2022/11/30

 649回札幌交響楽団定期演奏会

 112713:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/エリアス・グランディ

ヴァイオリン/ヴィクトリア・ムローヴァ

管弦楽/札幌交響楽団


ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第

ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

ドビュッシー:「海」


 指揮者のグランディはすでに「カルメン(札幌文化芸術劇場、 2020年1月)」で札幌交響楽団とは共演済。
 今回の定期はロシア、ドイツ、フランスと多国籍で、しかもそれぞれが重量感のある作品ばかり。聴く方も演奏する方もタフさを求められる、なかなかハードなプログラムだった。


 グランディはオーケストラを豊かに響かせることが出来る指揮者だ。しかも無機的にならずによく歌えるし、音楽が若々しい。とても伸び伸びとしていて、陽性の明るい響きを引き出すので、今日はいつもより豊潤なオーケストラの響きが聴け、いい演奏会だった。

 特に後半のプログラムは、必ずしも短期間で仕上げられる作品とは思えないが、良質の演奏を聴かせてくれた。自信のある作品だったのだろう。


 ワーグナーがスケールの大きい、情感豊かな演奏。前奏曲では、細かい表情をとても丁寧に、微に入り細に入り描いていたし、また揺れ動く微妙な調性感覚が、美しい音色とハーモニーで表現されていて、心地良かった。愛と死でのロマンティックな表現も見事。よく歌い、響きにまとまりがあって、実にふくよかで、いい音がしていた。

 ただ、全体的に健康的で明るい音楽だったので、妖艶さが少しでもあると良かったのかもしれないが、日曜日の昼に聴くワーグナーとしては最高だった。


 ドビュッシーは、ワーグナーから一転して、すっきりとした響きがして鮮やか。もちろん、ワーグナーとは書法が全く違うので、異なる響きがするのは当然だとしても、この切り替えの感覚は、指揮者、オーケストラ共々実に見事だった。

 各パートが緻密で繊細に書き込まれたこの作品をグランディがよく統率。札響から抒情的で美しい音を引き出し、多彩な表情を見せる海の様子を、色彩豊かに鮮やかに描き上げていた。大音響での爆発などもあるのだが、響きはけっして荒々しくなることはなく、この指揮者の優れたセンスが光った演奏だった。

 全体を通じて、管楽器セクションの充実ぶりが素晴らしかった。弦楽器の爽やかな響きも聴きやすく、今日は他のオーケストラからは聴くことのできない札響ならではの音、響きが堪能できたのがうれしい。


 ショスタコーヴィッチのソロを弾いたムローヴァは、ベテランらしい落ち着いた、安定感のある演奏で、以前と変わらない凛とした佇まいが全体的に感じられ、素敵だった。

 楽章ごとに多彩な表情を聴かせ、深く歌い込んだ第1楽章、鮮やかな技巧で躍動的な表情の第2楽章、第4楽章の前の堂々としたカデンツァなど、この作品の魅力を余すところなく伝えてくれた。

 作品そのものは、暗い陰鬱な音楽の中に、不屈の精神力を感じさせる、いかにもショスタコーヴィッチらしい音楽だが、ムローヴァの演奏からはロシアや作曲家に対する憧憬のような感情は一切感じさせない。

 作品を極めて冷静客観的に見据えた厳しい演奏で、またそれがこの演奏家の魅力でもあろう。グランディは、オペラを得意とする指揮者らしく、良質のアンサンブルを作り上げていた。

 ソリストアンコールにバッハの無伴奏パルティータ第2番からサラバンド。古楽器風の、語りかけるような、力がさっと抜けた表情豊かな演奏で、とても良かった。


2022/11/29

ボリス・ゴドゥノフ


2022112614:00  新国立劇場


 揮/大野和士

 出/マリウシュ・トレリンスキ

 術/ボリス・クドルチカ

 裳/ヴォイチェフ・ジエジッツ

 明/マルク・ハインツ

 像/バルテック・マシス

ドラマトゥルク/マルチン・チェコ

 付/マチコ・プルサク

ヘアメイクデザイン/ヴァルデマル・ポクロムスキ

舞台監督/髙橋尚史


ボリス・ゴドゥノフ/ギド・イェンティンス

フョードル/小泉詠子

クセニア/九嶋香奈枝

乳母/金子美香

ヴァシリー・シュイスキー公/アーノルド・ベズイエン

アンドレイ・シチェルカーロフ/秋谷直之

ピーメン/ゴデルジ・ジャネリーゼ

グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー)/工藤和真

ヴァルラーム/河野鉄平

ミサイール/青地英幸

女主人/清水華澄

聖愚者の声/清水徹太郎

ニキーティチ、役人/駒田敏章

ミチューハ/大塚博章

侍従/濱松孝行

フョードル-聖愚者(黙役)/ユスティナ・ヴァシレフスカ

 

