2024/05/30

 小澤征爾と札幌(4)

札幌交響楽団を指揮する その1 ー 1974年


 小澤は札幌交響楽団を1974年、78年、81年と3回計9公演を指揮している。

今回は1974年の公演を取り上げてみよう。


1974年第141回定期演奏会


 小澤札響初登場は札響60年史(https://60th.sso.or.jp/history/札響history02[1969-1975]/)の1974年の項に次のように書かれている。

「9月定期には、小澤征爾が初登場。前年の秋にボストン交響楽団の常任指揮者に就任したことは、クラシック音楽界のみならず社会的なニュースになっていた。プログラムは、ハイドンの交響曲第1番を間にはさみ、ベルリオーズの序曲『ローマの謝肉祭』と『幻想交響曲』が組まれた。小澤と札響は引き続き、同じプログラムで札幌での民音の演奏会と、函館演奏会も行った。」

演奏会の詳細は下記のとおり。


札幌交響楽団第141回定期演奏会

1974年9月5日18:30  札幌市民会館

指揮/小澤征爾

管弦楽/札幌交響楽団


ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」

ハイドン:交響曲第1番

ベルリオーズ:幻想交響曲


同じプログラムで、

9月6日、北海道厚生年金会館で【民音特別演奏会】

9月7日、函館市民会館で【民音特別演奏会函館公演】

として行っている。

 

 このとき、小澤はすでに「幻想交響曲」を66年にトロント交響楽団と、73年にはボストン交響楽団とレコーディングしている。また、69年のトロント交響楽団の来日公演のプログラムにも入っており小澤にとっては得意のレパートリーだった。

 札響定期で「幻想交響曲」を定期で取り上げるのは、70年9月11日、札幌市民会館で行われた第98回定期演奏会(指揮:ペーター・シュヴァルツ、曲目:モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調 K.543、ベルリオーズ/幻想交響曲op.14)以来2回目のことだ。当時の札響の規模からすると大曲だった。


    他の2曲もすでに小澤のレパートリーに入っており、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」は、1962年のNHK交響楽団との海外ツアーや、サンフランシスコ交響楽団(73年)、ボストン交響楽団(73年)などで、また珍しいハイドンの「交響曲第1番」はボストン交響楽団(74年)で取り上げている。(山田治生『音楽の旅人 ある日本人指揮者の軌跡』アルファーベーター社 より)


 この演奏会は聴衆だけではなく、在籍していた団員にも強烈な印象を与えた。「札響くらぶ会報誌第18号」に当時この公演で演奏した団員の声が掲載されているので引用してみよう。https://sakkyoclub.net/sakkyoclub/kaiho/2001-10-018.pdf

肩書はいずれも当時のもの。


打楽器奏者吉岡幹雄氏

 これまで印象的なコンサートについて〜

昭和49年の小澤征爾の指揮した「幻想交響曲」(第141回定期演奏会)での音作りのとき。札響は未熟でしたが、小澤の手にかかって、オーケストラの音がみるみる変わってくるのは、驚きでした。

 

●トランペット奏者金子義人氏

 思い出に残る演奏は〜

小澤さんが油の乗りかかったころ、札響が伸び盛り、聴衆ものっていて、感動的なコンサートでした。


 この定期演奏会は、FM東京によって収録され、「オリジナル・コンサート」で放送された。当時FM東京プロデューサーだった東條碩夫氏が「毎日クラシックナビ」でこの当時の様子を語っているので詳細はこちらに譲る。(https://classicnavi.jp/tojyo/post-9229/


  なお、「ローマの謝肉祭」序曲の演奏はYouTube上で鑑賞することができる。

https://youtube.com/@takanorimiyoshi8098?si=5aA9D6DDp_4lJsRs 


 この定期演奏会への小澤征爾の出演には、1972年に日本フィルハーモニー交響楽団から札幌交響楽団に首席ファゴット奏者兼コンサートリーダーとして移籍した戸澤宗雄氏の役割が大きかったようだ。

