2021/12/28

Kitaraのクリスマス


2021122515:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/原田 慶太楼 サクソフォン/上野 耕平 管弦楽/札幌交響楽団


ガーシュウィン:「ガール・クレイジー」序曲
           パリのアメリカ人
プロコフィエフ:交響組曲「キージェ中尉」作品60より Ⅳ.トロイカ
カプースチン:アルト・サクソフォンと管弦楽のための協奏曲 作品50              [日本初演]


バーンスタイン/メイソン編曲「ウェスト・サイド・ストーリー」

                セレクション

R.ロペス、K.A.=ロペス/クログスタッド編曲:「アナと雪の女王」

                        より
アンダーソン:クリスマス・フェスティバル
チャイコフスキー/エリントン編曲:組曲「くるみ割り人形」

                (特別版)



     

 昨年は工事休館中のため年ぶりの Kitaraのクリスマス。場内は盛況で約8割の来場者。指揮の原田慶太楼は三十代半ばの若手で、元気いっぱいだ。体全体でリズムをとりながらエネルギッシュに音楽を進める。エンターティメント的な要素を持ち合わせながらも、オーソドックスで、ポイントをしっかりつかまえた、きちんとした音楽造りをする指揮者だ。

 アルト・サクソフォンの上野耕平を迎えてのカプースチンが素晴らしかった。ソロは淀みなく、クラシカルな部分はもちろんのこと、ジャズセクションの表現も見事で、優れたリズム感と柔軟なテクニックを存分に発揮した、多彩で品の良い演奏を聴かせてくれた。作品は個性的で面白く、飽きさせないのはやはりこの作曲家のすごいところだ。日本初演ということで、これ以上ないベストの出来。この演奏だけマイクで音を増幅して場内に流していたが、もう少し抑えた方が、生音の素晴らしさを堪能できたように思う。


 ガーシュインは二曲ともきれいに整って落ち着いた演奏。「パリのアメリカ人」ではゲストソリストの上野耕平がオーケストラの一員として登壇していた。素晴らしいエネルギーだ。


 プロコフィエフの「トロイカ」はわずか3分ほどの作品だが、今日のプログラムでは唯一の本格的クラシック。オーケストラから今日最も充実したサウンドが出ていて、特に弦楽器の響きが良かった。やはりこの優れた作曲技法はプロコフィエフならではだ。


 後半のプログラムでは、アンダーソンの「クリスマスフェスティバル」がシンフォニックで立派な演奏。毎回必ず演奏される定番メニューだが、これだけ輪郭のしっかりしたきちんとした演奏は初めてだ。


 最後の「くるみ割り人形」はエリントンの編曲版にオリジナルのチャイコフスキー版を加え、特別版と称した組曲。オリジナルは「トレパーク」と「中国の踊り」だけ。あとは完全にジャズ用の編曲で、サックス、トランペット、トロンボーンのソロあり、アンサンブルありで、ビッグバンドの贅沢なオーケストラ仕様版。これは面白く、楽しかった。オリジナルのイメージを残しながら、念入りに編曲された版のようで、いいサウンドが出ていた。ソリストに照明があたり、これは良かった。Kitaraでは珍しい仕込みだ。


 当然のことながら、全体を通じて金管セクションが大活躍。ピッチはいつもきれいで、大きな音でただ吹くだけ、ということもなく(これが意外と本州のプロオケではある)音楽的によくコントロールされた演奏だ。よくありがちなミスもほとんどない。終始安定しており、今日の管楽器群は素晴らしかった。贅沢なシンフォニック・ジャズを堪能したコンサートだった。

 原田は全体のサウンドもうまくまとめており、長時間金管のサウンドを聴かされても疲れない。いい指揮者だ。シリアスなクラシックをどう振るのか聴いてみたいところだ。

 