合唱指揮/冨平恭平

 唱/新国立劇場合唱団

児童合唱/TOKYO FM 少年合唱団

管弦楽/東京都交響楽団

共同制作/ポーランド国立歌劇場



 演出はマリウシュ・トレリンスキ。ムソルグスキーの原作自体そもそも色々な版、変更などがあるが、今回はそれらともかなりかけ離れたドラマ構成となっている。

 ゴドゥノフは暴君という設定で、最後に僭称皇子に誘導され暴徒と化した民衆により殺害される。逆さ吊りにされ、晒し者にされる悲惨な最後を遂げる。

 息子フョードルは介護が必要な障がい者で、聖愚者を兼ねた黙役として登場し、ゴドゥノフに殺される設定。

 貴族の娘、マリーナは残念ながら登場しない。したがって血の気の荒い男ども中心のドラマとなっている。

 グリゴーリイは僭称皇子(偽)ディミトリーを騙るが、エストニアではなくモスクワのゴドゥノフ殺害に向かう。最後に勝利を得て、凱旋する。

 だが、聖愚者が、不適切な人物が権力を握ったことで、ロシアの未来の決定的不幸を予言し、幕を閉じる。今の世界情勢を暗示するようなストーリーだ。


 ステージには透明なキューブがいくつも登場し、それがフョードルの居室になったりと、移動しながら様々な場面を形成する。衣装は現代で、スーツとネクタイ姿の貴族が会議を行う。

 ステージ奥のスクリーンにはおそらく中心人物のピックアップ画像が投影されていたようだが、今回観た4階最上段席では、上部の約4分の3は死角で何が投影されていたのか全くわからない。これは、理由がどうであれ、もう少し工夫と配慮が必要だろう。


 ということで、詳細なストーリーは一度観ただけではすっきりと理解できず(これは私だけかも知れない)、もう一度観ると隅々までわかりそうだが、演奏はともかく、このような暗い結末の設定だと、気が重くなり、個人的には二度と観たいとは思わない。ただ、現況の世界情勢を考えると、今回このオペラ公演が実現したこと自体素晴らしいことなのかも知れない。


 演奏は指揮の大野和士が素晴らしかった。手兵のオーケストラのためか、表現も響きも極めて充実しており、聞き応えがあった。最上段の席では、天井まで上がってきた響きがうまい具合にまとまり、舞台とは裏腹に、重厚なロシアの音楽世界が見事に展開されていた。

 観ていて胃の痛くなるような、不愉快なシーンであっても、場面ごとの音楽は、その心理的描写が見事に描かれていて、目を瞑って音楽だけ聴いていると、文句無しに素晴らしい。

 歌手陣は、ビーメンを演じたゴデルジ・ジャネリーゼの存在感と、偽ディミトリーの工藤和真の憎々しげな表現力が特に印象に残ったが、他の歌手達も声がよく出ていて、それぞれ素晴らしい出来だった。

 全編通じての合唱の迫力もいつになく見事。今日の公演が最終日ということもあり、出演者全員力を出し切っていたのかも知れない。

 音楽的観点だけで言うと、これは大野の指揮したオペラの中でも極めて良質で、最高の仕上がりだったのではないか。


2022/11/28

内田光子&マーク・パドモア


2022112419:00  東京オペラシティコンサートホール


主催 AMATI


ピアノ/内田光子

テノール/マーク・パドモア


ベートーヴェン:「希望に寄せて」(第2作)op.94

        「あきらめ」WoO14

        「星空の下の夕べの歌」WoO150

        「遥かなる恋人に」op.98

シューベルト:歌曲集「白鳥の歌」D957/D965a


   後半のシューベルトが凄かった。内田はもちろんの事、パドモアの歌も。人生経験豊富で教養豊かな語り部の話を聴くような、ちょっとなかなか経験できない演奏だった。

 パドモアは、かなり自由に詩と音楽を歌い、語る。詩の内容に応じて、声が生っぽかったり、裏声風で軽薄だったり、深刻だったり、絶叫調だったりと、その表情の変化、豊かさが素晴らしい。

