2023/10/31

内田 光子 with 

マーラー・チェンバー・オーケストラ

2023年10月29日15:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


ピアノ・指揮/内田 光子

管弦楽/マーラー・チェンバー・オーケストラ


モーツァルト:ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503
シェーンベルク:室内交響曲 第1番 ホ長調 作品9
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595



 この組み合わせでは2016年以来7年ぶりの札幌公演。以後来札の機会があったが、コロナ禍で実現しなかった。

 Kitaraには2001年12月に初登場(北海道新聞社主催)。以後Kitara主催で2010年(クリーブランド管弦楽団)、2013年ソロリサイタル、2016年(マーラー・チェンバー・オーケストラ 、2回公演)と来札している。主催公演では、ソロリサイタル以外のプログラムはモーツァルトの協奏曲2曲とオーケストラだけの演奏と、今回と同じ構成の公演。


 今回の曲目で、第25番は2016年に、第27番は2010年に演奏しており、いずれも札幌で2度目の演奏となる。ただし、演奏内容はかなり変化している。

 以前のように、いわば常識的なセンスながら誰にも真似のできない素敵な均整感を持った演奏、から大きく変化してきていると思う。

 まず、内田の指揮が前回よりもかなり深みを増し、オーケストラからより音楽的に充実した表現と響きを引き出していたこと。特に第25番でのオーケストラの引き締まった表情は、今までの内田から聞くことの出来なかった深みのある音楽だ。

 テンポは以前より遅くなっており、その分微に入り細を穿つ表現で、音楽から立体感と豊かな表情を生み出している。間の取り方もかなり大胆で、より即興性豊かで自由な表現が主体となり、強いインパクトを与えてくれた。

 また、ソロとオーケストラとの一体感が今まで以上に素晴らしく、内田とオーケストラとのより深い信頼関係が築かれているように感じられた。


 第27番は前回よりもやはりテンポは遅くなり、音楽の表情もより自由になっている。静かに思索に耽るような表現の深さを感じさせるところもあり、年齢を重ねたこともあるのだろうが、この7年で何かが大きく変わったようだ。

 ピアノの演奏そのものも以前より一層弱音志向になってきており、全体的にピアニッシモが音楽の表現の中心を占めるようになっている。バスはかなりコントロールされた響き。しかも神経のピリピリした音ではなく、暖かい音色で、すっと抜けてくるピアニッシモの美しさは以前より磨きがかかってきたようだ。特に27番の第2楽章とアンコールのピアノソナタの第2楽章が思わず息を呑むほどの素晴らしさだった。


 毎回ピアノは持ち込みで、その都度違う楽器を弾く。今回はご自分の楽器のようだ。これがとてもまろやかで柔らかい音色。オーケストラと素晴らしく溶け込み、全体で大きな一つのまとまりある響きが生まれきて、実に素敵だった。おそらく今表現したい音楽を100パーセント再現してくれる楽器なのだろう。

 これも実は内田のコンサートを聴く楽しみの一つで、例えば、2013年のリサイタルの時は、もう少し暴れん坊的な楽器だったように記憶している。

 

 いつもながら、ピアノの整調、整音、調律は見事な仕事ぶりだが、今回はより内田の要求に応えての完璧とも言える完成度。


 忘れてはならないのがオーケストラ。すでに述べたように協奏曲での一体感は素晴らしい。チェンバー・オーケストラらしく、ほぼ全員のメンバーがよくお互いに聴きあって良質の響きを生み出している。

 一方、彼らだけでのシェーンベルクはわずか14名での演奏にも関わらずアクティヴで大胆かつスケールの大きな演奏。指揮者無しなので、どのように作品の性格を示すかは曖昧なところもあったにせよ、これはこのオーケストラの優れた能力を余すところなく伝えてくれた。

 音楽堂ヘリテージ・コンサート Ongakudo Heritage Concert

ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXI

2023年10月28日14:00  神奈川県立音楽堂


主催:合同会社オフィス山根

共催:公益財団法人 神奈川芸術文化財団


ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXI


 ヴィオラ・ダ・ガンバ&ディレクション/ジョルディ・サヴァール

 ビウエラ&バロックギター/シャビエル・ディアス=ラトレ

 スペイン式バロックハープ/アンドルー・ローレンス=キング

 打楽器/ダビド・マヨラル


 