他に「ウェストサイド・ストーリー」と「アナと雪の女王」より。これらも安定したいい演奏だった。







2021/12/26

回想の名演奏

グスタフレオンハルトチェンバロリサイタル


2009年5月1319:00  札幌コンサートホールKitara小ホール


ルイ・クープラン:パヴァーヌ、組曲 ニ短調

パッヘルベル:ファンタジーアト短調 3つのフーガ

J.S. バッハ:組曲 ヘ短調BWV823

        コラール・パルティータ

       「おお神よ、汝まことなる神よ」BWV767

アルマン=ルイ・クープラン:ラントレピッド/ラ・フランセーズ 

              ラフリジェ

デュフリ:アルマンドとクーラント ニ短調 

     ラ・ドゥブロムブル/ラ・フェリクス/レ・グラース



 古楽界の巨匠、グスタフ•レオンハルト(19282012)は Kitaraで標題のコンサート含め計3回のリサイタルを行なった。初回は991016日、今回紹介する2009年は2回目。3回目が2011年5月25日でこれが最後となった。
 この09年のリサイタルは、後で聞いたことだが、レオンハルト自身も大変満足した出来で、終演後のディナーの時は珍しく機嫌が良かったそうだ。

実際、チェンバロ音楽の豊かさ、美しさ、そしてKitara所有のチェンバロ(ブルースケネディ製作のジャーマン2段鍵盤チェンバロ/ミヒャエルミートケモデル)のサウンドの豊かさが、余すところなく伝わってきた素晴らしいリサイタルだった。   

 2006年に病で一時危篤となったそうだが奇跡的に復活し、その演奏により深みを増した時期での来札で、体調も良く、最後の絶頂期だったのかもしれない。


 プログラムはチェンバロ音楽の精華とも言える作品ばかりで、こういう選択はレオンハルト以外誰も出来ないだろう。チェンバロが最も美しく響く作品ばかりで、何という素敵なプログラムだろうか。

 特に素晴らしかったのは後半に演奏された2人のフランス人作曲家の作品だ。

 アルマン=ルイ・クープランとデュフリは共にフランス革命の年に世を去った作曲家で、フランスクラヴサン楽派の最後の世代だ。大胆な発想を持ち、どこかメランコリックで、世俗的な親しみやすさがある作風が特徴。この中にはチェンバロ以外では表現が難しい、中音域から低音域中心に書かれた独特の雰囲気を持った作品もある。親しみやすい作風ゆえに演奏によっては陳腐に聴こえてしまい、演奏家にとって意外と扱いにくい作品だ。


 レオンハルトの演奏は今ここで即興で生まれたばかりの作品のように新鮮で生命力に満ちており、しかもチェンバロの音が豊かにホール全体に響き渡り、それらが見事にマッチングして、心を惹きつけてやまない稀に見る名演奏となった。楽譜に忠実ながらも、そこから繊細かつ大胆なニュアンスを引き出し、想像も出来なかった多彩で表情豊かな演奏だった。レオンハルトの秩序とファンタジーが調和した感性は他の追随を許さず、またその感性は鍵盤音楽に限らない幅広い分野に精通していた教養に支えられた格調の高さをも感じさせた。チェンバロを本当に美しく演奏できた稀代な人であることも実感出来た。客席は満席で、このような演奏を聴けた400人以上の聴衆はこの上ない貴重な機会を得たのである。


 レオンハルト最後の札幌公演は2011年の東日本大震災後の5月。首都圏での演奏会は節電と余震対応でかなり中止になった。また、震災以後の数か月は、多くの海外アーティストが来日を中止したが、レオンハルトは予定通り来日し、札幌(5月25日)の他、すべてのスケジュールを消化し帰国した。この時は指先が開いた手袋をしながらの演奏で、体調は良くなかったのだろう。札幌最後のリサイタルプログラムは下記のとおり。


