2023年3月 9日19:00 札幌文化芸術劇場 hitaru
指揮 /鈴木 雅明
管弦楽/札幌交響楽団
矢代秋雄:交響曲(1958)
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
バッハ演奏で著名な鈴木雅明だが、札響を指揮するのは、2013年1月12日のKitaraのニューイヤーに続いて2回目。
矢代秋雄が名演だった。札響初演で、吹奏楽版で演奏される機会もあったようだが、オリジナルの形式では、おそらく北海道初演だろう。
矢代は1976年に46才で他界したため、作品の絶対数こそ少ないが、ピアノ協奏曲は何度も再演されており、また初心者向けのピアノ作品が少なからずあるため、音楽ファンならずとも一度は彼の作品を聴いたことがあるのではないか。
「交響曲」は細部まで磨き上げられた演奏で、特に管楽器の繊細な表情と豊かな感情表現、管弦打のそれぞれのアンサンブルでの絶妙なバランスが素晴らしく、ほぼ完璧と思わせるほど。それら細部が積み重なって、作品全体の構造が明晰に描かれていく過程は素晴らしかった。
オーケストラの奏者1人1人がいつも以上にお互いを実によく聴き合い、緊張感がありながらも、様々なモティーフを色彩豊かに表現していたのが印象的だった。細部まで、矢代の意図が美しく見事に表現されており、しかも札響の透明な音色で、ここまで豊かな感情表現になるとは、作曲者も思っても見なかったのではないか。
第1楽章の、積み重なる微妙な色合いのハーモニー、第3楽章でのイングリッシュホルン、アルトフルートの秀悦なソロ、ヴィヴラホンの生み出す魅惑的な響きの美しさと管楽器群との調和など、全体的に透き通った音色で、とても魅力的な演奏を聴かせてくれた。
それと同時に今日の演奏からは、作品に含まれる多様な要素、戦後すぐでのパリ留学の経験、同世代の黛敏郎の涅槃交響曲の影響、和楽器の模倣などと同時に、今の作曲家にはない、深い音楽性、精神性を感じ取ることができたのは、とてもいい経験だった。
オーケストラの配置は対向配置で14型。コントラバスは下手側に。
オーケストラ・ピットがステージと同じ高さまで上げられて、前方にかなり広いスペースが出来ていて、そのためか、いつもより音響的に広がりがあり、特に矢代はいい響きがしていた。
余談だが、バッハ繋がりで言えば、矢代と小林仁氏との対談形式で書かれた「バッハ平均律の研究(音楽之友社、昭和57年発行)」は矢代の作曲家としての鋭い視線からこの作品を語った名著だと思う。早すぎる死で、第1巻のみで終わってしまったのがとても残念だが。
チャイコフスキーは、バッハを指揮する鈴木からは想像出来ない熱演。矢代ほどの細部へのこだわりは無く、全体を大きな流れで捉えた、スケール感のある演奏だった。
ただ、管楽器群が、果たしてこの場所で、このような音で吹いていいのだろうか、という迷いを感じさせる箇所や、即興風の表現か、と思わせるところもあって、指揮者の意図が矢代作品ほど徹底されていなかったようだ。
コンサートマスターは会田莉凡。
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