ルイス・デ・ミラン:ファンタジアおよび舞曲集「エル・マエストロ」

  ファンタジア第8番、第38番、パバーヌ第1番、ガイヤルド第4番
トバイアス・ヒューム:「音楽によるユーモア」
  ヒューム大尉のパヴァーヌ~ガイヤルド、
  たったひとりで行軍する兵士(無伴奏バス・ガンバ)
カタルーニャ民謡(サヴァール編):作者不詳
  アメリアの遺言、糸を紡ぐ女
フランセスク・ゲラウ:「音楽で綴った詩」
  エスパニョレータとフォリア(バロックギター)

「ムーサたちの涙」

  ジョン・ダウランド:いにしえの涙
  アントニー・ホルボーン:ムーサたちの涙、妖精の円舞
 
 アントニオ・デ・カベソン:パバーヌと変奏
 ジュアン・カバニリェス:序曲~イタリアのコレンテ
 マラン・マレ:フォリアによる変奏
 ルイス・ベネガス・デエネストローサ:カベソンのファンタジア

 アンリ・ル・バイイ:パッサカリア「わたしは狂気」
 新大陸に伝わったバグパイプ:摂政殿のラント~モイラの君主

              ~ホーンパイプ

サンティアーゴ・デ・ムルシア:「サルディバル写本」より 

             ガリシアのフォリア~イタリアのフォリア~
             舞踏曲「狂気の蜜」



 サヴァールも80代、ステージに登場する様子はちょっと歳をとった印象を受けたが、熱い情熱のこもった演奏で、まだまだ達者。

 今回はエスペリオンXXIのメンバーとの演奏会でソールドアウト(立ち見席が当日販売)。2013年9月に来札し、札幌コンサートホールでサヴァールのソロリサイタルを開催している。これもソールドアウトだった。ステージ上のサヴァールだけを照明で浮かび上がらせた幽玄な雰囲気の演奏会で、彼ならではの独自の世界を繰り広げた秀演だった。このときの演奏曲目が今日も演奏されていた。


 今回は総勢4名によるアンサンブルで、通常照明の演奏会。前半は16〜7世紀の作品集で、基本的には一般にパヴァーヌとガイヤルドと言われる緩急の対比する舞曲を中心に構成されたプログラム。本来踊るための姿から次第に様式化されて演奏会用ピースへと変遷していく過程を様々な演奏スタイルで聞かせてくれた。

 プログラム後半はフォリアがテーマとなり、盛大なフィナーレを迎える、というよく考えられた構成。

 それぞれの作品は短く聴きやすく、しかも編成を変え、アンサンブルとソロを交互に演奏するなど、聴衆を飽きさせないよう、かつ興味が持続するよう周到に組み立てられており、さすがサヴァールだ。


 サヴァールはディスカント・ガンバ(高音用のガンバ。小型のヴィオラ・ダ・ガンバ)とバス・ガンバ(通常目にするヴィオラ・ダ・ガンバ)の2つの楽器を演奏。ディスカント・ガンバも足に挟んで演奏するが、これがとても素晴らしくコントロールされており、美しい音色で音がホールの隅々まで通る優れもの。


 前半はバロック以前の時代の作品で、遠く遥かな時代の民衆の伸び伸びした姿が眼前に浮かんでくるような演奏。通り一遍の、楽譜通り演奏したアンサンブルではなく、即興性豊かで、生き生きとした生命力を感じさせ、聴き手に想像力を掻き立てさせる演奏だ。

 YouTubeでこのアンサンブルの映像が数多くアップされており、彼らの妙技を楽しむことができるが、こうして実際に聴いてみると、実に魅力的な音色だ。

 後半のさすがにマレーのフォリアになると、時代は一転して、名技を発揮するマレーとそれを楽しむ宮廷人の姿が浮かんでくる。サヴァールは前半でヴィオラ・ダ・ガンバソロが今ひとつ調子に乗り切れなかっただけに、一抹の不安があったが、ここでは絶好調。

 後半はフォリアによる名人芸大会、次々メンバーそれぞれが名技を披露して楽しませてくれた。

 ローレンス=キングのハープは常に安定していて、通奏低音の役割はもちろん、即興性豊かでソリスティックなパッセージで全体の雰囲気を作り上げていた功労者。

 ディアス=ラトレ(ビウエラ&ギター)はリュート族のビウエラとバロックギターを弾きわけ、特にゲラウの「エスパニョレータとフォリア」は鮮やか。

 打楽器のダビド・マヨラルは冷静に、地味にアンサンブルを支える役割だったが、様々な打楽器を多彩に弾きわけ、特に微細な音量での表現がとても魅力的で、視覚的にも楽しませてくれた。


