2021/11/30

Kitaraワールドオーケストラ&合唱シリーズ>

鈴木 優人指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン


2021112315:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV541
       さまざまな手法による18のライプツィヒ・コラール集より※
      いざ来ませ、異邦人の救い主よ BWV659
      トリオ《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》BWV660
      いざ来ませ、異邦人の救い主よ BWV661


     カンタータ第61

         《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》BWV61
     ブランデンブルク協奏曲 5 ニ長調 BWV1050
     クリスマス・オラトリオ BWV248より
      第一部《声をあげてよろこび、その日々を讃えよ》

                   ※オルガン独奏/鈴木 優人


指揮・オルガン独奏/鈴木 優人
ソプラノ/森 麻季 アルト/青木 洋也 テノール/櫻田 
バス/ドミニク・ヴェルナー
管弦楽・合唱/バッハ・コレギウム・ジャパン


   前半は待降節の季節にぴったりのプログラム。鈴木優人のオルガンソロに続いてカンタータ第61番。待降節の開幕にふさわしく、エッジの効いたクリアな演奏のフランス風序曲でスタートし、以後の流れもスムーズで、全体的に作品の内容がよく伝わってきたわかりやすい演奏だった。
 冒頭の合唱が硬めで不安だったが、最後のコラールでは声がよく響くようになり、イエス到来への期待が表現されていた。レチタティーヴォとアリアを歌ったテノールの櫻田はベテランらしい安定感と明瞭な歌詞でさすがだ。バスのドミニクヴェルナーは深みのある声と豊かな表情がイエスにふさわしく素晴らしい。ソプラノの森麻季はやや不調で、イエスを迎え入れる喜びは充分伝わり切らなかったが、透き通った表情がよかった。


 ブランデンブルグ協奏曲第5番は、名手7人の競演。ゆとりある遊び心に満ちた演奏で楽しめた。鈴木優人のチェンバロは、第一楽章の鮮やかなソロ、第二楽章の柔軟で表情豊かな表現、第三楽章での軸がぶれない安定したテンポで、好演。チェンバロもいい音が出ていた。ヴァイオリンの若松夏美の振幅ある伸びやかな表情のソロは彼女ならではの魅力。鈴木秀美のチェロと共に鈴木優人を見事にサポートしながらのアンサンブルは、素晴らしかった。トラヴェルソの菅きよみの落ち着きある演奏も良かった。これだけの上質な演奏は久しぶり。


 最後はその名の通り本来はクリスマスに演奏されるクリスマスオラトリオだが、本日は一足先にその第一部を演奏。鈴木優人の指揮は全体をしっかりと統括。アクティブでリズム感が良く、生命感に満ちており、音楽が硬くならない。しかも細部まできちんと仕上げた演奏で、クリスマスを迎えた喜びとイエスに対する愛を描いた作品の魅力がしっかりと伝わってきた。

 声楽グループはレチタティーヴォでもアリアでもコラールでも、緻密で細部の仕上がりが良い。まるで器楽のようにピッチやリズムも安定。歌詞も明瞭でアンサンブルに破綻がない。呼吸が浅くならず、オケと一体となって彫りの深い音楽を作り上げていた。アルトの青木 洋也が技術的にも音楽的にも安定した好演。個人的には合唱にはもう少し声そのものの魅力が欲しい。

 以前のBCJより、ワンランク上の演奏だったと思う。その立役者は指揮者の若き才能に加え、久しぶりの登場で存在感を示した鈴木秀美。安定した通奏低音で、アンサンブルを監視しながら核となり、時に睨みを効かせながらの演奏はさすが。


 冒頭のオルガンソロは三つのライプツィヒコラールがよく歌いこまれた演奏で好演。前奏曲とフーガはさすがに緊張していたのか、音が鳴りきらず、やや表情が固めだったのが惜しまれる。ビジターで、いきなりKitaraの大オルガンを演奏することはいかに優秀な音楽家でも難しい。十分なリハーサル時間がとれなかったのだろう。そのハンディを考慮すると、よく弾いていたと思う。