2011年5月2519:00  札幌コンサートホールKitara小ホール 


ルルー    組曲 ヘ長調 

..バッハ  プレリューディウム  ハ長調 

フィッシャー シャコンヌ  ト長調

デュフリ   ロンドー/ラ・ダマンズィ/純真無垢な娘(鳩)、

       ラ・ミレティーナ/メヌエット/レ・グラース

..バッハ  平均律クラヴィーア曲集 第2巻より

        プレリュードとフーガ第9番 ホ長調 BWV878

       組曲  ホ短調「ラウテンヴェルクのための」BWV996 

       アリアと変奏  イ短調 BWV989 


 帰国後、年末のパリのリサイタル後引退を表明し、翌2012年1月16日に亡くなった。死期を悟っており、葬儀でバッハのヨハネ受難曲の最終コラールを演奏することなど、全ての段取りを決めて他界した。この辺りの事情及びその生涯と活動の軌跡は、タワーレコード発行のフリーペーパー「intoxicate vol.98 」に掲載された渡邉順生氏の秀逸な小評伝「グスタフレオンハルトのレコード」に詳しい。


 初回と最後のリサイタルも、巨匠らしく、曖昧さがない一本筋の通った素晴らしい演奏だった。有名な作品は弾かず、陰に隠れた名品や作曲家の作品を好んで演奏した。今では古楽界にも優秀な第三世代が登場しているが、レオンハルトの格調高い演奏は、Kitaraを彩った忘れられない名演奏家として今後も語り継がれていくのに違いない。


2021/12/19

 クリスマスオルガンコンサート


2021121815:00開演  札幌コンサートホールKitara大ホール


オルガン/ニコラ・プロカッチーニ

    (第22代札幌コンサートホール専属オルガニスト)
指揮/大木 秀一
合唱/市立札幌旭丘高等学校、札幌山の手高等学校 合唱部


【オルガンソロ】

メンデルスゾーン/ベスト編曲:オラトリオ「聖パウロ」作品36より

         序曲

J.S.バッハ:様々な手法による18のライプツィヒ・コラール集より

       いざ来ませ、異邦人の救い主よ BWV 659

       いざ来ませ、異邦人の救い主よ BWV 660

シューマン:ペダルピアノのためのスケッチ作品58よりアレグレット

モランディ:モダンオルガンのための11のラッコルタソナタより

         パストラーレ

デュリュフレ:オルガン組曲作品5よりトッカータ


【オルガンと合唱】

クリスマスメドレー:もろびとこぞりて/もみの木/サンタが街に

            やってくる/O Holy Night 

ハウエルズ:Sing Lullaby
アルネセン:I Will Light Candles This Christmas 


    昨年は工事休館で中止だったので2年ぶりとなるクリスマスオルガンコンサート。このコンサートは2002年からスタートし、初回はオルガンソロだけだったが、翌年から高校生の合唱団との共演が加わり、今回は通算18回目になる。

 クリスマス時期の定番メニューとして親しまれ、毎年来場者が多い人気のコンサート。クリスマスらしい装飾や照明による演出が場内を彩る。今年はキャンドルが増え、いい雰囲気だ。前日からの大雪で一面の冬景色となり、クリスマスコンサートらしくなった。今日はほぼ満席の来場者。


 前半はオルガンソロ。今日はオルガンの鳴りが今ひとつ。原因は二点ほど考えられる。一点は、今回の大雪は湿気を多く含んでいたため開場中に場内にその影響が及んだのではないか。もう一点は、コロナ禍でクロークが休止中のため、来場者はコート類を場内に持ち込まざるを得ない。そのため響きがかなり吸収されてしまったと思われる。


 クリスマスにちなんだ曲目を中心にプログラミング、中ではKitara初演となる楽しい作風のモランディのパストラーレと、デュリュフレのトッカータが華やかな技巧による多彩な表現で楽しめた。ただ、今日のプロカッチーニの演奏は、前回のデビューリサイタルほどの冴えがなく残念。メンデルスゾーンは曲全体の流れに乗り切らず不燃焼気味。バッハ、シューマンは鍵盤のタッチの浅いところで音が出ているように聴こえ、きちんと楽器が鳴りきっておらず、Kitaraオルガンの魅力ある音が伝わってこなかった。


