2023/12/18

 札響の第9


2023年12月17日13:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮 /松本 宗利音


ソプラノ /中江 早希

メゾソプラノ /金子 美香

テノール /宮里 直樹

バリトン /大西 宇宙

合唱 /札響合唱団、札幌大谷大学芸術学部音楽学科合唱団ほか


管弦楽/札幌交響楽団


藤倉大:グローリアス・クラウズ

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」



 今年の第9は1993年大阪出身の松本宗利音。今回は冒頭に藤倉大の作品。第67回尾高賞を受賞しており、作曲者自身のHPによると、世界初演は名古屋にて名古屋フィルハーモニー交響楽団で、その後フランスとドイツで初演が行われ、YouTube上におそらくドイツ初演と思われるケルンWDR放送交響楽団の演奏がアップされている。

「微生物は、腸内はもとより、皮膚にも棲みついている。地球上あらゆるところに生息する微生物の生態はオーケストラそのものだ」、というユニークな発想から書かれた作品。


 この作品を第9の前に取り上げたのは、シラーの詩にWollust ward dem Wurm gegeben(虫けらにも官能の喜びが与えられ〜当日配布プログラムより)とあるのでその関連かとも思ったが、Wurm は微生物より大きい虫のことなので、ちょっと違うようだ。尾高賞受賞関連か、それとも特に理由はないのかもしれない。(この作品はhitaruシリーズ第8回定期2022年17日に松本宗利音の指揮で演奏される予定でしたが、都合により中止された曲目でした。失念しており大変失礼しました。2024年1月22日加筆。)


 スコアはその微生物の動きを表現するために相当詳細に書き込まれているようだ。音楽における点描主義とも言えるのかもしれないが、それらが積み重な

って何か大きな姿が見えてくるのかとも思ったが、そういう作品でもないらしい。藤倉大らしいアカデミックな枠組がほとんど聴こえてこない自由な発想の作品だが、今日の演奏は、やや輪郭が不鮮明で、全体的にどこか掴みどころがなく、これが本当の作品の姿なのかどうかはよくわからなかった。

 定期公演の配布プログラムにはいつも楽器編成が掲載されているのだが、今日は無し。特別な編成ではなかったようだが、現代の作品には楽器編成がわかった方が鑑賞の手引きにもなっていいのでは?


 第9は第4楽章が素晴らしかった。昨年はコロナ禍の影響下、P席で合唱団はマスク着用で一席ずつ空けての着席だったが、今年からマスク無し、空席無しの通常通りの配置で聴衆は合唱を聴くことができるようになった。

 器楽的でけっして歌いやすい作品とは思えないが、表現に力強さがあり、跳躍音程や各パートの限界を超えるようなハイポジションの声部でも音程はきちんと決まっていて、特にソプラノの持続するピアニッシモでの2点Gや2点A音などの箇所などピッチはもちろん、音楽的にも素晴らしかった。久しぶりに聴いた高水準の合唱だった。

 ソリストは4人とも安定しており、声量も申し分ない。今日は特に堂々とオペラティックな歌唱を聴かせたバリトンの大西宇宙が良かった。


 ここに至るまでの3つの楽章を、松本は全体的に速めのテンポであっさりと仕上げた演奏。第1楽章は颯爽とまとめ上げ、快演だったが、管楽器グループの表情が淡白すぎて単調になりがち。もっと歌わせて、彼らならではの美しい音色と調和を引き出すとより楽しめたのではないか。第2楽章は鋭い表現で、輪郭がしっかりしており、今日の中では出色の出来だった。

 第3楽章はきれいに仕上がったとても楽天的な演奏。この楽章だけ取り出して聴くにはいいかもしれないが、やや密度の薄い演奏で、もっと繊細な表情があったほうが次の楽章への期待感などが伝わってきたのではないだろうか。

