2022/10/09

 第23代札幌コンサートホール専属オルガニスト

ヤニス・デュボワ デビューリサイタル


2022年10月8日14:00  札幌コンサートホールKitara大ホール


オルガン/ヤニス・デュボワ

    (第23代札幌コンサートホール専属オルガニスト)


J.S.バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV542

メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ ニ短調 作品65-6

ブラームス:前奏曲とフーガ ト短調

デュリュフレ:アランの名による前奏曲とフーガ 作品7

J.アラン:幻想曲 第1番 JA72、第2番 JA117

トゥルヌミール:神秘のオルガン「精霊降臨節」作品57 第35曲

        聖母被昇天より第5楽章 パラフレーズ・カリヨン




 第23代目はリヨン国立高等音楽院で学んだフランス人。骨格のしっかりした音楽と重量感のある音を出し、楽器を響かせる優れたテクニックを持っている。

 歴代のKitaraの専属オルガニストは、オルガニストにより音色は異なるが、ほぼ全員が楽器を美しく響かせるテクニックを持っており、これはオルガニストの場合、とても重要な要素だ。Kitaraでは常に本当のオルガンの響きを聴けることは実に素晴らしい。


 デビューリサイタルということもあり、かなり緊張していたようだ。特に前半のプログラムで、力んでいたのか、鍵盤を弾くノイズや、オルガンの響きがやや硬く聞こえてくるところがあったにせよ、プログラム全体からは、前任者のニコラ・プロカッチーニとは対象的な、力感溢れる硬派のオルガニストという印象を受けた。

 冒頭のバッハでは作品の資質剛健な雰囲気が良く表現されていたが、フレーズ、アーティキュレーションなど、細かい表情が十分表現しきれないまま流れてしまうところがあったのは惜しい。

 メンデルスゾーンは、楽章ごとの音楽的な対比などもう少しわかりやすく演奏して欲しかったが、次第に場内の雰囲気に慣れてきたのか、このオルガニストの優れた音楽性の一端が伺われ、好演。


 後半は緊張もかなりほぐれてきたようだ。フランスの作品は,やはり自国の言葉で語れる心強さがあるのか、表現に次第にゆとりと柔軟性が出てきた。作品の個性がよく描かれており、特にアランとトゥルヌミールが好演。

 アランは、硬質ながらも、何処か革新性を感じさせる今までにはない新しさのある演奏で、意外にも藤倉大など、日本人の現代作品との共通性を感じさせるところがあり、これはとても面白かった。

 最後のトゥルヌミールは、恐らく即興演奏を楽譜に書き留めた作品だと思われるが、即興性よりは全体の構成を捉えた骨組みのしっかりした演奏。1930年前後の作品で、これを含めた一連のオルガン作品は「メシアンの前身と見なすことができ(当日配布プログラムの演奏者本人の解説)」、作品に内蔵された、全く古さを感じさせない現代的な発想が見事に表現された好演だった。オルガンの響きが次第にホールに馴染んできたようで、響きも充実していた。


 アンコールにバッハの「オルガン協奏曲 イ短調 BWV593より 第1楽章」。緊張も解け、力が抜けて、オルガンが自然な響きを奏で、柔らかい上質の響きが場内に広がり、この日の演奏の中では音楽的にも最も優れた内容だった。

 今日はかなり緊張していたようだが、そういう状況でも、演奏はミスが少なく、作品に対する真摯な取り組み方が感じられ、作品の骨格をしっかりと表現できるオルガニストのようだ。今後の活躍を大いに期待しよう。


 

2022/10/04

 ロンドン交響楽団

2022年10月3日19:00  札幌コンサートホールKitara大ホール

指揮/サー・サイモン・ラトル

管弦楽/ロンドン交響楽団


シベリウス:交響詩「大洋の女神」作品73

      交響詩「タピオラ」作品112

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107(B-G.コールス校訂版)


      
 ロンドン交響楽団は 、1990年の第1回PMFオープニングコンサートにバーンスタインの指揮で札幌に登場、以後PMFには94年とKitaraオープン後の97年に、それ以降ではKitara主催で2000年にロストロポーヴィッチ、03年にデービス、08年にゲルギエフと来札しており、今回はそれ以来実に14年ぶりの公演。札幌の聴衆には馴染み深いオーケストラだ。