2021/11/21

 Kitaraワールドソリストシリーズ>

神尾 真由子&ミロスラフ・クルティシェフ 

デュオ・リサイタル


20211119日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール

ヴァイオリン/神尾 真由子
ピアノ/ミロスラフ・クルティシェフ


シュニトケ:古い様式による組曲

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 2 ニ短調       

      BWV1004

リスト:巡礼の年 2 「イタリア」 S.161より 7 

    ダンテを読んで―ソナタ風幻想曲
ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 9 イ長調

           作品47 <クロイツェル> 


 神尾は札響定期のソリストとして何度も出演しているが、ソロリサイタルは恐らく札幌では初めて。

 神尾の集中力のあるダイナミックな演奏は定評がある。このデュオではクルティシェフという最高の音楽的パートナーを得て、大ホールにふさわしいスケールの大きい豊かな音楽を聴かせてくれた。二人とも目指す音楽の方向は同じで、その一体となった音楽表現は極めて完成度が高い。クルティシェフは札幌だけの出演で、このデュオを聴けた当夜の聴衆は幸運だった。


 クルティシェフは2007年チャイコフスキー国際コンクールの一位なしの第二位。経歴によるとロシアだけで教育を受けたようで、演奏は完全にロシア楽派。たっぷりとした、分厚い大きな音を出すが、充分コントロールされており、汚い響きにはならない。ピアニッシモでも音が細くならず、豊かな響きがする。このホールでこれだけの大きな音は久しぶり。


 リストのソロは、豊穣な音と、自由で伸び縮みのある表情で、ロマン派にどっぷりと浸かった雰囲気のある演奏。札幌で聴く機会の多い、形を崩さない知的なリストを演奏するハンガリー楽派とは違って、形式よりはスケールの大きい豊かな雰囲気を重んじるタイプだ。チャイコフスキーやラフマニノフなどの作品を聴いているようで、リストがロシアピアノ音楽にも大きな影響を与えていたのだ、と改めて認識した次第。だが、これは教育よりは血の濃さのような気がする。


 シュニトケはこのデュオの性格がはっきり現れた演奏で、クルティシェフの豊かな音と神尾のよく歌い込んだ柔らかい音が調和していて上質の音楽を奏でていた。音楽が前向きで停滞することがなく、シュニトケの多彩な顔がよく表現されていて面白かった。ただフーガのような骨格のはっきりしたフレーズの時に、ヴァイオリンの表情がやや硬くなるのが気になった。


 バッハはダイナミックでスケールの大きい演奏。バロック時代の様式感を程よく把握しながらも、それに囚われすぎずに、あくまでも大ホールでしっかり響くように考慮されたタフな演奏だ。荒っぽさも多少感じられたが、バッハを通じてこういう演奏を目指すのだ、という自己主張が明確で、一本強い筋が通った気持ちのいい演奏だった。


 最後のクロイツェルソナタが良かった。猪突猛進型で、抜群のリズム感と、その乗りの良さは秀悦。第一、第三楽章のエネルギッシュな演奏がその好例。ベートーヴェンの作曲当時の油の乗り切った充実ぶりを鮮やかに表現しており聴き応えがあった。クルティシェフの出す音は大きく、デュオの領域を超えていたように思える箇所もあったが、音楽的ゆえに気にならない。常にヴァイオリンと一体となり、豊かな表現力で充分すぎるサポート役。また、アンダンテで変奏曲の第二楽章では、二人の優れた音楽性とアンサンブル能力の高さを見事に示してくれた。主題でのピアノの豊かな表現、第一変奏でのヴァイオリンの三連符の歯切れの良さなどは、このデュオならではの素晴らしさだ。


 アンコールが二曲、バッツィーニの「妖精の踊り」と、マスネの「タイスの瞑想曲」。これは見事。


 コロナ禍以降外国人アーティストの来日が中止となり、日本人アーティストが活躍する機会が飛躍的に増えた。これはいいことだが、今回のクルティシェフのように日本人にはいないタイプの素晴らしい演奏家を聴くと、早くコロナ禍がおさまり、こういう機会がもっと増えることを期待したい。