 コンサートマスターは会田莉凡。

2023/11/23

 札幌交響楽団hitaruシリーズ定期演奏会第15回


2023年11月21日19:00 札幌文化芸術劇場hitaru


指揮:マティアス・バーメルト

ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

管弦楽:札幌交響楽団


間宮芳生/オーケストラのためのタブロー2005

モーツァルト/交響曲第40番

ブラームス/ピアノ協奏曲第2番


    間宮は札響初演。札響の管楽器群の多彩な表現が印象的。冒頭いきなり拍子木が登場し、ハッとさせられるが、間宮らしい底力のある逞しい生命力を感じさせる作品だ。

 バーメルトは管楽器群から生き生きとした表現と繊細で美しい日本の笙の音色を想起させるハーモニーを、弦楽器群からは、武骨で力強さを感じさせる表現を引き出し、両者の一体感が実に見事。中では、特に長大で即興的な演奏を聴かせてくれたオーボエソロが素晴らしかった。

 バーメルトが振ると、弦楽器がとてもよく歌い、音に厚みが出る。全体の音楽の流れ、統一感にも優れ、作品の魅力をとてもよく伝えてくれた演奏だった。


 モーツァルトは札響演奏歴は70回だそうだが、意外に聴く機会の少ない名曲で、前回聴いたのがいつか思い出せない。バーメルトは古典であっても、編成を小さくすることはしないのが慣例のようで、今日も大編成の14型。

 だが、大編成ならではのスケール感をことさら強調することもなく、全体的に弦楽器を豊かに美しく歌わせてのモーツァルトだ。

 冒頭の主題の歌わせ方がやはりバーメルト。押さえつけず流れるようなボーイングによる、柔らかくすっと力の抜けた表情が素敵だ。この柔らかいアーティキュレーションで優美に歌わせる表現は、今日のモーツァルトの全体を通しての特徴。

 第2楽章の終盤あたりでは、弦楽器群だけによる抜群のハーモニーの美しさを聴かせてくれるなど、この優れたハーモニー感覚も今日の素晴らしかった点の一つ。

 第3楽章メヌエットでのシンコペーションのリズムの生き生きとした表情、終楽章の求心力のある演奏も良かった。

 全体的には、やや14型を持て余しているところと、管楽器が今一つ冴えに欠けていた印象を受けたが、バーメルトならのモーツァルトで、名曲の魅力を余すところなく伝えてくれた。


 ブラームスはオピッツが名演。元々ヴィルトゥオーソタイプのピアニストではなく、作品を表情豊かに表現する人だ。必ずしも音量は大きくなく、圧倒的な迫力はあまり感じさせない。だが、重要な音はすべて聴こえてきて、鋭いリズム感覚と停滞することのない求心的な音楽作りで、音楽に隙を与えない緊張感のある演奏だ。一方で第3楽章での穏やかでかつドラマティックな表現、第4楽章での快活な表情など、多彩な表情にも事欠かず、常にオーケストラと一体となったシンフォニックな響きを生み出して、なかなか聞き応えのあるブラームスだった。

 オーケストラは弦楽器セクションが見事。第3楽章のチェロのソロをはじめとする豊かな表現力と抜きん出て美しい音色は札響ならでは。それに対して管楽器セクションはやや冴えにかけ、意外なミスが多かったのが残念。

 コンサートマスターは会田莉凡。


 今年度で首席指揮者を退任するバーメルトはhitaru定期初登場。次回はKitara 658回定期と東京公演で、次年度以降はhitaruは予定がないようだ。是非ここでまた聴いてみたい指揮者だ。


2023/11/13

 札幌交響楽団第657回定期演奏会

2023年11月12日 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/下野竜也

ソプラノ/石橋栄実

管弦楽/札幌交響楽団


ベルク:7つの初期の歌

マーラー:交響曲第7番


 ベルクは、札響初演。ソプラノソロとオーケストラが一体となったいい演奏だった。

 石橋は、とても表情豊か。作品に込められた濃厚で熱い感性がよく伝わってきた歌唱で、後期ロマン派の香りを強く感じさせる好演だった。特に後半の第4曲目以降がとても印象に残った。