 テンポは歌詞の内容により、変幻自在に変容し、イン・テンポで一曲が通して歌われることはない。その全体像をリードしているのは、内田の方なのかも知れないが、パドモアのあらゆる表情に対して音色と強弱を変え、ほぼ完璧にアンサンブルを組み立て、けっしてその語りを邪魔しない。一方で、消えるような繊細な前奏を聴かせてくれたり、かなりドラマティックな力強い表現で聴衆を圧倒し、驚かせてみたり、と、今までの歌曲の伴奏の常識を遥かに超えた、例えようのない凄みのある世界を築き上げていた。


 その内田のピアノは、まるでソロリサイタルのように、とも思うが、実はソロリサイタルの演奏よりもっと表現は多彩で、その幅も大きいような気がする。ピアノ作品であれば、どのような物語を今語っているのか、様々な選択肢を聴衆に示すために、比較的断言しない中間色で表現、演奏しているところが多い。しかし歌曲の世界では、今何を語っているのか、歌詞でその解釈を明確に具体的に示してあるので、ソロよりも、もっとダイレクトに、表現しやすいのではないだろうか。


 個々の歌曲で言えば、4曲目の有名な「セレナーデ」は、冒頭の前奏を1小節ずつ語るように「マンドリンの爪弾き(当日配布プログラム解説より)」のように演奏し、次の小節に進むときに絶妙な間がある伸縮自在なテンポで驚かされたが、フレーズの大きなまとまりは決して失わないところが凄い。ここでのパドモアは「声は熱っぽい夜の官能にもだえ(同)」とは縁遠い老賢者が過去を振り返るような語りだったが、内田のピアノは、それに合わせた清廉潔白で、静寂に満ちたもの。

 7曲目の「別れ」は、ピアニスト泣かせの「快活な騎行のリズム(同)」だが、決して快活ではなく、「複雑な別れの心理(同)」を表し、その気持ちの揺れを微妙に表現しているような、たどたどしさを感じさせた。

 それに続く「アトラス」での2人の、聴衆を驚かせた「苦難の絶叫(同)」のドラマティックな表現、第11曲「都会」での神秘的で「不気味な表情(同)」が秀悦。

 終曲の「鳩の使い」は、ピアノは「鳩のやさしい羽ばたきをあらわし、恋人との親密さを印象づける(同)」ように演奏し、人で全ての老若男女に対するメッセージを静かに語り続けているかのよう。そしてピアノの16音符のさりげない下降音型が何と美しいことか。


 これらは内田のピアノがあってこその表現だろうが、この2人のシューベルトのリートの世界は、シューマンやブラームスを通り越して、20世紀の音楽を先取りした先見性と現代性を鮮やかに表現していた。それはきっと、非ドイツ語圏の二人だからこそできた自由な表現によるものではないだろうか。特に内田の演奏は、陳腐な言い方かも知れないが、西洋人には無い、東洋人ならではの神秘的で繊細な感覚に満ちている。

 聴いていると,歌詞の意味が全てわからなくとも、今進行している歌の心理的な動き、深さが感じられ、ドイツリートの世界が到達した凄さが、全てではないにしても、この日の演奏会に現れていたような気がする。


 シューベルトの世界と比較すると、ベートーヴェンのリートは演奏家自身が自由に想像力を働かせて、ファンタジックに多彩な表現力で演奏してみよう、とさせる隙がないのか、あるいはそれを許さないのか。シューベルトほどのオリジナリティを感じさせず、それは「つまり2人の歌曲のありようは人類全体の友愛の理念か、個々の市民の小さな愛の幸せか(同)」というプログラム解説が全てを物語っていたような気がする。

 だが、後半のシューベルトがあまりにも強い印象を与え過ぎて、さすがのベートーヴェンも影が薄くなってしまったのが正直な印象だ。


 プログラム解説は喜多尾道冬氏。明快で作品を理解するには最適の素晴らしい内容。アンコールは無し。美智子皇后が後半からご臨席。

 なお、内田光子は札幌コンサートホールにはソロリサイタルと管弦楽団を率いてのコンチェルトとで数度来札し名演を聴かせてくれている。

2022/11/21

 教文オペラプログラム 北海道二期会令和4年度オペラ公演 

W.A.モーツァルト

皇帝ティトの慈悲

2022111918:00112013:30  札幌市教育文化会館 大ホール


主催/一般社団法人北海道二期会


指揮/園田 隆一郎

演出/岩田 達宗

管弦楽/札幌交響楽団

合唱/北海道二期会合唱団


皇帝ティト:岡崎 正治(19日)/荏原 孝弥 *客演(20日)