 ラトルは1998年にバーミンガム市立、2004年ベルリンフィルと来札。今回は3回目のKitara 登場。


 オーケストラは、コントラバス奏者8名がステージ正面最上段に横一列にずらりと並び、壮観。その前に金管楽器群が同じくほぼ横一列、その前に、木管群。ヴァイオリンは上手・下手の両サイドにヴィオラ,チェロを挟むように配置。

 3階LC2列目で聴いた限りでは、低弦が力強く全体を包み込み、響きがまとまって聴こえたが、クリアに響く金管楽器群に対し、弦楽器がやや弱い印象。とは言え、柔らかく、ホール全体に広がる透き通った響きと美しいハーモニーは以前と変わらず、ヨーロッパのオーケストラならではの良質の音だ。


 やはりメインは後半のブルックナー。B-G.コールス校訂による現在進行中の新しいブルックナー全集に基づく演奏だが、このスコアはまだ見たことがなく、詳細は不詳。

 今日演奏で確かめることができたのは、第1楽章では、114小節の3拍目から8小節間、コントラバスが8分音符(ノヴァーク版では4分音符)で演奏。

 第2楽章では177小節のティンパニとシンバル、トライアングルの扱いがノヴァーク版と同じ(ハース版ではこれら打楽器が無い)、ノヴァーク版で216小節3拍目から始まる弦楽器のピッチカートが、217小節目3拍目からに変更されており、これはハース版と同じ。

 この程度しか確認できなかったが、要するに、当然、ノヴァーク版やハース版とは違う校訂譜のようだ。これらが全て自筆譜等に基づく正しい記譜かどうかはわからない。いずれにせよ、この交響曲第7番に限って言えば、第2楽章の打楽器の扱いなど細部の変更はあるにしても、大枠は変わらないようで、演奏する版によって大きく作品観が変わってしまうほどの違いはなさそうだ。

 

 ラトルの指揮はオーケストラを大きくドライヴし、振幅の大きいスケール感溢れるダイナミックなスタイルで、よく歌い込まれ、もちろん繊細な表情も過不足ない。田舎風でもなく、都会風でもゲルマン風でもなく、少々捉えにくい表現ではあったが、全体的に作曲された当時の時代背景を感じさせる、表情豊かでロマンティックな演奏だ。特に、金管楽器群のよくコントロールされた、オルガンをイメージさせる響きは、豊かな残響を誇るこのホール以外では味わうことのできないものだろう。

 第1楽章、第2楽章が繊細かつ彫りの深い表現で出色の出来。ただ、オーケストラはここでエネルギーを使い果たしたのか、第3楽章以降で管楽器群にミスが連発したり、弦楽器がややラフになったりと、このクラスの来日オーケストラ公演では珍しいハプニングが連続し、意外だった。

 後半はラトルがオーケストラを強引にドライヴし過ぎたようだ。ラトルがかつてシェフを勤めたベルリン・フィルであれば、全て完璧に答えてくれたのかもしれない。


 前半のシベリウス2曲はきめ細かく、美しく仕上げられており、これはこのオーケストラならではの素晴らしさ。息使いが自然で,作品の魅力がよく表現されていたのではないか。後半のブルックナーよりは、オーケストラの個性がよく引き出されていて、好演だった。

2022/09/25

 <Kitaraアフタヌーンコンサート>

野平一郎レクチャーコンサート

2022年9月23日14:00  札幌コンサートホールKitara小ホール

ピアノ、チェンバロ、ポジティブオルガン、お話/野平一郎

J.S.バッハ:

ゴルトベルク変奏曲 BWV988より アリア ◆●◇


平均律クラヴィーア曲集 第1巻より

第1番 前奏曲とフーガ ハ長調 BWV846 ◇

第2番 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV847 ◆

第4番 前奏曲とフーガ 嬰ハ短調 BWV849 ◇

第5番 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV850 ●

第6番 前奏曲とフーガ ニ短調 BWV851 ◆

第7番 前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV852 ●

第8番 前奏曲とフーガ 変ホ短調 BWV853 ◇

第9番 前奏曲とフーガ ホ長調 BWV854 ◇

第10番 前奏曲とフーガ ホ短調 BWV855 ◆

第13番 前奏曲とフーガ 嬰ヘ長調 BWV858 ●

第16番 前奏曲とフーガ ト短調 BWV861 ◆

◇ピアノ、◆チェンバロ、●ポジティフオルガン


    野平一郎は過去 kitara主催事業に2度出演しており、2003年3月にベートーヴェンシリーズでピアノソナタを、2008年9月に藤井一興とのデュオで、メシアンのアーメンの幻影、モーツァルト、シューマンなどを演奏している。共に素晴らしい演奏だった。