 オーケストラはよく歌われており、音色も美しい。ベルクにとっても思い入れの深い作品なのだろう、初期の歌だが、自身によるオーケストレーションが約20年後の1928年と成熟した時期に行われている。編曲の際に込められた微妙に交錯する色合い豊かな感性がよく表現されていた。歌手を大きく包み込むように、しかし大きすぎず、小さすぎず、とてもよくコントロールされた音量で、時には、弦楽器奏者の演奏者の数を減らしながら、音色を変えずに自然に音量をコントロールするなどの工夫があって、下野の配慮ある指揮振りが光った秀演だった。

 

 マーラーは、管楽器セクションが大活躍。個々のソロが素晴らしく、しかも最後まで疲れを知らない圧倒的な迫力で演奏。エネルギッシュであるだけではなく、統一感のあるよく調和したサウンドで、ここでの自発的なアンサンブル能力は見事だった。

 一方で弦楽器セクションは今日は対向配置。下手にコントラバスと第1ヴァイオリン、ステージ中央にチェロ、そして上手よりにヴィオラ、第2ヴァイオリンという配置。コントラバスが独立して聴こえてくる演奏効果はあったにせよ、14型という大編成にもかかわらず、管楽器の響きの陰になり、その厚みのある響きはよく伝わってこなかった。


 今日の下野が創り上げたマーラーは、明るく元気がよく、屈託がなく、迷いのない健康的で、ストレートに表現されたマーラー。朗らかな夜の音楽という印象だ。とても前半のベルクと同じ時代の作品とは思えない。

 大きくまとめ上げたスケール感の大きいマーラーだったが、その代わりにディテールはやや甘く、特に管楽器群の表情が比較的単色で、微妙な夜の世界の表情が今ひとつよく伝わってこなかったように感じた。


 細かいことを幾つか言えば、第一楽章の冒頭の弦楽器による葬送行進曲風のリズムは、やや曖昧で比較的気楽な気分で開始され、それが朗らかな雰囲気を醸し出している。続くテナーホルン〜今日はユーフォニアムによる演奏〜の朗々とした明るく、すっきりとした旋律が聴こえてくる。もうこの辺りで、今日の演奏の全体像が伝わってきたようだ。

 第2楽章の楽譜の指示は冒頭の第1ホルンソロがフォルテ、これに続く次の第3ホルンソロはピアノ。しかし、第3ホルンはピアノではなく明らかにメゾフォルテに近い音量で演奏。従ってここでの問いと答えである効果的な奥行きのある表情がやや曖昧。さらに続くオーボエなど管楽器が次第に絡んでくるアンサンブルは基本的にピアノとピアニッシモの世界で表現される静かな夜の歌のはずだが、音量はかなり豊かで、白昼堂々とアンサンブルを楽しんでいる、という雰囲気だ。ここに限らず、管楽器群は全体的に明暗の少ない明瞭なサウンド。もっと指揮者がコントロールしてもいいのでは。

 第3楽章は弦と菅のバランスがよく、鋭いリズム感による各セクションの表現など、今日の演奏の中では最も多彩な表情が聴けた楽章だった。

 第4楽章は、せっかくのギターとマンドリンがちょっと遠慮気味。

 第5楽章は、それまでの楽章が比較的おおらかに表現されていたためか、今までの緊張感を一挙に開放する盛り上がりにやや欠けたのが惜しい。


 迫力のある演奏で聞き応えはあったが、それぞれのパートの個性を生かした、もっと多様性のある表現であれば、作品をより楽しむことができたのではないだろうか。

 コンサートマスターは会田莉凡。

 

2023/11/10

 北星学園大学チャペルコンサート

大森潤子バッハ無伴奏ヴァイオリン演奏会


2023年11月9日12:10 北星学園大学チャペル


ヴァイオリン/大森潤子


バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV 1003

    無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 二短調 BWV 1004



 大森潤子は2006年から17年まで札幌交響楽団首席奏者を務め、現在は富士山静岡交響楽団ゲストコンサートマスターなど全国で活躍中。

 08年より北星学園大学チャペルで年1度バッハの無伴奏ソナタとパルティータを演奏し続けており、今回は5巡目の第2回で、この曲目になったそうだ。

 演奏はとても良かった。古楽器風のノンヴィブラートですっと抜けるような表情や、モダン楽器ならではのヴィブラートによる力強い表情など、両方の良さをそれぞれ取り入れた優れたバランス感覚のある演奏スタイル。 

