2024/04/21

 小澤征爾と札幌(序章)

小澤征爾の札幌初登場は1958年9月29日


 小澤征爾が初めて来札したのは、大学を卒業したばかりの無名の頃で、1958年9月29日。この年の7月にオープンしたばかりの札幌市民会館で群馬フィルハーモニーオーケストラを指揮している。

 群馬フィルハーモニーオーケストラ(現在の群馬交響楽団、1963年に改称、以下「群響」と呼ぶ)は1958年(昭和33年)に北海道演奏旅行(9月22日から10月12日まで全14公演)を行なっており、小澤はその札幌公演だけを指揮するために来札している。このとき、小澤は23歳、「音楽武者修行」に出発する前の年である。詳細は下記のとおり。


群馬フィルハーモニーオーケストラ札幌公演

1958年9月29日 札幌市民会館 昼夜2回公演


指揮/小澤征爾

管弦楽/群馬フィルハーモニーオーケストラ

ヴァイオリン/安芸昌子


メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」

カバレーフスキイ:組曲「道化師」

サラサーテ:ツィゴイナーヴァイゼン

ビショップ:埴生の宿変奏曲

シューベルト:交響曲第8(7)番ロ短調「未完成」

レスピーギ:リュートのための古いアリアと舞曲第3集

(表記は当時のまま)


 小澤と群響の縁は1955年、小澤20歳の時に、移動音楽教室を指揮したことに始まる。当時の群響は移動音楽教室を中心に公演を行っていたが、指揮者が足りない状況だった。そこで、数多く客演していた渡邉暁雄から桐朋学園大学の斎藤秀雄を紹介され、斎藤の紹介で、当時まだ無名だった小澤征爾、山本直純、岩城宏之の3人の若い指揮者が群響に派遣されるようになった。

 特に小澤は、安中、館林、赤城山、やがては北海道まで同行して指揮をするようになった。

 以後、小澤が世界へ羽ばたいてからも自身の指揮活動の最初であった群響を大切に思い続け、たびたび客演していた。


 この当時の逸話については群馬の地元紙(上毛新聞https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/420910?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR1zcq2-FTnarrflKM6LGpIwU3n6kpA40NHUuI4sQYjwxPLML_Z6QQRrf90_aem_AZ8SAwrkE0XQ5cDQ2tFGFX33pt2ql65ITsy5m1C-r9Gh0-LS-ViUv2tY2PxXP69Nzc11p3zJo8ibXyvV6mIp08Q3

 に次のように掲載されている。

▼「群響生みの親」と呼ばれる丸山勝広さんが指揮者を探して、桐朋学園で指導する斎藤秀雄さんを訪ねたのは1955年頃のこと。斎藤さんはまだ無名だった山本直純さんや岩城宏之さんらを連れ、本県を訪れた

▼選ばれたのが当時一番暇だったという小澤征爾さんである。「お金はあまり払えないけれど、食うぐらいは食わしてやる」。高崎の独身寮に寝泊まりし、夜は酒を飲みながら音楽を語り合った


 


この項作成には、特に、音楽ジャーナリスト渡辺和氏のHPを参照した。

https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2015-06-26)

また、群響北海道ツアー等については群馬交響楽団から情報提供をいただいた。

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