2022/01/03

 

回想の名演奏

高関健指揮札幌交響楽団 第546回定期演奏会

メシアン:「トゥーランガリラ交響曲」


2012年2月11日15:00  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮:高関健  ピアノ:児玉桃  オンド・マルトノ:原田節

管弦楽:札幌交響楽団


 

 Kitaraの大ホールに、これ以上ない、と思わせるほど豊穣なサウンドを響かせた演奏会がメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」。

 この作品の演奏会は過去Kitaraで2回あり、初回は(同時に北海道初演)、2008年7月12日、PMFオーケストラの演奏会で、このときの指揮者は準・メルクル、ピアノソロがピエール=ロラン・エマール、オンド・マルトノが原田節。今回紹介する札響定期は2回目。

 

 2回ともKitara演奏史上語り継がれるべき名演奏だ。まず北海道初演となったPMFオーケストラの演奏は、ステージ狭しと並んだPMFの学生達の若さいっぱいのサウンドが素晴らしく、ともかく華麗で鮮やかなメシアンだったと記憶している。

 準・メルクルは解釈云々よりも、まとめ上げる方に主眼を置いていたようだ。オンド・マルトノの不思議な音色も面白かったが、ピアノソロのエマールが全曲暗譜で演奏していたのには驚かされた。


 Kitara大ホールに開館以来初めてとも思われる豊かな響きが広がり、北海道初演にふさわしい見事な演奏だった。この作品の実演を聴いたのは初めてで、編成の大きな作品や現代音楽はライヴで聴かないと、その本質がわからないことを実感させられた演奏会でもあった。


 一方、札響の演奏は常設オーケストラとしてのまとまった響きとアンサンブルの安定度に、一日の長があった。PMFオーケストラは、オーケストラ・スタディを一つの目標として、世界中から集まった学生達で編成される。優秀な若手奏者達だが、短期間の臨時編成のオーケストラだけに、熟成度、オリジナリティを持てるようになる時間がないのは当然だ。


 もう一点は高関の指揮。札響とは長い年月交流があり、お互いに気心の知れた仲だ。この信頼関係が演奏に反映されたのでは、と思われる。彼の基本的姿勢である、決して派手ではないが、作品の姿をできるだけ忠実に、きちんと丁寧に仕上げていく姿勢はこのメシアンにも見られた。エネルギーではPMFオーケストラに譲るが、作品の全体像を俯瞰し、その本質に迫る、という点では札響の方がより説得力のある演奏だった。


 ピアノソロは児玉桃。PMFのエマールはオーケストラとの一体感が強かったように記憶しているが、児玉のソロは、ソリスティックで、オーケストラとの対話に重点を置いた演奏だった印象が強く残っている。どちらも甲乙つけ難い素晴らしい演奏だった。

 ホール中に広がった札響のダイナミックな響きは、PMFオーケストラとはまた違った魅力のあるサウンドだった。


 それにしてもこれだけの大曲を、札幌でわずか4年の間に2度も聴けるとは思ってもいなかった。PMFオーケストラはいつも大編成の作品を演奏するので、ある程度予想がつくが、札響がこれだけの大曲を定期で取り上げ、しかも作品に対して怯むこともなく、高い完成度で演奏したことに少々驚いた。札響が日本のトップクラスのオーケストラと肩を並べるレベルまで到達しつつあることを実感した演奏会でもあった。

 また、この定期は高関が札響正指揮者として最後の演奏会だった。

任期は2003年から12年まで。ちょうど過渡期でもあった札響のレベルを引き上げた功労者だと思う。高関の指揮は真面目で誠実。いつも安心して聴くことができた。


 一方でPMFオーケストラ演奏会は、大編成ゆえにこのオケでしか聴けない作品が数多く演奏され、Kitaraでの演奏史に大きな足跡を残している。それについてはまた改めて紹介したい。


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