2021/11/16

 

第22代札幌コンサートホール専属オルガニスト

ニコラ・プロカッチーニ  デビューリサイタル



2021111219:00   札幌コンサートホールKitara 大ホール


J.S.バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564
クープラン:「修道院のためのミサ」より
       聖体奉挙(ティエルス・アン・タイユ)
ヴィヴァルディ/J.S.バッハ編曲:オルガン協奏曲 二短調 BWV596
フランク:大オルガンのための6つの小品より
     前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18
J.
アラン:3つの舞曲 JA120A/120bis
デュリュフレ:アランの名による前奏曲とフーガ 作品7



 Kitaraでは専属オルガニストを海外から一年の任期で招聘している。今年は22代目で26才のイタリア人。コロナ禍の中、よくぞ来日が実現した。いつもよりひと月ほど遅れてのデビューだったが、場内は盛況。期待の高さが窺われた。


 今回のもう一つの注目点は休館中にオルガンのオーバーホールが終了し、オルガンのサウンドが生き返ったこと。四千本以上のパイプを全て外し、清掃、調整と機構等の大規模補修、オリジナルサウンドを忠実に保持しながらの表現力拡大、全体調律などを約ヶ月かけ実施したという。

 その結果、個々のパイプの発声発音がきれいになり、当然それらを積み重ねてできるハーモニーが柔らかく、美しく調和するようになり、不愉快な唸りがなくなった。パワフルな箇所でも威圧感がなくなり、サウンドのクオリティは飛躍的に向上した。

 オーバーホールを担当した技術者の能力の高さも特筆すべきだろう。演奏者にとっても大きな手助けになり、音楽的なところは楽器が助けてくれ、演奏にゆとりが出てくることになる。


 演奏はアンコールを除き暗譜で、完成度の高い演奏。歴代の専属オルガニストデビューリサイタルでは、多少荒削りだが今後の成長が楽しみ、という感想を持つことが多い。だが、ニコラは、すでに完成したプロフェッショナルの演奏家だ。今後の成長の楽しみよりは、どのような作品を紹介してくれるのだろうか、という期待の方が大きい。


 冒頭のバッハは即興的なトッカータの第一楽章、じっくり歌い込まれたアダージョ、構築的なフーガ、それぞれの対比が鮮やか。フーガはさすがに緊張感のためかもう少し落ち着きがあればとも感じた。だが、オルガンのサウンドのクオリティが上がったことで、各声部がしっかり聴こえてきたのは驚かされた。このような明快に響いた気持ちのいいサウンドは久しぶりだ。今まで霧の中にあった曖昧なバッハ像が鮮やかに蘇ったような印象を与えてくれた。そのほかではトッカータでのペダルの演奏技術が見事で、その重低音の響きもまた素晴らしかった。


 クープランは丁寧によく歌い込まれた演奏。全ての装飾音がほぼ完璧に表現され、しかも音色が実に美しい。伴奏の音色とハーモニーの美しさは格別だ。ただし、今までフランス人専属が醸し出していた微妙なニュアンス溢れる演奏を聴き慣れていたので、それに比べるとちょっと生真面目。もう少し柔軟な動きがあるといい雰囲気になりそうだ。


 ヴィヴァルディ/バッハは名演だ。リズムの切れや、各楽章の表情の対比など申し分ない。一音一音のタッチがしっかりしているので、オルガンの発音が明瞭となり、音色も全体のまとまった響きも美しかった。


 後半はガラリと雰囲気が変わり、ロマン派から近現代の音楽。

 フランクは先日のブレハッチがピアノ編曲版を演奏し、今日はオリジナル。同じ会場で間をおかずに同じ作品を違う楽器で聴けるのはこのホールならではの醍醐味。きれいに整った演奏で、パイプで歌われる管楽器風の柔らかい音色と豊かなハーモニーの美しさは、オルガンでなければ聴くことのできない響き。フランクの上品さがよく表現されていたいい演奏だった。