 強い自己主張よりも作品そのものに語らせる、という方針が窺われ、何度も繰り返し演奏する中で、どれがより良いかを模索しながら、今の演奏スタイルに到達したのではないか。毎年聴いていると、おそらくその変貌していく様子がよくわかるのだろう。


 天井が高いチャペル全体に楽器がよく響いて、いい音がする。ボーイングが柔らかくてむらがなく、全体的に音程がきれい。重音すなわち和声が純正でよく調和しており、ノンヴィブラートの表情がとても生きている。細部までよく歌い込まれていて、無機的な箇所がなく、音楽的にも充実している。曖昧さが一切ないのはこの人ならではだ。

 硬さが感じられず、気になるミスもほとんどない。札響時代の彼女の演奏は、聴衆に挑むような緊張感があったが、それがすっかりなくなった。以前より音楽の表現の幅が広がり、ゆとりが出てきたように思う。


 一曲目はイ短調のソナタ。冒頭のグラーヴェのゆっくりとした楽章は、重心がある拍の和音が登場するたびに表情が微妙に変化しながら、きれいに調和した音程で表現されている。また、それらを繋ぐ装飾的なスラーのかかった細かい32分音符中心のフレーズが、すっと力が抜けた柔らかい表現で、かつよく歌い込まれている。情に流されずに全体的な設計図がしっかり組み立てられている演奏で、そのバランス感覚がとても良かった。

 この楽章の演奏が今日の全てを物語っていたようだ。冒頭ゆえの緊張感があったにせよ、今日の演奏会全体への期待感を強く感じさせた演奏だった。

 次の長大なフーガは力感があり、多声部の動きも明確で立体感のある演奏。続くアダージョはさりげなく弾いていたようだが、持続低音と旋律の表情のバランスがよく、両者をこれだけ美しく調和させた演奏はなかなか聴けない。

 最後のアレグロは推進力のある見事な演奏。技術的にも素晴らしくバッハの凄みが見事に伝わってきた好演。


 ユーモラスなお話があって、緊張感がややほぐれた後のニ短調のパルティータは、肩の力がより抜け、全体的に音楽の語り口にゆとりが感じられた演奏だった。

 アルマンド、クーラントは流麗で美しく、サラバンドは最後のシャコンヌを予期させる期待感を感じさせた。ジークはやや早めのテンポで一気呵成に演奏し、ここでの緊張のある表現は見事。

 一息置いて弾き始めたシャコンヌは変奏ごとの音楽の変化というよりは、次々と変容していく姿を捉えた流れるような演奏で、全体が大きな一つのまとまりとして聴こえてきて、これは素晴らしい演奏だった。

 その中で、各変奏の変貌する姿がわかりやすく明確に表現されていて、特にここでのボーイングの鋭さ、それに伴うクリアな音楽の表現は圧巻だった。

 あちこちに札響時代の強靭さを感じさせるところもあったが、今ではそれが演奏にいい意味で緊張感を与えていたようだ。


 2曲だけの演奏でアンコールは無し。今日はこれだけでもう充分。この作品群をこれだけ見事に聴かせてくれるヴァイオリニストはそう多くはないのでは。



2023/11/01

 ジャン・ロンドーチェンバロリサイタル


2023年10月31日19:00 札幌コンサートホールKitara 小ホール


チェンバロ/ジャン・ロンドー


バッハ:ゴルトベルク変奏曲



 自由で新鮮な感性に満ち、他の誰からも聴かれない強烈なオリジナリティを感じさせたゴールトベルク変奏曲。

 冒頭、楽器の状態を確かめるように即興のプレリュードを弾きながら、何やら考え込むように1分前後上下鍵盤を彷徨い、やっとアリアを演奏し始める。

 このアリアの演奏は、おそらくKitaraのチェンバロが最も美しい音色を響かせた瞬間。これはロンドーの素晴らしい才能の一つで、東京公演(10月26日)でも感じたが、これほどチェンバロから美しい音色を引き出すチェンバリストは彼以外いないのでは。

