小澤征爾と札幌(3)
1970年ニューヨーク・フィルハーモニックとの来札
小澤征爾指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会
1970年9月10日 札幌藤学園講堂
指揮/小澤征爾
琵琶/鶴田錦史
尺八/横山勝也
管弦楽/ニューヨーク・フィルハーモニック
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
武満徹:「ノーヴェンバー・ステップス」
ムソルグスキー:「展覧会の絵」
Expo'70
世界に羽ばたいた小澤は1970年にニューヨーク・フィルを率いて来札する。
この年は大阪で日本万国博覧会(Expo'70)が3月15日から9月13日までの183日間、開催された。
「来日オーケストラ公演記録」という1955年からの来日海外オーケストラの公演記録をまとめた素晴らしいHPによると(http://www.est.hiho.ne.jp/soundlodgeibuki/visitor-orchpro.html)
70年の来日海外オーケストラは10団体にも及び、カラヤンとベルリン・フィルがベートーヴェン交響曲全曲演奏会を行うなど、全てのオーケストラが大阪フェスティバルホールで演奏会を行っている。
全10団体のトリを務めたニューヨーク・フィルはバーンスタインと小澤の2人の指揮者で来日し、全11公演中、小澤は札幌と同じプロで大阪、東京で計3公演を指揮している。
札幌では、このほか、5月25日に前回述べたジョージ・セルとクリーブランド管弦楽団(中島スポーツセンター)、7月24日にヤンソンスとレニングラードフィル(札幌市民会館)の来札公演があり、いずれも大阪万博がらみである。
余談だが、おそらくクリーブランド管弦楽団の公演料はかなり高額だったと思われる。中島スポーツセンターを使用し、客席数を多くしなければ採算が取れなかったのだろう。
「ノーヴェンバー・ステップス」
プログラムに武満徹の「ノーヴェンバー・ステップス」が含まれているのが注目される。ご承知のようにこの作品はニューヨーク・フィル創立125周年記念のために同楽団から委嘱された新作。1967年11月初旬に、ニューヨークでこの来札時と全く同じメンバーで世界初演されている。
小澤はその2年前の65年にカナダのトロント交響楽団の音楽監督に就任、「ノーヴェンバー・ステップス」をニューヨーク初演の前に、トロントで徹底的にリハーサルを積み初演に挑んでいる。
トロント交響楽団と録音した レコードジャケットより抜粋 |
世界初演はもちろんニューヨーク・フィルの定期演奏会で、合計4回(11月9、10、11、13日)演奏されている。その後の同年11月下旬(28、29日)にはトロント交響楽団定期演奏会でカナダ初演を行い、さらに12月に武満とメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」をトロント交響楽団と録音している。
日本初演は翌年の68年6月に東京で、「オーケストラル・スペース‘68」で小澤と日本フィルの組み合わせで行われている。
なお、小澤は69年にトロント交響楽団を率いて来日しており、このときに、「ノーヴェンバー・ステップス」を含むプログラムを大阪と東京で2回指揮している。
このニューヨーク・フィルの日本ツアーでは、武満徹が含まれたプログラムは小澤が指揮するときだけで、従って初演時と同じメンバーで演奏を聴くことができたのは、全国で3箇所だけで、札幌は貴重なその一つだった。
今振り返ると、このニューヨーク・フィル札幌公演は、札幌での実に貴重な音楽シーンの一つだったと言える。だが、人気は今ひとつで、売れ行きは芳しくなかったらしく、割引券が音楽関係に出回ったとも聞く。
筆者は当時高校生で、高校生の小遣いで買えるような価格のチケットではなかったように記憶している。ゆえに、クリーブランド管弦楽団も含め、これらのコンサートは聴いていない。
武満徹の作品演奏で札響が一躍注目されることになるのは、まだ先の1976年のこと。その前の1974年に小澤は札響定期演奏会に出演する。これは次回に。
藤学園講堂は札幌市北区北16条西2丁目にある大学法人が所有する講堂で2000席。学校関連の式典で使用する講堂で、演奏会で使用される機会は少なく、もう数十年訪問していないので音響等がどうだったかは記憶にないが、落ち着いた雰囲気の講堂だったように思う。
参考文献
前川公美夫 北海道音楽史
立花隆 武満徹・音楽創造への旅
武満徹 音、沈黙と測りあえるほどに
小澤征爾・武満徹 音楽
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