。これは撥弦楽器チェンバロならではの表現だが、これがいいリズム感の中にすっきりおさまって、しつこさを感じさせずとても心地よい。立体感が出て、響きと音楽がさらに広がっていく感じがする。
同じ例では、第13、25の緩徐変奏曲。ここでの美しさもまた格別。今までこのような美意識で、しかもたっぷりと時間をかけて演奏したチェンバリストは彼が初めてだろう。
その他で興味深かったのは、常識外に速いテンポで演奏したテクニカルな第20、28変奏曲。チェンバロではこれ以上速く演奏不可能というところまで突き詰めた演奏だった。
この作品はテーマと変奏曲で32曲、それら全てに繰り返しがあり、2段鍵盤のチェンバロのための作品ゆえ、上下の鍵盤を弾きわけ、様々な試みを行うことができる。
今日の繰り返しのパターンは、主に2種類。
2段鍵盤のための変奏曲では、右手がはじめに下鍵盤を弾くと、繰り返し時は上鍵盤で弾く、とパターンを入れ替え、かつ自由な即興句を挿入する。その逆もある。
1段鍵盤のための変奏曲では主にカプラーを入れて、上下両鍵盤を一緒に弾き、音を豊かに響かせながら、同じく、繰り返し後に即興句を挿入する。
かと思えば、第7変奏曲のジークのように、1回目は楽譜に書かれた装飾音をほとんど無視して演奏し、繰り返しの時に入れる、というグレン・グールドも行わなかった悪戯をやってみるなど、ともかく色々なことをする。
なお、全ての変奏曲を繰り返したわけではなく、4つの変奏曲(第8、第13、第17、第26変奏)では繰り返しをしていない。その理由は演奏を聴く限りわからない。第13変奏は始めからかなり即興的な装飾を加えて演奏していたので、予め繰り返し無しを決めていたようだ。それ以外の変奏曲はテクニカルな変奏ゆえ、1回弾けば充分と考えていたのか、あるいはその時の気分だったのかもしれない。他都市公演ではどうだったのだろうか。
最後のアリアはパターンを崩して、前半は1回目下鍵盤、繰り返しは上鍵盤、後半をそのまま上鍵盤で弾いて、繰り返しは、つまり全変奏曲の終幕は下鍵盤でしかも装飾をほぼ全て省いて、演奏した。全ては原点に戻る、と言いたかったのかもしれない。
という様々なことをやりながら全曲を休憩なしで演奏。演奏時間は約90分前後か。リズミックに一気呵成に演奏してみたり、時間をかけて細部まで美しく表現したりと、様々な演奏スタイルがあり、全体のテンポの設定には一貫性はあまり感じられない。
しかしながら、一つ一つの変奏曲をよく歌い込み、丁寧にかつ美しい音色で仕上げている。しかも変奏曲ごとの性格の違いを明確に表現し、この長い変奏曲を飽きさせずに最後まで聴衆を惹きつけた演奏だった。
ロンドーの美意識と楽器の響きの美しさ、作品の持つ立体感を見事にマッチングさせた、今までにない、新しいスタイルによるゴルトベルク変奏曲だった。
アンコールは無し。
この作品を聴く楽しみは、バッハの作品の中ではかなり演奏の自由度が高く、色々な試みができることだろう。同じ可能性を秘めた作品には平均律クラヴィーア曲集があるので、これはぜひロンドーの演奏で聴いてみたい作品の一つだ。
使用楽器はKitara所有のジャーマンのミートケモデル。整調、調律は良質で、申し分なかった。調律法はバロックチューニングだと思うが、よく分からなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。