 戸澤宗雄氏の札響入団については、詳細は札響60年史の1972年の項参照。

https://60th.sso.or.jp/history/札響history02[1969-1975]/


 小澤征爾が次に札響を指揮するのは1978年。これについては次回。 

2024/05/28

 札幌交響楽団 第661回定期演奏会

2024年5月26日13:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮 /井上 道義

ピアノ /北村 朋幹

管弦楽/札幌交響楽団


武満 徹:地平線のドーリア-17の弦楽器奏者のための

武満 徹:アステリズム-ピアノとオーケストラのための

クセナキス:ノモス・ガンマ

ラヴェル:ボレロ


 今年限りで指揮者引退を表明している井上道義の最後の札響定期。

 ステージ上で見る限り指揮する姿は以前と変わらず、踊るが如き若々しく、聴衆を魅了してやまない。ただし、本人が語っているように、体力的にはかなり辛いようだ。まだまだ活躍してもいい年齢だが、潔く身を退くのは、井上らしい思い切りのいい決断だ。

 今日のプログラムはラヴェルと、1960年代に作曲された武満とクセナキスの作品というユニークな構成。


 「地平線のドーリア」は武満の指示通り弦楽器奏者17名がステージ前方に8名、後方に7名に分かれて登壇。後方は前方グループのエコーを奏する役割だ。この違いを照明の演出で表現、わかりやすかった。

 この時代の武満は日本の伝統音楽に強い関心を持っており、非西洋音楽的な時間の感覚がこの作品の魅力の一つでもある。

 冒頭の演奏ゆえ、まだホールとオーケストラの音が馴染んでいないのか、研ぎ澄まされた音色にはならなかったが、静謐な雰囲気を感じさせる緊張感ある表情だった。

 弦楽器のグリッサンドによる雅楽の笙のイメージなどあまり感じられず、むしろ井上はアクセント風に現れる数少ないフォルテを明確に表現することで、日本的な響きをあえて意識させないように演奏していたようにも思える。


 続く「アステリズム」は北海道初演。これだけ規模の大きい作品だとなかなか演奏機会がないのも当然だ。武満の作品の中では最も大きな音がする曲。

 ピアノソロの北村が好演。弱音が美しく、冒頭から惹きつける。オーケストラの響きが美しく、まさしく宇宙に浮かぶ星座をイメージさせた世界だ。

 打楽器群の響きが心地良く、武満ならではの繊細な世界が広がったと思いきや、彼には珍しくやや無機的で身振りの大きい大音響の世界が、ゆっくりと時間をかけて今までのイメージを破壊するように登場する。

 これは後半の「ノモス・ガンマ」に通じる感覚で、無数に広がる星群が武満とクセナキスの共通言語・イメージだったことを井上は示そうとしていたのではないか。

 ピアノの北村のアンコールがあり、武満徹の「遮られない休息」より第3曲「愛の歌」。


配布プログラムに掲載された配置表
 クセナキスの「ノモス・ガンマ」(北海道初演)のセッティングのために休憩が30分。

 指揮者を中心に98名の団員が囲むように、かなり濃密に配置。井上のトークによると、本来は中心に聴衆がいて、それを囲むようにオーケストラが配置される。

札幌ドームのような広い場所で演奏するのが理想的だそうだ。音響の点では、打楽器群の圧倒的な迫力と無数の様々な響きが、武満の繊細さとは正反対の無機的さを感じさせる。


 プログラムノートに掲載されていた作曲者自身のコメントに、「たった一人で、山頂で嵐に襲われたり、大海原で小舟に揺られたり、また宇宙に点在する極小の音の星が、密集になったりばらばらに動くのを見ているような感じがするだろう」とあるように、聴衆はこの大音響の響きからそれぞれの生き方に沿った個人的なイメージを作り上げることができる、というのが作曲者の意図なのだろう。

 様々な要素が確率論的に制御されて作曲されている、とのことだが、そもそも聴衆を取り囲まず、ステージ上で演奏されるという条件の違いが、この意図を十分に反映していたとは思えない。聴衆に聴こえてくる響きが全く異なるはずだ。また、より作曲者の意図を反映させた緻密な演奏にするのであればかなりのリハーサル時間が必要なのではないか。

 圧倒的な音量は現代の響きの良いコンサートホールで聴くと、やや不愉快なのは否定できない。作曲された1968年当時、クセナキスはそれら多種な不確定要素を計算尽くだったのだろうか。

 ただし、今回は井上が中心にいたため、彼の踊るような、大きなアクションで見事にオーケストラを統率する指揮ぶりをじっくりと見ることができた。

 聴衆はクセナキスを振る井上の華麗なパフォーマンスを存分に楽しむことができたはずだ。このパフォーマンスのおかげで、この作品がより身近になったことは確かで、これは井上の計算尽くの行動だったのではないか。


