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2022/09/14

 東京二期会オペラ劇場

ジャコモ・プッチーニ

蝶々夫人


2022年9月11日14:00 新国立劇場オペラパレス


指揮/アンドレア・バッティストーニ

演出/栗山昌良


蝶々夫人/木下美穂子

スズキ/藤井麻美

ケート/角南有紀

ピンカートン/城 宏憲

シャープレス/成田博之

ゴロー/大川信之 

ヤマドリ/杉浦隆大

ボンゾ/三戸大久

神官/的場正剛


合唱/二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部

管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団



 素晴らしい上演だった。まず、栗山昌良の演出。これはもう何度も再演され、高い評価を受けている名演出(1957年初演、過去8回再演。二期会プログラムによる)だが、今回はバッティストーニのドラマティックな優れた指揮と相まって、舞台と音楽が見事に一致した一つの理想像を描いた名上演と言えるだろう。

 外国人が創作した薄幸の日本人女性を主役にした歌劇を、日本人の優れた感性によってドラマの歴史的背景を忠実に再現し、場面ごとの登場人物の衣装と所作を、微に入り細に入り繊細かつ丁寧に、しかも美しく表現した演出。

 単に舞台セット、衣装が美しい、ということだけではなく、各シーンごとの時代背景がしっかり時代考証されており、正統的な解釈による説得力のある舞台。また,それらを聴衆に的確に示してくれた照明と、衣装を担当した岸田克己の優れた感性もこの公演の成功の原因の一つだ。

 よくある外国人から見た、矛盾だらけのエキゾチックな日本のドラマでもなく、最近主流となっている舞台を現代に読み替えた演出でもない。日本人の心の琴線に触れる伝統的な日本を美しく描いた舞台である。この様な舞台は本当に久しぶりで、落ち着いて鑑賞出来る。

 それに加え、バッティストーニの冴え切った、歯切れの良い、ドラマティックで、かつ登場人物の性格と場面ごとの感情の変化をこの上なく豊かに,かつ繊細に表現した指揮は、見事と言わざるを得ない。前回の蝶々夫人公演時(2019年10月3日東京文化会館)よりも表現の幅はさらに広がり、特に多彩で優れた心理描写、情景描写に格段の成長が見られた。


 木下の蝶々夫人が圧巻。もう何度も演じた役柄とは言え、豊かな表情、演技力、シーンごとに着替えた和服姿に相応しい所作は申し分ない。第2幕で、息子を連れて登場した以後のアリア、演技,第3幕でのアリアなど、涙なしでは観れない見事な蝶々夫人だった。藤井のスズキとの阿吽の呼吸も見事。カーテンコール時の所作も美しく、日本人ならではの感性を十二分に伝えてくれた。

 ピンカートンの城 はやや生真面目な雰囲気があり、敵役になりきれない人の好さを感じさせたが、ピンカートンの煮え切らない性格のある一面をよく表現していたのでは。シャープレスの成田も比較的ヒューマンな領事として描かれていた。

 ヤマドリの杉浦、ボンゾの三戸が好演。また冒頭の蝶々夫人の同輩の芸者達のコーラスはもちろん、黒紋付きの振袖の衣装などが素敵だった。脇役がしっかりしていると全体が引き締まって、とてもよかった。


 バッティストーニは、2018年札幌文化芸術劇場の柿落とし公演での「アイーダ」を指揮、札幌のオペラ公演史上、最高の演奏を披露してくれたのは記憶に新しい。近い将来、是非、また札幌での公演を期待したい。