 アランは正確無比、細部まで完璧に整えられた演奏。作品像を徹底的に洗い出し、精密画像のように全てを鮮やかに再現していて、まるでダビンチの素描を見ているようだ。このようなイメージで聴こえてきたのは初めて。名演だが、あまりにもディテールがはっきりしすぎ、様々なモティーフが聴こえすぎて戸惑うほどだ。特に三曲目の「戦い」でのバランス良い響きが見事だった。


 デュリュフレでは、演奏はもっと洗練され、ディテールも完璧、それが積み重なってできる全体像も見事で、申し分ない。これほど整った演奏は歴代専属の中でも初めてだ。

 アンコールにバッハの「オルガンのためのトリオソナタ第四番ホ短調」より「アンダンテ」。


 特筆すべき事項がもう一つ。Kitaraのオルガンとホールの響きの一体感は全国一だと思う。今まで全国の色々なホールでオルガンを聴いてきたが、Kitaraで聴くオルガンの響きが最も素晴らしいことは断言できる。

 楽器のクオリティの高さとホールの豊かな響き、この両者の一体感、マッチングは札幌の貴重な財産だ。このホールで上質のオルガン演奏を楽しむのは他では味わえない最高の贅沢である。

2021/11/09

 Kitaraランチタイムコンサート>

Kitaraバロック・アンサンブル・シリーズ

トリオ・ソナタで彩る午後


202111614:00  札幌コンサートホールKitara 小ホール


バロック・ヴァイオリン/長岡 聡季

フラウト・トラヴェルソ/北川 森央

チェンバロ/平野 智美

ヴィオラ・ダ・ガンバ/櫻井 


J.S.バッハ:トリオ・ソナタ ト長調 BWV1038

ルクレール:フルート・ソナタ ニ長調 作品2-8

マレ:聖ジュヌヴィエーヴデュモン教会の鐘の音

ビーバー:15のロザリオのためのソナタ「マリアの生涯の15の秘跡  

     の礼賛のために」よりパッサカリア ト短調

J.S.バッハ:「音楽の捧げもの」BWV1079より 

      3声のリチェルカーレ ハ短調  

        「音楽の捧げもの」BWV1079より

        トリオ・ソナタ ハ短調  


 
    本日のアンサンブルはオリジナル楽器によるもの。音量増大などのための改造が加えられる以前のバロック時代の楽器が主。機能的に楽器の音を出すのに大きな肉体的エネルギーを必要としないため、音色はより自然体に近く美しい。
 その分演奏が難しいのかも知れないが、本日の演奏者は力が抜けたしなやかな音を出す演奏者ばかり。個々の楽器のサウンドが良質なのだろう、四人のアンサンブルが自然で柔らかい響きになる。ふわっとした響きがホールに広がり、オリジナル楽器同士ならではの美しい、調和した響きだ。これはライブでなければ味わえない醍醐味である。


 プログラムの中ではバッハが別格。最後の「音楽の捧げ物」からのトリオソナタは、各楽器の動きが鮮明であると同時に、それらが調和し、大きな一つの音響となってホールに響く。これはバッハの卓越した空間認識とそれを反映した書法の素晴らしさで、晩年のバッハが到達したレベルの高さと凄みに感嘆させられる。もちろんそれを見事に再現した演奏があったこそ。一瞬の油断も許されない作品に対しての高い集中力と緊張感を感じさせるいい演奏だった。録音ではわからないライブならではの世界だ。

 冒頭のトリオソナタは未だバッハの真作かどうか議論のある作品。「捧げ物」と比較すると、職人的なこだわりが少ないが、生命力に満ちた名曲だ。伸びやかで厚みのある演奏で、冒頭に相応しく、楽しませてくれた。


