2024/11/19

 新日本フィルハーモニー交響楽団#659

サントリーホール・シリーズ


2024年11月18日19:00  サントリーホール


指揮/井上道義

新日本フィルハーモニー交響楽団


ショスタコーヴィッチ:交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」



 年内に引退を表明している井上は2007年にショスタコーヴィッチの交響曲全曲演奏会を行なっており、お得意のレパートリーだ。

 第1楽章の冒頭からしばらくは音程や全体的にピッチが定まらず安定性に欠け、これから先どうなるのか、と心配だったが、小太鼓のオスティナート・リズムから始まる長大で壮大な変奏箇所から次第に充実したいい音が出始め、楽章の後半になると、井上らしいスケールの大きい、生き生きとした音楽が聴こえるようになってきた。

 特筆すべきは第3楽章。作曲者自身が「感動的なアダージョ」と自画自賛したとおり、雄大な音楽が展開された。ここでの井上は、息の長い、深く歌い込まれた音楽を表現して、実に感動的。

 この作品に込められた作曲者の想いももちろんそうだが、現在の世界情勢や過去の悲惨な戦争の歴史など、今日の聴衆が個々人で感じている様々な思いを全て包括したような、大きな普遍性を持った感情を見事に表現していたのではないか。作品の価値を一段と高め、この作品の素晴らしさを余す所なく伝えてくれた井上畢竟の名演だった。

 続く第4楽章は、この作品を完結させるために、情熱的に壮大なフィナーレを書かざるを得なかった必然性のようなものを感じさせ、単に音響的な華やかさに終わらない、ある種の気分の高揚を感じさせた演奏だった。


 ショスタコーヴィッチの交響曲には簡単に馴染むことができない作曲者自身の複雑な時代背景があり、そのためか一部の交響曲を除き、演奏機会はさほど多くない。しかし今日の演奏を聴くと、そういう作曲者の個人的背景を超えた、人類に共通する普遍的な感情を表現した音楽芸術の素晴らしさを感じさせ、ショスタコーヴィッチが歴史的に過去の巨匠たちと肩を並べる大作曲家の一人であることを強く認識させたコンサートだった。


 歳を取れば誰でも巨匠だ、とよく言われるが、井上は敢えて巨匠となることを拒み、永遠の青年のような若々しく伸びやかな演奏をいつも聴かせてくれた。そして今日のショスタコーヴィッチの演奏は、年齢を重ねて熟練した技術と音楽性を背景に、最後まで老成せず生き生きとした音楽を表現し続けた井上道義の集大成となった見事な演奏だったと言えよう。今日の、特に後半の2つの楽章はけっして忘れることのできない名演として語り継がれることだろう。


 カーテンコールでは大きな花束が贈呈され、井上らしいユーモアあふれる表情と態度で明るくステージを去った。音楽も含め湿っぽさの無い、いつまでも心に残る気持ちのいい引退公演だった。


 井上はこのあと東京では12月30日が最後のコンサート。それまでは関西で2回のコンサートが予定されているようだ。札幌交響楽団とはすでに今年公演を終えているが、札響との関わりもとても深く、その業績については項を改めて報告したい。

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