札幌交響楽団 第661回定期演奏会
2024年5月26日13:00 札幌コンサートホールKitara大ホール
指揮 /井上 道義
ピアノ /北村 朋幹
管弦楽/札幌交響楽団
武満 徹:地平線のドーリア-17の弦楽器奏者のための
武満 徹:アステリズム-ピアノとオーケストラのための
クセナキス:ノモス・ガンマ
ラヴェル:ボレロ
今年限りで指揮者引退を表明している井上道義の最後の札響定期。
ステージ上で見る限り指揮する姿は以前と変わらず、踊るが如き若々しく、聴衆を魅了してやまない。ただし、本人が語っているように、体力的にはかなり辛いようだ。まだまだ活躍してもいい年齢だが、潔く身を退くのは、井上らしい思い切りのいい決断だ。
今日のプログラムはラヴェルと、1960年代に作曲された武満とクセナキスの作品というユニークな構成。
「地平線のドーリア」は武満の指示通り弦楽器奏者17名がステージ前方に8名、後方に7名に分かれて登壇。後方は前方グループのエコーを奏する役割だ。この違いを照明の演出で表現、わかりやすかった。
この時代の武満は日本の伝統音楽に強い関心を持っており、非西洋音楽的な時間の感覚がこの作品の魅力の一つでもある。
冒頭の演奏ゆえ、まだホールとオーケストラの音が馴染んでいないのか、研ぎ澄まされた音色にはならなかったが、静謐な雰囲気を感じさせる緊張感ある表情だった。
弦楽器のグリッサンドによる雅楽の笙のイメージなどあまり感じられず、むしろ井上はアクセント風に現れる数少ないフォルテを明確に表現することで、日本的な響きをあえて意識させないように演奏していたようにも思える。
続く「アステリズム」は北海道初演。これだけ規模の大きい作品だとなかなか演奏機会がないのも当然だ。武満の作品の中では最も大きな音がする曲。
ピアノソロの北村が好演。弱音が美しく、冒頭から惹きつける。オーケストラの響きが美しく、まさしく宇宙に浮かぶ星座をイメージさせた世界だ。
打楽器群の響きが心地良く、武満ならではの繊細な世界が広がったと思いきや、彼には珍しくやや無機的で身振りの大きい大音響の世界が、ゆっくりと時間をかけて今までのイメージを破壊するように登場する。
これは後半の「ノモス・ガンマ」に通じる感覚で、無数に広がる星群が武満とクセナキスの共通言語・イメージだったことを井上は示そうとしていたのではないか。
ピアノの北村のアンコールがあり、武満徹の「遮られない休息」より第3曲「愛の歌」。
配布プログラムに掲載された配置表 |
指揮者を中心に98名の団員が囲むように、かなり濃密に配置。井上のトークによると、本来は中心に聴衆がいて、それを囲むようにオーケストラが配置される。
札幌ドームのような広い場所で演奏するのが理想的だそうだ。音響の点では、打楽器群の圧倒的な迫力と無数の様々な響きが、武満の繊細さとは正反対の無機的さを感じさせる。
プログラムノートに掲載されていた作曲者自身のコメントに、「たった一人で、山頂で嵐に襲われたり、大海原で小舟に揺られたり、また宇宙に点在する極小の音の星が、密集になったりばらばらに動くのを見ているような感じがするだろう」とあるように、聴衆はこの大音響の響きからそれぞれの生き方に沿った個人的なイメージを作り上げることができる、というのが作曲者の意図なのだろう。
様々な要素が確率論的に制御されて作曲されている、とのことだが、そもそも聴衆を取り囲まず、ステージ上で演奏されるという条件の違いが、この意図を十分に反映していたとは思えない。聴衆に聴こえてくる響きが全く異なるはずだ。また、より作曲者の意図を反映させた緻密な演奏にするのであればかなりのリハーサル時間が必要なのではないか。
圧倒的な音量は現代の響きの良いコンサートホールで聴くと、やや不愉快なのは否定できない。作曲された1968年当時、クセナキスはそれら多種な不確定要素を計算尽くだったのだろうか。
ただし、今回は井上が中心にいたため、彼の踊るような、大きなアクションで見事にオーケストラを統率する指揮ぶりをじっくりと見ることができた。
聴衆はクセナキスを振る井上の華麗なパフォーマンスを存分に楽しむことができたはずだ。このパフォーマンスのおかげで、この作品がより身近になったことは確かで、これは井上の計算尽くの行動だったのではないか。
続く「ボレロ」も同じ配置のまま。管楽器のソロを照明でピックアップするなど、視覚的効果が抜群で、いつもとは違う音響もさほど気にならずに聴き通すことができた。
井上がKitaraでボレロを演奏するのはこれが3回目。幸い過去の2回も聴くこと・観ることができたが、いずれも優れた照明演出と演奏だった。
今回はソロが続く箇所では暗闇が多く、指揮者がどこにいるかがほとんどわからなかったが、演奏に影響はなかったようだ。
今日のコンサートのように、井上は常に聴衆が楽しくわかりやすく鑑賞するためにはどうすればいいのか、という努力を惜しまなかった。時に奇想天外のアイディアを提案し、ホールスタッフを当惑させることも多かったが、いつも聴衆のことを第一に考え、大切にする指揮者だった。
札響とは60公演を指揮、その足跡については項を改めて紹介したい。
コンサートマスターは田島高弘。
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