ヴィテッリア:土谷 香織(19日)/千田 三千世(20日)

セスト:東 園己(19日)/岩村 悠子(20日)⇒東 園己

プブリオ:岡元 敦司(19日)/清水 邦典(20日)⇒岡元 敦司

アンニオ:桑島 昌子(19日)/相原 智佳(20日)

セルヴィーリア:新井田 美香(19日)/月下 愛実(20日)⇒新井田 美香


1120日公演に出演を予定しておりました、岩村悠子、清水邦典、月下愛実は、 諸般の事情により出演ができなくなりました。これに伴い出演者を変更させていただきます。

1119日主催者発表)


 

      指揮者の園田がレチタティーヴォのチェンバロも弾きながらの一人二役。指揮はもちろんだが、このチェンバロが実に見事だった。
 レチタティーヴォが単調なこの作品に多彩な彩りを添え、単なる物語を語る役割だけではなく、アリア、重唱とを結ぶ橋渡し役として、音楽ドラマを構成する重要な役割を与え、オペラ全体をより充実した作品に仕上げていた。 
 このレチタティーヴォ・チェンバロは実に手慣れているので、かなりの豊富な演奏経験があるのではないかと思われる。
 その時々での歌詞の内容をたくみに暗示しながら、歌手が歌いやすいように様々な表情、和声を付け誘導したり、あるいはここで絶対入らざるを得ないタイミングを作ってあげたり、と歌手をリードする有能な職人のような鮮やかな演奏だ。様々な即興句を入れたり、場繋ぎのために単純なアルペジオを演奏したりと、幅広い音域を自由に動きながら実に多彩な表情を聞かせてくれ、絶対的な安心感があった。

 またレチタティーヴォとアリアの繋ぎが自然で、これは一人二役ならでは。オーケストラのアンサンブル、歌手との絶妙な呼吸感、タイミングは実に見事で、これほどの一体感は首都圏での公演でも滅多に経験しない、素晴らしいものだった。


 札幌交響楽団が、美しい弦楽器の音色、クラリネット、オーボエの見事なソロなど、これも出色の仕上がりで、指揮者の統率力によるのはもちろんのことだが、オーケストラの自発的な表現能力がないと、ここまでの素敵な演奏は出来なかっただろう。何よりピッチがとてもきれいだったのが強く印象に残った。


 今回の演出は岩田。ここのステージを最大限生かして活用しており、舞台の中心に大きな宮殿と思われる、西洋風あずまやの雰囲気も感じさせる建物があり、オペラ階段で囲まれ、そこを歌手が登り降りする。

 その周囲、主に背景だが、戦乱の跡を示すセットが配置してある。宮殿は基本的な色彩はホワイト系でピックアップされ、それが、場面ごとに照明でふさわしい色に転換される。例えば反乱が起きて火災が起きたシーンではレッド系中心になるなど。

 歌手はこの中で基本的に正面を向いて歌うため、ステージ上で最も音響的に優れた場所で歌うことになり、場内にしっかりと声が届き、聴衆にとって、とても聴きやすい。また表情、仕草もはっきりと明確に伝わり、かつ物語の進行に沿った工夫ある演出となっているので、作品を理解しやすい。

 この作品だと今風にいくらでも読替えができる演出が可能だし、最近は音楽よりも演出を優先した舞台が多い中、今回は音楽性と物語のオリジナリティを優先、大切にした演出だ。クラシックで落ち着いた、しかも衣装、照明含め色彩的にも品のある舞台を披露してくれたので、聴衆にとっては嬉しい限りだ。


 歌手では、初日の、皇帝ティトの威厳さとスケールの大きさを見事に演じた岡崎と、2日目の、皇帝でありながらも揺れ動く心理状態を繊細にかつ表情豊かに表現した荏原が、ともに出色の出来。