 後半は札幌旭ヶ丘高校と札幌山の手高校の両合唱部合同による定番のクリスマスソング。今年は感染予防のため、全員マウスシールドをつけての合唱だったが、そのハンディをものともしない見事な歌声。しっかりとトレーニングされた発声、きれいな音程と厚みのあるハーモニーは素晴らしい。この世代しか出せないエネルギーある若々しい声は伸びやかで実に気持ちがいい。特にソプラノの高音がほぼノンヴィブラートで音程がきちんと決まるのは、プロの合唱団でもなかなかできないクオリティの高さ。以前から、札幌の中高生の合唱のレベルが高いことは知られていたが、今日の合唱は全国に誇れるレベルだ。もっと難易度の高い作品を聴きたくなる。オルガンとのアンサンブルもよく、プロカッチーニは即興的なパッセージも加えながらの演奏で楽しかった。アンコールに「きよしこの夜」と「もみの木」。




2021/11/30

Kitaraワールドオーケストラ&合唱シリーズ>

鈴木 優人指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン


2021112315:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV541
       さまざまな手法による18のライプツィヒ・コラール集より※
      いざ来ませ、異邦人の救い主よ BWV659
      トリオ《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》BWV660
      いざ来ませ、異邦人の救い主よ BWV661


     カンタータ第61

         《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》BWV61
     ブランデンブルク協奏曲 5 ニ長調 BWV1050
     クリスマス・オラトリオ BWV248より
      第一部《声をあげてよろこび、その日々を讃えよ》

                   ※オルガン独奏/鈴木 優人


指揮・オルガン独奏/鈴木 優人
ソプラノ/森 麻季 アルト/青木 洋也 テノール/櫻田 
バス/ドミニク・ヴェルナー
管弦楽・合唱/バッハ・コレギウム・ジャパン


   前半は待降節の季節にぴったりのプログラム。鈴木優人のオルガンソロに続いてカンタータ第61番。待降節の開幕にふさわしく、エッジの効いたクリアな演奏のフランス風序曲でスタートし、以後の流れもスムーズで、全体的に作品の内容がよく伝わってきたわかりやすい演奏だった。
 冒頭の合唱が硬めで不安だったが、最後のコラールでは声がよく響くようになり、イエス到来への期待が表現されていた。レチタティーヴォとアリアを歌ったテノールの櫻田はベテランらしい安定感と明瞭な歌詞でさすがだ。バスのドミニクヴェルナーは深みのある声と豊かな表情がイエスにふさわしく素晴らしい。ソプラノの森麻季はやや不調で、イエスを迎え入れる喜びは充分伝わり切らなかったが、透き通った表情がよかった。


 ブランデンブルグ協奏曲第5番は、名手7人の競演。ゆとりある遊び心に満ちた演奏で楽しめた。鈴木優人のチェンバロは、第一楽章の鮮やかなソロ、第二楽章の柔軟で表情豊かな表現、第三楽章での軸がぶれない安定したテンポで、好演。チェンバロもいい音が出ていた。ヴァイオリンの若松夏美の振幅ある伸びやかな表情のソロは彼女ならではの魅力。鈴木秀美のチェロと共に鈴木優人を見事にサポートしながらのアンサンブルは、素晴らしかった。トラヴェルソの菅きよみの落ち着きある演奏も良かった。これだけの上質な演奏は久しぶり。


 最後はその名の通り本来はクリスマスに演奏されるクリスマスオラトリオだが、本日は一足先にその第一部を演奏。鈴木優人の指揮は全体をしっかりと統括。アクティブでリズム感が良く、生命感に満ちており、音楽が硬くならない。しかも細部まできちんと仕上げた演奏で、クリスマスを迎えた喜びとイエスに対する愛を描いた作品の魅力がしっかりと伝わってきた。

