コープマンとアムステルダム・バロック・オーケストラの
モーツァルト
1998年6月11日19:00開演
バッハ チェンバロ協奏曲第一番ニ短調
ヘンデル 「水上の音楽」第一組曲 ヘ長調
モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525
交響曲第29番 イ長調 K.201
主催 Kitara Club
札幌コンサートホールの大ホールは小編成の古楽器オーケストラでも豊かに美しく、しかも演奏者の音楽を聴衆に確実に伝えてくれるホールであることを実感した演奏会。
トン・コープマンは現在ではもはや古楽界の巨匠。Kitaraに初登場したのは98年2月16日で、オルガニストとしてオルガンリサイタルを開催。同年6月11日に手兵のアムステルダム・バロック・オーケストラを率いて再び来札し、バッハ、ヘンデルとモーツァルトを演奏。この組み合わせで2000年10月10日にもう一度来札、バッハのブランデンブルク協奏曲全曲演奏会を行っている。つまり彼は札幌でオルガニスト、チェンバリスト、指揮者の三つの顔と、バロックと古典の異なる世界を披露したわけだ。
オルガン演奏はファンタジー豊かというよりはクリアに骨格を組み立てて行く現実的路線。バッハは有弁かつアクティブで猪突猛進型。共に素晴らしかったが、どちらも違うタイプの演奏があってもいい、と思った。
一方で今日取り上げる98年6月11日のモーツァルトは、優しく、情緒豊かで、躍動的でもあり、笑顔のモーツァルトの魅力がいっぱい込められた名演。他の誰にも表現できない、トンだけの、しかも古楽器演奏でなければ表現し得ないモーツァルト演奏の一つの理想形を示してくれた。
小編成で、アンサンブルが揃っていてきれい。親しい音楽家が集まって、今日はモーツァルトを弾いてみようか、と言っているような、そんな楽しげな雰囲気と演奏する喜びが伝わってきた。息を呑む緊張感を与えてくれた97年のウィーン・フィルの圧倒的な名演とは正反対の、親密感あふれる名演だ。
アイネ・クライネ・ナハトムジークは、古楽器ならではの、きれいな音程と、素朴だが艶やかによく歌い込まれた響き、緻密だがどこかゆとりのあるアンサンブルで、これほど鮮やかにしかも楽しげに、美しく仕上げられた演奏は後にも先にもこの日のがベスト。
最後に演奏された交響曲第29番が素敵だった。モーツァルト18才の青春時代の傑作で、抒情的かつ躍動感に満ちた溌剌とした作品。第一楽章は静かに始まる冒頭のテーマが明るく伸びやかに歌われ、しかも歯切れ良く音がすっきりと抜けてきて、実に素敵。その後のリズミックな展開も鮮やかで、ここで聴衆の心をすっかり捉えてしまった。第二楽章の弾む複付点リズムの心地良さ、思わず踊りたくなる第三楽章のメヌエット、生命力に満ちた第四楽章。アムステルダム・バロック・オーケストラはこの作品を演奏するために組織されたのでは、と思わせるほど。これほど聴衆に幸福感と音楽を楽しむ喜びを与えてくれた演奏は初めてである。
振り返ってみると、彼等は91年に日本でモーツァルトの交響曲全曲演奏会を開催し、98年はバッハのカンタータ全曲録音プロジェクトを進行中で、最も充実した時期の来札だった。古楽器オーケストラの魅力が、前半に演奏されたバッハとヘンデルよりも、モーツァルトの傑作集でより発揮されたのは、全て長調の明るい作風だったことと、コープマン自身の明るいキャラクター(恐らく)が一致したことによるのだろう。
ちなみに、古楽器演奏について。例えばバッハの作品はバッハの時代の楽器、あるいはそのレプリカを使用して当時の様式に従って演奏することを総称して古楽器演奏、あるいはオリジナル楽器による演奏と呼ぶ。厳密に言えば、当然、モーツァルトの作品はモーツァルト時代の楽器を使用して演奏しなければならない。楽器が違えば演奏法も違ってくるので、同じ古楽でもスタイルはバッハとモーツァルトでは大きく異なる。
現代のオーケストラが同じ表現をしようとしても楽器の構造と奏法の違い、そして音色の違いがあり、かなり難しいだろう。
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