 今回はピアノ、チェンバロ、ポジティブオルガンでバッハの作品を弾きわけるお話し付きコンサート。楽器はそれぞれ、平均律、ヴェルクマイスター第3、キルンベルガー第3の違う調律法で調律されていて、その違いを同時に聴くことができる。各楽器は全てKitaraの所有のもの。

 

 3種類の楽器を弾きわけることは、実はとても大変なことだ。鍵盤のサイズ、タッチ、音を出す機構、音が出るタイミング、音量など、コントロールしなければならない情報量がかなり多く、普通の音楽家では難しい。それを、どの楽器で演奏しても違和感を感じさせなかったのは、野平の作曲家ならではの明晰な演奏と、同時にバッハの凄さでもある。しかも、どの楽器もいい響きがしており、これは3人のベテラン調律師による優れた調律・調整の成果でもあろう。今日の演奏会の陰の立役者でもある。


 ゴルドベルク変奏曲や平均律クラヴィーア曲集をいろいろな楽器で演奏する例は多いが(今年6月の第646回札響定期でオーケストラ版ゴルドベルク変奏曲が演奏されたばかり)、こうして一つのステージの中で様々な楽器を鑑賞できる演奏会はほとんど無い。今日はとても貴重な機会だ。

 

 冒頭のゴルドベルク変奏曲のテーマは全ての楽器で演奏。繰り返しの際にはレジストレーションを変えて演奏するなど、楽器の特徴、オリジナリティを紹介しながらの進行は,興味深かった。また、楽器の鍵盤の奥行きの違いで指使いが代わってくる話、バッハのBACH (2138)の数値を作品に込めるマニアックな作曲へのこだわり、20世紀のチェンバロ復興の歴史、調律の話など、さりげなく重要なことを語るところは豊富な知識量を誇る彼ならではのもの。

 

 比較して聴いてみると、特にポジティフオルガンによる演奏が面白かった。例えば、第5番の前奏曲は,ピアニストだと必要以上に速いテンポで演奏しがちだが、オルガンの音が出る機構上、速く演奏しても音が充分響く前に次の音を弾いてしまうために、全く意味をなさない。比較的ゆったりとしたテンポで演奏する必然性があり、楽器の違いによって演奏法が変わることが明確に示され、これは説得力があった。

 また変ホ長調の前奏曲では、この作品の持つ柔和でかつ華やかな性格がよく伝わってきて、楽器の特質と調性と作品の性格が見事に一致した三位一体の好例。後のベートーヴェンの英雄交響曲や皇帝ピアノ協奏曲などに通じるものを感じさせてくれた。


 全体的には、レクチャーの中でも話していたが、基本的に野平自身は、メインはピアニストで、古楽奏法によるチェンバロやオルガン演奏は行わない、ということで、やはりピアノによる演奏が最も手に馴染んでいる感覚があった。特に嬰ハ短調のフーガの立体的でスケール感ある表現が素晴らしかった。


 欲を言うと、今回は第一番の前奏曲を演奏したので、調律法の違いをここで紹介してくれると聴衆にとってはより有意義だったのでは。

 また,作曲家ならではの視点から、なぜこの作品をこの楽器で演奏するか、という説明がもう少しあるとよかった。


 アンコールでフランス組曲第6番のアルマンドをピアノ、サラバンドをオルガン、ガヴォットをチェンバロで続けて演奏。これは本日ならではの優れたアイディアで、とても面白かった。

 最後に、Kitaraのチェンバロがドイツのミートケモデルであることにちなみ、ブランデンブルグ協奏曲第5番の第1楽章のカデンツァを演奏、これが実に鮮やか。専門のチェンバロ奏者でも中々到達出来ない優れた演奏だった。