 シャコンヌ風の変奏曲が二曲、ビーバーとマレー。両方ともバロック時代の作品としては有名だが、実演に接する機会は少ない。本日はとても貴重な機会だ。


 無伴奏ヴァイオリンの作品、ビーバーはまさしくヴァイオリン演奏技法の見本市。わずか4つの下降音型の上によくこれだけの変奏を書いたものだ。この見本市を見事に再現した長岡の安定したテクニックと多彩な表現、そしてノンヴィブラートでの力の抜けた自然な表情が素晴らしかった。作品の真価がしっかりと伝わってきた演奏。


 マレーは、ヴァイオリンとヴィオラ•ダ•ガンバとチェンバロ。チェンバロの豊穣な響きの中で、ガンバが大活躍、名技を披露して得意げな作曲者マレーの顔が想像できるような熱演。ヴァイオリンは要所で喝を入れるように鋭いリズムで引き締める役割。ビーバーもそうだが、執拗な繰り返しが続くにもかかわらず、単調にならずに高いクオリティのアンサンブルを聴かせてくれた演奏者に拍手。

 この作品に限らず、櫻井のガンバは安定した技巧でアンサンブルをしっかり支えていた。柔らかい音色の楽器で、全体のサウンドの色合いを決めていたのではないだろうか。


 そのほかにルクレールとチェンバロソロで3声のリチェルカーレ。

 北川のルクレールでのフラウトトラヴェルソの明るい表現が魅力的。彼の演奏は低音から高音までむらが全くなく、しかもいつも安定している。絶対音量こそ現代のフルートには負けるが、この落ち着いた柔らかい音色は、この楽器ならではの魅力だ。全体のアンサンブルの中でも存在感を示していた。


 チェンバロの平野は、通奏低音でしっかりとアンサンブルを支え、この日の立役者。雄弁で即興的なアルペジオやパッセージは魅力的で、しかもタイミングがよいのでソロを邪魔することなくアンサンブル全体の表情をより豊かにしている。一方でガンバと共に核になるビートをしっかり決め、音も綺麗で、素敵な通奏低音奏者だ。ソロでは細部の仕上げが少し落ちたのが惜しまれる。


 長岡、北川両氏によるお話が間に挟まり楽しかったが、楽器の話しをもう少し聞きたかった。

 アンコールに「ルベル:舞曲さまざま」。全員バッハから解放され、生き生きとした楽しい演奏。

 オリジナル楽器はライブがいい。それをあらためて実感した演奏会だった。

 




2021/11/04

ラファウ・ブレハッチ ピアノ・リサイタル


2021103113:30  札幌コンサートホールKitara 大ホール

主催 オフィスワン


J.S.バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 作品10-1

ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

フランク(バウアー編):前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調

ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58



 緊急事態宣言が解除になったが、厳しい入国制限が続く中での来日。1023日の大阪が初日で、札幌が最終日。

 2005年ショパン国際コンクールの覇者で、全ての賞を総なめにした完全優勝。札幌には複数回来札しているはずだ。若い世代の来場者が多く、彼の人気度が窺える。


 洗練されたピアニスト。丁寧な楷書体で、どの曲、どの箇所を取ってもきちんと全てバランスよく仕上げられており、弾く姿勢も背筋が伸び美しい。ピアノを学ぶ人達の最高のお手本とも言えるピアニストだ。


 前半のプログラムはすべてハ短調の作品で統一。

バッハのパルティータ第2番は管弦楽曲風の楽想を持ち、しかも共通のモティーフでそれぞれの楽曲が統一された組曲で、楽曲構成も含め、ほかのパルティータと性格を異にしている。冒頭と終曲が管弦楽のトゥッティ、室内楽風のクーラントのほかは様々な楽器による二重奏の楽曲。ブレハッチの演奏はまさしくこのイメージで、実によく考えられた様式感だ。各曲のテンポ、表現の幅広さ・強弱の幅も自然で、現代におけるバッハの解釈とは?の問いに対する模範解答の演奏だ。 