 一方で、和音をアルペジオで弾いたり、左右の声部をずらして即興的なパッセージを加えながら、縦の線を合わせることなく演奏する。これは撥弦楽器チェンバロならではの表現だが、これがいいリズム感の中にすっきりおさまって、しつこさを感じさせずとても心地よい。立体感が出て、響きと音楽がさらに広がっていく感じがする。

 同じ例では、第13、25の緩徐変奏曲。ここでの美しさもまた格別。今までこのような美意識で、しかもたっぷりと時間をかけて演奏したチェンバリストは彼が初めてだろう。


 その他で興味深かったのは、常識外に速いテンポで演奏したテクニカルな第20、28変奏曲。チェンバロではこれ以上速く演奏不可能というところまで突き詰めた演奏だった。

 

 この作品はテーマと変奏曲で32曲、それら全てに繰り返しがあり、2段鍵盤のチェンバロのための作品ゆえ、上下の鍵盤を弾きわけ、様々な試みを行うことができる。

 今日の繰り返しのパターンは、主に2種類。

 2段鍵盤のための変奏曲では、右手がはじめに下鍵盤を弾くと、繰り返し時は上鍵盤で弾く、とパターンを入れ替え、かつ自由な即興句を挿入する。その逆もある。

 1段鍵盤のための変奏曲では主にカプラーを入れて、上下両鍵盤を一緒に弾き、音を豊かに響かせながら、同じく、繰り返し後に即興句を挿入する。 

 かと思えば、第7変奏曲のジークのように、1回目は楽譜に書かれた装飾音をほとんど無視して演奏し、繰り返しの時に入れる、というグレン・グールドも行わなかった悪戯をやってみるなど、ともかく色々なことをする。


 なお、全ての変奏曲を繰り返したわけではなく、4つの変奏曲(第8、第13、第17、第26変奏)では繰り返しをしていない。その理由は演奏を聴く限りわからない。第13変奏は始めからかなり即興的な装飾を加えて演奏していたので、予め繰り返し無しを決めていたようだ。それ以外の変奏曲はテクニカルな変奏ゆえ、1回弾けば充分と考えていたのか、あるいはその時の気分だったのかもしれない。他都市公演ではどうだったのだろうか。


 最後のアリアはパターンを崩して、前半は1回目下鍵盤、繰り返しは上鍵盤、後半をそのまま上鍵盤で弾いて、繰り返しは、つまり全変奏曲の終幕は下鍵盤でしかも装飾をほぼ全て省いて、演奏した。全ては原点に戻る、と言いたかったのかもしれない。

 

 という様々なことをやりながら全曲を休憩なしで演奏。演奏時間は約90分前後か。リズミックに一気呵成に演奏してみたり、時間をかけて細部まで美しく表現したりと、様々な演奏スタイルがあり、全体のテンポの設定には一貫性はあまり感じられない。

 しかしながら、一つ一つの変奏曲をよく歌い込み、丁寧にかつ美しい音色で仕上げている。しかも変奏曲ごとの性格の違いを明確に表現し、この長い変奏曲を飽きさせずに最後まで聴衆を惹きつけた演奏だった。

 ロンドーの美意識と楽器の響きの美しさ、作品の持つ立体感を見事にマッチングさせた、今までにない、新しいスタイルによるゴルトベルク変奏曲だった。

 アンコールは無し。


 この作品を聴く楽しみは、バッハの作品の中ではかなり演奏の自由度が高く、色々な試みができることだろう。同じ可能性を秘めた作品には平均律クラヴィーア曲集があるので、これはぜひロンドーの演奏で聴いてみたい作品の一つだ。