2024/03/06

 びわ湖ホール プロデュースオペラ 

R.シュトラウス 作曲 『ばらの騎士』全3幕


2024年3月3日14:00  びわ湖ホール・大ホール


指揮/阪 哲朗

演出/中村敬一

管弦楽/京都交響楽団


元帥夫人:田崎尚美

オックス男爵:斉木健詞

オクタヴィアン:山際きみ佳

ファーニナル:池内 響

ゾフィー:吉川日奈子

マリアンネ:船越亜弥

ヴァルツァッキ:高橋 淳

アンニーナ:益田早織

警部:松森 治

元帥夫人の執事:島影聖人

ファーニナル家の執事:古屋彰久

公証人:晴 雅彦

料理屋の主人:山本康寛

テノール歌手:清水徹太郎

合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル /大津児童合唱団



 阪哲朗のびわ湖ホール芸術監督就任の初公演、2日目を聴く。

 物語はご存知のように、好色な田舎貴族が地位を利用してセクハラを続け、更に政略結婚を企てるが、逆に弾劾され、すごすごと引き下がる。

 これに青年貴族と浮気している元帥夫人が絡む。演出家が読み替えしたくなるような内容だが、もちろん当然今日はオリジナルに従った演出。


 舞台セットは18世紀の貴族の館をコンパクトに作り上げていて、特に第2幕のファーニナルの居館は奥行きがあり、第1幕の元帥夫人の居室より豪華な雰囲気。ばらの騎士が登場するシーンは期待感を抱かせ、かつ華やかなさもあってとてもよかった。第3幕は見慣れた地下の居酒屋。セットは全幕で舞台天井まで作り上げておらずこれは予算削減かと思ったが、第3幕で騒動が収拾したあとで、夜空で星がキラキラするシーンが見えるようになっており、それまで気がつかなかったが、当初から空を意味していたのかもしれない。

 主だった役柄の衣装は18世紀にこだわらずに色々な時代の服装だったようだ。召使たちはタキシード着用など現代風の衣装だったが、すべて違和感はなかった。


 昨年までのワーグナーで名演を聴かせた京響が、今回も大健闘。今日はおそらくリハーサルなど音出しの機会がないまま、いきなりの演奏で、この作品の場合はかなりシビアだったのでは。冒頭はやや不調気味だったが、1幕後半から本調子になったようだ。ワーグナーのように力技で勝負できる作品とは違い、濃厚でまとわりつくような表現など淡白な日本のオーケストラだと苦手な表現が多いが、今日の京都交響楽団はかなり熱演。重箱の隅を突けば色々あるのかもしれないが、幕が進むに連れて、弦からはかなり厚みのある音と豊かな表現が聴こえてきてた。阪の指揮ぶりが光った演奏。


 オックス男爵の斉木健詞 は、今までここの劇場で観た見事なワーグナー役からするとガラリと違う雰囲気の役柄だ。斉木はどちらかと言うとドン・ジョバンニ風の体型と声で、体型にもう少し膨らみがあると好色貴族の雰囲気がより出たのかもしれないが、コミカルな雰囲気がよく出ていてとても楽しめた。

 元帥夫人の田崎尚美は、冒頭からオクタヴィアンを圧倒する大人の色気が感じられ、一幕後半のオクタヴィアンが再登場する頃からは、色気に元帥夫人らしい落ち着きと威厳が加わり、こちらも好演。

 オクタヴィアンの山際きみ佳は若々しい情熱あふれる演技と歌で、今日の公演を観る限り最も存在感があった。全幕の重要なシーンで必ず登場するためでもあるが、その都度色々な感情の変化を表現、聴衆を魅了してくれた。

 ゾフィーの吉川日奈子はやや硬めながらも役柄の年齢に相応しく、熱演。ファーニナルの池内響、警部の松森治はともに好演。特に警部は第3幕での主役かと思うほどの存在感があり、オックス男爵を完全に食っていたが、劇の進行から行くとちょどよかったのかもしれない。そのほかの出演者もドタバタ喜劇にならずに、全体的によくまとめ上げられていたいい上演だった。

 字幕は全体的に意訳が多過ぎて、細かいストーリー進行がわかりにくところがあったのは残念。


 来年度はコルンゴルドの「死の都」。名演出家の故栗山昌良による舞台。来年度のびわ湖ホールは栗山昌良イヤーで、さらに2公演予定されている。彼には伝説的な名演出の蝶々夫人(最近では2022年9月11日新国立劇場)があるが、それ以外の演出をまとめて鑑賞できる絶好の機会になる。