 続く「ボレロ」も同じ配置のまま。管楽器のソロを照明でピックアップするなど、視覚的効果が抜群で、いつもとは違う音響もさほど気にならずに聴き通すことができた。

 井上がKitaraでボレロを演奏するのはこれが3回目。幸い過去の2回も聴くこと・観ることができたが、いずれも優れた照明演出と演奏だった。

 今回はソロが続く箇所では暗闇が多く、指揮者がどこにいるかがほとんどわからなかったが、演奏に影響はなかったようだ。


 今日のコンサートのように、井上は常に聴衆が楽しくわかりやすく鑑賞するためにはどうすればいいのか、という努力を惜しまなかった。時に奇想天外のアイディアを提案し、ホールスタッフを当惑させることも多かったが、いつも聴衆のことを第一に考え、大切にする指揮者だった。

 札響とは60公演を指揮、その足跡については項を改めて紹介したい。

 コンサートマスターは田島高弘。

 パイプオルガンコンサート

バッハからブラームスまでの教会暦に基づくコラール前奏曲 

2024年5月25日14:00 北星学園大学チャペル(札幌市厚別区大谷地西2-3-1)


オルガン/ウィリアム・フィールディング

      (第24代札幌コンサートホール専属オルガニスト)


パート1

前奏曲

J. S. バッハ:前奏曲 変ホ長調 BWV552


待降節

いざ来ませ、異邦人の救い主よ(6人の作曲家による)

 スウェーリンク、ブクステフーデ、パッヘルベル、J. S. バッハ

 レーガー、デュプレ

シャイデマン:神のひとり子なる主キリスト 


降誕節

カーク=エラート:目覚めよ、と呼ぶ声あり

J. S. バッハ:目覚めよ、と呼ぶ声あり

ベーム:イエス・キリストよ、賛美をうけたまえ(Ⅰ)


パート2

新年

デュプレ:古き年は過ぎ去りぬ

J. S. バッハ:汝にこそわが喜びあり


四旬節

J. S. バッハ:おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け

レーガー:おお汚れなき神の小羊

ブラームス:わが心の切なる願い


復活節

デュプレ:キリストは甦りたまえり

J. S. バッハ:われらの主キリスト、ヨルダン川に来たり

カーク=エラート:コラール即興曲「我が魂よ主をほめよ」作品65-28


聖霊降臨祭

J. S. バッハ:最愛のイエス、われらここにあり

ヴェックマン:来たれ聖霊、主なる神


後奏曲

J. S. バッハ:フーガ 変ホ長調 BWV552




 教会での演奏にちなみ、教会暦に従って構成したプログラム。教会暦のスタートである待降節から聖霊降臨祭までのオルガン作品が演奏された。

 バッハがその中心となっているが、バロックから現代までの幅広い年代の、代表的作品が取り上げられていた。

 教会暦ごとによる作品の内容の違いや、同じコラールに基づいて作曲された様々な作曲家の作品を聴き比るのは興味深い。このようなプログラミングを鑑賞する機会は意外と少ないので、今回は貴重な演奏会だった。


 フィールディングの演奏が素晴らしかった。これだけ多彩な作品を見事に弾き分けることの出来るオルガニストはなかなかいないだろう。どの作品も聞き応えがあった。

 

 全体を聴いての印象では、やはりバッハが圧倒的な存在感があり、特に最後に演奏された「フーガ変ホ長調 BWV552」が、作品に内蔵されたバッハの確固たる宗教観を示す底力のあるエネルギーが見事に表現されたスケール感ある名演だった。

 ブクステフーデ、パッヘルベル、ベームと、バッハに影響を与えた作曲家の作品の性格もよく描かれていて、安定したいい演奏だった。

 レーガー、ブラームスなどのドイツ系の作品はバッハの強烈な影響下にあることがよくわかり、彼らに至る時代の変遷をよく再現した演奏で面白かった。

 その他で印象的だったのは、デュプレの2つの作品。透明感のある個性的な特徴をよく生かした演奏で、ドイツ系と違って、豊かなオリジナリティを感じさせた。


 教会暦に従った作品群を聴いてみると、バロック時代の作品は教会の持つ大衆性と教会と人々の密着度が近現代よりもはるかに強かったことを示しているようだ。近現代になるほど人々と教会との関連性が薄くなってきたのか、あるいは、教会、聖書の様々な思想がより一般に浸透したためなのか、それらが楽曲に反映されているようにも思えた。