 ヴィッテリアは、初日の、ややあばずれ風の、活発な激情タイプを演じた土谷、2日目の、まだ迷いのある純真な心が残っている雰囲気を出していた千田がそれぞれ好演。

 2日連続での出演だったセストの東は、2日目の第2幕でのティトとの対話でのお互いの心理状況を絶妙に表現した見事なシーンは、このオペラ公演の一つの頂点だったのではないか。その他のキャストも好演。合唱はコンパクトな編成ではあったが、この規模のホールでは全く問題なく充実した声量。

 

 教育文化会館の大ホールは 1,100席が基本で,今回のようにオケピットを使用すると約1,000席という比較的コンパクトな会場となる。元々響きの良いホールでもあり、この程度の広さだと、何よりも舞台装置の詳細と歌手の演技が近くで見え、しかも歌手もオーケストラもよく聞こえるという利点があり、聴衆にとってとても心地良い。2,000席前後のホールだとこの心地良さを味わうことは難しい。

 予算面では大変なのかも知れないが、このシリーズを今後とも是非この会場で継続してほしい。今回の北海道初演は、細かい技術的な問題のある箇所もあったにせよ、作品の魅力を余すところなく伝えてくれたことで大成功ではないか。特に指揮者・チェンバロの園田に大きな拍手を贈りたい。

2022/11/14

Kitaraアフタヌーンコンサート〉

東京六人組

2022111215:00  札幌コンサートホールKitara小ホール


東京六人組

フルート/上野 由恵

オーボエ/荒 絵理子

クラリネット/金子 

ファゴット/福士 マリ子

ホルン/福川 伸陽

ピアノ/三浦 友理枝


ブラームス/岩岡 一志 編曲:ハンガリー舞曲より 1番、第5番、第6

プーランク:六重奏曲

デュカス/浦壁 信二 編曲:交響詩「魔法使いの弟子」

磯部 周平:きらきら星変装曲

ブラームス/夏田 昌和 編曲:ハイドンの主題による変奏曲

(札幌コンサートホール・所沢ミューズ・アクロス福岡共同委嘱新作)



    生き生きとした演奏で、一瞬たりとも隙を見せない、実に切れ味の鋭い表現力を持ったアンサンブルだ。

 今日座った席(一階7列ほぼ中央)での印象は、全体が一つのまとまった響きとして聴こえてきて、その一体感は今まで聴いてきたこの種のアンサンブルでは最上と言える。個々のソロは見事だが、それがソリスティックに飛び出して聴こえることが全くないので、上質のオーケストラの演奏を聴いているようだ。

 作品ごとに演奏者が交代で楽しいお話をしながらの楽曲解説付。


 冒頭のブラームスから圧巻の表現力で、聴衆を圧倒。最初に名曲をいい編曲で楽しませてくれるのだろう、という気楽な気持ちでいたが、それを一挙に吹き飛ばす、密度の高い、緊張感あふれるアンサンブルで、原曲の魅力をさらに高めた、凄みのある迫力満点の演奏。

 

 プーランクは名曲ゆえ、ここのステージで過去何度も演奏されてきたが、六重奏曲としての完成度の高さは、今までに聴いたことのないもの。曖昧な箇所が全くなく、全体が引き締まった、まとまりのある演奏で、これは聞き応えがあった。

 ただ、全員名手揃いなので、この作品には、もっと洒脱な遊び心があっても,全体の出来には全く支障がないのでは? 全体の緊張感が高すぎて、聴いていて正直、ちょっと疲れた。


 デュカスと磯部周平の演奏が楽しめた。デュカスは情景が浮かんでくるような演奏。表現の幅がとても広くて、ドラマティック。

 休憩後の磯部は、「変装曲なのは誤植ではありません。有名なきらきら星のメロディが変奏されていく……というよりは、まさに着替えてゆくような<変装>というわけです。」(当日配布プログラムより)ということで、いろいろな大作曲家を歴史順にモデルにした、実によくできた変装が続く変奏曲。誰をモデルにしているか謎解きながら聴くのが楽しく、それぞれの楽器の秀れたソロもあり、これは上質の演奏だった。ここでは、管楽器だけによる短い変装曲があって、それが実にきれいだった。


 最後のブラームスは,おそらく原曲のスコアを忠実に再現した編曲だったのだろう、重厚で,いかにもブラームスらしい雰囲気が出ていた。

 ピアノと管楽器だけのアンサンブルとは思えない表現の豊かさがあって、六重奏という枠をはるかに超えたスケールの大きい演奏だった。


 全体を通じての印象だが、今日のステージ上の演奏位置は、多少前よりだったようで、響きが少し生っぽく聴こえたのが気になった。ここのホールのステージは、演奏者はあまり前に出過ぎずに、奥寄りで演奏したほうが、ホール全体にもっと心地よいフワッとした響きが広がって聴こえるはずだ。