2025/03/07

 びわ湖ホール プロデュースオペラ 

コルンゴルト 作曲 歌劇『死の都』全3幕

(ドイツ語上演・日本語字幕付)


2025年3月1日14:00 びわ湖ホール大ホール



指揮:阪 哲朗(びわ湖ホール芸術監督)

演出:栗山昌良  

再演演出:岩田達宗


装置:松井るみ

照明:沢田祐二

衣裳:緒方規矩子

振付:小井戸秀宅

音響:小野隆浩(びわ湖ホール)

舞台監督:菅原多敢弘


合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル

児童合唱:大津児童合唱団

管弦楽:京都市交響楽団



パウル :清水徹太郎

マリー/マリエッタ :森谷真理

フランク :黒田祐貴

ブリギッタ :八木寿子

ユリエッテ :船越亜弥

ルシエンヌ :森季子

ガストン/ヴィクトリン :島影聖人

フリッツ :晴雅彦

アルベルト伯爵 :与儀巧




 びわ湖ホール、今年は「死の都」再演。2014年3月にびわ湖ホールと新国立劇場で競演となり話題となったが、残念ながらこの舞台は両方とも観る機会を逃してしまった。

 ということで「死の都」は今回が初めて。巨匠栗山昌良の演出•再演となると、オペラファンなら誰でも観たくなる舞台だろう。

 最近観た舞台では東京二期会の「蝶々夫人」(2022年9月11日新国立劇場オペラパレス、指揮/アンドレア・バッティストーニ)が出色の出来だった。

 ということで、大きな期待を持っての今日の舞台。色彩感覚は栗山ならではの美しさ。特に第2幕のファンタジックな雰囲気は、パウルの心理状態と音楽の内容、心理的効果と見事に一致していて、実に見応えがあった。

 パウルの幻想、仲間たちの談笑、ピエロの歌、など舞台の設定と音楽はここでは分かりやすくストレートに伝わってきて、今日の舞台の白眉。


 それ以外というと、意外だったのは人物がほとんど直立不動で、動きがないこと。これは何を意味していたのか、全く分からない。動きが無いため、それぞれのキャラクターは、衣装と歌唱だけで表現しなければならず、これは私のように初めて見る観客にとってはなかなか理解しにくく、ちょっと辛い。

 そのため1幕と3幕では、パウルの複雑な心の動きなどがよく伝わってこず、そもそもの舞台のセットが空間的な広がりや、物語の進行を確実にメッセージとして伝えてくれていたようには思えない。が、これは鑑賞する側があらかじめ理解しておく事で、厳しい予習をしっかりとして鑑賞せよ、という栗山昌良氏のメッセージなのかもしれない。


 肝心の音楽面では確かに若きコルンゴルドの傑作かもしれないが、心理状況に応じて音楽が休む事なく次々と変貌していくため、その多彩さを整理しきれないまま流れに任せてしまうと、逆に単調でメリハリのない音楽に聞こえてまい、出演者の微妙な心の動きがよく伝わってこないのではないだろうか。

 ドイツ語がよく聞こえてこなかったのは、歌手の責任でも指揮者の責任でもなく、そもそもが歌が音楽に埋没してしまう書法ではないのだろうか。R•シュトラウスや、ワーグナーのドイツ語歌詞であればもっと聴きやすいはずだ。

 という事で、溢れ出るコルンゴルドの音楽をちょっと持て余しているところもあった阪の指揮だが、作為的でもなく、自然な流れを大切にし、歌手との一体感にも優れ、いつも通りの誠実な音楽造りだった。

 歌手は皆好演で、揺れ動く曖昧な心の動きとひ弱さを感じさせたパウルの清水幾太郎と妖艶さを感じさせたマリエッタ、マリアの森谷真理が良かった。あとはフリッツの晴雅彦が歌った「ピエロの歌」が聴衆を沸かせる名唱。