 使用楽器はKitara所有のジャーマンのミートケモデル。整調、調律は良質で、申し分なかった。調律法はバロックチューニングだと思うが、よく分からなかった。



2023/10/31

内田 光子 with 

マーラー・チェンバー・オーケストラ

2023年10月29日15:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


ピアノ・指揮/内田 光子

管弦楽/マーラー・チェンバー・オーケストラ


モーツァルト:ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503
シェーンベルク:室内交響曲 第1番 ホ長調 作品9
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595



 この組み合わせでは2016年以来7年ぶりの札幌公演。以後来札の機会があったが、コロナ禍で実現しなかった。

 Kitaraには2001年12月に初登場(北海道新聞社主催)。以後Kitara主催で2010年(クリーブランド管弦楽団)、2013年ソロリサイタル、2016年(マーラー・チェンバー・オーケストラ 、2回公演)と来札している。主催公演では、ソロリサイタル以外のプログラムはモーツァルトの協奏曲2曲とオーケストラだけの演奏と、今回と同じ構成の公演。


 今回の曲目で、第25番は2016年に、第27番は2010年に演奏しており、いずれも札幌で2度目の演奏となる。ただし、演奏内容はかなり変化している。

 以前のように、いわば常識的なセンスながら誰にも真似のできない素敵な均整感を持った演奏、から大きく変化してきていると思う。

 まず、内田の指揮が前回よりもかなり深みを増し、オーケストラからより音楽的に充実した表現と響きを引き出していたこと。特に第25番でのオーケストラの引き締まった表情は、今までの内田から聞くことの出来なかった深みのある音楽だ。

 テンポは以前より遅くなっており、その分微に入り細を穿つ表現で、音楽から立体感と豊かな表情を生み出している。間の取り方もかなり大胆で、より即興性豊かで自由な表現が主体となり、強いインパクトを与えてくれた。

 また、ソロとオーケストラとの一体感が今まで以上に素晴らしく、内田とオーケストラとのより深い信頼関係が築かれているように感じられた。


 第27番は前回よりもやはりテンポは遅くなり、音楽の表情もより自由になっている。静かに思索に耽るような表現の深さを感じさせるところもあり、年齢を重ねたこともあるのだろうが、この7年で何かが大きく変わったようだ。

 ピアノの演奏そのものも以前より一層弱音志向になってきており、全体的にピアニッシモが音楽の表現の中心を占めるようになっている。バスはかなりコントロールされた響き。しかも神経のピリピリした音ではなく、暖かい音色で、すっと抜けてくるピアニッシモの美しさは以前より磨きがかかってきたようだ。特に27番の第2楽章とアンコールのピアノソナタの第2楽章が思わず息を呑むほどの素晴らしさだった。


 毎回ピアノは持ち込みで、その都度違う楽器を弾く。今回はご自分の楽器のようだ。これがとてもまろやかで柔らかい音色。オーケストラと素晴らしく溶け込み、全体で大きな一つのまとまりある響きが生まれきて、実に素敵だった。おそらく今表現したい音楽を100パーセント再現してくれる楽器なのだろう。

 これも実は内田のコンサートを聴く楽しみの一つで、例えば、2013年のリサイタルの時は、もう少し暴れん坊的な楽器だったように記憶している。

 

 いつもながら、ピアノの整調、整音、調律は見事な仕事ぶりだが、今回はより内田の要求に応えての完璧とも言える完成度。


 忘れてはならないのがオーケストラ。すでに述べたように協奏曲での一体感は素晴らしい。チェンバー・オーケストラらしく、ほぼ全員のメンバーがよくお互いに聴きあって良質の響きを生み出している。

 一方、彼らだけでのシェーンベルクはわずか14名での演奏にも関わらずアクティヴで大胆かつスケールの大きな演奏。指揮者無しなので、どのように作品の性格を示すかは曖昧なところもあったにせよ、これはこのオーケストラの優れた能力を余すところなく伝えてくれた。