 もう一点は、今日はアンサンブルの精度が高すぎ、明らかにピアノの音律に全員が合わせており、全体に平均律風に聴こえてきて、管楽器だけの,いわゆるハモっている、という絶妙で美しいハーモニーがあまり聴こえてこなかったのが残念。

 ピアノの音律(今日はおそらく平均律)によってアンサンブル全体のハーモニーが決定づけられるのは当然だが、通常の管楽器とピアノのアンサンブルだと、ここまで揃えずに演奏しているような気がする。

 ピアノ抜きの管楽器五重奏曲の演奏があると、このアンサンブルの素晴らしさがもっと伝わってくるのではないだろうか。

 これはもちろんピアニストや調律師の責任では全くなく、管楽器アンサンブルのメンバーが素晴らしいゆえの結果である。念のため。 

 欲を言うと、個々のメンバーがもう少し楽しみながら演奏している様子があると、聴く方もリラックス出来るのだが。

2022/11/07

 森の響フレンド札響名曲コンサート

~日曜日の宗利音

202211614:00  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮 /松本 宗利音

ピアノ /松田 華音

管弦楽/札幌交響楽団


バラキレフ:3つのロシア民謡の主題による序曲

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番


グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

ムソルグスキー:歌劇「ホヴァンシチナ」前奏曲"モスクワ川の夜明け"

ボロディン:歌劇「イーゴリ公」より"だったん人の踊り"

ハチャトゥリアン:バレエ「ガイーヌ」より"剣の舞""子守歌"

チャイコフスキー:スラヴ行進曲


    松本は、札響主催では、定期演奏会hitaruシリーズ第8回(2022年2月17日、札幌文化芸術劇場hitaru)に登場して以来。このときはベートーヴェンの英雄交響曲で若々しい熱演を聴かせてくれたが、今日はロシア物を集めた名曲集。

 全体的に脂っこさを感じさせないすっきりとした仕上がり。オーケストラの音色は札響らしい透き通ったいい音がしており、休日の午後に聴くのにふさわしい出来栄え。この種のプログラムは食傷気味になりがちだが、聴きやすくまとめ上げていたのではないか。


 松田華音をソリストに迎えたチャイコフスキーが素晴らしかった。スケールの大きな力感あふれる演奏で、かつよく歌い込んだ、聴き手を満足させる表現力豊かなテクニックの持ち主である。オーケストラは、やや焦点の定まらない箇所もあったにせよ、力演で楽しめた。今日の使用ピアノはもう少し潤いがあれば、とも思ったが、いい音がしていた。

 ソリストアンコールにチャイコフスキーの小品(18の小品op.72より第18曲「踊りの情景(トレパークへの誘い)」)を弾いたが、これまたエネルギッシュな作品で、とてもタフなピアニストのようだ。


 プログラム後半はグリンカから開始。これはオーケストラの腕前を披露するショーピース的作品で、特に弦セクションの引き締った鮮やかな演奏が素晴らしく、存分に楽しめた。

 良かったのはムソルグスキーで、やや間延びしたところもあったにせよ、管楽器のソロと弦楽器の調和、透き通った弱音の響きがとてもきれいで、これは札響以外からは聴けない良質の響きだ。こういう演奏をいつも聴いていれば、戦争なんぞする気にはならないだろう、と思う。

 すっきりとしたボロディンの演奏のあと、ハチャトゥリアンや最後のチャイコフスキーになると,同種の作品の連続で、ちょっと聴く方も疲れ気味。これらの作品では、管楽器の響きがやや大き過ぎて、弦楽器の動きがぼやけたところもあったにせよ、迫力ある響きがホール内に広がり、スケールの大きな演奏で楽しめた。

 プログラム全体を俯瞰すると、老獪な指揮者だったら、適当に迫力で誤魔化すところも,誠実にきちんと仕上げており、ディテールが明確で、中々聞き応えのある、いい演奏会だった。


 アンコールに、大活躍した管楽器をお休みさせてのチャイコフスキーの弦楽セレナードからワルツ。これはやや練習不足の感があったにせよ、聴き手も大きな響きから解放され、安堵感を感じさせたきれいな演奏だった。