 今回のような古楽アンサンブルの面白さは映像でも楽しめるが、各楽器の音量、響きはやはりライヴならでは。ジャンルを超えたエンターティメントとしても存分に楽しめた演奏会だった。欲を言えば、歌手を一人加えてくれると華やかさが増しただろう。


 古楽アンサンブルの常として、各曲ごとに演奏前にチューニングを繰り返し行う。これはそれなりに観ていると興味深くはあるが、何度も続くとさすがに飽きてしまう。全体の演奏時間の10分の1はこれに費やしていたのでは? チューニングのための即興曲など演奏する方法を考えてくれたら面白そうだが。

 そのためでもないが、終演はアンコール2曲を含め、16時30分。


 神奈川県立音楽堂は久しぶり。由緒ある歴史的建造物でホワイエ等の構造はさすがに古さを感じさせるが、音響はとても自然で美しくいいホールだった。

2023/10/30

 読売日本交響楽団第666回名曲シリーズ


2023年 10月27日19:00 サントリーホール


指揮/セバスティアン・ヴァイグレ
チェロ/宮田大

プロコフィエフ:交響的協奏曲 ホ短調 作品125
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」から

       “ゴパック” “剣の舞” “アイシャの踊り”
       “バラの乙女の踊り” “子守歌” “レズギンカ”
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)


 


 プロコフィエフのソロを弾いた宮田が出色の出来。ロストロポーヴィッチのために書かれただけに、チェロのあらゆる技巧が登場する聴かせどころ満載の作品だ。

 かなりのテクニックが要求されるが、技術的にも音楽的にもほぼ完璧に手中に収めていて、派手さはないものの、誠実な音楽性が感じられた見事な演奏だった。

 第1楽章こそソロもオーケストラもお互いに手探りのところがあったが、第2楽章以降はほぼ完璧。オーケストラとソロの対話も素晴らしく、万全の仕上がりだったのではないか。

 ヴァイグレは、オーケストラパートをもっと個性豊かに表現してもいいように感じたが、全体的なバランスがよくソリストを好サポート。

 本来はもっと土臭く、野生的な性格を帯びた作品なのかもしれないが、ソロもオーケストラもすっきりと洗練されたモダンでスタイリッシュな演奏で、とても聴きやすかった。

 ソリストアンコールに、ラフマニノフのヴォカリーズ。これがよく歌い込まれ、音楽的で音程がとてもきれい。単にピッチがいい、ということではなく、これ以上ないと思われる純正で美しい音程で歌い上げ、抜群のセンスの良さを披露してくれた。


 ハチャトリアンは、「剣の舞」以外はなかなか聴く機会の少ない作品が6曲。早めのテンポで颯爽と仕上げた快演で、聴衆にとっては、プロコフィエフとストラヴィンスキーの曲者作曲家に挟まれた清涼剤の役割。

 多種多彩な楽器が登場して、視覚的にも楽しめ、かつ音楽の単純明快さがとても心地よい。コンサートピースとしては見事な仕上がりだが、バレエ音楽としては当然速過ぎる演奏だ。せっかくのバレエ音楽特集なので、テンポの変化など、作品ごとの対比をもっと強調した方が面白かったのでは?


 ストラヴィンスキーは、オーケストラが絶好調。今日のヴァイグレは、物語を音楽で綴っていく表現ではなく、一気呵成に全曲を演奏していく明るく屈託のない火の鳥。歯切れ良く鮮やかにオーケストラをよく響かせ、団員の優れた音楽的センスを見事に引き出した好演だ

 ただ、演奏にはかなりゆとりがあったので、各曲の性格描写など、もっと時間をかけて丁寧に物語を話して聴かせてくれると、より楽しく鑑賞できたのかもしれない。

 

 読売日本交響楽団を聴いて記憶に残っているのは、定期公演では2019年3月の「グレの歌」(サントリーホール)、2020年には第49回サントリー音楽賞受賞記念コンサートで、2020年10月のメシアン「峡谷から星たちへ」。いずれも忘れ得ぬ名曲と、読響ならではの名演だった。東京では、ほかに東京芸術劇場と新国立劇場で聴いたことがある。


 札幌でもKitaraで何度か演奏会を開催しており、在京のオーケストラでは比較的来札機会の多いオーケストラだ。Kitaraで聴いた力強い響きは、今日のコンサートでも、もちろん健在だ。

 在京のオーケストラは演奏会場が様々なので、当然その都度響きが異なる。ホールの響きに臨機応変に対応する能力が必要なのだろうが、札幌交響楽団はKitaraで、のように一体どこのホールで聴くと、本当の姿がわかるのか、いつも思う。