 ベートーヴェンがこのパルティータ第2番の影響を明らかに受けて、作曲したのが悲愴ソナタだが、同じハ短調でもブレハッチが演奏したのは作品10-1。  

 短い時間枠の中に、様々なモティーフとリズムパターンによって見事な統一感を与えた初期の傑作。ピアニスティックな要素もあるが、発想は弦楽四重奏や管弦楽からだ。第一楽章の鋭く引き締まった表現、第二楽章の美しい節度ある歌い方、第三楽章のドラマティックな表現など、申し分なく素晴らしい。作品の本質を把握した名演だ。


 32の変奏曲は、当時のピアノ演奏技法のカタログとも言える。わずか8小節の短いテーマに32の変奏が展開される。多様な音型による凝縮された変奏が、両手に均等に与えられる。ブレハッチはそれまでの二曲で、管弦楽や室内楽風の様々なスタイルを紹介し、ここで初めて純粋にピアニスティックな世界に到達、プログラム前半の頂点とした。盛り上がりは計算通りの効果。ベートーヴェン独特の上下行の繰り返しによる密度の濃い音響的世界を、完璧な技巧で表現。しかも、鋭く、一切弛緩することなく前進する音楽は前半のフィナーレにふさわしく、聴き応えがあった。


 休憩後は二曲ともロ短調。まず時代が約一世紀下り、フランクのオルガン曲のピアノ編曲版から開始。ここで一気に聴衆をロマン派の世界に引き込む。冒頭の前奏曲の旋律は実にロマン派的で、古典派には無い世界だ。この演出も中々のセンス。Kitaraでは専属オルガニストがよく演奏し馴染みがあるが、この日はH.バウアー編曲によるもので聴くのは初めて。上品に歌い込まれた、とてもきれいな演奏。フランクの音楽自体もそういう性格の作品なので申し分ない出来。ただ、編曲も演奏も低音域やハーモニーがやや薄いような気がしたが、それは次のショパンのために控えたのかもしれない。


 秀逸はやはりショパン。豊かな感情表現は素晴らしく、フランクでロマン派に誘い込み、このショパンで音量的にも音楽的にも一気にクライマックスに到達するように設計した選曲は効果抜群。音も深く厚くなったような気がする。第一楽章の二つの主題の鮮やかなコントラスト、第二楽章の見事な速いパッセージ、第三楽章の深く歌い込まれたノクターン、そして第四楽章でエンジン全開。一切乱れるところはなく、そのバランス感覚は恐ろしいほど。数え切れないほど演奏してきた作品なのだろうが、それにしてもこの安定感はすごい。


 ポーランド生まれだが、音楽にはその出自がほとんど聴こえてこない。完全にインターナショナルの標準語だ。演奏は全てが整い、羽目を外さず、何か彼ならではの強いオリジナリティは感じられない。おそらくそう思わせるのが狙いで、それが彼のオリジナリティかも知れないが。

 もっと芯のある爆発的な音も出せそうだし、濃厚な音楽も表現できるのに違いないが、あえてバランスのよい中庸な感覚を大切にしているのだろう。ヨーロッパの知的教養人とはこういう人のことを言うのだろうか。

 

 アンコールはショパンのワルツ(嬰ハ短調作品64-2)。これは絶品で、テンポ・ルバートなど絶妙なタイミングと美しい音色で聴衆を魅了した。

2021/11/02


<Kitara ランチタイムコンサート>
ワーヘリ
ユーフォニュームとテューバの魅力


20211030(土曜日)13:00 札幌コンサートホールKitara小ホール


出演:ワーヘリ

(ユーフォニアム/外囿 祥一郎 テューバ/次田 心平 ピアノ/松本 望)