 アンコールを含めて、よく全体が考え抜かれたプログラムで、聞き応えのある良質な演奏会だった。

2022/09/14

 東京二期会オペラ劇場

ジャコモ・プッチーニ

蝶々夫人


2022年9月11日14:00 新国立劇場オペラパレス


指揮/アンドレア・バッティストーニ

演出/栗山昌良


蝶々夫人/木下美穂子

スズキ/藤井麻美

ケート/角南有紀

ピンカートン/城 宏憲

シャープレス/成田博之

ゴロー/大川信之 

ヤマドリ/杉浦隆大

ボンゾ/三戸大久

神官/的場正剛


合唱/二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部

管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団



 素晴らしい上演だった。まず、栗山昌良の演出。これはもう何度も再演され、高い評価を受けている名演出(1957年初演、過去8回再演。二期会プログラムによる)だが、今回はバッティストーニのドラマティックな優れた指揮と相まって、舞台と音楽が見事に一致した一つの理想像を描いた名上演と言えるだろう。

 外国人が創作した薄幸の日本人女性を主役にした歌劇を、日本人の優れた感性によってドラマの歴史的背景を忠実に再現し、場面ごとの登場人物の衣装と所作を、微に入り細に入り繊細かつ丁寧に、しかも美しく表現した演出。

 単に舞台セット、衣装が美しい、ということだけではなく、各シーンごとの時代背景がしっかり時代考証されており、正統的な解釈による説得力のある舞台。また,それらを聴衆に的確に示してくれた照明と、衣装を担当した岸田克己の優れた感性もこの公演の成功の原因の一つだ。

 よくある外国人から見た、矛盾だらけのエキゾチックな日本のドラマでもなく、最近主流となっている舞台を現代に読み替えた演出でもない。日本人の心の琴線に触れる伝統的な日本を美しく描いた舞台である。この様な舞台は本当に久しぶりで、落ち着いて鑑賞出来る。

 それに加え、バッティストーニの冴え切った、歯切れの良い、ドラマティックで、かつ登場人物の性格と場面ごとの感情の変化をこの上なく豊かに,かつ繊細に表現した指揮は、見事と言わざるを得ない。前回の蝶々夫人公演時(2019年10月3日東京文化会館)よりも表現の幅はさらに広がり、特に多彩で優れた心理描写、情景描写に格段の成長が見られた。


 木下の蝶々夫人が圧巻。もう何度も演じた役柄とは言え、豊かな表情、演技力、シーンごとに着替えた和服姿に相応しい所作は申し分ない。第2幕で、息子を連れて登場した以後のアリア、演技,第3幕でのアリアなど、涙なしでは観れない見事な蝶々夫人だった。藤井のスズキとの阿吽の呼吸も見事。カーテンコール時の所作も美しく、日本人ならではの感性を十二分に伝えてくれた。

 ピンカートンの城 はやや生真面目な雰囲気があり、敵役になりきれない人の好さを感じさせたが、ピンカートンの煮え切らない性格のある一面をよく表現していたのでは。シャープレスの成田も比較的ヒューマンな領事として描かれていた。

 ヤマドリの杉浦、ボンゾの三戸が好演。また冒頭の蝶々夫人の同輩の芸者達のコーラスはもちろん、黒紋付きの振袖の衣装などが素敵だった。脇役がしっかりしていると全体が引き締まって、とてもよかった。


 バッティストーニは、2018年札幌文化芸術劇場の柿落とし公演での「アイーダ」を指揮、札幌のオペラ公演史上、最高の演奏を披露してくれたのは記憶に新しい。近い将来、是非、また札幌での公演を期待したい。

2022/09/13

 札幌交響楽団第647回定期演奏会

2022年9月10日 札幌コンサートホールKitara大ホール


指揮/オッコ・カム

ヴァイオリン/三浦 文彰


シベリウス:交響詩「大洋女神」

ヴァイオリン協奏曲

レンミンカイネン組曲(カレワラより四つの伝説曲)


 


 
 オールシベリウスプログラム。後半のレンミンカイネン組曲が良かった。滅多に演奏されない作品で、札響でも全曲演奏は過去三回しかなく、定期では二回だけだそうだ(当日配布プログラムより)。
 今日の第1日目の演奏を聴く限り、カムの指揮は、作品に込められた物語性を殊更強調するわけでもなく、当然、大袈裟な表現もない。この指揮者ならではの,特に何か特徴的な表現や豊かな響きをオーケストラから引き出す、ということもない。音楽の自然な流れに身を任せながら、作品そのものの姿を忠実に示していくのが基本のようだ。
 作品自体も物語の内容を都度説明するものではなく、比較的客観的に描いているのが特徴のようなので、この様な解釈はこの作品に最も相応しいのかもしれない。
 一方で、オーケストラそのものの実力が問われることにもなり、中々厳しい指揮者なのかもしれない。