2023/10/29

 ジャン・ロンドー チェンバロリサイタル

2023年10月26日19:00  東京文化会館小ホール


チェンバロ/ジャン・ロンドー


フックス: アルペッジョ
ハイドン: 鍵盤楽器のためのソナタ (ディヴェルティメント) 

          第31番 変イ長調 XVI:46
クレメンティ: 「パルナッソス山への階梯」作品44より 

       第45番 ハ短調
       序奏 アンダンテ・マリンコーニコ
ベートーヴェン: ピアノまたはオルガンのための前奏曲 第2番 作品39/2
モーツァルト:ピアノのためのソナタ ハ長調 K.545
モーツァルト:ロンド イ短調 K.511
モーツァルト:幻想曲 ニ短調  K.397



 今回が3度目の日本公演。札幌では2019年11月2日にKitara小ホールでリサイタルを開催している。このときはバッハとスカルラッティというテーマで抜群のセンスの良さを発揮した名演を聴かせてくれた。今回は10月31日に来札し、ゴルドベルク変奏曲を演奏する予定。

 今日のテーマは「パルナッソス山への階梯」と題してのプログラム。同タイトルのCDが新発売され、それに収録された作品のほとんどが今晩のプログラムに含まれている。

 YouTube上で同名のタイトルで、プロモーション用の映像がアップされている。ジャーマン系の2段鍵盤チェンバロで、その機能を駆使して演奏する様子が手に取るようにわかり、しかもかなりクリアなサウンドで録音されていて、存分に楽しめる。演奏はもちろんファンタスティックで素晴らしい。


 この演奏をライヴで聴くと、一体どのような印象を受けるのだろうか、というのが今日の注目点。

 ライヴで聴くと、会場の響きが良くとも当然2段鍵盤のチェンバロの上下鍵盤のコントラストは、録音ほどクリアには聴こえてこない。しかし、今日の演奏ではそういう制約は全く感じさせず、むしろ録音では味わうことの出来ない、自然にホール内に広がるチェンバロの美しい響きを存分に堪能させてくれた。

 チェンバロの魅力は、強弱の対比ではなく、繊細で陰影のある表現と全体の調和の美しさのだ、ということを演奏で示してくれた。それがクープランでもバッハでもなく、ハイドンとモーツァルトだったというのもいかにもロンドーらしい。


 演奏する作品は、かなり慎重に選択されているようだ。ハイドンは歌謡性が高く、即興的要素が多い作品が選ばれている。高音部のメロディーを実に美しく歌い、左手の伴奏を強弱が対比する単なる伴奏ではなく、旋律と溶け込ませて、一体となった響きを生み出している。

 即興的なアゴーギクを付けながら、まるで今生まれたようにパッセージを即興演奏のように演奏していく。しかも細部まで全てよく歌い込まれ、無機的な音、響きは一切無い。チェンバロの美しさを極限まで引き出す見事な演奏だ。これは今までにない新しいハイドンの音響像だろう。

 特に第2楽章(これは以前から好んで演奏しているようだ)の繊細な表情と装飾音の美しさ、響きの調和の素晴らしさは、今日の白眉だった。


 そのロンドーの基本的な姿勢が発揮されたのは、録音にも収録されていないモーツァルトの名作、ロンドイ短調。これは歴史的には明らかにフォルテピアノのために書かれた作品だ。これを強弱のニュアンスではなく、多彩な表情で見事にまとめ上げていたのが素晴らしい。

 柔らかい装飾音の扱い方、程よく調和した旋律と伴奏、ニュアンス豊かな旋律の歌い方、内声部で表現される16分音符の半音階進行や分散和音進行などの考え抜かれた表情など、今までどの演奏家からも聴かれなかったもの。何よりも、この作品でも全体の響きの調和が美しい。

 同じモーツァルトの幻想曲も、有名なハ長調のソナタも基本的には同じ姿勢での演奏だ。それにしてもソプラノ声部の歌い方と音色の美しさは例えようがない。

 

 ロンドーの要求に見事に応えた今日の使用楽器、ジャーマンタイプのミートケモデルのチェンバロがいい状態だったのも特筆すべき点だ。調律、整音、バランスの良さは素晴らしく、調律も最後まで美しい音律を保っており、これは見事。

 

 アンコールが3曲あって、2曲目にCDと映像にあるドビュッシーの「子供の領分」から冒頭の作品。これは運動性があり、音の粒が揃う美しさが要求されるので、チェンバロには向いているのだろう。これは鮮やかな演奏だった。

