札幌交響楽団第656回定期演奏会
2023年10月8日13:00 札幌コンサートホールKitara大ホール
指揮/ハインツ・ホリガー
ソプラノ/サラ・ウェゲナー
管弦楽/札幌交響楽団
フィリップ・ラシーヌ:愛-大管弦楽のための
ホリガー:デンマーリヒト-薄明-ソプラノと大管弦楽のための
5つの俳句
ヴェレシュ:ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
ホリガーは指揮者として札響とは2015、17、19年とコロナ禍を経て今回は4度目の共演。
客席から見てると、ホリガーのぎこちない指揮ぶりが気になるが、冒頭のラシーヌは、その棒からは想像できない柔らかく透明な響きが聴こえてくる。作品は個性的で、音色に関する独特の、かつ美的に優れた感性、世界観を持っている。オーケストラに高度な演奏力を要求しており、その能力が問われる作品でもある。
ホリガーは全体を美しい音色で緊張感あふれるアンサンブルをまとめ上げ、優れた演奏でこの作品を紹介してくれた。札響の集中力ある演奏が作品の価値を高めたことは間違いないだろう。
同様のことは、次に演奏されたホリガーの作品についても言える。さすがに自作のためか、指揮ぶりは柔軟性を帯び、より冴えて来たようだ。
暗い内容の作品で、彼岸と此岸のことを歌ったドイツ語による俳句(ホリガーの作曲の師、ヴェレシュの死を予感しながら書いたと言われる)をソプラノが歌い、彷徨う気分などの情景描写をオーケストラが表現する。
全体はとても繊細な感性に満ち、多種多様な管楽器と「りん」をはじめとする打楽器による微妙な音色、弦楽器の不安定な音程による暗い響きなど、多彩な技巧と音色をオーケストラに要求している。ラシーヌ同様、札響の繊細かつ透き通った音色による演奏で、ホリガーの意図を見事に再現した名演だったと思う。初演者でもあるソプラノのサラ・ウェゲナーの歌も繊細な感性を見事に表現。ただし、歌詞(ドイツ語)はよく聴き取れなかった。
アンコールに、つい先日亡くなった友人のオーボエ奏者(おそらくモーリス・ブルグ氏のことか)を偲んでホリガー自身のピアノとウェゲナーによる、ホリガー自作の「クリスティアン・モルゲンシュテルンの詩による6つの歌」より"憂鬱な小鳥"。今日の曲目の中では最も古典的で、しかも美しい作品だった。
ヴェレシュの作品は演奏機会が少ないが、Kitaraでは、2007年11月にハンガリーの名チェリスト、ミクローシュ・ペレーニが無伴奏チェロソナタを演奏している。
バルトークの死を追悼しての作品で、その奥底には葬送行進曲をイメージする色々なモティーフが常に流れている、というこれも暗い作品。ただし、ホリガーは、追悼する感情を絶叫調ではなく、常に冷静に、客観的に捉えており、後半は葬送行進曲というよりはラヴェルのボレロを想起させるような意外さも感じさせた演奏だった。ここでも札響の演奏が素晴らしかった。
バルトークはプログラム解説にもある通り、実際にライヴでステージ上に配置された楽器(弦楽器は分割して両サイドに、打楽器は中心後方に配置)による演奏を聴くことで、各声部の動きが視覚的に手に取るようによくわかり、聴いていて飽きない。
ここでも札響の弦楽器の充実ぶりが光った。各パートが細分化された書法にもかかわらず、アンサンブル、ピッチ、音色の統一感は申し分ない。各楽章ごとの性格の違いもきちんと表現されており、分析的過ぎず、感情に溺れ過ぎず、と中庸の解釈だ。これはホリガーならではの個性だろう、とてもわかりやすい演奏だった。
今日は聴衆に緊張感と集中力を求める作品ばかりで少々疲れたが、これは定期公演ならではの好企画のプログラム。バルトークはもちろんのこと、特に21世紀に作曲された冒頭の2曲は、ライヴでなければ理解できない要素と、ライヴでしか味わえない楽しみがあることも事実。
作品の選択、配置もよく、今日は聴く機会の少ない近現代の作品を、質の高い演奏で紹介してくれた貴重な定期公演だったと言える。
コンサートマスターは田島高宏。
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