2024/11/04

 アンドレアス・シュタイアー 

チェンバロリサイタル


2024年11月2日14:00 札幌コンサートホールKitara小ホール


チェンバロ/アンドレアス・シュタイアー


フィッシャー:「音楽のアリアドネ」より プレリュードとフーガ ホ長調
フックス:「パルナスス山への階梯」より フーガ
フィッシャー:「音楽のアリアドネ」より プレリュードとフーガ 嬰ハ短調
ルイ・クープラン:パヴァーヌ 嬰ヘ短調
フィッシャー:「音楽のアリアドネ」より プレリュードとフーガ ニ長調
フローベルガー:リチェルカール 第4番
フィッシャー:「音楽のアリアドネ」より プレリュードとフーガ イ長調
フローベルガー:メディテーション〜自身の死についての瞑想
フローベルガー:ファンタジア 第2番
A.シュタイアー:アンクレンゲ ~チェンバロのための6つの小品(2020)
J.S.バッハ:「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」より 

      プレリュードとフーガ ホ長調 BWV878



 シュタイアーは札幌初登場。休憩後にプログラム解説を執筆した那須田務氏とのトークがあり、自作の簡単な解説があった。Kitaraニュースにも掲載されていたインタビューのとおり、飛行機ではなく鉄路で札幌入りしたそうだ。

 今日の演奏を聴く限り、この人の演奏スタイルは、オランダをルーツに持つ古楽器楽派とは違って、いかにもドイツ人らしい質実剛健なタイプ。

 作品にあまり色々な衣装を着せたり装飾品で着飾ることなく、作品によっては全く素っ気ない表情で物足りなさを感じさせる瞬間も多いが、骨格がしっかりとしていて作品の形が崩れることが少ないのが特徴でもあり、また魅力でもある。


 前半は、17世紀のフローベルガーと18世紀のフィッシャーの2人のドイツ鍵盤音楽の巨匠の作品を軸に、フックスとルイ・クープランを間に挟んだ中々渋いプログラムだ。

 フィッシャーはそれぞれの作品が短く、あっという間に終わってしまうので

バッハとの関連性などあれこれ考えていると、もう次の作品の演奏に移っているので、油断できない。これもシュタイアーの狙いなのかもしれない。

 前半の中ではやはりフローベルガーのリチェルカーレとファンタジアが圧倒的な存在感を示し、余計な感情移入を許さない論理的思考に満ちた演奏で作品の姿を伝えてくれた。メランコリックな感性が存分に込められた「メディテーション」ではあっさりと、しかも繰り返しではバフストップを使用して単調な音色に変え、敢えて余計な感情移入を避けて骨格だけ示した演奏だった。

 ルイ・クープランの「パヴァーヌ」は、17世紀のチェンバロ作品中屈指の名曲で最もメランコリックな性格を持った作品の一つだが、ここでのシュタイアーは、客観性を重んじたいが一方で作品の強烈な感性に振り回されてしまい、どこか持て余しているような迷いがあり、失礼だがその葛藤ぶりが伝わってきて面白かった。楽器の響きがとてもきれいだった。


 後半の自作のアンクレンゲ(Anklänge)は6曲からなる30分ほどの大作。基礎となる6つの和音を休憩後のトークで弾いてくれたが、詳細はCDのライナーノートに記載されているとのこと。これがどのように作品の成立に反映されているか、これだけでは全く理解できなかったのは私だけか。

 無調で、上鍵盤と下鍵盤を頻繁に行き来し、2段鍵盤を持つチェンバロの機能、音色、響きを存分に生かした様々な諸相のモティーフが広い音域の中で登場する。繊細さと大胆さが同居した興味深い作品だが、発想そのものはチェンバロならではのオリジナリティを強く感じさせるというよりは、より広い範囲での汎用性のある現代音楽の発想で、例えば、強弱がもっと明確に表現可能な現代のピアノやフォルテピアノで演奏してもまた違った印象を受け、違和感がない融通性のある作品のような気がする。最後のバッハの平均律につながるプロセスも、一度聴いただけではわからない。ポピュラリティーのある作品とは思えないが、何度か聴くともっとその魅力が理解できるのだろう。


 全体はある一定のコンセプトで統一されたプログラムのようだが、前半の作品集がごくあっさりと短いインターバルで次々と演奏されたため、後半の自作との関連性が希薄になりがちに感じられたのがちょっと残念。

 今日のチェンバロは札幌コンサートホール所有のミートケモデル。柔らかくとてもいい音がしていて、今日のプログラムに最もふさわしい響きだった。

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