 

 場内はほぼ満席、集中して聴かざるを得ない演奏とは言え、場内は落ち着いていて、いい雰囲気。休憩なしでアンコール含め終演が20時30分。

 

2023/10/10

 札幌交響楽団第656回定期演奏会


2023年10月8日13:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/ハインツ・ホリガー
ソプラノ/サラ・ウェゲナー
管弦楽/札幌交響楽団


フィリップ・ラシーヌ:愛-大管弦楽のための

ホリガー:デンマーリヒト薄明-ソプラノと大管弦楽のための

                            5つの俳句

ヴェレシュ:ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌

バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽



 ホリガーは指揮者として札響とは2015、17、19年とコロナ禍を経て今回は4度目の共演。

 客席から見てると、ホリガーのぎこちない指揮ぶりが気になるが、冒頭のラシーヌは、その棒からは想像できない柔らかく透明な響きが聴こえてくる。作品は個性的で、音色に関する独特の、かつ美的に優れた感性、世界観を持っている。オーケストラに高度な演奏力を要求しており、その能力が問われる作品でもある。

 ホリガーは全体を美しい音色で緊張感あふれるアンサンブルをまとめ上げ、優れた演奏でこの作品を紹介してくれた。札響の集中力ある演奏が作品の価値を高めたことは間違いないだろう。


 同様のことは、次に演奏されたホリガーの作品についても言える。さすがに自作のためか、指揮ぶりは柔軟性を帯び、より冴えて来たようだ。

 暗い内容の作品で、彼岸と此岸のことを歌ったドイツ語による俳句(ホリガーの作曲の師ヴェレシュの死を予感しながら書いたと言われる)をソプラノが歌い、彷徨う気分などの情景描写をオーケストラが表現する。

 全体はとても繊細な感性に満ち、多種多様な管楽器と「りん」をはじめとする打楽器による微妙な音色、弦楽器の不安定な音程による暗い響きなど、多彩な技巧と音色をオーケストラに要求している。ラシーヌ同様、札響の繊細かつ透き通った音色による演奏で、ホリガーの意図を見事に再現した名演だったと思う。初演者でもあるソプラノのサラ・ウェゲナーの歌も繊細な感性を見事に表現。ただし、歌詞(ドイツ語)はよく聴き取れなかった。

 アンコールに、つい先日亡くなった友人のオーボエ奏者(おそらくモーリス・ブルグ氏のことか)を偲んでホリガー自身のピアノとウェゲナーによる、ホリガー自作の「クリスティアン・モルゲンシュテルンの詩による6つの歌」より"憂鬱な小鳥"。今日の曲目の中では最も古典的で、しかも美しい作品だった。


 ヴェレシュの作品は演奏機会が少ないが、Kitaraでは、2007年11月にハンガリーの名チェリスト、ミクローシュ・ペレーニが無伴奏チェロソナタを演奏している。

 バルトークの死を追悼しての作品で、その奥底には葬送行進曲をイメージする色々なモティーフが常に流れている、というこれも暗い作品。ただし、ホリガーは、追悼する感情を絶叫調ではなく、常に冷静に、客観的に捉えており、後半は葬送行進曲というよりはラヴェルのボレロを想起させるような意外さも感じさせた演奏だった。ここでも札響の演奏が素晴らしかった。


 バルトークはプログラム解説にもある通り、実際にライヴでステージ上に配置された楽器(弦楽器は分割して両サイドに、打楽器は中心後方に配置)による演奏を聴くことで、各声部の動きが視覚的に手に取るようによくわかり、聴いていて飽きない。 

 ここでも札響の弦楽器の充実ぶりが光った。各パートが細分化された書法にもかかわらず、アンサンブル、ピッチ、音色の統一感は申し分ない。各楽章ごとの性格の違いもきちんと表現されており、分析的過ぎず、感情に溺れ過ぎず、と中庸の解釈だ。これはホリガーならではの個性だろう、とてもわかりやすい演奏だった。


 今日は聴衆に緊張感と集中力を求める作品ばかりで少々疲れたが、これは定期公演ならではの好企画のプログラム。バルトークはもちろんのこと、特に21世紀に作曲された冒頭の2曲は、ライヴでなければ理解できない要素と、ライヴでしか味わえない楽しみがあることも事実。

 作品の選択、配置もよく、今日は聴く機会の少ない近現代の作品を、質の高い演奏で紹介してくれた貴重な定期公演だったと言える。

 コンサートマスターは田島高宏。