 声楽グループはレチタティーヴォでもアリアでもコラールでも、緻密で細部の仕上がりが良い。まるで器楽のようにピッチやリズムも安定。歌詞も明瞭でアンサンブルに破綻がない。呼吸が浅くならず、オケと一体となって彫りの深い音楽を作り上げていた。アルトの青木 洋也が技術的にも音楽的にも安定した好演。個人的には合唱にはもう少し声そのものの魅力が欲しい。

 以前のBCJより、ワンランク上の演奏だったと思う。その立役者は指揮者の若き才能に加え、久しぶりの登場で存在感を示した鈴木秀美。安定した通奏低音で、アンサンブルを監視しながら核となり、時に睨みを効かせながらの演奏はさすが。


 冒頭のオルガンソロは三つのライプツィヒコラールがよく歌いこまれた演奏で好演。前奏曲とフーガはさすがに緊張していたのか、音が鳴りきらず、やや表情が固めだったのが惜しまれる。ビジターで、いきなりKitaraの大オルガンを演奏することはいかに優秀な音楽家でも難しい。十分なリハーサル時間がとれなかったのだろう。そのハンディを考慮すると、よく弾いていたと思う。





2021/11/21

 Kitaraワールドソリストシリーズ>

神尾 真由子&ミロスラフ・クルティシェフ 

デュオ・リサイタル


20211119日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール

ヴァイオリン/神尾 真由子
ピアノ/ミロスラフ・クルティシェフ


シュニトケ:古い様式による組曲

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 2 ニ短調       

      BWV1004

リスト:巡礼の年 2 「イタリア」 S.161より 7 

    ダンテを読んで―ソナタ風幻想曲
ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 9 イ長調

           作品47 <クロイツェル> 


 神尾は札響定期のソリストとして何度も出演しているが、ソロリサイタルは恐らく札幌では初めて。

 神尾の集中力のあるダイナミックな演奏は定評がある。このデュオではクルティシェフという最高の音楽的パートナーを得て、大ホールにふさわしいスケールの大きい豊かな音楽を聴かせてくれた。二人とも目指す音楽の方向は同じで、その一体となった音楽表現は極めて完成度が高い。クルティシェフは札幌だけの出演で、このデュオを聴けた当夜の聴衆は幸運だった。


 クルティシェフは2007年チャイコフスキー国際コンクールの一位なしの第二位。経歴によるとロシアだけで教育を受けたようで、演奏は完全にロシア楽派。たっぷりとした、分厚い大きな音を出すが、充分コントロールされており、汚い響きにはならない。ピアニッシモでも音が細くならず、豊かな響きがする。このホールでこれだけの大きな音は久しぶり。


 リストのソロは、豊穣な音と、自由で伸び縮みのある表情で、ロマン派にどっぷりと浸かった雰囲気のある演奏。札幌で聴く機会の多い、形を崩さない知的なリストを演奏するハンガリー楽派とは違って、形式よりはスケールの大きい豊かな雰囲気を重んじるタイプだ。チャイコフスキーやラフマニノフなどの作品を聴いているようで、リストがロシアピアノ音楽にも大きな影響を与えていたのだ、と改めて認識した次第。だが、これは教育よりは血の濃さのような気がする。


 シュニトケはこのデュオの性格がはっきり現れた演奏で、クルティシェフの豊かな音と神尾のよく歌い込んだ柔らかい音が調和していて上質の音楽を奏でていた。音楽が前向きで停滞することがなく、シュニトケの多彩な顔がよく表現されていて面白かった。ただフーガのような骨格のはっきりしたフレーズの時に、ヴァイオリンの表情がやや硬くなるのが気になった。