 その点、この組曲での札響は素晴らしかった。北欧のシベリウスがイメージした響きを、北欧出身の指揮者カムが同じ北国の札響から引き出し、それぞれの思惑が見事に一致した美しさと言えばいいのだろうか。細部まで気配りがされ、繊細で美しく調和したアンサンブルが印象的で、特に今日は管楽器グループが万全の仕上がりだった。組曲の中では、3曲目に演奏された有名な「トゥオネラの白鳥」が秀演。


 コンチェルトは、三浦のソロが暖かい音色とよく歌込んだ多彩な表現で魅力的な演奏。もちろん、技巧的にも申し分ない。ただ、なぜか、カムの指揮が素気なく棒読み風で、特に第2楽章の、ソロと管楽器の対話がまとまりきらず、作品の素晴らしさが伝わってこなかったのが残念。第3楽章はやや焦点が定まらない、不燃焼気味の指揮。今日はオケもソリストも好調だっただけに、ちょっと心残りな指揮だったのが惜しまれる。


 冒頭の交響詩「大洋女神」は、いい響き、いい表情が次第に伝わって来て、これから期待できそうだ、と思っているうちに終了してしまい、これも作品の素晴らしさが伝わりきらず,残念だった。

 今日は、プログラム前半が、何かうまく流れない日だったようだ。2日目はどうだったのだろうか。

2022/09/05

 森の響フレンド札響名曲コンサート

~下野竜也の三大交響曲〜

2022年9月 3日14:00  札幌コンサートホールKitara 大ホール


指揮 /下野 竜也

管弦楽/札幌交響楽団


シューベルト:交響曲第7番「未完成」

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」


    開演前に下野のプレトークがあり、彼ならではのこだわりが込められた興味深いもの。

 例えば、「新世界」で、今日テューバが不在な理由について。ドヴォルジャークはバス・トローンボーンのために書いたが、アメリカではこの楽器を使用しないため、それでテューバで代行したのが後に慣例となった。今日は(オリジナルの)トロンボーンで演奏すると言う話などを約15分。


 本日の演奏は、編成がコントラバス7本の14型の大編成のためか、全体的に弦楽器が豊かに響き、しかも骨組みがしっかりしていて、下野の作品に込めた強い意志の力を感じさせたスケール感ある演奏だった。前回8月4日のhitaru定期で、バーメルトの代役を見事に果たした下野の好調ぶりがそのまま継続されていたようだ。


 特に印象に残ったのは、各交響曲での緩徐楽章。ピアノ、ピアニッシモでの表情が豊かで、アンサンブルも緻密で素晴らしい。ピッチ、音色がきれいで完成度の高い演奏。前後の速い楽章との対比がより鮮やかになり、名曲の魅力ここにあり、とも言える好演だった。


 というわけで、「未完成」は緩徐楽章の第2楽章が編成が大きいにも関わらず、弦楽器セクションの繊細な表情が美しく、そこに遠くから聴こえてくるようなオーボエ、クラリネットの上質なソロが加わり、ほぼ万全の仕上がり。一方で内声部が充実しており、安定したチェロ・バス群と相まって、厚みのある豊かなハーモニーが広がり心地よかった。

 この楽章の冒頭、ヴァイオリンの美しい主題がややピッチが不安定で、響きが抜けてこなかったのが惜しい。再現部では完璧だっただけにちょっと残念だった。


 「運命」は、この作品のデモーニッシュな面を見事に表現した、堂々としたスケールの大きな仕上がり。第2楽章の冒頭のヴィオラとチェロによる変奏曲の主題、第3楽章の冒頭、チェロ・バスの主題など、弱音で、かつユニゾンで動く旋律の表現力が素晴らしかった。単純明快な箇所がとても丁寧に、かつ緊張感ある表情での演奏で、作品全体に立体感を与えていた。第2楽章の変奏曲はやや停滞気味の箇所もあったが、ライブゆえのハプニングだろう。