 ここの教会のオルガンは、マナオルゲルバウ制作のパイプ数758本、2段鍵盤12ストップの中型スケールの楽器。音質がとてもきれいで、バランスの良い聴きやすいオルガンだ。建物の広さにオルガンの規模が相応しく、長時間聴いても疲れない。

 調律はこの日に合わせて製造元が行ったようで、音律が美しく揃っており、ユニゾンやレジストレーションによる音の重なりなどでは、よけいなノイズがなく申し分ない。

 調律法は制作者HP( http://www.manaorg.co.jp/2012a.htmlによるとヴェルクマイスター第3のようだが、バッハの作品で聴こえた音列の音程の幅が均等しすぎて多少の違和感を感じた。


 曲目は数多く多彩だったが、それぞれの作品の演奏時間は短く、フィールディングの日本語によるトークと15分の休憩入れて、終演は15:40だった。


 


2024/05/07

〈Kitaraあ・ら・かると〉

ウィリアムさんのオルガンコンサート


2024年5月5日14:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


オルガン/ウィリアム・フィールディング

     (第24代札幌コンサートホール専属オルガニスト)
司会/古屋 瞳


ボワヴァン: 4つの声部のためのグラン・ディアローグ
マルシャン:オルガン曲集 第1巻より テノールの3度管
J.S.バッハ:フーガ ト短調「小フーガ」BWV578
メシアン:聖体秘蹟への捧げもの
ギルマン:祈りと子守歌 作品27
エルガー:オルガン・ソナタ 第1番 作品28より 第1楽章
ヴィエルヌ:幻想的小品集より ナイアード(水の精) 作品55-4
               ウェストミンスターの鐘 作品54-6




 今日のオルガンの音色はとても良かった。2021年の総合メンテナンスからもう4年目を迎えるが、手入れが行き届いていて状態は落ち着いているようだ。

 また、今日は演奏の様子がステージ上のスクリーンに投影され、フィールディングの力の抜けた全く無理のない奏法をじっくり観察することできた。

 オルガンが力みの無いとても自然な発声で響き、美しい音色を聴かせてくれたのはその奏法のためだろう。各ストップの音色や、レジストレーションによる組み合わせで音が重なっても、調律が安定しているため響きがきれい。ホール全体に柔らかい伸びのある響きが広がり、聴きやすかった。

 

 今日は休憩なしの約1時間のプログラム。

 冒頭のボワヴァンは4声部を4段鍵盤をフル活用して音色と音量の対比を表現、これは視覚的にも面白かった。

 マルシャンは、フランス人オルガニストのような陰影ある微妙なニュアンスは感じられないにしても、細部まで美しく上品に仕上げた模範的な演奏。

 バッハは輪郭がはっきりしており、構成力のある申し分ない演奏。


 メシアンとギルマンでの繊細で透き通った美しい響きは、このオルガニストならでは。オルガンでこれだけ表情豊かな表現を聴かせてくれたのは久しぶりだ。特にメシアンは今日のプログラムの中でも一際モダンな響きのする作品だが、メシアン独特の美意識に満ちた響きとKitaraオルガンの個性とが見事に一致した秀演。

 エルガーのオルガン・ソナタはあまり演奏されない作品で、おそらくKitara初演か。ライヴで初めて聴いたが、なかなかの力作。どこか郷愁を誘う楽想など、興味深い作品だ。

 ヴィエルヌは2曲ともバランス感覚のいい、すっきりとした名演。特に「水の精」が感性豊かに描かれた絵画のように、透き通った美しい音色とまとまりのある響きが聴こえてきて心地良かった。

 

 アンコールにリムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」。これをオルガンで聴いたのは初めて。よく指が回り、かつよく揃ったレガートで演奏されていて、これは楽しかった。

 オルガンは弾くと、音が出る前にパイプに空気を送風する作業があるため、ほんの一瞬のタイムラグが生じるはず。これだけ速いテンポで演奏するには、かなりの熟練が必要だろう。素晴らしい演奏テクニックだった。


 今日フィールディングの演奏を聴いて改めて実感したが、Kitaraのオルガンは、音色、大ホールとの広さと設置場所、規模など全てが見事にマッチングした楽器で、コンサートホールのオルガンとしては、おそらく日本でトップクラスだ。また次回が楽しみだ。