 バッハはダイナミックでスケールの大きい演奏。バロック時代の様式感を程よく把握しながらも、それに囚われすぎずに、あくまでも大ホールでしっかり響くように考慮されたタフな演奏だ。荒っぽさも多少感じられたが、バッハを通じてこういう演奏を目指すのだ、という自己主張が明確で、一本強い筋が通った気持ちのいい演奏だった。


 最後のクロイツェルソナタが良かった。猪突猛進型で、抜群のリズム感と、その乗りの良さは秀悦。第一、第三楽章のエネルギッシュな演奏がその好例。ベートーヴェンの作曲当時の油の乗り切った充実ぶりを鮮やかに表現しており聴き応えがあった。クルティシェフの出す音は大きく、デュオの領域を超えていたように思える箇所もあったが、音楽的ゆえに気にならない。常にヴァイオリンと一体となり、豊かな表現力で充分すぎるサポート役。また、アンダンテで変奏曲の第二楽章では、二人の優れた音楽性とアンサンブル能力の高さを見事に示してくれた。主題でのピアノの豊かな表現、第一変奏でのヴァイオリンの三連符の歯切れの良さなどは、このデュオならではの素晴らしさだ。


 アンコールが二曲、バッツィーニの「妖精の踊り」と、マスネの「タイスの瞑想曲」。これは見事。


 コロナ禍以降外国人アーティストの来日が中止となり、日本人アーティストが活躍する機会が飛躍的に増えた。これはいいことだが、今回のクルティシェフのように日本人にはいないタイプの素晴らしい演奏家を聴くと、早くコロナ禍がおさまり、こういう機会がもっと増えることを期待したい。



2021/11/16

 

第22代札幌コンサートホール専属オルガニスト

ニコラ・プロカッチーニ  デビューリサイタル



2021111219:00   札幌コンサートホールKitara 大ホール


J.S.バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564
クープラン:「修道院のためのミサ」より
       聖体奉挙(ティエルス・アン・タイユ)
ヴィヴァルディ/J.S.バッハ編曲:オルガン協奏曲 二短調 BWV596
フランク:大オルガンのための6つの小品より
     前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18
J.
アラン:3つの舞曲 JA120A/120bis
デュリュフレ:アランの名による前奏曲とフーガ 作品7



 Kitaraでは専属オルガニストを海外から一年の任期で招聘している。今年は22代目で26才のイタリア人。コロナ禍の中、よくぞ来日が実現した。いつもよりひと月ほど遅れてのデビューだったが、場内は盛況。期待の高さが窺われた。


 今回のもう一つの注目点は休館中にオルガンのオーバーホールが終了し、オルガンのサウンドが生き返ったこと。四千本以上のパイプを全て外し、清掃、調整と機構等の大規模補修、オリジナルサウンドを忠実に保持しながらの表現力拡大、全体調律などを約ヶ月かけ実施したという。

 その結果、個々のパイプの発声発音がきれいになり、当然それらを積み重ねてできるハーモニーが柔らかく、美しく調和するようになり、不愉快な唸りがなくなった。パワフルな箇所でも威圧感がなくなり、サウンドのクオリティは飛躍的に向上した。

 オーバーホールを担当した技術者の能力の高さも特筆すべきだろう。演奏者にとっても大きな手助けになり、音楽的なところは楽器が助けてくれ、演奏にゆとりが出てくることになる。


 演奏はアンコールを除き暗譜で、完成度の高い演奏。歴代の専属オルガニストデビューリサイタルでは、多少荒削りだが今後の成長が楽しみ、という感想を持つことが多い。だが、ニコラは、すでに完成したプロフェッショナルの演奏家だ。今後の成長の楽しみよりは、どのような作品を紹介してくれるのだろうか、という期待の方が大きい。