「新世界」はプレトークにもあった通りテューバ無しでの演奏。

 第2楽章のラルゴが出色の出来。抜粋でよく聴く楽章だが、全4楽章の中で聴くと、よりこの楽章の持つ優しさ、美しさがよく伝わって来る。やはり格別な名作との印象をあらためて感じた。

 全曲をライブで聴くのは久しぶりだが、各楽章の表現の対比の見事さ、リズミックなモティーフの鋭さとドラマティックな表現、全体の構成力など完成度は申し分なく、オーケストラの集中力も素晴らしかった。

 欲を言えば、この作品に限らず、全体的に緩徐楽章で、管楽器グループの入りが、もう少しフワッとした柔らかい入り方だと好印象になるのでは、と感じた箇所がいくつかと、時々力が入り過ぎたのか、音が開き過ぎて、やや音色が荒くなった箇所がほんの僅かだが、あったのが気になった。


 とはいえ、これだけの完成度の高い演奏は下野の功績によるもの。今後の活躍に大いに期待しよう。

2022/08/21

 第22代札幌コンサートホール専属オルガニスト

ニコラ・プロカッチーニ

 フェアウェルオルガンリサイタル


2022年8月20日14:00 札幌コンサートホールKitara大ホール


オルガン/ニコラ・プロカッチーニ

    (第22代札幌コンサートホール専属オルガニスト)


J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ホ短調 BWV548

シューマン:ペダル・ピアノのためのスケッチ作品58

プロカッチーニ:即興演奏
ヴィエルヌ:幻想的小品集より 月の光 作品53-5、鬼火作品53-6

メシアン:聖霊降臨祭のミサより 第4曲 聖体拝領唱「鳥たちと泉」
フランク:3つのコラールより 第1番 ホ長調



 冒頭のバッハは、安定して落ち着いた演奏。最近のプロカッチーニのバッハ演奏は、レジストレーションの選択がよく、今日も柔らかく美しい響きがしており、とても心地よかった。長大な前奏曲、フーガ共に慎重、かつ丁寧に仕上げた好演だった。

 シューマンは、独立したペダル声部のある珍しい作品で、歴代専属オルガニストも好んで演奏してきた。着想そのものはピアノのためのもので、それゆえ楽想はピアニスティックだ。これをオルガンで表現するのは至難の業だが、今日の演奏は、そういう音楽的課題を乗り越えた秀演。
 第1曲目の冒頭のリズミックで歯切れ良く展開される主題、3曲目の中間部の、いかにもシューマンらしいロマンティックな世界がよく歌い込まれており、一方で、レジストレーションは作品にふさわしい淡い色彩のサウンドを選択し、完成度の高い演奏だった。

 即興演奏は札幌で経験した四季をテーマ(当日配布プログラムの本人解説による)にしたもの。クラシックなスタイルで、調性からの逸脱はなく、とても聴きやすい演奏。雪が静かに降る様子、春を迎えた喜ばしい情景、と思われるシーンがあって、瞑想的でもあり、いかにも彼らしい落ち着きのある即興演奏だった。

 ヴィエルヌの「月の光」は、細部の表情がよく描かれていて、これは素敵だった。ただし、息の長いフレーズ感が感じられず、全体の構成感にやや不足していたのが惜しまれる。「鬼火」は本人の解説にもあった「闇に浮かぶ神秘的な炎のような世界」が想像でき、これは名演。


 メシアンは、本当に鳥が鳴いているように聴こえるなど、細かい情景描写が素晴らしかった。メシアンの驚くべき個性と、緻密で透明な書法が見事に再現されていた。これも歴代専属が好んで演奏する作品だが、丁寧な仕上げで抜群の出来だったと言える。


 フランクは、じっくりと時間をかけ、繊細なオルガンの響きを確かめ、そのハーモニーと音楽の推移を楽しみ、作品を慈しむように演奏。全体的な流れがもう少し前向きであれば、とも思われたが、プロカッチーニのフランクの対する畏敬の念が感じられた演奏だった。


 アンコールにフィッシャーの「シャコンヌ」を選ぶのは、彼らしいなかなか渋い選択だ。バロック期の、どちらかというとチェンバロでよく演奏される名品で、オルガンで聴くのは初めて。


 研究探究型のオルガニストで、まだ若いが、幅広い世界観、音楽観の持ち主だ。音楽的にも技術的にも優れており、今後の活躍が大いに楽しみである。ヨーロッパに戻っての更なる活発な活動に期待しよう。