2024/04/18

小澤征爾と札幌(1)

1962年NHK交響楽団との北海道ツアーと「現代音楽祭」


 小澤征爾が亡くなった。その業績についてはすでに多くが語り尽くされているので、ここでは、札幌との関わりについて紹介していこう。


1   一回だけの札幌コンサートホール


 小澤が札幌コンサートホールKitaraに登場したのは一回だけ。この貴重な演奏会には残念ながら立ち会うことができなかった。なお、掲載したフライヤーは東京公演のもの。


小澤征爾指揮 

新日本フィルハーモニー交響楽団 札幌公演

1999年3月22日 

札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/小澤征爾 

管弦楽/新日本フィルハーモニー交響楽団 

ソプラノ/ヒルデガルト・ベーレンス 

メゾ・ソプラノ/ジェーン・ヘンシェル 


ワーグナー:楽劇 『神々のたそがれ』より 



2 NHK交響楽団との北海道ツアー


 現在のところ、記録上確認出来た小澤の札幌初登場は、1962年(昭和37年)8月のNHK交響楽団北海道ツアー。(その後の調査で初登場は1958年と判明。詳細は序章参照、2024年4月21日追記)

 小澤はこの年の6月にN響と客演指揮者の契約をした。NHK交響楽団公式X(旧ツイッター)に掲載された追悼メッセージは次のように述べている。

 「小澤さんは1958年9月にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。その後カラヤン、ミンシュ、そしてバーンスタインらの薫陶を受け、1961年7月にはストラヴィンスキー《ペトルーシカ》などの放送収録でN響を初めて指揮しました。翌1962年6月には27歳にしてN響の客演指揮者として契約を結び、メシアン《トゥランガリラ交響曲》の日本初演(7月)、東南アジア演奏旅行(9月~10月)などを成功に導くなど、N響に目覚ましい成果をもたらしました。」

 公式Xでは触れられていないが、メシアンの日本初演後に小澤はNHK交響楽団と北海道ツアーに出かけている。訪問地とプログラムは下記の通り。


8月3日 室蘭 富士製鉄体育館

      モーツァルト アイネクライネナハトムジーク

      ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 独奏 井内澄子

      チャイコフスキー 交響曲第4番

8月4日 札幌 札幌市民会館

      チャイコフスキー 弦楽セレナード

      ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 独奏 井内澄子

      ストラヴィンスキー ペトルーシュカ

8月5日 旭川 旭川公会堂

      モーツァルト アイネクライネナハトムジーク

      メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 独奏 久保陽子

      チャイコフスキー 交響曲第4番

8月7日 帯広 帯広市民会館

      8月3日と同じプログラム

8月8日 札幌 札幌市民会館

      モーツァルト アイネクライネナハトムジーク

      メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 独奏 久保陽子

      グローフェ グランド・キャニオン組曲


 出典は 山田治生『音楽の旅人 ある日本人指揮者の軌跡』(アルファーベーター社)』より「小澤とNHK交響楽団との1962年の共演」から引用


 札幌で全く違うプログラムで2回公演を行っている。多彩なプログラムだが、グローフェ、ストラヴィンスキーはメシアン初演の前後の東京の演奏会ですでに演奏しており、レパートリーに入っていたようだ。

 このとき、久保陽子(当時18歳)が小澤征爾と共演したことは、本人のHPにもその旨掲載されている。

 HP( HISTORY 1. 国内外のコンクールに出場 - KUBO&HIRONAKA)によると、久保陽子は桐朋女子高等学校音楽科卒業の1962年、18歳で第2回チャイコフスキー国際コンクールに出場、第3位入賞を果たした。それが認められ、この共演となったのだろう。

 井内澄子はNHK教育テレビの「ピアノのおけいこ」の先生で有名だったピアニスト。懐かしい名前だが2020年89歳で他界している。

 

 札幌の会場は1958年に完成し、半世紀後の2007年に閉館した札幌市民会館。1592席の大ホールのみだが、響きが自然で聴きやすくいい音がした。

 前年の61年に札幌交響楽団が設立され、この市民会館で定期演奏会を行うようになる。長く札幌の芸術文化の拠点だったが、このときの小澤征爾のコンサートを聴いた方々の記録は残念ながら読んだことがない。



3 現代音楽祭


 さて、小澤征爾は同じ年に再び札幌にやって来る。10月26日、会場は同じ札幌市民会館、主催は北海道放送で、タイトルは「現代音楽祭」。

 出演者は、錚々たるメンバーで、まずアメリカからジョン・ケージとデビッド・テュードア(共に作曲家)。日本からは、一柳慧(作曲家)、武満徹(作曲家・解説)、高橋悠治(ピアノ)、黒沼俊夫(チェロ)、小林健次(ヴァイオリン)。ゲストにオノ・ヨーコ。指揮は小澤征爾。

 当時、小澤征爾以外は札幌では無名だった。これは札幌の音楽史を語るとき必ず登場する演奏会で、演奏会の内容、聴衆の反応などの詳細は『北海道マガジン「カイ」』https://kai-hokkaido.com/feature_vol42_sidestory2/』に譲ることにしよう。


4 N響事件

 62年小澤のN響就任後、その演奏会の模様はNHK TVで何度か放映された。小澤のアクションの大きい指揮ぶりは、当時北海道の片田舎の小学生だった筆者の記憶に強く残っている。それゆえ、この年の12月に起きた有名な「N響事件」はマスコミで大きく報道されたこともあって、鮮明に覚えており、子供心に大きな衝撃を受けた。

 先に引用したNHK交響楽団公式Xでは、この件全く触れていないが、次のように述べている。「その後小澤さんがN響を指揮する機会は長く途絶えましたが、1995年にチャリティコンサートで33年ぶりの共演が実現し、2005年にも子供のためのプログラムでもN響の指揮台に立ちました。 心から哀悼の意を表するとともに、小澤さんの類まれなる芸術的成果と世界の音楽界への貢献に対し、敬意と感謝を申し上げます。」

 事件の詳細は改めて述べる必要はないだろう。以後小澤は日本を離れ、海外に活動拠点を移すことになる。次に札幌を訪れるのは分裂前の日本フィルハーモニー交響楽団を率いてである。

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