 コンサートマスターは会田莉凡。



2022/11/04

 ファビオ・ビオンディ&

エウローパ・ガランテ


202211月2日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮&ヴァイオリン/ファビオ・ビオンディ

古楽アンサンブル/エウローパ・ガランテ


コレッリ:合奏協奏曲 第4番ニ長調 Op.6
ジェミニアーニ:合奏協奏曲 第3番ト短調 Op.3
ロカテッリ:合奏協奏曲 第5番ニ長調 Op.1


ヴィヴァルディ:四季
  「春」RV269
  「夏」RV315
  「秋」RV293
  「冬」RV297


 

 エウローパ・ガランティは1990年の設立なので、もう30年以上を経過している。

 イタリアの作品がレパートリーの中心だが、現在はオペラも手がけるなど、その活動の幅はさらに広がっているようだ。


 アンサンブル全体の響きは、今回聴いた席(CB 上段の上手側)では、やや硬めの、渋い音色。通常の古楽アンサンブルの特徴である、緻密な仕上げ、美しいハーモニーやノンヴィブラートの音色など、このような段階はもう到達してしまい、演奏目的はイタリア・バロックの作品に強烈な生命力を与え、骨董品ではなく現代に生きる新たな作品として、蘇生させることにあるようだ。

 躍動するリズム感、強烈なアクセント、自由自在な表現、どれをとってもダイナミックで、とてもアクティヴだ。生命力があり、しかもエンターテインメント的な聴かせどころをわきまえた職人的な集団でもある。それらを全く嫌味に感じさせないで演奏するところが素晴らしい。


 ヴィヴァルディの四季が面白かった。全体的には、もちろん正確で整ったアンサンブルだが、その様式美よりは、表現に明確な抑揚をつけ、スコアに添付されたソネットの内容を写実的に、わかりやすく紹介する演奏だ。ビオンディのソロは、技巧的な側面を強調した表現で、速めのテンポで、駆け抜けるように演奏しているが、これがソネットの描写と一体化されているところが面白い。

 印象に残ったところをいくつか。「春」で、牧草地で大きく吠える猟犬の様子。かつてアーノンクールも同じような試みをおこなっていたが、こちらの方がより規則的で大きな吠え方だ。

 「夏」では、激変する天候とハエや虫に悩まされ、うんざりして暮らす羊飼いの様子など、暑苦しい夏が見事に表現されていた。きっと当時のイタリアの夏は過ごしにくい嫌な季節だったのだろう。

 彼らの演奏を聴く限り、「秋」が一番いい季節だったようだ。ビートの利いたリズムでの、第楽章の賑やかな祭りの様子、第楽章の狩りに出かける生き生きとした情景などが鮮やか。面白かったのは、酒宴後の眠りこける男達を描いた楽章の個性的なチェンバロソロ。この楽章のチェンバロソロはマリピエロの校訂した通奏低音譜や,それに基づいた形で演奏する例が多いが、今日のはおそらくチェンバリスト自身の作曲によるもの。かなり書き込まれていて、即興的要素は少なかったにせよ、今まで聴いたことのないユニークな表現で印象に残った。

 「冬」では、第2楽章で、弦の通奏低音が一緒にヴァイオリンの伴奏形を弾いていたのが印象的。暖かい暖炉で過ごす楽しげな様子がより賑やかさを増して聴こえてきた。


 前半のプログラムは、コレッリの技巧的でコンチェルト風な求心的表現、ジェミニアーニの伸びやかで深い歌心、ロカテッリのこだわりのある玄人好みの音楽構成など、それぞれの作品の個性の違いが表現されており、それらが皆自然で作為的なところが全くないのが素晴らしい。

 失礼ながら,この時代のイタリアでは皆同じような作品を書いているように思えたが、それは大きな誤り。こうして聴いてみると、各作曲家が強い個性を持っており、その違いをごく自然に、的確に表現出来るのは、さすが熟練のイタリアのアンサンブルならではだ。


 古楽アンサンブルは気軽に聴けて、しかも個性的で演奏レベルがとても高く、楽しみが多い。コロナ禍はまだまだ落ち着かないが、是非このシリーズを続けて欲しい。


 終演後、ビオンディがサイン会。サイン会が行われるのは久しぶり。今日はクロークが開いていて、次第に通常の状態に戻りつつあるのは,うれしい限りだ。