小澤征爾と札幌(4)
札幌交響楽団を指揮する その1 ー 1974年
小澤は札幌交響楽団を1974年、78年、81年と3回計9公演を指揮している。
今回は1974年の公演を取り上げてみよう。
1974年第141回定期演奏会
小澤札響初登場は札響60年史(https://60th.sso.or.jp/history/札響history02[1969-1975]/)の1974年の項に次のように書かれている。
「9月定期には、小澤征爾が初登場。前年の秋にボストン交響楽団の常任指揮者に就任したことは、クラシック音楽界のみならず社会的なニュースになっていた。プログラムは、ハイドンの交響曲第1番を間にはさみ、ベルリオーズの序曲『ローマの謝肉祭』と『幻想交響曲』が組まれた。小澤と札響は引き続き、同じプログラムで札幌での民音の演奏会と、函館演奏会も行った。」
演奏会の詳細は下記のとおり。
札幌交響楽団第141回定期演奏会
1974年9月5日18:30 札幌市民会館
指揮/小澤征爾
管弦楽/札幌交響楽団
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」
ハイドン:交響曲第1番
ベルリオーズ:幻想交響曲
同じプログラムで、
9月6日、北海道厚生年金会館で【民音特別演奏会】
9月7日、函館市民会館で【民音特別演奏会函館公演】
として行っている。
このとき、小澤はすでに「幻想交響曲」を66年にトロント交響楽団と、73年にはボストン交響楽団とレコーディングしている。また、69年のトロント交響楽団の来日公演のプログラムにも入っており小澤にとっては得意のレパートリーだった。
札響定期で「幻想交響曲」を定期で取り上げるのは、70年9月11日、札幌市民会館で行われた第98回定期演奏会(指揮:ペーター・シュヴァルツ、曲目:モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調 K.543、ベルリオーズ/幻想交響曲op.14)以来2回目のことだ。当時の札響の規模からすると大曲だった。
他の2曲もすでに小澤のレパートリーに入っており、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」は、1962年のNHK交響楽団との海外ツアーや、サンフランシスコ交響楽団(73年)、ボストン交響楽団(73年)などで、また珍しいハイドンの「交響曲第1番」はボストン交響楽団(74年)で取り上げている。(山田治生『音楽の旅人 ある日本人指揮者の軌跡』アルファーベーター社 より)
この演奏会は聴衆だけではなく、在籍していた団員にも強烈な印象を与えた。「札響くらぶ会報誌第18号」に当時この公演で演奏した団員の声が掲載されているので引用してみよう。(https://sakkyoclub.net/sakkyoclub/kaiho/2001-10-018.pdf)
肩書はいずれも当時のもの。
●打楽器奏者吉岡幹雄氏
これまで印象的なコンサートについて〜
昭和49年の小澤征爾の指揮した「幻想交響曲」(第141回定期演奏会)での音作りのとき。札響は未熟でしたが、小澤の手にかかって、オーケストラの音がみるみる変わってくるのは、驚きでした。
●トランペット奏者金子義人氏
思い出に残る演奏は〜
小澤さんが油の乗りかかったころ、札響が伸び盛り、聴衆ものっていて、感動的なコンサートでした。
この定期演奏会は、FM東京によって収録され、「オリジナル・コンサート」で放送された。当時FM東京プロデューサーだった東條碩夫氏が「毎日クラシックナビ」でこの当時の様子を語っているので詳細はこちらに譲る。(https://classicnavi.jp/tojyo/post-9229/)
なお、「ローマの謝肉祭」序曲の演奏はYouTube上で鑑賞することができる。
(https://youtube.com/@takanorimiyoshi8098?si=5aA9D6DDp_4lJsRs )
この定期演奏会への小澤征爾の出演には、1972年に日本フィルハーモニー交響楽団から札幌交響楽団に首席ファゴット奏者兼コンサートリーダーとして移籍した戸澤宗雄氏の役割が大きかったようだ。
戸澤宗雄氏の札響入団については、詳細は札響60年史の1972年の項参照。
(https://60th.sso.or.jp/history/札響history02[1969-1975]/)
小澤征爾が次に札響を指揮するのは1978年。これについては次回。
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