 冒頭のバッハは即興的なトッカータの第一楽章、じっくり歌い込まれたアダージョ、構築的なフーガ、それぞれの対比が鮮やか。フーガはさすがに緊張感のためかもう少し落ち着きがあればとも感じた。だが、オルガンのサウンドのクオリティが上がったことで、各声部がしっかり聴こえてきたのは驚かされた。このような明快に響いた気持ちのいいサウンドは久しぶりだ。今まで霧の中にあった曖昧なバッハ像が鮮やかに蘇ったような印象を与えてくれた。そのほかではトッカータでのペダルの演奏技術が見事で、その重低音の響きもまた素晴らしかった。


 クープランは丁寧によく歌い込まれた演奏。全ての装飾音がほぼ完璧に表現され、しかも音色が実に美しい。伴奏の音色とハーモニーの美しさは格別だ。ただし、今までフランス人専属が醸し出していた微妙なニュアンス溢れる演奏を聴き慣れていたので、それに比べるとちょっと生真面目。もう少し柔軟な動きがあるといい雰囲気になりそうだ。


 ヴィヴァルディ/バッハは名演だ。リズムの切れや、各楽章の表情の対比など申し分ない。一音一音のタッチがしっかりしているので、オルガンの発音が明瞭となり、音色も全体のまとまった響きも美しかった。


 後半はガラリと雰囲気が変わり、ロマン派から近現代の音楽。

 フランクは先日のブレハッチがピアノ編曲版を演奏し、今日はオリジナル。同じ会場で間をおかずに同じ作品を違う楽器で聴けるのはこのホールならではの醍醐味。きれいに整った演奏で、パイプで歌われる管楽器風の柔らかい音色と豊かなハーモニーの美しさは、オルガンでなければ聴くことのできない響き。フランクの上品さがよく表現されていたいい演奏だった。


 アランは正確無比、細部まで完璧に整えられた演奏。作品像を徹底的に洗い出し、精密画像のように全てを鮮やかに再現していて、まるでダビンチの素描を見ているようだ。このようなイメージで聴こえてきたのは初めて。名演だが、あまりにもディテールがはっきりしすぎ、様々なモティーフが聴こえすぎて戸惑うほどだ。特に三曲目の「戦い」でのバランス良い響きが見事だった。


 デュリュフレでは、演奏はもっと洗練され、ディテールも完璧、それが積み重なってできる全体像も見事で、申し分ない。これほど整った演奏は歴代専属の中でも初めてだ。

 アンコールにバッハの「オルガンのためのトリオソナタ第四番ホ短調」より「アンダンテ」。


 特筆すべき事項がもう一つ。Kitaraのオルガンとホールの響きの一体感は全国一だと思う。今まで全国の色々なホールでオルガンを聴いてきたが、Kitaraで聴くオルガンの響きが最も素晴らしいことは断言できる。

 楽器のクオリティの高さとホールの豊かな響き、この両者の一体感、マッチングは札幌の貴重な財産だ。このホールで上質のオルガン演奏を楽しむのは他では味わえない最高の贅沢である。

2021/11/09

 Kitaraランチタイムコンサート>

Kitaraバロック・アンサンブル・シリーズ

トリオ・ソナタで彩る午後


202111614:00  札幌コンサートホールKitara 小ホール


バロック・ヴァイオリン/長岡 聡季

フラウト・トラヴェルソ/北川 森央

チェンバロ/平野 智美

ヴィオラ・ダ・ガンバ/櫻井 


J.S.バッハ:トリオ・ソナタ ト長調 BWV1038

ルクレール:フルート・ソナタ ニ長調 作品2-8

マレ:聖ジュヌヴィエーヴデュモン教会の鐘の音

ビーバー:15のロザリオのためのソナタ「マリアの生涯の15の秘跡  

     の礼賛のために」よりパッサカリア ト短調

J.S.バッハ:「音楽の捧げもの」BWV1079より 

      3声のリチェルカーレ ハ短調  

        「音楽の捧げもの」BWV1079より

        トリオ・ソナタ ハ短調  


 
    本日のアンサンブルはオリジナル楽器によるもの。音量増大などのための改造が加えられる以前のバロック時代の楽器が主。機能的に楽器の音を出すのに大きな肉体的エネルギーを必要としないため、音色はより自然体に近く美しい。
 その分演奏が難しいのかも知れないが、本日の演奏者は力が抜けたしなやかな音を出す演奏者ばかり。個々の楽器のサウンドが良質なのだろう、四人のアンサンブルが自然で柔らかい響きになる。ふわっとした響きがホールに広がり、オリジナル楽器同士ならではの美しい、調和した響きだ。これはライブでなければ味わえない醍醐味である。