モンティ/金井 信編曲:チャールダーシュ

ブラームス/松本 望編曲:ハンガリー舞曲 5

加羽沢 美濃:やさしい風

中橋 愛生:アロハ・オエ・ディエス・イレ

松本 望:空への階段

ビゼー/西下 航平編曲:「カルメン」の主題による幻想的組曲  

リスト/松本 望編曲:ハンガリー狂詩曲 第2番



 コロナ禍で昨年6月
13日開催予定が延期になったトークイベント付きコンサート。

この一風変わった「ワーヘリ」(ワールド・ヘリテージの略)という名前の由来は、日本ジャズ界の巨匠、前田憲男が「世界的に珍しいデュオであると共に彼らが遺す音もまた世界遺産」という意味を込めて命名したとのこと。確かにこの組み合わせは他に聞いたことがない。




 


 快晴で中島公園のイチョウが美しく、公園は散策を楽しむ人々でいっぱい。緊急事態宣言解除で、会場は様々な年齢層でほぼ満席。親子連れや、楽器愛好者の若者が多く、珍しい組み合わせのアンサンブルへの期待と、久しぶりの快晴に恵まれたお昼のコンサートのためか。


 演奏はお話しをはさみながら約1時間。低音でビートを刻む役割だけではなく、旋律楽器として活躍できる能力と、低音域ゆえの豊かな表現力を持つ楽器であることを伝えてくれ、3人によるお話しも面白く、楽しい演奏会だった。

 特に楽しかったのが2台の金管楽器のみによる中橋の「アロハ・オエ・ディエス・イレ」とビゼーの「カルメン」からの4曲。幅広くよく歌い込まれた感性豊かな演奏で、低音楽器の魅力を余すところなく伝えてたのではないか。


 ただ、一級のプロでも長時間吹き続けるのはかなり辛い楽器のようだ。また、低音楽器特有なのか、時々ディテールが甘くなりがちなところもあったが、そこをしっかりと締めていたのがピアノの松本。切れ味よく、鋭いリズムで一切妥協がない。管楽器のブレスに合わせるなどの細かい配慮よりは、隙の無い密度の高い音楽を作り上げるほうを優先、アンサンブルを弛緩することがないように、リーダー役として、しっかりとまとめ上げていたのが素晴らしい。


 その松本の作曲による「空への階段」が、同音反復のリズムから始まり、フランス風のフワッとした雰囲気を見せながら次第に盛り上がり、プロコフィエフのトッカータ風の激しい動きをしながら、エンディングに向かうなかなか面白い発想の作品で、金管楽器の新たな可能性を示してくれ、これは楽しめた。

 同じ松本の編曲で、フィナーレの「リストのハンガリー狂詩曲第2番」では金管楽器にここまで難しいフレーズを吹かせるのか!とびっくりさせる場面も登場するなど、3つの楽器がそれぞれ最も美しくかつ効果的に響くように書かれた見事な編曲。彼らの信頼関係の深さが感じられる素晴らしい演奏だった。

 その他、北海道の味噌ラーメンの話題から誘導されたミ、ソ、ラのモティーフによる松本の即興演奏が素敵だった。ラヴェルを思わせるフランス印象派的な雰囲気から始まり、シャンソン風の洒落たメロディーが現れる展開となり、最後はミソラを弾いて終わる機知に飛んだ演奏で、これは実に見事。プログラムにはなく、金管組の休憩の時間を作るための即興的アイディアだったらしいが、これに応えた松本も素晴らしい。なお彼女は北海道出身で東京芸大の作曲科卒業。


 終演後、金管両氏によるトークイベントが一時間ほど行われた。事前に質問を募集しての実施。半数以上の来場者が残り、このグループに対する期待度が高いことが窺われた。


 このコンサートはコンサートホール企画連絡会議(Kitaraのほか、新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ、所沢市民文化センターミューズ、すみだトリフォニーホール、京都コンサートホール、アクロス福岡(福岡シンフォニーホール)の全6館により構成)連携事業。これまでにプラジャークカルテット、ダネルカルテット、ハイドン・フィルなど素晴らしい演奏家達が登場している。

 今回は福岡シンフォニーホールとの連携。ここのホールはシューボックス型のクラシックなホールで、ゴージャスな雰囲気のいい響きのするホール。これらについてはまたあらためて紹介したい。