 プログラムの中ではバッハが別格。最後の「音楽の捧げ物」からのトリオソナタは、各楽器の動きが鮮明であると同時に、それらが調和し、大きな一つの音響となってホールに響く。これはバッハの卓越した空間認識とそれを反映した書法の素晴らしさで、晩年のバッハが到達したレベルの高さと凄みに感嘆させられる。もちろんそれを見事に再現した演奏があったこそ。一瞬の油断も許されない作品に対しての高い集中力と緊張感を感じさせるいい演奏だった。録音ではわからないライブならではの世界だ。

 冒頭のトリオソナタは未だバッハの真作かどうか議論のある作品。「捧げ物」と比較すると、職人的なこだわりが少ないが、生命力に満ちた名曲だ。伸びやかで厚みのある演奏で、冒頭に相応しく、楽しませてくれた。


 シャコンヌ風の変奏曲が二曲、ビーバーとマレー。両方ともバロック時代の作品としては有名だが、実演に接する機会は少ない。本日はとても貴重な機会だ。


 無伴奏ヴァイオリンの作品、ビーバーはまさしくヴァイオリン演奏技法の見本市。わずか4つの下降音型の上によくこれだけの変奏を書いたものだ。この見本市を見事に再現した長岡の安定したテクニックと多彩な表現、そしてノンヴィブラートでの力の抜けた自然な表情が素晴らしかった。作品の真価がしっかりと伝わってきた演奏。


 マレーは、ヴァイオリンとヴィオラ•ダ•ガンバとチェンバロ。チェンバロの豊穣な響きの中で、ガンバが大活躍、名技を披露して得意げな作曲者マレーの顔が想像できるような熱演。ヴァイオリンは要所で喝を入れるように鋭いリズムで引き締める役割。ビーバーもそうだが、執拗な繰り返しが続くにもかかわらず、単調にならずに高いクオリティのアンサンブルを聴かせてくれた演奏者に拍手。

 この作品に限らず、櫻井のガンバは安定した技巧でアンサンブルをしっかり支えていた。柔らかい音色の楽器で、全体のサウンドの色合いを決めていたのではないだろうか。


 そのほかにルクレールとチェンバロソロで3声のリチェルカーレ。

 北川のルクレールでのフラウトトラヴェルソの明るい表現が魅力的。彼の演奏は低音から高音までむらが全くなく、しかもいつも安定している。絶対音量こそ現代のフルートには負けるが、この落ち着いた柔らかい音色は、この楽器ならではの魅力だ。全体のアンサンブルの中でも存在感を示していた。


 チェンバロの平野は、通奏低音でしっかりとアンサンブルを支え、この日の立役者。雄弁で即興的なアルペジオやパッセージは魅力的で、しかもタイミングがよいのでソロを邪魔することなくアンサンブル全体の表情をより豊かにしている。一方でガンバと共に核になるビートをしっかり決め、音も綺麗で、素敵な通奏低音奏者だ。ソロでは細部の仕上げが少し落ちたのが惜しまれる。


 長岡、北川両氏によるお話が間に挟まり楽しかったが、楽器の話しをもう少し聞きたかった。

 アンコールに「ルベル:舞曲さまざま」。全員バッハから解放され、生き生きとした楽しい演奏。

 オリジナル楽器はライブがいい。それをあらためて実感した演奏会だった。